EU
危機に背を向けた創立60年
過去を貫いた歩みが危機の根源
進むべき方向こそ鍵となる問題
ミゲル・ウルバン・クレスポ
|
EUはつい先頃その最初の歩みから六〇周年を祝う式典をローマで開催し、そこでは今後の統合のあり方として、国ごとにスピードの差をつけることが大枠で合意されたと報じられた。以下はその直後に書かれたものだが、現実の危機とその根源に背を向けたエリートたちの談合を厳しく批判し、今こそ真剣に、もう一つの欧州に形を与えることに取りかかろうと呼びかけている。(「かけはし」編集部)
三月の最終週末に、EUの原理的協定であるローマ条約が六〇周年を迎えた。この時のためのパーティーには、一つのことを除けば、すべてが整えられていた。さてその一つだが、欧州人エリートたちは、過去の業績を祝うことと、当面の言葉――スピード――に焦点を絞ることとの間に挟まれて、演奏にどう調子を合わせるかで途方に暮れていたのだ。
今日欧州人には、郷愁にひたった中味のない言葉も、誰が高速車線を走り誰が低速車線を走るかの議論も、必要ではない。鍵となる問題は、われわれが進むべき早さ、あるいはそこで乗る乗り物(より連邦主義的なものか、あるいはもっと政府間談合のものか)ではなく、EU構想が向かう方向であり、路傍に置き去りにされつつある者は誰なのか、なのだ。
人々の苦境と心配は脇に置かれ
ローマでの祝賀行事で目立ったことは、EU委員会委員長のジャンクロード・ユンケルがEUの将来に向けたあり得るさまざまなシナリオ――現在のリズムの保持、アクセルの作動、ブレーキの作動、あるいは後進ギア――を明確にした白書の公表だった。これらの道筋を明確ににすると思われる政策、実体、に関しては一語の表出もなかった。若者たちの失業、移民危機、さまざまな切り下げ、女性敵視の暴力、あるいは気候変動など、それらに関する言葉は何一つなかった。EUエリートたちは、何度目かになる無視を明らかにしつつ、この大陸に悪影響を及ぼしている諸々の危機を、またそれらを経験している人々の心配をまったく省みることがなかった。
EUはその住民の実体的諸問題を無視しつつ、今日欧州のEU懐疑主義を生み出しているもっとも重要な機構であり続けている。しかしこれは、欧州人エリートたちの民衆からの分離、象牙の塔にとらわれている者たち、を原因とするのだろうか? あるいはそれは、日々何百万人という人々に大きな影響を与えている諸問題について語らなければならないことから逃げるために、あるいは、それらの問題を解決する上での彼らの破綻を認めなければならないことから逃げるために、注意をそらそうとする一戦略なのだろうか?
新自由主義推進として正体露呈
EUは、その攻撃的な対外政策により、世界中で様々な紛争を強めてきた。そして、強いられた移民の波を新たにすることに力を貸してきた。EUは、その国境に対する警察的管理により、地中海を数知れない大量の墓場に変え、保護を例外にし、爆撃と悲惨から逃れようとしているすべての人に対し、移住を危険に変えてしまった。EUは、その制度的な外国人排撃により、今日欧州中に広がり続けている外国人排撃のポピュリズム、今この大陸中にある心性のルペン化という過去の亡霊、新たな極右組織の提案、議論、こうしたことを正常なものにしてしまった。
主権と民主主義をえぐり取り、政治決定をその法の制定にしたがわせられる民衆から遠ざけつつ、EUは、沈滞の全体化、一連のブレグジット、また排他的で国粋的な民族主義を育ててきた。EUは次々に連なる諸条約をもって、新自由主義をその中心的な総体へと具体化してきた。TTIP(環大西洋貿易投資協定)とCETA(カナダEU包括的経済貿易協定)によるその協力は、商慣習法を通路として突進し、諸々の人権を下位に置いてきた。EUエリートたちは彼らの金融危機管理を通じて、不平等、貧困、そして失業を高めつつ、国家債務と年金の持続可能性を脅威の下に置いてきた。EUは一〇年も経たないうちに、「資本主義の改革」という公言された大志から、諸資源の強奪、諸々の自由の撤回、さらに欧州と世界中での何百万人という人々の諸権利の取り上げを先導することへと進んできた。EUは今日、世界の新自由主義における先導的で先を行く政治的道具だ。それでもこれらのどれ一つも、ユンケルの白書には、あるいは問題の週末における議論や祝賀行事には登場しなかった。
軍事的統合が唯一の紐帯に浮上
すべてのことが指し示したことは、「ローマ宣言」――四月一日にまさに荘厳に署名された――が「お好みより取りの欧州」を公式化した、ということだ。そしてその欧州は、メルケルのドイツや他の中央と北部EU諸国が何年も夢見てきたものなのだ。問題点は、欧州統合の道に沿っていくつかの国が他の国より迅速に前進できることになる(すでに起き続けていた――ユーロ圏とシェンゲン協定圏からわれわれが理解していることとして――何か)ということだけではなく、これらの異なったリズムは具体的諸問題のつまみ上げと混ぜ合わせの組にも適用されるだろう、ということだ。
いくつかの問題に関してはより一体化された欧州があり、他の点ではブレーキがかけられるだろう。さらにいくつかに関しては、もっと一体化を欠いた欧州すらあるだろう。そしてわれわれは、問題とすべきことは通常この種の宣言の特徴である中味のない言葉だけではない、ということをはっきりさせなければならない。つまりお好みより取りの欧州には極めて具体的で強い制約性をもつメニューがある、ということだ。それこそ、安全保障と軍事の分野での「より一体化された欧州」に行動を共にするようメンバー国を招待することに焦点を絞った一点だ。
EUエリートたちにとってはこれこそが、来るべき時期に向けた大きな(そして明らかにただ一つの)戦略的な利害のかかるものだ。つまり、われわれは繁栄と民主主義を提供することはできないが、しかし少なくとも、世界中で高まる諸々の脅威を前に、安全保障は提供できる、というわけだ。そしてこの目的に向けて彼らは、欧州防衛財政、共通の軍と軍事産業、あるいはより大きな警察や軍の調整をつくり出しつつ、それを欲する諸国家間での「強化された共同」に向け突進するだろう。彼らはそれを最終的――どれほど早いか遅いかを誰が知っているだろうか――には、欧州軍の誕生を具体化することを目的に行うだろう。
内部的力関係のかつて以上に大きな不均衡――より大きな潜在的競争力をもつ諸国に都合の良い――によって特性づけられた、さらに民主的という点では正統性を奪われ、再分配諸政策を引き受け緊縮の逆転に必要な諸資源と政治的意志を欠いた諸制度をもつEUの光景において、EUがとれるただ一つの実体ある策は、軍事化と防衛と安全保障にすべてを賭けることなのだ。多くの兵器企業と彼らのブリュッセルのロビイストたちは、確かに一日のローマの夕食会には招待されなかったとはいえ、EUの新しい「スピード」を祝うために、この大陸のいたるところでパーティーを組織していた、と推測できる。
EUノーは闘いの正統な出発点
六〇年前今日EUであるものは、単一市場と関税同盟、そして石炭採掘と鉄鋼生産での諸国家間のより大きな共同をつくり出す一つの構想として産み落とされた。天然資源の徹底収奪、自由競争、そして商品流通は、この欧州構想の根源なのだ。ここ一〇年の諸政策を何ほどか例外と表すことにより、自らをだまさないようにしよう。市場の論理、通貨と財政の諸問題は、常に優先とされてきた。
民主主義における前進、平和、福祉、さらに諸権利は、資本主義的蓄積の諸条件がそれらに余地を与えた時は、歓迎を受けた添え物だった。しかしそれらは、EUを設計し、建設し、今日指導している者たちの終極的目標を構成するものではまったくなかった。諸条件がこの「社会協約」には都合が悪くなった時、この構想を実体として一体的に保っているものがむき出しにはっきりするようになった。原理とされた陳腐な神話は解体され、唯一の工程として権威主義的な緊縮が姿を現した。
ダニエル・ベンサイドは、抑圧された者たちの闘いは否定としての定義をもって始まる、と語った。通貨という拘束衣、債務規律、さらに安全保障国家という諸制約下で欧州を政治的に組織するこの構想に対するわれわれの拒絶こそ、そうしたものだ。欧州に対するわれわれのオルタナティブは今こそ発展しなければならない。
偽りの選択拒否し社会的連帯へ
われわれがEU構想と闘い続けているのは、脅かされた民族的独自性と主権を取り戻すためではない。それは極右のやり方だ。そうではなくわれわれはそれを階級的観点から、ユーロ自由主義からの攻撃下に置かれている社会的連帯の名の下に行うのだ。それが意味するのは、欧州人エリートたちの容赦のない競争論理――ベンサイドが書いていた「商品社会の凍り付く寒さの息づかい」――と、ベンサイドによって防衛された「連帯と公共的利益の暖かな息づかい」との間で、立つ側を明確にすることだ。
今日欧州は論争の渦中にある、われわれはこう言うことができる。彼らは、偽りの二分法の中でわれわれを罠にかけようと躍起になっている。それは、新自由主義のEUと国民への外国人排撃的後退との間で、選択しなければならないという二分法だ。この選択は一つの策略であるだけではなく、実際は相互に強化し合う一つのものだ。
われわれは「欧州のためのプランB」を必要としている。そして欧州の問題は、そのスピードではなくその方向なのだ。揺るぎのない反ファシズム、連帯、平和、社会的公正として、民主主義の諸々の根を取り戻す一つの欧州構想に形を与えることを始めよう。それはそこから誰も歩み出ることを望まないと思われるものであるがゆえに、誰をも遠ざけず、排除しない欧州構想だ。その任務は今日、欠くことができないほどに切迫したものになっている。(二〇一七年四月二日)
▼筆者はスペインのアンティカピタリスタスの指導的メンバーであると共に、ポデモスリストで選出されたEU議会議員。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年四月号)
パキスタン
ババ・ジャン、AWP(アワミ労働者党)などに
反動中傷キャンペーンふたたび
宗教諸組織も動員
ファルーク・タリク
レッテル貼りが
またも根拠なく
終身刑に服しているアワミ党GB(ギルギッド・バルチスタン州)指導者であり連邦委員メンバーのババ・ジャンが、三月八日、フンザの下級審法廷に姿を見せた。
山岳地帯のこの偉大な息子はGB民衆およびパキスタンの全労働者階級民衆の諸権利を求めて声をあげたことをもって投獄されているが、帝国主義的新植民地主義の諸大国の傀儡たち、また宗教組織とコミュニティ組織のいくつかの部分は、エスタブリッシュメントの命令の下、ババ・ジャンと彼の党に対する中傷キャンペーンをあらためて始めた。
先頃退役将校が、グルミット・ゴジャルのコミュニティセンターでの高度に政治的な演説で、治安情報を人々に与える代わりに、「CPEC(中国パキスタン経済回廊)を妨害するために外国から資金を受けている」として、ババ・ジャンとAWP(アワミ労働者党)に対し根拠のない嫌疑をなすりつけた。宗教諸組織はこの二、三年、特に進歩的な急進的政治に敵対する政治目的のために悪用され続けている。
これらの宗教組織は昨年の補欠選挙期間中、ビジネス界の大物、アミン・ハシュワニのカラチからフンザへの訪問を手配した。そしてこの大物はさまざまなコミュニティ集会で、同じ主張のレッテル貼りを行った。しかし彼は、フンザの若者から反撃を受け、コミュニティとAWPの活動家たちからの強い憤りに直面し、彼のフンザ訪問を切り上げ、この峡谷地帯を去らざるを得なかった。
AWPは、労働者階級、小規模農民、教員、医師、若者、学生、女性、抑圧された諸民族、こうした諸層の権利のために闘っている、進歩的で、世俗的で民主的な政党だ。世界の帝国主義諸大国の手先たちは、その高まる人気と闘争の後、党とその指導部に対する中傷キャンペーンを始めることになった。われわれはこの行為を強く非難し、AWPとババ・ジャンに敵対する根拠のない、いわれのないキャンペーンを止めるよう、エスタブリッシュメントと宗教組織に警告する。
人権委員会も
法の悪用批判
パキスタン人権委員会(HRCP)は、先週公表されたGBに関する報告で、「GBでの国家機関による、反テロ法(ATA)の見境のない悪用」として、政府、法執行、情報機関を批判した。報告は、ATAの下に何百人という個人が獄中で苦しんでいる、この法は民衆の諸権利を求めてあげられた声すべてを抑圧するためにもっぱら利用されてきた、と語っている。
HRCPは、全国行動計画(NAP)発効後にATAの悪用が増大した、ということに特に言及した。若者、特にAWPおよび他の民族主義組織の活動家たちが、ATAの悪用の矢面に立ってきた。
HRCP報告によれば、GBにおけるAWPの著名な指導者の一人であるババ・ジャンは、アタバードの惨害によって立ち退かされた民衆の苦境に光を当てたことをもって、他の一一人の活動家と共に、今四〇年の刑の宣告に服している。
HRCP前議長もまた、民族主義活動家に対する、「国家の敵であり外国の手先」と彼らにレッテル張りをする嫌がらせを批判した。
彼女は、われわれは開発は支持するが、基本的な諸権利や市民的自由や環境を犠牲にすることは支持しない、と語った。彼女は、CPECについて誇大広告を行い褒めそやす政府に、現実的であるよう助言した。「CPECを讃えても、それを『国民の聖歌』にはするな」と彼女は言った。
GBの民衆は、この巨大開発と他の諸問題に関し、本当の懸念をいくつも抱いている。彼らには、彼らの声をあげるまさに権利がある。しかしそれは、彼らがこの計画や国に反対であることを意味しているわけではない。彼女は、「われわれは、エスタブリッシュメントあるいはどのような政府からであれ、愛国主義者であるとの証明書などどんなものでも必要とはしていない」と言った。
▼筆者は、三政党の結集により二〇一二年に形成されたアワミ労働者党の前書記長、全国スポークスパーソン。以前彼は、パキスタン労働党の全国スポークスパーソンだった。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年三月号)
|