沖縄報告:3月11日
辺野古NO!全国署名121万余筆、国会に提出
沖縄 K・S
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昨年一〇月から集めてきた「沖縄県民の民意尊重と基地の押し付け撤回を求める全国統一署名」が一二一万筆を超えた。呼びかけ人の「基地の県内移設に反対する県民会議」「『止めよう!辺野古埋立て』国会包囲実行委員会」「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の三団体は三月九日、衆院第一議員会館で集会を開き、野党四党と参院会派「沖縄の風」に署名を提出し新基地建設の即時中止に向けて請願の手続きを取るよう求めた。沖縄では、議員団がゲート前行動の再開を決めるなど、3・25辺野古現地大集会への最大結集の取り組みが進んでいる。
3.8〜9
辺野古集中行動
ゲート前と海上で
新基地建設阻止行動
三月八〜九日、水木の集中行動日は全県の島ぐるみをはじめ、全国からも参加者が集まり、キャンプ・シュワブのゲート前と辺野古・大浦湾の海上から新基地建設・埋め立て工事の強行に反対する抗議の声をあげた。
三月九日朝、ゲート前に各地の島ぐるみが結集し始めると同時に、警察は大型車両六台をキャンプ・シュワブの第一ゲートの中に待機させ、座り込み強制排除の準備をした。前日は工事車両の基地内進入のため午前中二度強制排除が行われた。警察機動隊がいつ座り込みの強制排除に動き出すか分からない緊迫感の中で、工事用ゲート前での集会が進行した。ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表のあいさつに続いて、各地の島ぐるみが決意表明に立った。
水曜日は本島北部・南部の担当だ(木曜日は中部)。糸満市、南城市、八重瀬町、豊見城市、南風原町、中城村、今帰仁村、本部町、西原町、那覇市の各島ぐるみと平和市民連絡会が次々発言した。豊見城島ぐるみの発言者は「自分にできることをやる。私はベニヤ板で“辺野古へ行こう”という看板を一五〇枚作った。行動で民意を示そう。集まれば工事は止まる」とアピールした。
島ぐるみの発言の合間に、体ほぐし体操や歌、全国から参加の仲間が紹介された。埼玉県の教職員を中心とした東京都足立区の一四人は「まだ明けやらぬ空の下決意を込めたまなざしのおじいとおばあが座り込む」に始まる『辺野古の朝』を歌い大きな拍手を受けた。『沖縄とつながる岩手の会』の人たちは、「『標的の村』で初めて沖縄のことを知った。昨年一四〜五人で会を結成した」と述べた。ゲート前の座り込みは約二〇〇人。昼頃になって、警察は強制排除を諦め、大型車両四台とパトカー三台を現場から撤退させた。
一方、海上では一部の海上保安庁職員による乱暴な行為が勃発した。午前中フロート付近で航行中の抗議船に海保のゴムボートが全速力でぶつかってきたため、抗議船はメキメキときしみ左舷が約一メートルにわたってひび割れた。きわめて危険な行為だ。「海の安全のための警備」を標榜するなら、海保はこのような危険行為を謝罪・補償するとともに二度と行わないことを明らかにすべきだ。
汚濁防止膜の
設置をやめよ!
翌九日の海上行動は、防衛局が汚濁防止膜設置の海上作業を行うことに抗議し、抗議船三隻、カヌー一一艇で行われた。辺野古の浜を出て左手にキャンプ・シュワブの浜を見ながらカヌーを漕いでいく。この辺りはフロートが張られていないが、ブイが設置されている「臨時制限区域」だ。浜には警備員が何人か「ここは臨時制限区域です。中に入らないでください」と叫びながら、カヌーの動きに合わせて小走りでついてくる。ご苦労なことだ。カヌーを漕ぐこと約四〇分、緑色のネット付きのフロートが張り出されている辺野古アの岩場付近に到着した。海底調査船「ポセイドンT」も大きな船体を動かしている。フロートの内側では海保のゴムボート約一〇艇やマリン・セキュリティに守られて作業船が汚濁防止膜を張りだす準備をしている。残る三分の一のブロックの投下と汚濁防止膜の設置には約一カ月かかるという。
長島を過ぎて大浦湾に入ると、平穏な辺野古の海が一転、波風が荒くなる。波風を受けて、フロートの鉄パイプにつながれたロープがあちこちで切断され巻き付いている。危険極まりない。また、先日はフロートに取り付けられたネットにダツという魚が絡まり死んでいるのが見つかった。フロートに結ばれた発泡スチロールがちぎれ海を汚染していることも問題だ。波風をつきながら、カヌーチームは「不法な工事を止めろ」「海を守れ」とフロートを乗り越え工事の中止を訴えたが、海保に拘束された。無人のカヌーは抗議船が回収し平島まで曳航した。残ったカヌーはフロートに張り付き工事の中止を訴えながら監視を続け、解放された平島から再度現場に戻ったカヌーメンバーと共に抗議行動を続けた。
闘いは重大な局面
を迎えている!
汚濁防止膜は四カ所、全長二一〇〇m、垂下型と自立型の二種類あるが、埋め立て予定区域の周囲をすべて囲うものではなく、また、海面から海底の全部をカバ―するものでもない。もし海底の起伏をならす作業や土砂の投下を行えば、潮流に乗って汚濁が周囲の海に拡散するのは明らかだ。汚濁防止膜では汚濁を防止できない。辺野古の海と大浦湾が死滅に向かうことになる。海上作業を許してはならない。
現場は海保も警察も強硬姿勢が目につく。ゲート前でも、機動隊に倒されたり、腕をねじられたり、指の骨を折られたりの被害が続いている。沖縄の民意を蹴散らして基地建設を強行しようとする安倍官邸の姿勢が現場に明確に出ている。オール沖縄会議の呉屋守将共同代表(金秀グループ会長)は沖縄タイムスのインタビューで、「県民は翁長知事に四年間の県政を託した。全面的に信頼する」と述べた上で、新基地建設の阻止のために今求められることとして、@翁長知事が早い時期に埋立承認を撤回すること、A翁長知事はゲート前に立ち体を張って辺野古反対を示してほしい、と語った。その通りだ。今こそ、沖縄県の行政権力と名護市および大衆運動がしっかり連携し日米両政府に立ち向かっていく時だ。
3月4日はサンシンの日
ゲート前で50人の演奏を舞・歌
400人の結集で工事車両ストップ
三月四日は「サンシンの日」。辺野古のキャンプ・シュワブゲート前でも朝から四〇〇人が結集し、五〇人のサンシン演奏と多彩な舞踊・歌を披露して新基地NO!をアピールした。参加者の一人、国指定重要無形文化財「組踊」保持者の島袋英治さんは「平和だからこそサンシンが弾ける」と述べた。
使用していない米軍ゲート前に常駐している警察車両横の空間を臨時の舞台とし、サンシン奏者が琉球音楽の「てぃんさぐぬ花」などを合奏し、数十人の人々が「かぎやでぃ風」を踊った。彫刻家の金城実さんは「ヌンチャクは薩摩の支配に抗したものだ。二本の棒は妻と娘の髪の毛で結ばれている。われわれは沖縄の抵抗の文化を遺伝子として受け継いでいる」と述べ、ヤンバルクイナの飾り物を頭に付けて浜比嘉島に伝わるという特異な「下駄踊り」を披露した。最後は全員立ち上がり、カチャーシーで締めた。
そのあと、大浦で実験農業を試みている青年男女が「花」を歌った。米国ノースダコタ州でネイティブ・アメリカンの運動に関わって沖縄のことを初めて知ったという髪結ユニットと仲間たちは、メッセージ・プラカードを大きく掲げ、「私たちはつながっている」と訴えた。途中、共産党の志位委員長もあいさつに立ち「沖縄が諦めなければ新基地は絶対できない」と訴えた。糸数慶子参院議員、赤嶺政賢衆院議員も参加した。名古屋から参加の二人のサンシン、琉球古武道の演武、琉球舞踊の「四つ竹」「鳩間節」の舞などが続いた。
二回目の演奏は正午から全県のサンシンの日の演奏と同時に始まった。サンシンを手に合奏にも加わった稲嶺進名護市長は「沖縄には何百年もの伝統のある文化、芸能がある。伝統を守ることは自然を守ることに通じる。大浦湾は県民の誇る財産だ。これをつぶして軍事要塞をつくることは許されない。行政の長にあるものとして、翁長知事と共に、子や孫のために頑張らないといけない。勝つ方法はあきらめないことだ。ヨーンナー、ヨーンナー、チバラナヤーサイ、グスーヨー(ゆっくりゆっくり頑張りましょうね、皆さん)」と述べ、拍手喝さいを受けた。
警察機動隊は、参加者が減った午後二時半ごろになって座り込みを強制排除し、作業車両数台を通過させた。
拘置所・地裁前で
連日の抗議・激励行動
現在、那覇拘置所・那覇地裁前では連日抗議と激励の行動が取り組まれている。月曜・県民会議、火曜・平和運動センター、水曜・平和市民連絡会、木曜・うるま市島ぐるみ、金曜・嘉手納ピースアクションとなっている。週明けの三月六日は昼休み時間を利用して、「裁判所は人権の府じゃなかったのか」「仲間をかえせ」など手作りのプラカードを手に約三〇人が集まり、早期釈放を訴えるとともに、獄内の仲間に激励の声を届けた。
拘置所前のシュプレヒコールは中まで届く。「山城さん頑張ってください」「稲葉さんも添田さんも頑張ってください」「長期勾留を許さないぞ」。続いて「今こそ立ち上がろう」を歌い、マイクで激励した。その間、道路側に立つ人々は車に向かってプラカードを掲げる。昼休みの三〇分という短時間ではあったが、安倍官邸と司法が一体となった弾圧をはね返す強い意思を示した。
三月八日、三人のうち稲葉さんが条件付きで保釈された。三人の第一回公判は三月一七日午前一〇時に那覇地裁で開かれる(第二回は三月二七日、第三回は四月一七日の期日指定がされている)が、それに先立ち午前九時から城岳公園で県民集会がもたれる。大挙結集して地裁を埋め尽くし、不法な起訴・長期勾留を行なう検察・裁判所に強く抗議するとともに、三人を激励しよう!
3.7
高江・県道70号線情報公開裁判
「県の開示決定の取り消し」判決
超法規的に日米合同委を追認する裁判所
三月七日、北部訓練場のある県道七〇号線の路側帯の共同使用に関する文書開示をめぐる裁判で、那覇地裁は「県の開示決定の取り消し」の判決を出した。一〇年来高江では、県道七〇号線の路側帯に車両やテントを置いてヘリパッド建設工事の出入口になるN1ゲートを監視してきた。防衛局はヘリパッド工事に先立ち車両やテントを撤去しようと、沖縄県と米軍との共同使用になっている県道七〇号線の路側帯を米軍専用に変えようと画策した。この動きを察知した市民が一昨年一月沖縄県に県道の使用条件などが書かれた協定書の開示を求めたのに対し、沖縄県は翌二月情報公開条例に基づき開示決定を下したが、日本政府は県の開示決定の取り消しを求めて提訴した。
沖縄防衛局は「文書は日米両政府の合意がないと開示できない」「開示すれば米国との信頼関係が損なわれる」と主張したのに対し、沖縄県は「文書は日米合同委員会の公式な議事録ではなく、共同使用の条件や期間、区域などが記載されているにすぎない」「公開によって国の事務に具体的な支障は出ないはずだ」主張した。判決主文を述べたこの日の法廷は裁判長が小さな声で「県の開示決定を取り消す」と早口でまくしたて一分で終わった。法律を少しでもまじめに学んだ裁判官なら、あらゆる国内法の上に君臨する米軍と日本政府官僚の共犯関係の恥ずべき現実を熟知しているに違いない。しかし裁判官たちはその現実を容認し司法権力の一端を担って隠蔽に加担する。
判決は、「県道の使用条件などが書かれた協定書も日米合同委員会議事録の一部を構成する」とこじつけた。「日米合同委員会」の名の下に戦後六〇年以上にわたって行われてきた米軍と日本政府官僚の密約の隠ぺいに裁判所が積極的に加担してきたことを踏襲した訳だ。日本の病巣は深い。憲法を含むすべての国内法と国会の上に超法規的に君臨する「日米合同委員会」が支配の道具になっている。詳しくは、吉田敏浩『「日米合同委員会」の研究』(創元社、二〇一六年)を一読されたい。悲しむとともに怒るべき日本の現実をありのままに認識し打破しようとする人々の闘争隊伍を大きくつくり上げることが必要だ。
孫崎享さん講演会「トランプ政権と東アジア」
沖縄キリスト教学院大学で開催予定
県立博物館が不許可へ
三月二〇日、孫崎享さんの講演会「トランプ政権と東アジア」(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター主催)が沖縄キリスト教学院大学構内で開催される。孫崎さんは元外務省職員としてイギリス、旧ソ連、アメリカ、イラク、カナダなどに赴任したあと、外務省国際情報局長、防衛大学校教授を務めた国際軍事外交問題の専門家だ。『戦後史の正体1945―2012』(創元社、2012年)、『日米開戦の正体』(祥伝社、2015年)など、日本国家権力を批判する精力的な言論活動でも著名だ。
講演会は当初沖縄県立博物館で予定されていた。ところが「政治色が強い」との理由で不許可になった。県立博物館ではこれまで多様な催しが開催されてきた。孫崎さんの講演の何が「政治色が強い」のか。しかも県立と名の付く博物館だ。「トランプ政権」の動向は沖縄と直結しているではないか。広範な抗議の声を背景に会場使用不許可が大きな社会問題化すると、沖縄県の担当者は「過去に同様の内容で利用しており、不許可にする理由がない」と指摘し、指定管理者の「沖縄美ら島財団」を批判した。結局、「沖縄美ら島財団」が講演会主催団体の東アジア共同体研究所琉球・沖縄センターに出向き、「誤った判断」を謝罪し「今後も利用してほしい」と述べた。こうしてひとまず、沖縄県の公共施設使用不許可の動きをはね返すことができたのである。
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