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    かけはし2017.年4月10日号

今こそなくそう原発を


「復興」キャンペーンのごまかしNO

再稼働を絶対止めよう

孤立させない改めて加害責任を問う

3.20

さようなら原発全国集会

被害補償打ち切りを許すな

1万1千人が決意新たに

 

 三月二〇日、「さようなら原発」一千万署名 市民の会は、代々木公園で「いのちを守れ!フクシマを忘れない さようなら原発全国集会」を行い、一万一〇〇〇人が参加した。
安倍政権は、原発の再稼働、核燃料サイクル、原発輸出を押し進めている。その一方で八万人近い被災者の補償の打ち切りをはじめ、子どもたちの甲状腺がん、労働者被ばくなどの問題に対して不誠実な対応を繰り返している。集会は、原発再稼働反対、フクシマの被災者連帯、原子力政策の根本的転換に向けて行われた。
司会は木内みどりさん(俳優)。
主催者あいさつが落合恵子さん(呼びかけ人)から行われ、「福島原発事故から六年。事故を起こした人たちに最後の最後まで責任をとらせよう。この国は自分の生きる権利、生き延びる権利を奪おうとしている。原発で働く人たちの被ばくの苦しみを横に置いて、なにが東京オリンピックだ。森友学園問題は何なんだ。国有地をあんなに激安で手渡した背景はなんなのか、きっちりと突き詰めていこう。この問題の劇場化は、福島の現実、そこまで迫っている共謀罪をも隠す力があることを忘れてはならない。沖縄の山城博治さんが保釈された。私たちは決して安倍政権には屈しない」と発言した。

放射能から
子どもを守れ
澤地久枝さん(作家)の「安倍政治を許さない」メッセージの紹介後、フクシマ関連報告が行われた。
野口時子さん(3a〈(安全・安心アクションin郡山)代表)は、「放射能からわが子を守りたいと行動する母親たちと3a郡山を立ち上げた。放射能の線量は下がったが、依然として低線量被ばくが心配です。母親たちは仕事を始めた。子どもたちを転地療養、保養に出させたいからです。当初は保養キャンプが企画されたが、だんだんと少なくなった。国や自治体は、放射能汚染を忘れてしまえとしむけてくる。二〇二〇オリンピックの福島の野球会場が復興オリンピックのシンボルとして選定された。このまま世の中は放射能災害を忘れ、健康被害はないとなってしまうのか。子どもを守る母親を『変人』としてしまうのか。放射能との闘いはまだまだ続く」と批判した。
瀬戸大作さん(避難の共同センター事務局長)は、「三月いっぱいで自主避難者の無償住宅提供打ち切りが強行される。相談電話には多くの人々から相談されている。孤立した状況が続き、新たな生活困窮に入ってしまう。仮設住宅も三月いっぱいで閉鎖されてしまう。帰還しても病院はないし、インフラが整っていない。四月以降、緊急の支援体制を作って取り組んでいきたい」と訴えた。
「避難者から」松本徳子さん(郡山市から川崎市へ避難)は、「国、福島県は、まだまだ高い放射能を出し続け、放射性物質の除染物を片付けないままの危険なところへ帰れとなぜ言うのか。事故の責任を誰も果たさず、賠償責任も四月から自己責任にすりかえられ、この国は未来がある子どもたちに何を残していくのか。三月一七日、前橋地裁において司法が初めて国と東電の責任が同等にあると認めた。当たり前のことが認められた。原発と人間は共存できない。福島原発の責任を国が果たすこと、被害者を救済することが復興だ」と強調した。

被ばく労働者を
支え裁判勝利へ
双葉町からの自主避難者は、「この六年間は、本当に苦しかったです。子どもだけのいじめじゃない。私もいじめられた。好きこのんで被災者になったんじゃない。子ども、孫を守るために頑張っていく。再稼働絶対反対だ」とアピール。
「被ばく労働者から」の訴えとしてあらかぶさん、ユニオン北九州(全国一般全国協北九州合同労働組合)の本村真委員長、福島原発被ばく労災あらかぶさんを支える会が登壇し、アピールした。あらかぶさんは、東京電力福島第一原発の事故収束作業や九州電力玄海原発の定期検査に従事し、急性骨髄性白血病を発症し、二〇一五年一〇月に労災認定を受け、昨年一一月、東電と九電を相手に損害賠償を求める裁判を起こした。
続いて河合弘之弁護士(3・11甲状腺がん子ども基金理事)、フクシマ連帯キャラバン(三月一三日〜二〇日の日程で脱原発社会実現!フクシマを忘れない!を各地で訴えた)、武藤類子さん(福島原発告訴団団長)、ii正明さん(日印原子力協定国会承認反対キャンペーン)、福山真劫さん(戦争させない・9条壊すな!総がかり実行委員会共同代表)、三上元さん(元湖西市長、脱原発首長会議)が発言した。
最後に閉会あいさつを鎌田慧さんが行い、「原発事故から七年目に入って原発賛成のメディアは読売、産経新聞を除いてほとんどいない。原発反対が浸透したが、あまりにも犠牲が多かった。ようやく前橋地裁が原発事故の責任は、東電と国にあると判断した。この判断は全国的に広がり、再稼働できない状況に追い込んでいく。原発反対運動とともに沖縄基地反対、共謀罪反対運動を繋げて憲法改悪の動きを潰していこう。安倍政権を打倒していこう」と呼びかけた。
集会後、原宿コースと渋谷コースに分かれてデモを行った。 (Y)

3.12

さよなら原発関西アクション
被害を見すえ脱原発を
「福島を忘れない」の思い広げよう


 【大阪】三月一二日さよなら原発関西アクションが開かれ、午前中は大阪市中央公会堂で特別企画として、河合弘之さん(弁護士・映画監督)、崎山比早子さん(元放射線医学総合研究所主任研究官)の講演やアピールがあった。
 午後は、中之島公園でさよなら原発コンサートと本集会が開かれた。池島芙紀子さん(ストップ・ザもんじゅ)が主催者あいさつをした。本集会では、福島から岡山県に避難した蛯名さん親子の津軽三味線ライブもあった。蛯名さんは、ライブをしながら被災地の子どもの保養活動を続けている。発言は以下の通りである。
 
原子力ムラは
居直り続ける
 河合弘之さんは、弁護士であると同時にドキュメンタリー映画『日本と原発』、『日本と再生』の制作者・監督でる。講演では原発と核燃料サイクルの破たんを説明した。
 世界の地震分布図で日本列島は強烈な地震地帯に含まれていて、そこに多くの原発が分布している。重大事故は一万年に一回ぐらいしか起きないという言い方がされるが、原発ができてまだ一〇〇年にも満たないのに、原発過酷事故はスリーマイル島・チェルノブイリ・フクシマと三度も起きた。
 日本の原発新規制基準は世界最高というが、基準地震動の不合理、立地指針なし、使用済み核燃料プールの無防備、避難計画は除外、火山学会無視など矛盾だらけだ。日本は資源小国だから、自己完結型永久エネルギー構想に基づいて核燃料サイクルを考えたが、もんじゅが廃炉になること・六ヶ所村の再処理工場が機能しないことで、この核燃料サイクルは破たんした。
 原子力は人間の手に負えるものではない。原子力ムラは、今ある原発は使い切ることを考えているだろうが、この間に事故が起きたらどうするのか。原子力ムラは、東電をはじめとした電力会社・経産省・エネルギー庁、東大はじめ大学の原子力工学科の三者がコアーな部分。ここに経団連を媒介したメガバンク・マスコミ・ゼネコン・発電機メーカー・電通などの広告会社・地元自治体・労働組合電力総連などがつながったものだ。このムラは厳然としてある。
 原発裁判から学んだことは、本訴ではなく差し止め請求の仮処分を目指すのが有効だということ。勝てば原発はすぐ稼働停止となる。立地自治体は補助金などのしがらみがあるが、周辺自治体は何も貰っていないから、訴訟を起こしやすい。今、伊方原発を対象に広島・大分・山口で差し止めの仮処分裁判が始まった。脱原発の流れは時代の趨勢となっている。
 自然エネルギーをIOTの技術で適正配分すれば原発なしで十分エネルギーは足りる。自然エネルギーは以前の二〇分の一まで安くなった。自然エネルギー開発で一番はどこか。それは中国だ。次は米国。フクシマ事故に学んだと言っている。脱原発は必ずやってくる社会だ。必ずわれわれは勝つ。
 
低線量被ばく
と健康被害
崎山さんは、「低線量被ばくによる健康影響」について話した。二重螺線のDNAの構造と複製のメカニズムを説明。一ミリシーベルト被ばくとは各細胞の核に平均して一本の飛跡が通ることをいう。放射線がDNAに当たると塩基結合の鎖が切断される。鎖が二本切断されたときは、修復過程で突然変異が発生する場合がある。放射線は一本通ってもDNA複雑損傷を起こす可能性がある。そうするとがんが発生する。
 今政府は年間二〇ミリシーベルト帰還政策をとっている。フクシマ原発事故が起きる前の放射線作業従事者の累積線量は、平均一三・八ミリシーベルトだった。被曝線量とリスクとの関係で、一〇〇ミリシーベルト以下ではリスクゼロと言われていたが、それは間違いだ。一〇〇ミリシーベルト以下で発癌が証明された疫学調査はいくつもある。
 国際放射線防護委員会(ICRP)ですら、リスクは、被曝線量と発ガンのリスクの関係にしきい値はなく、直線的に増えていくと言っている。さらに、放射線感受性は子どもや女性は高い。一ミリシーベルトという基準はどうして決めたのか。ゼロシーベルトが一番いいが、実際には健康へのリスクと社会的コストの両方を考えてそのバランスで決めたもの。福島県の甲状腺がんは多発している。手術の結果、現在五〜一八歳で一四五人が確定している。
 この子どもたちのため、子供基金をつくり、診断された子には一律一〇万円、アイソトープ治療する場合はさらに一〇万円を支給している。核災害はひとたび起こると生業を根こそぎ奪ってしまう。科学的根拠に基づいて、個々人が判断力をつけることが大切だ。
 
七年目の福島
から訴える!
長谷川健一さん(飯舘村酪農家)。
 家族は三カ所に分かれて生活している。わが村ももうすぐ帰還制限が解除されるが、子や孫は帰ってこない。帰るべきではないと思っている。基準は年間二〇ミリシーベルトではなく、一ミリシーベルトでしょう。
 帰還政策が始まったが、病院や医療関係・日常品の買い物などのためのインフラは整備されていない。自分は今は仮設に住んでいるが、いつかは帰りたいとは思っている。わが村はいま、箱ものづくりの真っ最中だ。維持費など後年度負担を考えると、私はつくることに懐疑的だ。全天候対応のテニスコート、そんなもの老人ばかりで誰が使うのか。村でよく相談して決めるとなっているが、そんなつながりはなかなか難しい。子どものいないところに未来はない。フクシマのことは日本では教訓化されていない。自治体のウソに負けないようにしなくてはならない。
 
避難者として
言いたいこと
うのさえこさん(福島県からの避難者、京都木津市在住)。
 友だちは、だんながいるから逃げられないといったが、だんなは大人だから自分で対処してもらおう。子どもは母親が守らねばと言って、一緒に避難してきた。
 区域外住宅支援は三月で打ち切られるが、受け入れ自治体の違いで差が出ないように、子どもがいじめに会わないように要求している。なかなか簡単に答えが出ない問題だが、避難の権利・住宅の補償を求めている。そのことを人権として認めてほしい。そのため関西の避難者も、神戸・大阪・京都で原発訴訟をしている。
 
若狭の原発立地
からアピール
 宮下正一さん(福井県民会議事務局長)。もんじゅは廃炉になる。次は若狭に一五基もある原発の再稼働阻止の闘いだ。国は立地自治体のボスたちにお金を投入してきたが、彼らは責任を取らない。一四五〇万人の関西圏の人々の考えで原発は止まる。
本集会は集会決議をして終了。一五時から御堂筋デモに出発。なんばまで約一時間半のコースでデモを敢行した。    (T・T)


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