池田五律さん(有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実)に聞く A
地域に根ざし連携した闘いを
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自衛隊の役割・
機能を問い返す
――市ヶ谷の防衛省、首都圏防衛のイメージは?
市ヶ谷は官僚と企画を考えたりするところ。部隊的には練馬の第一師団。その後づめ部隊が朝霞駐屯地には結集する。一番近いのが練馬第一師団。環八に面している。かつては川越街道の方が正面だったが今は環八が正面になっている。政治経済の中枢が麻痺する事態が起こった時どうするかというと、防災訓練などを見てみると分かりやすいのですけど環七で封鎖する。
――戦争中、米軍の空爆に対しての防衛線のイメージを引きずってはいないのですか。
いや、「大規模テロ」シフトと思ってもらった方がいい。南スーダン派兵では、東部方面隊が排除されている。北部、東北、西部、中部というローテーションなんです。東部方面隊は首都圏防衛として残しておく。その中でも第一師団は政治中枢防衛。六〇年安保で岸首相が自衛隊は動けないのかといった時、動き出すとか。間接侵略、騒擾、今で言うと大規模テロの時に出てくるのが第一師団。第一師団で朝霞駐屯地にいる部隊もいるので、それも出てくる。朝霞駐屯地に他の地方から増援部隊が入ってくる。
――習志野空挺部隊、立川にも自衛隊基地がありますがどういう役割になっていますか。
総隊制になったことによって、総隊の下に各方面隊と即応部隊という位置づけになる。立川に駐屯しているのは、東部方面隊隷下の東部方面航空本部とその付属部隊など。
宇都宮にある中央即応連隊というのが一番最初に海外派兵で突っ込んでいく部隊。だから、南スーダンPKOの第一次隊には中央即応連隊が行った。今回駆けつけ警護で行く部隊にも、宇都宮の中央即応連隊が入っている。
木更津の第一ヘリコプター団も中央即応集団に属し、総隊制移行後は総隊司令部直轄部隊になる。同様に中央即応集団に属し、総隊制移行後は総隊司令部直轄部隊になる習志野の第一空挺団や特殊作戦群とも密接に連携している。
――米軍との連携はどうなんですか。
朝霞駐屯地には、米兵も日常的にも出入りはしているのでしょうが、一番目立つのはヤマサクラ。沖縄から海兵隊も含めて一五〇〇〜六〇〇〇人来る。朝霞市とか和光市ではホームステイしている。ヤマサクラはイラク戦争、湾岸戦争の時にクウェートで大きなテントを張りました。ああいうテントをずらーっと張るんです。その中でコンピュータ・シミュレーション・ウォーゲームをする。六〇〇〇人というが一人一人は指揮者です。その下に最低五〜六人いる。その人たちがコンピュータゲームをやって、「お前の部隊は全滅したよ。えー」という世界。
米軍との連携で今後気になるのは、座間の日米共同部。それから、横田にオスプレイを伴ってやって来る米空軍特殊部隊と習志野の特殊作戦群の連携。米空軍特殊作戦部隊は、ビン・ラディン暗殺のような任務をやる部隊。対北朝鮮では、金正恩暗殺作戦とかを担うことになるかもしれない。その部隊に習志野の特殊作戦群が教育訓練を受けるかもしれない。
どのような変化
を遂げてきたか
――日本は敗戦によって、憲法九条を掲げた国(交戦権を持たない、陸海空の軍隊を保持しない)として発足したが、中国内戦の人民解放軍の勝利、一九四九年中華人民共和国の成立、一九五〇年朝鮮戦争は日本を反共の防波堤にするために、一九五二年、サンフランシスコ平和条約締結、日本の独立を回復させた。同時に日米安保条約による在日米軍の駐留。沖縄などを米軍支配のもとに切り離す。そして、日本の防衛は日本に行わせるということで、平和憲法を維持したまま、「軍隊」の機能を持つ警察予備隊、保安隊、自衛隊を発足させた。自衛隊はこの憲法九条と「軍隊」との矛盾の中で、常に問題とされてきた。
吉田首相は憲法制定当時、軍隊を持つ自衛権をも否定していた。その後、自衛権は国連も認めているということで、あくまで、敵に日本本土が攻められたら自衛するための自衛隊の容認となる。そして、日米安保の極東条項がつけ加えられ、自衛の範囲が極東に拡大した。
長年保ってきたこれを超えて進むことになったのは自衛隊の海外派兵問題。まずはPKOカンボジア派兵から始められた。東チモール、ゴラン高原などPKO派遣。そして、一九九九年三月二三日能登半島沖北朝鮮不審船事件で海自がはじめて海上警備出動、武器使用を行った。ゲリラ制圧など特殊部隊(特別警備隊が海自に2001年、陸自に特殊作戦群、2004年)の編成へ。
第一次湾岸戦争で、自衛隊の出動ではなく一兆円を米軍支援に支出する。これに対して、旗をあげろと批判され、アフガン戦争で給油・掃海艇派遣、イラク戦争でサマワへ生活基盤再建ということで陸自部隊派遣。その後ジブチへの海賊対策、南スーダンPKO派兵。戦争法の成立による「駆けつけ警護」武器使用を認める。今後自衛隊が戦闘行為に具体的に参加できる法整備がされた。こうした変遷があったと思いますが、練馬の自衛隊の変化はどうでしたか。
皆さんが考える戦争は第二次世界大戦的総力戦イメージなんです。冷戦時代だったら、北海道にソ連軍が上陸してきて戦車同士で戦う。そういうことは九〇年代からないという想定で再編が始まりだした。今は北方機動演習は「協同転地演習」と名を変え、南方転地演習が加わり、その方が重視されるようになっている。しょっちゅう朝霞とかにも北部方面隊とかがやってくる。それも民間フェリーを使って苫小牧港から大洗港に着いて、圏央道通って朝霞に入る。南方転地演習に熊本の部隊なんかといっしょに北海道の部隊が南西諸島で訓練をする。総力戦的イメージではなくて各多様な事態に対応するように様変わりしている。
第一二旅団も機動力を高める。第一師団ももともとは主に戒厳令だったけど、関東大震災とか二・二六というよりは本当に大規模テロ対処とかを念頭にしている。いわゆる市街地戦闘訓練型というものにだんだん重きが置かれている。建物のような物を建てて、そこで訓練をするというのを外から見たことがある。
ヤマサクラでやるシミュレーションはある種嘘八百。この間は漏れてこなくなったけど、二〇〇〇年代初めのものは情報が出てきた。自衛隊は隠すけど、米軍は公開していたりした。例えば、九州に某国の軍隊が上陸して近畿地方に進軍中とか。だからといってマジでそうと思っているかと言えばそうではなくて、ウォーゲームをすることによって、部隊指揮の訓練をする。やっておくことがいろんな事態のところで使える。
装備を見ても、車輛の主流は装輪装甲車。二〇一二年に自衛隊独自の防災訓練では、深夜に練馬駐屯地から出て二三区に向かう部隊進出訓練が行われた。板橋区とかいくつかの区の機管理室に宿泊をした。まず徒歩で偵察部隊、次にオートバイそして装甲車が行く。
各種事態と想定されているものには、弾道ミサイル攻撃もある。それへの対処を理由に、PAC3が配備されている。あたらないのに決まっているのに、北朝鮮脅威論を言いながら迎撃ミサイルをどんどん買う。ここのところ、朝霞駐屯地にPAC3が展開していない。あれが来ていると訓練にならない。他の部隊が訓練しようと思ってもジャマ。東京オリンピックのライフル会場が朝霞になりそう。PAC3はあるが使えないかもしれない。大笑いの話がいっぱいある。
ノウハウの蓄積
共有化の進展
米軍との関係で言うとオスプレイが去年の観閲式に友情出演で二機飛んだけれど、オスプレイはご存知の通りの性能ですし、落ちる。でも、自衛隊も購入する。何らかの口実を設けて軍拡をする。本気で離島防衛と思っていないけど、それを理由にいろんな装備を買う。訓練をする。離島防衛のシナリオで買った物とか訓練で培ったノウハウはイラク戦争型の多国籍軍の後方支援があった時に使える。防衛省・自衛隊が予算要求や演習であげる理由をそのまま鵜呑みにしてはいけない。
第一師団だけは首都貼り付けだし、東部方面隊自体もそういう位置づけだから、離島防衛には行かないだろうけど、それを理由に培っているノウハウは場合によっては使える。その点で言うと、「テロ対処」の都市型戦闘訓練で培ったノウハウとかは、バグダッドだとかで敵対武装勢力を掃討する手助けをするといった場合に使えなくはない。
「大規模テロ」、「弾道ミサイル攻撃」、「離島占拠」など各種事態対処を強調するようになることに伴って、人事異動が激しくなってきた。九〇年代に徐々に始まりだしていて、二〇〇〇年代にそうなっていった。さらに総隊制になれば、西部のこの部隊と北部のこの部隊と、中央即応連隊を足すとこんな能力が発揮できます、と何かの目的に向けて普段の所属を超えた統合した部隊をつくるといったことが今よりも容易になる。それに対応して、隊員の意識も変えていかなければいけない。だから、ものすごく異動が激しい。
知り合いに、お子さんを北町の自衛隊の隊員の子どもが多い小学校に通わせている人がいる。ひっきりなしに引っ越しが多く、移っていってしまうのでたまらないという話がある。
例えば、国鉄民営分割化の時を考えてもらいたい。地元の就職先だからと入隊した隊員が多い。大型免許取れるから、建設関係の仕事につければいいとか、そういう意識を改革するためにごろごろ配転させる。
また、配転は、培ったノウハウを配点先で伝授していくことともつながっている。今、ぼくらとか「立川自衛隊監視テント村」と「パトリオットミサイルはいらない!習志野基地行動実行員会」で、いろんな共同の取り組みをやっていますが、そこで一番恐れているのは横田に来る米空軍の特殊部隊に教育訓練された習志野の特殊作戦群のメンバーが、配転され、要人暗殺などのノウハウが全国の部隊に伝授されていくことです。 (つづく)
2.21
共謀罪通すな!南スーダン撤退!
金田・稲田は辞任を
450人で国会前行動
二月二一日正午から国会前で「金田法相と稲田防衛相は即時辞任せよ 国会前集会」が行われた。主催は「秘密保護法廃止へ」実行委員会と、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会。寒風が吹きすさぶ中で、緊急に呼びかけられた行動だったが四五〇人が参加した。
「テロ等防止法案」に名を変えてすでに三度にわたって廃案になっている「共謀罪法案」を二〇二〇年東京五輪を口実に再び上程し、国会の答弁では度々答弁に詰まるだけではなく、国会での審議権すら無視する姿勢を露わにしている金田法相。南スーダンPKO部隊の「日報」を「すでに廃棄した」とウソをつき、「日報」での「戦闘」という記述にもかかわらず、「憲法九条があるので『戦闘』とは言えない」などと言いつのる稲田防衛相。この二人の答弁は、まさに憲法破壊・国会無視の安倍政権の強権的本質を明らかにするものだ。
菱山菜帆子さんの元気あふれる音頭でシュプレヒコールを上げた後、主催者を代表して憲法共同センターの小田川義和さんが、議会の立法権限を行政の下位に置く姿勢を露わにした金田勝年法相、「日報」を隠蔽したばかりか「憲法九条に違反するので『戦闘』があったとは言えない」などと答弁する稲田朋美防衛相は、即刻辞任させなければならないと呼びかけた。発言の中では安倍首相夫人の昭恵が名誉校長をつとめる森友学園小学校建設予定地への国有地売却問題をめぐって追及する必要性も訴えられた。
国会議員からは社民党の照屋寛徳衆院議員、「沖縄の風」の糸数慶子参院議員、民進党の近藤昭一衆院議員、共産党の藤野保史衆院議員、自由党の玉城デニー衆院議員が、「安倍暴走政権」を今こそ止めよう、と口々に強調した。
秘密保護法廃止へ!実行委の角田富夫さんは「金田法相、稲田防衛相は即刻辞任せよ。戦争は『秘密』から始まる。大本営発表と同様の『日報』情報隠しを許すな!」と訴えるとともに三月六日の共謀罪法案提出反対国会申し入れ行動、四月六日の総がかり行動・「秘密保護法廃止へ」実行委などによる日比谷野音集会への結集を呼びかけた。
さらに安保法制違憲訴訟の会の内田雅敏弁護士は「山に登って地図と地形が食い違っている時、普通は地図が間違っていると言うが、地形が間違っていると言ってしまうのが稲田防衛相だ」と批判し、「戦争の最初の犠牲者は『真実』だ」と訴えた。日体大教授の清水雅彦さんは「テロリズムの語源は、フランス革命でのジャコバン派による『恐怖支配』を指すものだ」と指摘し、かつて自民党の町村金五(元警視総監、北海道知事、田中内閣の自治相)が「国民の権利よりも国家の安全が優先する」と語ったことを思い起そうと訴えた。 (K)
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