キャンドルの分析と今後の展望
パク・クネ以後を問う キム・ドンチュン教授に聞く
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太極旗ももちろんあったし、星条旗も共に振られ、むき出しの敵がい心もいつものことだ。太極旗集会の風景だ。韓国とは、もともとそんな国であり、やってしまえば以上で終わりだ。だが慣れきったことから慣れきってはならない理由を問いただして見れば、時として苦しみの根源が見える。それは考える一切の存在の領域であり、それは特に学者の存在する理由だ。
大韓民国という名称の、あまりにも慣れきった体制が成立70周年を迎えた2015年、キム・ドンチュン聖公会・社会学部教授は『大韓民国は、なぜ?』(四季社・刊)という本を書いた。故シン・ヨンボク教授は「70歳というのは、ざんげ録を書く年齢」であり、「この本は、まさに大韓民国70年のざんげ録」だと推薦の言葉を書いた。
開化派から始めて、清算されない親日、反共とプロテスタント信仰の結合、資本と結託した独裁権力、未完の民主化運動まで、『大韓民国は、なぜ?』は、この体制がどこから来たのかを再確認する。親日・叛逆者が清算されずに米軍政下で愛国者へと変貌する過程で、反共主義は憂えた楯を超えて左派や民族主義者を突き刺す刃となった。
この過程について『大韓民国は、なぜ?』は「日帝統治下で民族の自尊心をかなぐり捨て侵略戦争に加担した過去は明らかに恥ずべきことであったし、一部では確かにそう考えたけれども、彼らはその恥ずかしさを攻撃性によって置き換えた」と指摘する。
腐敗政権は弾劾された
本が出版されてから2年、変化があった。キャンドル集会は腐敗政権を弾劾した。折しもキム・ドンチュン教授は季刊『黄海文学』2017年春号に「キャンドル・デモ、大統領弾劾と韓国政治の新局面」という批評を書いた。ここにはキャンドル集会の分析と以降の展望についての提案が盛り込まれた。70余年の歴史だけに論点は多様だけれども、できるだけ「韓国保守の起源」と「キャンドル集会以後」に質問の焦点を絞った。
――著作の中で大韓民国を「半分の国家」「4分の1の主権」だと要約した。
分断について話しているのではなく、完全な意味の主権国家ではないという意味だ。近隣住民の同意なしにサード(THAAD、高高度ミサイル防御)を持ち込んでくる例のように、国民の生命や財産を保護することのできない半分の国家だ。国民の生命や財産の保護という1次的義務を果たすことのできていないのだ。
「4分の1の主権」は進歩政治勢力が登場することのできない不健全な政治体制を意味する。分断された韓国は自主独立勢力(統一勢力)はもちろん民権や平等を目指しているすべての政治・社会勢力を政治圏から排除した。依然としてこの国は分断「戦争」体制だ。そのような体制を維持しようとするならば、すべての資源が集中配置されるので、セウォル号の惨事も起きた。
越南者、プロテスタント、開発主義
――『大韓民国は、なぜ?』は反共主義とキリスト教(プロテスタント)信仰の結合に注目する。
「大韓民国を越南したエリートたちが自身の故郷を『踏みにじった』共産主義を撃退し、その地を『失地回復』するための国だという性格を持っている。越南民の信仰にも似た反共主義は大韓民国のアイデンティティの核心を構成する。1950年10月に黄海道信川で起きた左右両者による虐殺にその起源がある」と語る。特に信川虐殺を南北両政府が宣伝していること(北では米軍による虐殺、南では人民軍による虐殺)とは違って左右の葛藤に伴った良民虐殺と考える。
信川虐殺はファン・ソギョンの小説『ソンニム(客人)』の土台となった。後には北韓(北朝鮮)を直接踏査した本も出た。今日の大韓民国は本の中で語ったように、北韓から越南した人々が作った国で、移民者国家の性格がある。イ・スンマン(李承晩)大統領自身がプロテスタントの信者だった第1共和国において、これらの人々が支配エリートを独占した。信川の虐殺は左右対立の性格が強かったけれども、越南者たちが一方の記憶を持って来て今もなお絶えず持ち出す政治的資本(Political Capital)になった。システムはひとたび作られれば持続されるものだ。そのようにして越南者たちの記憶が国家の記憶となった。
――越南者中心のプロテスタントは開発主義の時代を経つつ急成長した。「1950年代の中盤までに新設された2000カ所の教会のうち約90%が越南キリスト者たちによって建立された。それだけではなく越南した牧師たちは韓国のほとんどすべての教派の実質的な権力区を掌握し、今日まで教界の元老として強力な影響力を行使している。8・15当時だけとって見ても、全人口の1%にも達しなかったプロテスタントが2014年に至っては国民の21%が信じている最大の宗教になった」と本は伝える。こうして急成長した教会が反共主義イデオロギーの底辺を成した。
世界で最も大きい教会5つのうち4つが韓国にあり、この教会の設立者たちがすべて北韓の出身だ。越南第1世代の経験は記憶として再生産され、以降の世代にも伝えられた。彼らは「この国家は私の国家であり、共産主義を避けて越南してきた人々が作った国家だ」と考える。教会が私立学校と連結して強力な物理的基盤を踏み固めた。「朝鮮日報」のようなメディアもそうだ。パン・ウンモ氏やソン・ウフィ前主筆も北韓出身だ。
――これらの人々の切々たる愛国心、選民意識を見ると「私はこの国に居候している存在だったんだなあ」という思いがする。今の太極旗集会を見ても、自分たちのものを奪われた人の身もだえに見える。これらの人々は今も依然としてこのように熱い患難の渦中にいるのだろうか。どのようにしてあの熱い情緒が今日まで継続しているのか、驚くべきことだ。
それは死の恐怖を1度経験した人間の持つ強迫症だ。トラウマの主要現象は停止だ。時間がその時に停まっている。客観的ではなく、敵を誇張する。奴らのせいで私が死に直面したと、ということだ。もともと国家権力が勝手にやっているのだからしゃしゃり出なくともよかったのだが、キム・デジュン、ノ・ムヒョン政権以降、国家が我々を守ってくれないと考えるとともに、行動する右派として乗り出すこととなった。もう1つの理由は、2000年代以降、教会の量的成長が止まった影響もあるようだ。経済成長以降、信者が減り、青年たちが教会に通わない現象は普遍的だ。世界のどこでも起きる。これを陰謀勢力が我々をひがんで害を及ぼしている結果だと考える。
キム・ドンチュン教授は映画「国際市場」に言及しつつ『大韓民国は、なぜ?』に以下のように書いた。「1945年から1953年の間の越南者数については正確な統計がないけれども、学者たちはおおむね80万から120万人程度と推定する。数字だけに限ってみれば、そう多くはない。だがイ・スンマン大統領を初めとして当時の軍や警察の最高幹部、キリスト教指導者、政府、メディアの上層部において、これらの人々の影響力は数的比重をはるかに凌駕した」。
人的ネットワークに乗って染み込んだ越南民の記憶は保守の記憶、国家の記憶になった。情報機関のトップたちも長い間、越南民だった。イ・ミョンバク政権のウォン・セフン国家情報院長は以北(北側)出身であり、クォン・ヨンヘ元安企部長は2014年、仁川純福音教会の時局講演で「韓国(朝鮮)戦争はハナニム(神)の国の民草たちがサタン(悪魔)の攻撃に立ちむかった霊的戦争だ」と語った。
――強硬保守の論理は消滅するどころか人的ネットワークに乗って国家機構に浸透し固着化した。これらの形成と変化が気がかりだ。
1970年代以降、新たな地域主義勢力、つまり慶尚道保守が越南民ネットワークと結合した。その次には親資本の保守が結合し、最近では「イルベ」(日刊ベスト貯蔵所)のような若い保守が加えられた。
米日、財閥の道具となったパク・クネ
――パク・クネ政府は強硬保守の最終的目標である諸事業を押しつけた。教科書の国定化、建国節の推進が、それだ。全国教職員労働組合を法外労組し、統合進歩党を解散した。パク・クネ政府の没落は、時代と適合しない保守右翼の宿題の事業をあくまで押しつけたことで生じた破裂音に思われる。
パク・クネ政府が柔軟な統治に進んでいたならば、はるかに安定的だったことだろう。キム・ギチュンに象徴される冷戦保守の越権を黙認した結果として保守全体が自己崩壊的結果に直面した。冷戦保守を制御できなかった保守勢力キム・ムソン、ユ・スンミンなどの責任が大きい。一切の沈黙によって共に没落へと進んだ面がある。
――パク・クネ政府の時計は1970年代にとどまったようだった。
パク・クネ政府は当選の過程からして致命的欠陥があった。国家情報院による大選(大統領選挙)の介入が負担であったし、従って政治力を発揮しがたかった。大統領本人が危機意識に追い回された。その政治的空白をついて入ってきたのが米国や日本、そして財閥だ。(政府が)対内外的道具となった。対外的道具となった事例はサードと「慰安婦」協定であり、対内的には財閥の道具となった。
これは韓国保守の悲劇であるけれども、同時に国民的悲劇でもある。彼らは追い払われて監獄に行けば終わりだけれども、国民の失われてしまった4年は誰が補償するのか。いったん入ってきたサードを誰が追い出すようにするのか。各財閥が略奪した数十兆ウォンは誰が補償するのか。逆戻りできないことに余りにも多くの念押しをした。
彼は『黄海文化』に寄稿した文章で、こう書いた。「今日のこのゲートの局面は単純な政権の崩壊状況ではなく、民主化以降に登場したイ・ミョンバク、パク・クネ政権の内的崩壊と見ることができる。つまりパク政権の崩壊は開発独裁型の新自由主義(イ・ミョンバク政権)、(冷戦保守が主導した)略奪国家(パク・クネ政権)の崩壊を意味する。これは分断70年を率いてきた韓国保守の道徳的崩壊状況だ」。そしてキャンドル以降の改革の課題を導いていく方法として内部告発者センターや積弊清算委員会の設置、市民議会の実権化を提案した。
――これは本物の変化(Regime Change)なのか。
客観的変化の契機という点では、その通りだ。だが変化を率いていく主体はないようだ。
――スペインのポデモス、ギリシャのシリザなどは大衆運動の過程で形成された。韓国では新しい政治的リーダーシップが見えない理由は何なのだろうか。
青年世代が新自由主義の雰囲気の中で孤立し、飼い慣らされてきた。これに冷戦権威主義が加えられるとともに、より一層、個人の独立性、独白性を許容しなかった。韓国は階級政治が成立しがたい構造であって世代問題が重要だ。世代による政治意識の偏差も明瞭だ。87世代(注)が世代循環を導き出すことで自身の役割を果たさなければならない。何よりも国会議員の比例代表制を強化し、青年世代が進入しやすい選挙法を作ることが積極的な譲歩だ。
「87年の限界」を再現するのか
――弾劾以降が重要な理由は。
1987年6月の(民主化)抗争以後の状況が再現されるおそれがある。キャンドル市民は大統領候補を中心に割れ、主体化していた市民たちが再び「お客さま」へ、消費者へと転落する。「誰に投票すればいいだろうか」を尋ねるが、それは再び奴隷になる道だ。「誰がなるのか」よりも「どうなるのか」が重要だ。キャンドル市民の力と圧力によって候補が政策を受けいれるようになり、当選してもその政策を持続するようにしつつ、仮にも裏切るならば引きずり下ろすことができるのでなければならない。それが核心だ。
――保守右翼は再起が困難な状況に陥ったのか。
地域社会の基盤が前提だ。韓国自由総連盟のような御用団体は強力な物質的基盤と全国的組織がある。比例代表が47議席(15・6%)にしかならない国で、事実上すべての政治は地域政治だ。現在の制度によって国会の構成は簡単には変わらない。地域主義が弱まったとは言うものの健在だ。制度的基盤によって国情院も健在だ。司法府も基本的に保守的だ。
政党への支持度ぐらいに変わるだけでも、わが社会は極めて進歩的に進むことができる。けれども(保守の)政党外の基盤が強くて簡単には崩壊しない。ただし保守勢力の道徳的基盤が余りにも脆弱だ。韓国の保守は愛国者ではない。韓国は暴力に基礎づけられた体制だ。暴力の毒素を取り除くことなしには政治的ゲームはできない。毒素が取り除かれないのだから、それがぬうーと跳び出る。弾劾が受けいれられても何らかの苦痛があり得るだろう。(「ハンギョレ21」第1153号、17年3月20日付、シン・ユンドンウク記者)
注 1987年6月の民主化抗争を主導した世代。386世代(30代、80年代に大学入学、60年代生まれ)とも呼ばれる。
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