池田五律さん(有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実)に聞くC
「海外で戦う軍隊」と隊員の意識
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いっそうきつくなる訓練
――銃を撃つことも「まさか」から、戦場に行く、戦死が現実に問われる事態。イラク帰還兵の中では戦場死よりもPTSDによる自殺が上回った。自衛隊のイラク派遣で、五四人が自殺した。「人には人を殺すことに強烈な抵抗感がある」。第二次大戦で米軍兵士が敵に向かって撃てた発砲率は一五から二〇%。その後敵を非人間視する訓練法などで、朝鮮戦争で五五%、ベトナム戦争で九〇から九五%。
「違憲」の存在から出発した自衛隊は、長く「戦場」の意識も、「敵を殺害」する明確なスキルも持ち合わせてこなかった。一九九一年から海外派遣。二〇〇〇年、イラク戦争前夜から数年間で、バーチャルな世界にいた陸自が、リアルを獲得していく。「戦う」とは何かを真剣に考え、「戦闘に勝つため」の訓練を始めた。「戦場での医療というもの、戦争に行っても隊員を絶対死なせないという意識が出てきて、そのための技術を習得し始めたのは、実は二〇〇〇年をすぎたあと」。二〇〇四年初めて「戦地」のイラクに派遣された。戦死者の問題、「国立墓地」が必要になった (「自衛隊のリアル」瀧野隆浩、河出書房新社)。
PKOなど自衛隊の海外派兵を積極的に進めたのは外務省で、自衛隊(陸上)は消極的だった。海上自衛隊、航空自衛隊は戦後、完全に米軍の艦船や飛行機を使って始めたので完全に米軍に従属していた。だから、米軍との一体的運用とか、海外派兵には積極的だった。今回の法制は依然として自衛隊が軍隊ではないことを前提にしていて、海外で軍隊並みの武器使用を含む任務を与えるもの。その矛盾は拡大する「自衛隊の転機」(柳澤脇二、NHK出版新社)。
自衛隊員の意識はどのように変遷していると思いますか。
殺す訓練が強まってくるんだけど、イラクに行った、あるいはインド洋に行った。その時、PTSDになっている人がいっぱいいると思います。表面に出てきませんけど、時々不祥事事件とかが練馬や朝霞の駐屯地でもある。
前よりも訓練がきつくなっているようです。本当に殺すことに直面するんだという訓練が増えているみたいです。辞めるに辞めれない。辞めさせないという構造ですよね。一方集まらないと言っているんですよ。でも倍率は高いです。倍率は高くても、人を殺したいという人間を採るわけにもいかない。まっとうにきちっと仕事をする人を採って、その人が命令に従って覚悟を決めて人殺しをする。そういう人間に作り替えていきたい。初めから危ないやつを採りたくない。
全体的にリクルートするし、倍率は超えている。だけど採りたくない人が多い。協力本部の人はそうした悩みに直面しているらしい。
一番注目してほしい一つは入間の自衛隊病院なんです。入間に自衛隊病院が新設され、今年の予算では福岡の病院が改修されて、沖縄に自衛隊の新しい拠点病院を作る調査費が予算に入れられた。これだけ病院を増改築して増やしていくのは戦傷者が出るということを確実に想定している。
防衛医大に看護学科ができた。防衛看護の教科書とか見ますと、赤十字の海外医療の取り扱いと違う。戦死傷者が出ることを前提とした体制がどんどん作られている。入間の場合、怖いのはただ病院だけでなく、衛生隊員を訓練するかなり広い敷地がある。木元茂夫さん(すべての基地に「NO!」を・ファイト神奈川)たちが作ってくれた国会議員への要請書に僕らも名を連ねさせていただきましたが、医者しかできないことを救急救命士にやらせることが可能にされようとしている。そうすると自衛隊の医官しかやれなかったことを救急救命士の資格を持っている衛生隊員がやれるようになる。難しい気道開さくということができる。そういう訓練をする所に入間がなる。そういう本当に戦死傷者が出る体制というのを作っているということです。
防衛庁から防衛省に昇格したことによって、旧陸軍の偕行社、旧海軍の水交会のOB会なんですが軍人恩給の関係があって、厚生省所轄の団体だった。防衛省になったことで防衛省の所轄の団体でもあることになった。前から振武会があったりするのに加えて、もっとおおっぴらに偕行社と陸上自衛隊の関係が深まっている。旧軍との連続性が強まっている。
国軍化していった時に、慰霊・追悼をどうしていくか。それは一段階始まっているのではないか。観閲式前日に、市ヶ谷のメモリアルパークという所で必ず年に一回追悼式典をやる。そこには亡くなった隊員の家族とかが「父よあなたは偉かった」みたいな、そっくりですよね戦前と。首相列席の下でやる。そういう動きも本当に怖い。
難しい隊員への呼びかけ
――自衛官に対する呼びかけはやってきましたか。
イラクに派遣された時は、横須賀の新倉さんに聞いて、自衛官110番をやったが全然電話がかかってこなかった。第一師団の駐屯地祭の時は、来る人にビラをまいている程度です。なかなか難しい。
――自衛官との接触はあるんですか。
これも、なかなか難しい。自衛隊の方で接触させないということでどんどん厳しくなっている。しょっちゅう情宣活動をしている平和委員会の人から隊員の反応を聞いたり、PTAでこんなこと言っていたとか、こういうことをこぼしていただとか、そんな話は入ってくる。イラク派兵の時に、職場の同僚の自衛隊員の奥さんが「離婚しようと思ったけど、イラクで死ぬかもしれない、そうしたらおカネ入るから離婚するのを止めよう」と言ってたよ。そんな話を伝え聞いたこともある。
――駐屯地から出る時も制服で出るのですか。
いや、私服のことが多いですよ。買い物に行っている時とか飲み屋にいる時など接触する機会はある。平和台とかファミレスとか、だいたい隊員と家族だなと分かる。
朝霞駐屯地は中の官舎に三五世帯二五〇何人いる。後は通勤です。練馬駐屯地の場合は独身の若い隊員の官舎が中にあって、後は平和台とか最寄りの駅の近くに家族で住んでいる人が多い。立川ビラまき弾圧以降は、官舎へのビラまきは弾圧の危険があるので、そうした地域の街頭で情宣したりすることもある。でも、残念ながら集会・デモくらいしかできないというのが正直なところです。観閲式ってなんだろうとか、節目にはチラシやリーフレットを作ってまくとかやっています。
―反応はどうですか。
いい時も悪い時もあります。昨年とか観閲式はもっと早くリーフレットまく体制を作っておけばよかった。土壇場にきて、オスプレイが来るとかの話題が出てきた。共闘してやっているので沖縄や改憲反対集会でよくビラをまいている。石神井公園の花見の時、沖縄のことでスピーチしながらまくとか、大泉学園の駅のロータリーで情宣するとか、石神井公園で超党派でスタンディングするとか北部地域でそういったことをやっている。平和台では九条の会の人がやり、他は別の団体がやるというふうに割り振ってやっています。受けのいい時と悪い時、地域差もあります。
警務隊による市民監視
――沖縄闘争の影響はありますか。
なかなか結びつかない。それは運動をやっている人の中にもある。沖縄のことはやるけど自衛隊のことはねと。練馬に二つの駐屯地があることが理解されていない。「埼玉の基地でしょう」という認識があるようだ。
沖縄や国会に行くが朝霞や練馬の駐屯地に行ったことがない人がいっぱいいる。練馬の中心的街というのは西武池袋線です。北部の活動家は東上線沿線の人が多い。
――レンジャー部隊員、潜水艦員などでいじめ・自殺、女性自衛官へのセクハラなどで裁判が起こされた。自衛隊(軍隊)ならでの矛盾の表れだと思われるがどう思いますか。
余裕があったらやりたいけどね。北海道で女性自衛官が訴訟を起こした人もいるので支援運動もあった。北海道に講演に行った時に話を聞いたけど、本当にイラクに行く時、奥さんたちが呼びかけて、幹部の人に絶対に危ない目に合わせませんと念書書かせたとか。
もともとの男社会でよく海兵隊の訓練で見られるように、「お前は母ちゃんの所に帰って泣きべそかきたいのか」という世界がある。もともと軍隊にある体質に加えて訓練が厳しくなっている。そういうのが自殺の原因になっている。イラクや南スーダンに行った人にPTSDが出ている。米軍もPTSDに力を入れるようになっている。
レンジャー部隊に入るのは任意なんです。レンジャー部隊というけれどそういう部隊があるのではなくて、レンジャーの資格を取りたい人間が山にこもって蛇食ったりする。レンジャー部隊を南スーダンに送るということではない。PKOなので施設部隊で道路建設です。戦前で言うと工兵。
南スーダンPKOの司令官は「自衛隊員に駆けつけ警護を頼むことはないと思いますよ」と言っている。中国や韓国も出しているのは基本的に工兵です。治安担当の軍隊はアフリカ諸国が出している。治安対策や駆けつけ警護などはその国の人たちがやる。施設大隊を守るということで中央即応連隊も付いていっている。二〇一二年、レンジャー訓練から帰ってきた人間を荒川の土手に降ろして、そこから北町駐屯地まで制服を着たままヘロヘロになりながら、歩いて帰ってくる訓練をやった。それに対して超党派でものすごい反対運動を取り組んだ。その結果そうしたことはやられていない。ちゃんとそうしたことに反対しないと図に乗ってきて街を使う。
これから怖いのは、軍法会議ができたら憲兵ができるということ。今の自衛隊も警務隊があって、僕らが駐屯地の前でビラなどまけば、警察の公安も来れば自衛隊の警務隊も中から写真撮っているんです。だけど彼らは逮捕権限はない。元レンジャー隊員の井筒さんが申し入れに付き合ってくれた時があった。その時、後で井筒さんが警務隊に尾行された。井筒さんが「おい、お前ずっと付けてきているだろう、警務隊。今はそんな権限ないよな」と追及すると「ハイ、今はありません」と答えたそうだ。
だけど、観閲式の前とかイラク派兵の前は制服着たまま警務隊員らしき者が街を歩いていた。私も実際見ました。それは北町駐屯地からかなり遠い練馬春日町という所です。そこら辺まで制服着て腕章付けた隊員が歩いていた。観閲式の前日、ゴミ出しに行ったら、ごそごそと歩いて驚いたりとか。(つづく)
2.10
「北方諸島」の問題を考える集会
日露会談をどう見るか
先住民族の権利実現のために
アイヌの人たち
はどう見たか
二月一〇日、東京の千代田区富士見区民館で「アイヌ民族とともに北方諸島の問題を考える」集会が同実行委主催で開かれた。この集会のゲストスピーカーに予定されていた加藤敬人さん(函館アイヌ協会会長、アイヌ民族党幹事長)が都合で参加できなかったが、実行委を構成する仲間が問題提起し論議を深めた。
平田芳年さん(「現代の理論」編集者)さんが昨年一二月一五日〜一六日に行われた「日ロ首脳会談を読み解く―領土・平和条約の行方」と題して問題提起した。マスコミや政党の「失敗論」とロシア問題専門家の「四島での人の交流から経済協力を経て、平和条約問題の解決への道筋が見えてきたことになる」(下斗米教授)などを紹介し、後者の見解に注目すべきだと発言した。
国富建治さん(新時代社)は、「日本が抱える『北方、竹島、尖閣の領土問題』があるがもともと竹島、尖閣は人が住んでおらず、日本の侵略戦争に関係していた。北方諸島は先住民族の居住・経済活動があり、先住民族の権利・自治を優先すべきだ。いわゆる領土問題ではない」と提起した。
津田仙好さん(「グループ“シサムをめざして”(首都圏)」)はアイヌの人たちが日ロ首脳会談をどう見ていたのかを紹介した。秋辺日出男さん「千島の帰属はアイヌにあるはずなのに、安倍晋三首相の頭にはアイヌのことがないのではないか。悲しい」、一方で「今住んでいるロシア人の権利を奪ってはいけない。故郷を追われる無念さは痛いほど分かる」。そして、先住民族ネットワークAINUが出した先住民族にふさわしい対応をすべきだという内容を紹介した。さらに、アイヌ民族遺骨返還問題や政府が進める「民族共生象徴空間」基本構想の概要を紹介した。
世界の先住民族
との連帯を模索
討論では、「今回の動きの注目すべき点を見極め、北方諸島問題の解決を友好関係のモデル、共生的な島を作っていくものとすべきだ。そのためにも、アイヌ民族の権利を認め、この交渉に関われるようにすべきだ。その上で平和条約の締結を」とする意見と、「日ロ交渉のカヤの外に置かれているので平和条約に反対した方がいい。パレスチナの経験では日本政府が援助している貧困化対策ではなく、政治的解決を優先すべきだというのがパレスチナの人々の意見だ。共同開発は乱開発や環境破壊につながる。世界の先住民族と手を結んで交渉した方がよい」とする意見が出された。
北海道アイヌ協会は、北方諸島問題について権利を留保するという立場であり、それ以上の積極的発言はしていない。むしろ、白老での「民族共生象徴空間」基本構想を進めて雇用を確保することに重点を置いている。アイヌ民族の置かれている困難さを打開するには、「和人」の支援が欠かせない、との指摘もあった。アイヌ民族との連帯をかちとるために何をすべきか考える集いになった。 (M)
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