英国
レイシズム:抑圧された下僕のため息か?(下)
意識しなければ社会的諸関係は見えない
デイヴ・ランダウ
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裏切りが反動
に力を与えた
反動的な反応がもつ単純さそれだけでは、その成功を説明するには不十分だ。何と言っても、歴史的反動は変わることなく上り調子にあるわけではない。もちろん、レイシズム、外国人嫌悪、偏見、ファシズム に対する労働者階級の反対には豊かな歴史があり、そうした抵抗は今も極めて豊かに生きている。
しかし反動は、引き続く政権が人々を繰り返し繰り返し低落の中に放置してきたという事実によって、強さを与えられている。英国ではサッチャーとブレアの下、町や都市がそのようにして産業を奪われてきた。一方で労働党は、これらのすでに荒廃にさらされてきた地域に諸々の切り下げを適用し、緊縮の遂行を続けている。労働党はそのようにして、「エリート」の一部と見られている。労働党による反攻、あるいは労働党の左に立つ実質的な政党が不在の中で、次いでファラージがやって来て、「私は普通の英国労働者のために立ち上がる」と語るのだ。引き続く裏切りとファラージの安直な回答をもってすれば、人々がUKIPに引きつけられる理由ははっきりする。
マルクスの悪夢
への留意が必要
マルクスは気付いていたがマルクス主義者は見逃しがちな、革命と反革命の弁証法がある。「あらゆる死んだ世代の伝統は、今生きている者の脳髄にいわば悪夢のようにのしかかっている。そして彼らが、そのような革命的危機の時期にまさにこれまで一度も存在したことがなかった何かを生み出す中で、自らとものごとを革命化することに取りかかっているように見えているまさにその時、彼らは必死でその役にたてるため過去の諸々の精神を呼び出し、それらから諸々の名称、戦闘の叫び、また身なりを借りる。世界史の新たな状況を、今回は名誉ある偽装された借り物の言葉で描くためだ」(「ルイ・ボナパルトのブリューメル一八日」)。
こうして、帝国主義者とワシントン、ウエストミンスター、ブリュッセルの新自由主義者を打ち倒したいと思っている者たちが、最後には民族主義、レイシズム、外国人嫌悪の旗で身を包むことになっている。今回は、少なくとも当座、この悪夢が勝利を収めている。
資本主義の社会的諸関係の本性は、そこにいる者たちに自然に見えるものではなく、彼らは無自覚なままそこにいるにすぎない。それゆえ、一つの危機が彼らを混乱に投げ込む時、世界の中のわれわれの場は混同される。われわれは、われわれの独自性を強く主張しつつ、無自覚な人々を意識的にする必要がある。
悲しいことだがこれは、人種と国民を通して間違って行われる可能性があるのだ。マルクスが宗教について語ったように――それは「抑圧された下僕のため息、心なき世界の心情、魂なき諸環境の魂」なのだ――、こうしてそれには、もっと一般的には、労働者階級内部の反動的な諸勢力が使われる。奇妙にもUKIPやトランプの同類を何かの魂あるいは心と見るとすれば、それは、コミュニティの本物の心が資本によってすっかり引き裂かれてしまった中での、まがいものの心なのだ。
今の動きは暗闇
と宿命なのか?
状況はかなりひどく悪いが、違う。歴史はまさに一方向に進んだことはない。クリントン王朝に対するバーニー・サンダースによる強力な挑戦をよく見よう。これは、エリートに対する本物の挑戦になる可能性があっただろう。ロンドンでの難民支援の大規模デモ、難民が列車で到着した時の、ドイツでの彼らを歓迎する人波を見よう。労働党指導者としてのジェレミー・コービンの確定を見よう。収容センターにおける被収容者の恐るべき諸闘争がすでにあり、反手入れグループ、その他がある。これらすべての展開の中には進歩的な推進力がある。そしてそれらは反動に立ち向かっている。しかし明らかに十分ではない。それでは何をすべきか?
労働党とモメンタム(コービン支持の全国的運動体:訳者)内外のマルクス主義者は、確実に労働党指導部が移民に関し後退せず、むしろ移動の自由の防衛と拡張を強調するよう、一体となって活動しなければならない。
国家に対決して反攻しつつ、移民や難民との連帯を作り上げよう。防衛を組織することを含め、ヘイト犯罪の犠牲者との連帯を。これはそれ自体で重要なだけではなく、アイデンティティ感覚という課題に再度関わる一つの方法でもある。コミュニティの再建は、新しいコミュニティとの結びつきの打ち固めを意味するのだ。
職場での同権のために闘おう。EU指令による最低賃金切り下げを許さず、全員のための契約確保を。この指令に対決する欧州規模の労働者階級のキャンペーンを。ちなみにこの指令は、労働者の出身国での最低賃金で労働者を雇用することを、つまり英国内のルーマニア人労働者をルーマニアの最低賃金で雇うことを、雇用主に許しているのだ。
公共サービス、医療、教育、住宅、社会福祉給付資格付与での緊縮への反攻を築こう。移民や障害のある人々を確実にこれらのキャンペーンにおける不可分の一部とするために務めよう。責めを受けた人々こそ差別された人々なのだ。
その戦闘はよくあることとして、労働党の地方政府と対立することになるだろう。労働党内外の社会主義者は、労働者階級を守るために、またそうできないことはUKIP(英国独立党)に真空を残すことになるがゆえに、こうした執政機関と対立するキャンペーンを縮小させてはならない。
追従ではなく反抗を。移民警察として行動することを拒否する人々に対する、労組による激励と防衛を。移民警察の役割を果たすことを拒否するよう、雇用主と家主に激励を。
われわれこそ人
々の声を聞こう
あらゆる主流政党、特に労働党の人々が、UKIPのような政党により喫したいくつかの敗北を受けて、「移民に関し民衆が今語っていることをわれわれはよく聞かなければならない」と言う時、われわれが分かっていることは、それが本当に意味することは、より少ないあるいはゼロの国境統制ではなく、より多くの国境統制を求める彼らの合唱に加わるという意図、ということだ。
しかし実際には、移民への反対ではなく、移民を支持して精力的に主張する準備を整える中で、われわれが人々の声を本当に聞くことが決定的だ。人々が語っていることを黙ってオウム返しにすることは、実際にはいわば恩着せ政治にすぎない。ものごとを徹底的に主張するということはそうではない。もっと重要なこととしてそれは、底に潜む問題が何であるかの粘り強い追求――人々が「自らとものごとを革命化」しつつあり、あるいはそうするはずのところまで、また過去の「戦闘の叫びと身なり」を捨てるまで掘り進めること――だ。一つの綱領を発展させ、何よりもその綱領を軸に統一し闘うことを助けるために、コミュニティの中で活動できる人々を識別しよう。(「ソーシャリスト・レジスタンス」より)
(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一月号)
フェミニズム
女性行進 狭い限定を超えて
99%のフェミニズムと戦闘的な
3月8日国際ストライキに向け
シンツィア・アルッツァ/ケアンガ・ヤマッタ・テイラー/リンダ・マーティン・アルコフ/ナンシー・フレーザー/ラスメア・ユセフ・オデー/ティティ・バッタチャリア
新たなフェミニ
ズムが姿現わす
今年一月二一日の巨大な女性行進は、戦闘的なフェミニストの闘争における新たな波の始まりを印すものかもしれない。しかし何がその焦点となるだろうか? われわれの観点では、トランプと彼の攻撃的な女性蔑視、ホモ嫌悪、トランスジェンダー嫌悪、またレイシスト的諸政策に反対するだけでは十分ではない。つまりわれわれは同時に、社会的供給や労働者の諸権利に対する進行中の新自由主義的攻撃を標的にすることも必要としている。
一月二一日の巨大な反応に向け直接の引き金となったものはトランプの露骨な女性蔑視だった。とはいえ、女性に対する(またあらゆる勤労民衆に対する)攻撃は、彼の執政のはるか前から来ている。女性の生活諸条件、特に非白人女性の、また現に職に就いている、あるいは失業中の、また移民の女性のそれはこの三〇年、金融化と企業グローバリゼーションのせいで、一歩一歩確実に悪化を続けてきた。
狭く限定されたフェミニズムと企業フェミニズムの他の諸変種は、個人的な自己啓発手段や昇進などを利用する術をもたない、またその生活諸条件が諸政策を通してのみ改善の可能性が生まれる、そうしたわれわれのような圧倒的多数を見捨ててきた。そしてそこでの諸政策とは、社会的に支えられる生殖を防衛し、生殖に関する公正さを保障し、また労働者の諸権利に保証を与える政策だ。
そうであるとすれば、女性の決起の新たな波は、上に見た懸念すべてに正面から取り組まなければならない。その波は、九九%のためのフェミニズムでなければならない。
われわれが追い求めている種類のフェミニズムはすでに、世界中の闘争という姿で、国際的に現れつつある。すなわち、中絶禁止に反対するポーランドでの女性ストライキから、男の暴力に反対するラテンアメリカにおける女性ストライキや諸々の行進まで、また昨年一一月のイタリアにおける巨大な女性デモから、韓国やアイルランドにおける、生殖に関わる諸権利防衛の抗議行動や女性ストライキまでだ。
これらの決起で目立つことは、それらのうちのいくつかが、男の暴力に反対する諸闘争を、同時にホモ嫌悪、トランスジェンダー嫌悪、外国人嫌悪の移民諸政策に反対しつつ、労働の臨時化や賃金の不平等さへの反対と組み合わせたということだ。それらは一体的に、拡張された設定課題――反レイシズム、反帝国主義、反異性愛至上主義、反新自由主義をひっくるめた――に基づく、新たな国際主義的なフェミニスト運動を告知している。
無視されてきた
要求の可視化を
われわれは、この新しいより拡張されたフェミニズム運動に貢献したいと思う。
その第一歩としてわれわれは、男の暴力に反対し、生殖に関わる諸権利を防衛する三月八日の国際的なストライキ構築に力を貸すことを提案する。われわれはこうすることで、そうしたストライキを呼びかけてきたおよそ三〇ヵ国のフェミニストグループに加わる(注)。
その考えは、女性、トランスの女性、また彼女たちを支援するすべての人々を国際的闘争日――ストライキ、行進、道路や橋や広場の封鎖、家事労働やケア労働やセックス労働の取り止め、ボイコット、女性蔑視の政治家や諸企業への攻撃、教育諸機関でのストライキからなる一日――に決起させることだ。これらの諸行動の目的は、狭く限定されたフェミニズムが無視してきた人々、つまり、正式な労働力市場にいる女性たち、社会的な生殖医療やケアの分野にいる女性たち、さらに失業中や不安定労働の女性たちの必要と熱望を見えるものにすることだ。
九九%のためのフェミニズムを取り入れる上でわれわれは、アルゼンチンの連合「ニ・ウナ・メノス」(二〇一五年六月三日を起点に、殺人までにいたっている男の暴力に反対する行動がラテンアメリカ規模で重ねられている:訳者)からインスピレーションを得ている。女性に対する暴力には、彼女たちが明確にしているように、多くの顔がある。つまりそれは家庭内暴力であるがそれだけではなく、市場の暴力、債務の暴力、資本主義的財産関係の暴力、さらに国家の暴力でもあり、レスビアン、トランスジェンダー、クイアーの女性たちに敵対する差別的諸政策の暴力、移住運動を犯罪とする国家の暴力、大量投獄の暴力、中絶禁止、また無料の医療や無料の中絶を利用する術が不在であることを通した、女性の体に敵対する制度的暴力でもあるのだ。
それらの考え方は、ムスリムや移民の女性に対する、また非白人女性、今職に就いているあるいは失業中の女性、レズビアンの女性、ジェンダー不同一の女性、トランスの女性に対する、制度的、政治的、文化的、また経済的諸攻撃に反対するための、われわれの決意に活力を与える。
一月二一日の女性行進は、米国内でもまた新しいフェミニズム運動が形成途上にあるかもしれない、ということを示すことになった。時を逃さないことが重要だ。ストライキ、職場放棄、行進、デモに立ち上がり、三月八日には共に合流しよう。中味が狭められたフェミニズムに基づき行われることになっているこの国際行動日の機会を利用し、九九%のためのフェミニズム、草の根の反資本主義的フェミニズム――働く女性たちと彼女たちの家族、また彼女たちの連携者たちと世界中で連帯するフェミニズム――をそれに代えて築き上げよう。
▼リンダ・マーティン・アルコフは、ニューヨーク市立大学ハンター校大学院センターの哲学教授。ティティ・バッタチャリアは、パデユー大学(インディアナ州ウエストラファイアット所在)で歴史学の教鞭をとっている。シンツィア・アルッツァはイタリアのシニストラ・クリティカの指導的メンバーだった。ナンシー・フレーザーは、ニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチの政治哲学教授。ケアンガ・ヤマッタ・テイラーは、プリンストン大学のアフリカ系米国人研究センターの助教授。ラスメア・ユセフ・オデーは、アラブアフリカ行動ネットワークの指導者代行であり、同グループのアラブ女性委員会指導者、「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」の元メンバー。
注)「国際女性ストライキネットワーク」参照。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年二月号)
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