オランダ
総選挙結果:政治地図のさらなる右移行
高まる社会的不平等と不安定性
をはね返せる社会運動と左翼を
アレックス・デヨング
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今年欧州で続くオランダ、仏、独の選挙が緊張感をもって注視されている。極右によるEUの深刻な不安定化、そしてそれが米国トランプ政権と相乗的に世界を一層不確実化することへの不安である。その欧州での選挙の先陣となったオランダ総選挙では、極右の伸長が事前予測を下回る結果となった。欧州の支配階級には一定の安堵を与えているように見える。しかしそれは、労働者民衆にとっての事態改善を何ら意味しない。以下の現地からの報告は、そのことを具体的に明らかにしつつ、そこで左翼に求められている課題も示している。(「かけはし」編集部)
労働党の惨敗を埋める左翼が不在
三月一五日のオランダ総選挙は、予想通り右への移行を――しかし幾分予想とは違う形で――示した。ゲールト・ウィルダースの極右、PVV(自由党)が最大政党になるだろうとの怖れは、現実とはならなかった。ウィルダースは五議席を上乗せし、定数一五〇のうち一五から二〇議席に伸びた。現首相、マルク・ルッテの右翼、VVD(自由民主党)は八議席失ったが、三三議席をもって最大政党の位置を保った。
もっとも注目すべき展開は、中道左派、PvdA(労働党)の、三八議席から九議席へという破裂だった。この敗北は予想よりも大きかった。この党は、それ自身の二〇〇二年の記録を破った。そして、オランダ政治史上最大の選挙における敗北を喫した。
しかし、PvdAがひどく負けるだろう、ということは予想されていた。この党は二〇一二年の選挙では、SP(社会党)からの左翼的挑戦を食い止めるために、左への方針転換を図った。しかしその後、VVDとの連立政府形成を選択し、四年の間右翼の諸政策を実行した。労働党がこれにより罰を受けるだろうということは、予想されたことであり、嘆き悲しむことではまったくない。
もっと懸念すべきことは、その他の左翼がこのPvdAの破裂から利益を受けることがなかった、ということだ。多くの前PvdA支持者はその代わりに右翼諸政党に向かうか、まったく投票しなかった。右翼が全体として新たな議席を得たのだ。
多くの進歩派にとっては、グロエンリンクス(GL、緑左翼)の、四議席から一四議席への伸長というニュースが輝く火花となった。世論調査は、失望したPvdA支持者の四分の一は今回GLを選ぶ、と示していた。GLが行ったキャンペーンは、そのスタイル(突撃的かつ楽天主義的)で魅力的だっただけではなく、気候変動、反レイシズム、またオランダ政治を支配するようになった民族主議に対する全般的な拒否、といった政治的観点をも押し出した。
GLは、その中に共産党も入るさまざまな左翼政党のある種の融合として一九九〇年代に組織された。この党は政治的な中道へと移動し、世紀が変わった後、自称「進歩的自由派」の路線を取り入れた。GLは二〇一二年になると、右翼連合を支持し、それが、年金受給資格獲得年齢の引き上げ、またオランダ警察のアフガニスタンへの派遣といった、緊縮諸方策や新自由主義的改革を実行することを許した。
しかしこの方針は、続く諸選挙で罰を受けることになり、党は重大な敗北を経験した。GLはその時から左翼的な相貌をあらためて採用することになった。しかしこの党は、以前の方針にはっきりとした決別を表明することはなく、選挙期間中その指導者のヘッセ・クラベルは、ヤニス・バロウファキス(債務返済を巡り、EUと強硬姿勢を保って交渉した当時のシリザ政権財務相)やジェレミー・コービン(英労働党党首)のような人々を右から攻撃した。彼はまた、右翼との連立の可能性も除外しなかった。
がっかりだが、SPは一議席を失い、一五議席から一四議席になった。国政選挙でSPが議席を減らしたのは今回で連続三回目のことだ。今回の敗北は特に厳しいものだった。SPにとっては多年の間もっとも重要な競合相手だったPvdAが何十も議席を失ったからだ。SPの戦略ではこの一五年、PvdAの基盤を獲得することに的が定められていた。しかしこの戦略がこの選挙で破綻したのだ。
GLは政治的に、PvdAとSPの間にあると見られている。GLは、相対的に左翼という相貌を保ったキャンペーンに基づいて、失望した多くのPvdA支持者を何とか引きつけることができた。それゆえ、これらの有権者にとってSPはあまりに左すぎた、と単純に語ることに大した説得力はない。そうではなくGLは代わりに、SPによって無視された諸々のテーマに基づいて彼らに訴えたのだ。
レイシズムと環境の重要性
これらのテーマの一つはレイシズムだった。正しかろうとそうでなかろうと、GLは、反レイシズムの党と思われている。そしてこれが、失望したPvdA支持者にとってだけではなく、GLに票を投じた多数の若者たちにとっても、彼らのアピールポイントの一部であったことは疑いない。
SPキャンペーンは、すでに何年もの間党がそこに強力な政治的存在感を保っている課題の医療問題を選挙での中心にしようと挑んだが、それに失敗した。そして党は成長できなかった。SPは反レイシズムを無視しただけではなく、SPの何人かの著名な人物は、反移民感情に沿って進むことまでも行った。一人のSP議員は、SPは「わが国の労働者第一」に賛成だ、と言明した。そうした言明が党の票には高くついたのだ。
もう一つの課題はエコロジーだった。この選挙で伸長したもう一つの左翼政党は動物権利党(PvdD)だった。二〇〇二年に創立された彼らは、動物に対する冷酷さとアグロビジネスにおける動物の扱いに反対するシングルイッシュー政党として出発した。そして環境主義政党へと成長を果たした。この党は新たな有権者を引きつけつつ、二議席から五議席へと伸長し、理想主義と特に環境主義の顔をもつ党のもう一つの例となった。この党の一弱点は、党が議会外にはほとんど存在していないということ、そして諸々の運動(環境問題の)内部では極めて限定された役割しか果たしていない、ということだ。加えて、この党はGLよりも急進的と思われているとはいえ、その環境に関わる要求を社会的闘争あるいは資本との争いに結び付けていない。
中道派総体が大きく右へ傾斜
今回の選挙ではまた、普通ではないような新党の参加の多さも見ることになった。それらの一つは、オランダ憲法第一条にちなんで名付けられたアルティケル1であり、すべての者は平等な扱いを受ける資格がある、と言明している。反レイシズム、フェミニズム、LGBTQの人々に対する差別への反対がこの党の中心的課題だ。アルティケル1はまた、その中での非白人の人々と女性の卓越した役割でも注目に値する。党の選挙リストの首位になり、スポークスパーソンでもあるシルヴァナ・シモンスは、反レイシスト活動で知られた黒人女性だ。
しかしながら、この党は選挙の前にほんの短時日に組織され、一議席も取れなかった。これは、その原理的な反レイシズムの立場に必要性を見る多くの人々にとっては失望を呼ぶものだったが、想定外ではなかった。この党が選挙準備にわずかしか時間がなかったことを考えれば、それが得た〇・三%という得票率は、この党に将来の成長に向けた潜在能力があることを示しているように見える。
もう一つの新党はデンク、つまり「思考≠求めるオランダ」だ。この党は、二人のトルコ系前PvdA議員によって創立され、三議席を得た。この党は、中道左派的な社会・経済綱領とイスラム嫌悪反対を組み合わせている。シモンスはデンクと連携していたが、その党にはフェミニズムとLGBTQの課題に向けた空間が十分ではないと言って、そこから去った。
この党はオランダで、しばしばトルコ大統領エルドアンの操り人形として攻撃され、イスラム原理主義の穏健派と見られている。トルコで高まる権威主義やアルメニア人虐殺といった問題についてこの党が今もごまかし続けていることは真実だとしても、これらの攻撃の多くは明らかにレイシズムとイスラム嫌悪を動機としている。デンクは特に、元々はPvdAを支持していたトルコ系有権者を引きつけた。
今回の選挙におけるもう一つのはっきりした勝者は、D66という名の政党であり、一二議席から一九議席へと伸長した。この党は時として「進歩的」と見られているが、しかし新自由主義的経済諸政策の強い支持者だ。しかしながらこの党は、先の姿勢を自由主義的フェミニズムや反レイシズムのレトリックと組み合わせている。党はGL同様、党が極右に反対する可能性をもっていると感じている多くの人々を引きつけた。
極右は予想されたほどにはうまくいかなかったが、それでも前進を果たした。PVVは、中道右派のVVDから、さらにPvdAからも票を獲得し、三分の一だけ議席を伸ばした。選挙はウィルダースにとって一つの失望だったが、それはただ世論調査が生み出した極度に高い予測と比べてのことにすぎない。そして、極右の台頭は終点に達したと結論づけるにはまったく早過ぎる。
加えて、新たな極右政党、「民主主義フォーラム」が二議席をもって議会に入り込んだ。この党の指導者、シエリー・バウデットは見苦しくない知的なイメージを磨いている。しかし彼は、少なくともウィルダースと同じほど極度に右に位置する性差別主義的かつレイシズムの潮流を代表しているのだ。
極右ブロックが議会で成長しただけではない。伝統的な中道右派政党、VVDとキリスト教民主主義派のCDAもまた、民族主義、イスラム嫌悪、さらに反移民感情を大きな基礎とした選挙キャンペーンを展開した。これは、評論家が議席数や連立政府を形成する者たちだけに焦点を当てたりするならば、見逃しかねない動きだ。
CDAやVVDにとってウィルダースのPVVは、それに対抗する上で彼らが自身を計る基準だった。そして両者とも、ウィルダースの反移民やイスラム嫌悪という課題設定に対する「見苦しくない」変形版として自身を見せることによって、PVV支持者を味方に引き入れようと挑んだ。PVVは、政府の一部になることがなくとも、依然としてこの国のもっとも影響力のある政党の一つなのだ。VVD首相のマルク・ルッテがトルコに対して巻き起こした外交紛争は、ムスリム国に反対する強力な西側指導者のポーズを取ることによって潜在的なPVV支持者を味方に引き入れるという、上首尾のもくろみとなった。
政治的中心部で政治的再編進行
何十年もの間オランダの政治的中心は、三つの大政党、つまりPvdA、CDA、VVDを基礎にしてきた。この中心の伝統的支柱の一つが今や崩壊した。そしてCDAとVVDも当たり前としてあった政治的主流ほどの大きさではない。
政治的中心は一五年間、左からSPによって、右からPVVとその先行者によって、圧力の下に置かれてきた。この国の政治制度(全国を基礎とする比例代表)のために、政府形成のためには連立が必要だ。しかしながら、中心諸政党に対する支持の相対的下落、および新しい諸政党の台頭が、このシステムを不安定化している。前内閣は世紀の変わり目以後では、その任期を全うした初めての政権だった。
選挙結果は、この国の政治的中心が再編される途上にあることを示している。中道右派政党のCDAとVVDは、極右からその諸要素を受け継ぐことによって自らをつくり変えることになった。
この断片化された光景の中で新たな連立を形成することは難しいことになるだろう。少なくとも、議会多数派の連立をつくるには、四つの政党が必要になるのだ。しかしその正確な構成がどうであろうが、オランダの新政権は右翼となるだろう。それは大企業により多くの力を与え、社会的不平等と不安定性は高まるだろう。
これと組になるのは、反難民、反移民政策、そして今もあり続けるイスラム嫌悪と民族主義の政治的空気の継続だろう。これは中でも、労働力市場における差別、非白人民衆に対する警察の暴力、さらにマイノリティに対する社会的排除の他の諸形態を意味する。右翼と極右は、こうした動きから利益を受け続けるだろう。
この情勢に対して、その中のいくつかでは進歩があるとしても、左翼の諸政党のどれにも十分な回答がない。SPは、レイシズムは無視できる、と考え、悪いことにそれに屈服してもいる。GLは、その以前の経済的自由主義を未だ説得力のある形で放棄していない。それはまた、SPが保持している労働組合との結びつきや社会的根を欠いてもいる。
議会内左翼の後退を条件とした場合、社会的諸闘争がこれまで以上に重大となるだろう。そうした諸運動に潜在的可能性があるということは、気候変動、レイシズム、またTTIP(環大西洋貿易投資協定)をめぐる諸決起という姿を取り、この何カ月かで示されてきた。一万五〇〇〇人以上の人々の結集を見た三月一一日のアムステルダムにおける女性行進は、近年では最大規模のデモの一つだった。オランダの左翼は、そうした運動の建設と組み合わせて、集団的討論と政治的明晰化の歩みを切迫した任務として必要としている。
▼筆者は、第四インターナショナルオランダ支部の雑誌、「グレンゼロース」の編集者。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年三月号) |