もどる

    かけはし2017.年4月17日号

全県 全国から辺野古現地に結集しよう


沖縄報告:4月8日

防衛局は沖縄県の指示に従い違法な埋立て工事を中止せよ!

沖縄 K・S


 岩礁破砕許可が三月三一日で期限切れとなったにもかかわらず、日本政府・防衛局はボーリング調査や汚濁防止膜の設置など海上作業を続けるとともに、キャンプ・シュワブの浜で仮設道路をつくるため砕石や鉄板を敷く作業を進めている。沖縄県は四月五日、県の担当者が沖縄防衛局に出向き、岩礁破砕許可を申請するよう行政指導を行った。防衛局が従わない場合、警告に切り替え、さらに工事差し止め訴訟や承認撤回の準備を行うという。
 安倍官邸には法律を守ろうという「法治」の精神は全くない。自分たちの都合のいいように法律をねじ曲げてあたかも法律を守っているかのように装うだけのまやかしの「法治」があるだけだ。沖縄の声に耳を傾ける気などない日本政府・防衛局は行政指導も警告も一切無視して埋め立て工事を強行するだろう。止める力は現場にしかない。埋め立て工事現場のゲート前と海上のフロートに持てる力のすべてを注ぎ込もう。辺野古は最大の攻防の時を迎えた。全県、全国から辺野古に結集しよう!

4.6

キャンプ・シュワブのゲート前

3人逮捕、翌日釈放


四月六日、キャンプ・シュワブのゲート前で二人の女性が逮捕された。容疑は一人が公務執行妨害・傷害、一人が刑特法違反だ。同じ日、普天間基地の野嵩ゲート前でも男性が一人逮捕された。どちらも軍警はイエローライン付近から基地内に引きずり込んで拘束・逮捕している。長期間、継続的に人々の敵意に包囲された駐沖米軍の焦りが手に取るようだ。また公務執行妨害・傷害容疑での逮捕にあたって、県警は撮影班の女性警察官が抗議の女性を押し倒し首を絞めるという極めて危険な行為を行なった。傷害容疑とされた「腕を噛んだ」というのは苦しくて無意識のうちに反射的に行なった正当防衛の行為だ。女性は意識が遠のいてその時のことをよく覚えていないという。三人とも翌七日釈放されたのは当然だ。

4.8

ゲート前土曜行動

議員を先頭に250人結集しゲート封鎖


四月八日の土曜行動は県議、市町村議をはじめ各地の島ぐるみが結集し工事用ゲート前を二五〇人が埋め尽くした。資材搬入はなかったが、前日は九〇台にのぼる工事車両の搬入が強行された。
刑特法で拘束・逮捕され一泊で釈放された上間さんは「先に逮捕された女性が持病を持っていることを機動隊の中隊長に伝えたくてイエローラインを少し越えたかもしれない。イエローラインは米軍・防衛局が勝手に引いたもの。越えたからと言って罪だとも何とも思っていない。その上に立ちふさがって闘う。首を絞めた女性警察官は上から相当な圧力を受けていたのだろう。自分の母親のような年上の女性の首を絞めるとは、まかり間違えば命に関わる危険な行為だ。警察官も人間性を取り戻すべきだ」と述べた。
野嵩ゲートで逮捕されたOさんについては、普天間爆音の高橋年男さんが「イエローラインをめぐり米軍も警察もしつこい。米軍は境界線を守ろうと必死だ。Oさんは黄色い線上に立ちマイクで話しているとき二人の軍警に後ろから羽交い絞めされマイクを持ったまま連行された。八五才、戦争体験者のOさんはオスプレイの普天間配備以降これまで四年間毎日ゲート前で抗議行動を続けてきた。持病があり、毎食後の薬が欠かせない。薬を飲まないと命に関わる。翌日釈放になったのは当然だ」と述べた。
県議の玉城武光さん、瀬長美佐雄さん、自治労九州各県の仲間たち、宜野座村、糸満市など各地の島ぐるみなどが次々立ち発言した。また合間に、歌、パフォーマンスが和気あいあいとくり広げられた。平和市民連絡会の北上田さんは、埋め立て工事の現状と展望について詳しく報告し、日本政府・防衛局が実は八方ふさがりに陥っていることを明らかにした。集会はIWJが中継する中、一一時三〇分を期して、トランプに抗議して広まった歌「I can’t keep quiet(もう黙っていられない)」を歌い、メッセージを伝え、辺野古現地からの連帯をアピールした。

4.4

カヌー12艇、抗議船3隻で海上行動

長島付近のフロートから作業に抗議

 四月四日の海上行動はカヌー一二艇、抗議船三隻で行われた。長島付近のフロートに向かう途中左手の辺野古崎の作業ヤード一帯では大型クレーン二機とユンボ一機が配備され、海上工事の準備作業を進めている。浜に五〇mほど近づいてよく見ると、赤茶色の四脚の消波ブロックの型枠が並んでいる。カヌーから見えるのは五基。四月五日付の琉球新報に掲載された作業ヤードの写真によると、完成した型枠が一二基、その他組み立て中の型枠が数基ある。辺野古・大浦湾埋め立て工事で予定されている消波ブロックの数は五万六〇〇〇個にのぼる。
カヌーチームは辺野古崎から長島にかけて張られたフロート付近で監視と抗議を続けた。フロートの内側には、海底調査船「ポセイドンT」、クレーン工事台船、浅場のボーリング調査を行うスパット台船、フロートを修理したり汚濁防止膜を海底のブロックにつなげる作業船数隻、防衛局の各種警備船多数、海保の高速ゴムボートなどがひしめいている。
フロートに張り付いて監視を続けていると南の方からオスプレイ二機が上空に飛んできて交代でキャンプ・シュワブのヘリパッドに降り立った。沖合に強襲揚陸艦ボノム・リシャールが停泊していたとのことだ。いつみてもオスプレイは不格好で、騒音だけが大きい。森本元防衛相がいうように辺野古新基地をホームベースにオスプレイが一〇〇機も配備され、伊江島、高江をはじめ沖縄中を飛び回ることになれば本当に危険だ。人が住めなくなる。
しばらくして作業船が長島付近のフロートに近づいてきて、潜水作業を始めた。防衛局の警備船と海保のボートも多数集まってくる。カヌーチームは「無許可の作業をやめよ」「海をこわすな」と叫んで、カヌーから飛び込んでフロートを潜ったり、カヌーでフロートを乗り越えたりして抗議した。海保がフロートの内外からカヌーメンバーの拘束を行なった後も、残ったカヌーや抗議船が抗議行動を続けた。拘束されたカヌーとメンバーは平島で解放されたが、休憩の後、再び午後の闘いに向かった。

4.5

ゲート前座り込みに200人

資材搬入・工事車両進入を終日STOP

第1ゲート前で米軍装甲車両を足止め

 四月五日の水曜集中行動も早朝から工事用ゲート前で座り込み集会を行った。警察機動隊の配置ははじめから排除を諦めたかのように少ない。その代り、防衛局は前日午後五時ごろに三回目の強制排除と資材搬入を行なった。集会は、ヘリ基地反対協の安次富浩さんの「韓国では大統領を追放した。日本でも辺野古新基地建設を阻止し、安倍を倒す闘いを沖縄からつくり上げていこう」との訴えからスタートした。
続いて北部地域の島ぐるみが発言した。宜野座村島ぐるみの共同代表の浦崎さんは「私は父親を知らない。二歳の時防衛隊に取られて以来会っていない。南方方面で亡くなったとされているが詳しいことは分からない。ジイちゃん、バアちゃんが苦労して育ててくれた。何百年と続く基地を造ってはいけない」と語りかけた。本部町「八人で参加している。糸満にならってベニヤで看板を作った。本部は砕石の搬出地でもある。埋立はさせない」、名護市「これまで名護には騒音測定器が一台も設置されていなかった。琉大の渡嘉敷先生の協力で国立高専に設置し一〇〇デシベルを越える数値を測定していたのを先日撤去した。理由は騒音が大きいと学生が来なくなるからというものだった。本末転倒だ。今度は久辺の小中学校の屋上に設置した。以前オスプレイが一日六一回も飛んだところだ。騒音の実態を明らかにしていく」
糸満市島ぐるみの金城さん「地方自治法の改正で国と地方は対等になった。ところが安倍政権は地方自治をまったく無視している。戦前回帰ではないか」。豊見城市の大城市議「小学校六年生の時名護市民投票があった。頑張る父親を見て議員になろうと志した。日本がこのまま右傾化していけば独裁になる。正常化させよう」。八重瀬町の知念町議「四年前の建白書行動の時、県下のすべての市町村の首長と議会長は上京して一緒に行動した。日本の国はいま危ない。知事は県の取締船に乗って、辺野古・大浦湾から防衛局、海保は出ていけ!と訴えるべきだ」。
南城市の松田市議「昨日抗議船に乗船した。ブロックによりサンゴが押しつぶされている海は沖縄の民意が押しつぶされているのと同じだ。海をつぶさせてはいけない」
続いて全国各地からの参加者があいさつした。北海道の「矢臼別平和盆踊り大会」のグループは「自衛隊基地の中の私有地で五三年間ずっとやってきている。ガンジー、阿波根さんの教えを受け継いで頑張る」と述べた。「辺野古の民の声をきけ」の横断幕を広げた東京教組の退職者グループは「横田基地にはオスプレイが何回も飛来している。共に闘おう」と訴えた。その他、千葉の市民ネットワークのグループは県議や船橋市議、佐倉市議も含めて一二人が参加した。
そのあと、ナンバープレートを付けていない米軍装甲車両二台がキャンプ・ハンセン方面から北上し第一ゲートを入ろうとするのに対し、座り込み参加者は全員第一ゲート前でデモ行進しながら抗議行動をくり広げた。約二〇〇人がゲート前を占拠すると、三〇〜四〇人の機動隊は手出しができない。海兵隊は撤退せよ!米軍車両は公道を走るな!と激しく抗議を続け、一時間近く米軍車両を道路上にくぎ付けにした。車両の米海兵隊員五人は困惑した表情でニタニタしていたが、沖縄県民の米軍に対する強い反発を実感したに違いない。

3.14

全21校の「全学徒隊の碑」除幕

学徒隊は日本の戦争犯罪の典型

 七二年前の沖縄戦に動員された全学徒隊を追悼する碑が三月一四日、糸満市摩文仁の平和祈念公園内に建てられ除幕式が行われた。合同のモニュメントが立てられるのは初めてだ。沖縄戦で学徒隊として動員されたのは、宮古、八重山を含め当時県内にあったすべての中学校、高等女学校、各種専門学校合わせて二一校(うち女子学徒隊に動員された学校は一〇校)約二〇〇〇人で、半数が死亡したと言われる。詳しくは、ひめゆり平和祈念資料館(電話098-997-2100)編『沖縄戦の全学徒隊』を参照されたい。
沖縄戦に向けて日本軍が沖縄守備隊(第三二軍)を編成するのは一九四四年三月。この時すでに日米戦争での日本軍の敗北はハッキリしていたが、日本政府・日本軍は「国体護持」のための捨石としての沖縄戦を計画したのだった。
沖縄戦の始まりは一九四四年一〇・一〇空襲。のべ一四〇〇機、五波にわたる米軍の空襲で、日本軍の飛行場、港湾だけでなく、民家、病院、学校が焼けた。米軍は焼夷弾という新型爆弾を使用し沖縄中を焼き尽くし、一五〇〇人の死傷者が出た。制海権、制空権を米軍が掌握し、沖縄が完全に孤島となって、住む家がない、着る服がない、食べる物がないという住民にとっての戦争の苦しみが本当に始まった。
孤島となった沖縄で日本軍は「六〇万県民の総決起」「軍官民共生共死の一体化」を打ち出し、一七〜四五才の防衛隊、一六〜六〇才の義勇隊、すべての中学・高等女学校を対象とした学徒隊という形で、県民の根こそぎ総動員をはかる。学徒隊の任務は、女子は野戦病院、陸軍病院での看護活動、男子は戦場での電話線の補修や伝令、弾薬運搬、橋の補修や壕掘り、爆弾を背負っての斬りこみなどに動員された。皇民化教育の影響をもっとも強く受けた一〇代の少年少女は「お国のため」「天皇のため」に身を投げうって懸命に働き、傷つき死んだ。
学徒隊の動員は形の上では「保護者の同意」「志願」という体裁をとったところもありはしたが、何ら法律に根拠を持たない軍による不法な動員であった。その中には、吉村昭『陸軍2等兵比嘉真一』で描かれたように一四歳で陸軍二等兵という少年もいた。沖縄の学徒隊は天皇制日本国家の県民に対する戦争犯罪の典型だ。平和公園に設置された「全学徒隊の碑」は日本の戦争犯罪を告発するとともに、学徒隊の少年少女の記憶を永遠にとどめるモニュメントとして静かに立ち続ける。



もどる

Back