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    かけはし2017.年3月6日号

新しい「Xデー」に立ち向かおう


天皇「生前退位」問題をめぐって

民主主義と平等、人権の実現めざし

急ピッチの立法化作業

 昨年八月の天皇のビデオメッセージをきっかけにした「天皇生前退位」をめぐる法的取り扱いの論議は、集約の局面に入った。有識者会議(天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議)での「専門家」ヒアリングや「論点整理」を経て、衆参両院での与野党の意見集約を三月中旬までに行い、その上で四〜五月の連休前後に、関連法案を提出し、今国会中の成立を図る、としている。
 有識者会議の「専門家」ヒアリングでは極右天皇主義者の「生前退位」反対論と、「退位」容認論(一代限りか恒久的法制度化かは別にしても)が拮抗していた。極右天皇主義者たちは、天皇は「祈る」存在なのであり、その「存在」自体が尊いのであって、「象徴としての公的行為」が十分にできなくなったから「退位」するなどという「能力」主義的判断はもってのほかだと主張していた。
 極右天皇主義イデオローグの代表的存在である八木秀次麗澤大教授は書いている。「陛下の規定される『務め』が全身全霊でできてこそ天皇たり得るという天皇像は天皇の『能力評価』にもつながり、皇位の安定性を脅かす可能性もある。……仕事ができる天皇が『天皇』であり、仕事ができなくなれば『天皇』であってはならないという能力原理が持ち込まれれば、恣意が入り、天皇の地位は不安定になり、争いが生ずる」(「それでも生前退位に反対する」、『文藝春秋』SPECIAL 2017冬「皇室と日本人の運命」)。
 南北朝の時代、後醍醐天皇を追放した「逆臣」足利尊氏の家来、高師直(こうのもろなお)は「もし王というものがなくてはならないものなら、木で作るか、金で鋳るかして作り、生きた王などというものはどこかに流して捨ててしまったらいい」と語ったと言われるが、八木はそれほどの「大胆さ」を持ち合わせていないようだ。

「合意形成」の小細工


一月二四日に「有識者会議」が取りまとめた「論点整理」は「一代限りの特例法」による明仁天皇の「生前退位」容認を促す内容になっている。
他方、二月二〇日に各政党が衆参両院議長に対して伝えた「考え方」では、自民、公明、日本維新の会、「日本のこころ」が「一代限りの特例法」(「維新」、「日本のこころ」は皇室典範に根拠規定を置くとしている)を主張したのに対し、民進党、共産党、社民党、「沖縄の風」は一代限りの特例法ではなく「皇室典範」改正による恒久的な規定としての「生前退位」条項の明文化を主張している。また民進党や社民党と「沖縄の風」は女性・女系天皇、女性宮家の創設容認を掲げている。
共産党が昨年から国会開会式での天皇の「お言葉」を容認し、出席するようになってから、「象徴天皇」の「国事行為」、「公的活動」に対して「国民主権」の観点から敢えて異論を提示する野党は存在しなくなってしまったのである。
このような各党の状況の中で、大島理森衆院議長らは、「一代限りの特例法」を前提としたうえで「皇室典範」に根拠規定を付則として入れることで、憲法二条「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」との整合性を取り、各党の「合意」を図ろうとしている、と報じられている。「皇室典範」には「退位」条項はなく、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」(第四条)となっているだけだからである。
われわれはこのような形をとった「生前退位」法案の集約に反対する。

解決しがたい矛盾

 自民党の「一代限りの特例法」案に対して、二月二一日の朝日新聞「社説」は「皇室典範の改正が必要」との立場から次のように批判した。
「天皇は、国民に寄り添い、ともにある存在であってこそ、国民統合の象徴たりうる。高齢などによって務めを果たすのが難しくなり、天皇自身がそれを良しとしないのであれば、人権の見地から在位を強いるべきではない」「『一代限り』は、事の本質を見ず、多くの国民の思いにも反する案と言わざるを得ない」。
しかし、この「社説」は明らかに、天皇の「意思」(それは政治的意思である)を尊重せよ、という主張であり、「国政に関する権能を有しない」(憲法四条)という天皇の地位に関する規定を踏みにじるものではないのか。
他方、毎日新聞一月一八日付「記者の目」欄の田辺佑介(阪神支局)の「天皇陛下の退位問題」はもう少しギリギリのところに突っ込んでいるように考えられる。
「天皇は伝統的に、民主主義の枠組には収まりきらない影響力を持っている。それは必ずしも憲法の精神とは合致するとは限らない」「この基本的な矛盾を十分に議論しないまま、退位が認められるべきではない。国民の支持を背景に、天皇が憲法の枠からなし崩し的に踏み出すことになれば、結局は将来、皇室制度の存続を危うくすることにつながりかねない」。
「……憲法との緊張関係の中で、陛下は今回、退位の意向がにじむおことばを示した。その中の『象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ』という文言からは、皇室の存続のためには公的行為を続けなくてはいけないという陛下の危機感が読み取れる」「しかし、逆に憲法を緩やかに解釈して、天皇の意思表明や活動の幅を広げれば、将来、天皇の意思が政治的影響力を及ぼしたり、利用されたりする懸念が生じる。政治的権能はなくても、天皇の影響力が大きいことは退位を巡る今回の経緯が証明している」。
ここには慎重な表現ながらマスメディアの論調の枠組みへの危機意識も表現されているようだ。

天皇制廃止の言論を

 その一方、天皇の「退位」の「お言葉」に示された「象徴天皇の想い」を無条件に賛美する論議も盛んである。
最近刊行された片山杜秀(政治学者、慶応大教授)と島薗進(宗教学者、東大名誉教授)の対談本『近代天皇論――「神聖」か、「象徴」か』(集英社新書)は、「福祉国家の解体」と「被災地への天皇のお出まし」を対応関係で捉え、権利としての「福祉」が上からの「慈恵」に「退化」していく流れとの関連で、天皇・皇后の被災地への頻繁な「お見舞い」や日本が侵略した諸国への歴訪について語っている。しかし、「福祉」の劣化とその代替としての天皇からの「慈恵」というイデオロギーにどう対決していくかは、まったく語られることはない。
「天皇の『お言葉』を真摯に受けとめて、私たちは平和憲法や戦後民主主義の理念を鍛え直していかなければなりません。それが『明治の憲法』と『アメリカの魔法』をともに解除することでもあるはずです」(島薗)。「『神権的国体』『尊皇国家』の復活を夢見るただ今のこの国の風潮」に対して「抵抗しているのが、戦後民主主義的象徴天皇像を突き詰めてこられた今上天皇その人であるように見えるところに、日本近代の壮大な悲喜劇がある」(片山)。
今や、「戦後民主主義の最後の砦」が現天皇その人であり、国民こぞって平成天皇の防衛に立ち上がらなければならない、といったムードが作りだされている。あたかも「天皇」をかついで安倍政権と闘え、とでもいうように。
しかし、安倍政権は「戦後象徴天皇制」そのものの解体を目論んでいるのだろうか。安倍を含めた極右天皇主義政治勢力が、昨年八月の「天皇生前退位」のメッセージを歓迎しているわけではないことは確かだろう。しかし「生前退位」をめぐるプログラムは、二〇一八年の「明治一五〇年」キャンペーン、二〇一九年の天皇代替わり、二〇二〇年の東京オリンピック、そして改憲という政治プログラムと密接な結び付きを持った歴史的・政治イベントとなっていく。
われわれはこの一連の大衆動員を伴ったイベント政治の中で、支配構造の強権主義的再編がさらに進められ、その中で「新世代天皇制」がいかに構想されていくのかについて注意を払わなければならない。憲法学者で九条の会呼びかけ人だった故奥平康弘は自著『「萬世一系」の研究』の中で「生前退位」問題について、「脱出の自由」を提示し、「退位」の問題について論を進めた。それは「特権身分」からの「脱出」の権利の合憲性という主張だった(天野恵一「『平成代替わり(「生前退位」騒ぎ)の中で』A」(『ピープルズ・プラン』75号)。
「天皇メッセージ」に依拠した運動ではなく、皇室典範改正の要求でもなく、天皇制の廃止へ、共に討論し、行動を。 (平井純一)



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