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    かけはし2017.年4月3日号

政治の世界的右翼化 直視必須


世界情勢

ブレグジットとトランプ後の世界政治(上) 

ソーシャリスト・レジスタンス

 以下は、FI英国支部による世界情勢評価に関する一つの問題提起だ。特にここ一五年の世界的な政治の右翼化が何を意味しているのか、を分析しようとしている。重要な論点であり、かつ興味深い視点も提示されている。長文であるため、三回に分けて紹介する。(「かけはし」編集部)

右翼に傾いた鋭い政治的分極化


EU離脱を求める英国での票決と米大統領選でのドナルド・トランプの勝利は、同じ進展の一部であり、偶然の一致ではない。われわれが今見つつあるものは、右翼に向けたある種世界的移行であり、トランプ、欧州におけるいわゆる「ポピュリスト」右翼の台頭、インドのモディ、ラテンアメリカにおける「二一世紀の社会主義」の半崩壊、さらにISISやフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ、その公然たる死の部隊の政府といった憂鬱な現象、こうしたものによって表現されている。
あらゆる激しい危機の時期と同じく、政治的分極化が今あり、左翼に位置する重要な勢力の出現もある。その欧州における代表は、英労働党内のコービンの傾向、スペインのポデモス、ポルトガルの左翼ブロックと共産党の引き続く強さ、ギリシャのシリザであり、やや違った形だが、米国でのバーニー・サンダースもそれを代表している。
われわれはまた、左翼の諸政党に組織された先のような勢力だけではなく、特定の諸課題について闘っている重要な社会運動の出現も見てきた。それらの運動の中で国際的におそらくもっとも重要なものは、環境運動――特に気候変動への反対に焦点を当てた――だ。これには世界のさまざまな部分でさまざまな現れ方――多くの場合ラテンアメリカやアジアでは伝統的に先住民運動との強い結びつきを伴って、しかし北米でもますますそのような――がある。
さらにわれわれは、移民の防衛における諸々の決起の大衆的な再成長――国家レイシズムに対決し中心的役割を演じているギリシャとイタリア、また米国におけるブラック・ライブズ・マター運動の爆発を含めて――をも見てきた。
女性解放運動はここ数週間にわたって、反トランプの巨大な諸決起の結果として、国際的に大衆的な高まりと強化を経験してきた。女性の諸権利に対する諸々の攻撃がトランプの設定課題の――事実上世界的に他の右翼指導者たちの――中心にある、ということを前提とすれば、先の高まりは、単に一時のことと言うよりも、あらためて強化された運動として継続しそうだ。
われわれは、これらの運動に参加し、それらの要求の擁護者として活動しつつ、前述のような左翼諸政党にはっきりと味方する。しかしながらわれわれは、諸運動をそれらの諸政党の選挙上の必要や戦術的必要に従属させることは支持しない。
しかし分極化は必ずしも同等であることを意味しない。今日の分極化は、大きく右に傾いているのであり、労働者階級と抑圧された者たちに対する大きな脅威を提起している。
欧州では全面的に、反動的右翼の事実上同時的高まりがある。英国のテレサ・メイ政権は、保守党内部での右翼クーデターおよびEU懐疑派の勝利を意味している。オーストリアでは自由党のノルベルト・ホファーが、僅かの差で大統領選の勝利を逃した。オランダではゲールト・ウィルダースの自由党が、強力に上昇中だ。「ドイツのための選択肢」(AfG)は、強力に前進中であり、ポーランドとハンガリーにはすでに右翼の権威主義的政権が存在している。
フランスの共和派右翼に対するカトリック反動派の候補者であるフランソワ・フィヨンは、「フランスがこれほどに右翼的となったことはこれまで一度もない」と語っている。五月のフランス大統領選でたとえ彼ないしはエマニエル・マクロンが最後には勝者になったとしても、ありそうなことは、マリーヌ・ルペンが極度に強力な形勢を保ち続け、勝利に近づくだろう、ということだ。

右翼化の危険の過小評価は誤り

 左翼と労働者運動のいくつかの部分は、こうした危険を認めた。「もう一つの欧州は可能だ」の発足は、重要かつ前向きな一歩だった。コービン、マクドネル(英労働党左派の指導的下院議員)、モメンタム(労働党内外のコービン支持者を結集する運動体)、統一左翼(労働党の左に立つ新たな政治勢力創出を目指す急進的左翼の共同組織)とケン・ローチ、ほとんどの緑の党活動家と特にキャロライン・ルーカス(緑の党下院議員)は、レイシストの苦みを取り去ろうと懸命に力を尽くした。労働組合指導者の多数も正しい観点に立った。ユナイト(英国最大の労組)とユニゾン(地方自治体労働者を中心とする大労組)両者は、レイシズムに対決し、移民労働者を守る重要な資材を差し出した。消防士組合(FBU)のマット・ラックと運輸職員労組(TSSA)のマヌエル・コルテスは、特に重要な役割を果たした。それは彼らの深い信用になっている。しかしながら力関係は、このキャンペーンが大衆的な聴衆のところまで達することを極度に困難にした。
ところが急進的左翼のほとんどは、離脱投票を支持し、いわゆるレグジット(左翼と離脱を結合した造語:訳者)キャンペーン――国民投票全体へのその影響はゼロだった――を支えた。そのキャンペーンは、実際は違うのに左翼的離脱が求められているとの幻想をばらまき、キャメロンが退陣を迫られればそれは左翼にとっての好機を開くだろう、と偽りの主張を行った。SWP(社会主義労働者党)のようなレグジット派の人々は、ファラージと保守党右派の勝利の後でさえ、これは「富裕層と力ある者たち」への反乱であり、レイシズムの危険は「避けられないというところからはほど遠い」と主張した。
彼らは、右翼の外国人嫌悪の者たちが率いた主流の離脱キャンペーンが表現した諸々の危険を認識できなかった。彼らは、彼らが生み出すと思われるレイシズムと憎悪、これが政治情勢と階級的力関係に及ぼすと思われる反動的影響、そして何らかの形で反動派と関係をもったこと――特に、離脱投票の件で――に付随した危険、に気付かなかった。

15年前と鮮明に対照的な情勢


右翼の上昇と包囲された左翼という現状は、二〇〇二年一一月のフィレンツェにおける欧州社会フォーラム当時の、丁度一五年前の情勢とは鋭い対照をなしている。その時クリス・ニネヘムは、そのフォーラムを締めくくったデモについて以下のように書くことができた。
いわく「フィレンツェの土曜日は、他の何ものよりも、可能であることを示した。締めくくりのデモはとてつもないものだった。フィレンツェの人々は拍手しながら道筋に列をなし、労働者階級地域にある高層住宅のいくつかのブロックでは、家族の過半がウエーブし拍手しているように見えた。驚くような数の家族がデモにあいさつを送る横断幕を用意していた。……それはあたかも、この運動がフィレンツェの労働者階級と溶け合っていたようだった。戦争反対、新自由主義反対、さらにレイシズム反対と声をあげていたわれわれは、不意に多数派のように感じた」と。
われわれは今日、そのような種類の情勢、そのような種類の左翼的高揚からは、特にイタリア自身遠く隔たっている。その国では、共産主義再建党がもっていた将来性は吹き飛ばされ、ポピュリストだが本当は急進的ではない五つ星運動で置き換えられた。こうしたことが、オキュパイ、怒れる者たち、またニュイ・ドゥブ(夜にたちあがれ)のような周期的な反乱的抗議運動があったとしても起きている。以下でそのことを議論する。(つづく)

フランス

大統領選

フィリップ・プトー
公式候補者承認かち取る

NPA

 三月一八日、フランスの憲法評議会は最終声明で、フランス大統領選第一回投票に対する一一人の候補者を承認した。立候補する民主的な権利のための精力的なキャンペーンを通して立候補資格に必要な自治体首長、議員からの、五〇〇人以上の支持署名獲得をめざしたNPA(フランス反資本主義新党)の努力は、保証人となることを承諾した五二三筆の署名を得、また同評議会に自発的に送られた五〇筆を加えて、成功のうちに報われた。
 われわれは、被選出公職者により直接投函された「自発的」保証人承諾署名を数えに入れることなく、五二三筆の保証人承諾署名を憲法評議会に送付した。
 今回のキャンペーンでは一〇か月の間何百人という活動家が動員された。およそ一万人の首長との面会が行われ、何十万キロメートルもの旅程が組まれ、船を使った移動にも数千ユーロが費やされた。
 制度に座を占める候補者たちは、克服が必要なこのような障害、われわれのキャンペーンを遅らせることになったそうした障害などもっていないが、諸々の使い込み事件の中に沈み込むかもしれない。しかしわれわれは、いくつもの集会を組織し、ポスター貼り出しのキャンペーンを展開してきた。しかしわれわれはそれよりはるかに多くのことをやることができ、それをこれからの数週間で行うことになるだろう。
 われわれは、フィリップ・プトーの立候補を支持する保証人になった著名、無名の被選出公職者の人々、小さな自治体、他の政治潮流の人々に感謝する。
 われわれの大統領選キャンペーンは今本当に始まろうとしている。そして、フィリップ・プトーにとって次の数日は、われわれが先導したいと思っているキャンペーンの前兆を示すものとなるだろう。実に月曜日(三月二〇日)には、ただ一人の労働者候補者が、彼の仕事を守るためにストライキに入るだろう。
 NPAにとって、人減らし解雇の禁止、失業をなくすための労働時間の分配、そして勤労諸階級に有利な力関係の構築は、われわれの政治キャンペーン、並びにわれわれが実行したいと思っている構想の心臓部にあるものだ。
 われわれはまた三月一九日、パリの国民広場で午後二時から行われる、警察の暴力、レイシズムに反対し、尊厳を求めるデモでもその一員になっているだろう。

二〇一七年三月一七日、モンレイユ
(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年三月号)  

 


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