フランス
政治的混迷深める大統領選
反資本主義的オルタナティブが
既成のものへの拒否に水路開く
レオン・クレミュー
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レオン・クレミューはフランスの労働組合連合「ソリデール(連帯)」と反資本主義新党(NPA)の活動家で、第四インターナショナル執行ビューローのメンバーでもある。レオン・クレミューのこの文章は、今年四〜五月に行われるフランス大統領選挙をめぐる情勢について紹介している。なお彼は二〇一〇年秋に来日し、NPA結成の意義について東京、大阪で講演集会を行った。(「かけはし」編集部)
左右二大政党双方に深刻な危機
二〇一七年フランスで、大統領選挙の準備をめぐって政治的分極化が進むことをわれわれは知っている。多くの点で確かなことだが、この分極化は制度圏の諸政党、ならびに全般的な既成の制度それ自身の危機と、社会党(PS)の指導者たち、右派の代表と見なされている共和党(LR、旧国民運動連合)の指導者たちを分裂させる亀裂を明らかにしている。おそらくこの力学は、社会運動の窒息状況というありきたりの状況から抜け出す可能性を秘めている。
オランド(大統領)、そしてバルス(首相)の相次ぐ失墜は、制度的危機の最初の現れである。
任期切れの大統領が再選を追求できず、首相が予備選挙で党内左派の候補者に敗れたことは、社会党政権五年間のバランスシートを示すものであり、同党が創設以来最も深刻な危機に叩きこまれていることを示すものだ(訳注 一月二九日の社会党大統領候補の予備選挙決選投票で「伝統的左派」とされるアモン国民教育相がバルス首相を破った)。
UMP(国民運動連合、二〇一五年に党名変更し共和党となった)について言えば、事態はよりましなわけではない。反動的な有権者たちは大挙してサルコジを排除し、カソリック伝統主義と清潔さをかきたてた「ミスター・クリーン」フィヨン(元首相)を選んだのだが、九〇万ユーロにのぼる公金流用、『両世界評論』(フランスの月刊誌)における二件の偽装の仕事、学校に通う彼の子どもへの多額の給与支払い、一五の銀行口座(現在までのところ分かっているだけで)の暴露により、フランソワ・フィヨンが第二回投票にまで残ることばかりか、彼が候補者になること自体が危うくなっている(注1)。
FNも一員の「彼らの世界」
この「ぺネロプ・フィヨン(フィヨンの妻)問題」は、とりわけ二つのことを明らかにしている。
▼彼らの世界は、われわれの世界ではない! 政治的指導者たちは国家の財源を自分たちが勝手に使い、彼らが公用車を使っているように公的資金を使うことができると、全般的に考えている。再分配システムを削減し、あらゆる過剰人員づくりを正当化し、失業手当に抵抗し、さらに多くの人びとを貧困におとしめる連中が、そうした財源を使って自分たちが多額のカネを得ることは当たり前だと考えているのだ。これがカネ持ち階級のやり口であり、帳簿を見せてくれというだけでびっくりするのだ。フィヨンとその友人たちは、最低賃金の四〇年分に相当する報酬を、夫を「助け」、「モラル的に支援する」人に支払うことをわざわざ正当化する必要性など感じてさえいないのだ。「文芸批評の数行に一〇万ユーロも」、などと言わないでも、こうした人びとは圧倒的大多数の住民から切り離された世界に住んでいるのである。
▼さらに、「カナール・アンシャネ」(フランスの週刊風刺紙)での暴露と「メディアパール」(フランスのネットサイト)の論文の後でも、この追及に対するフランソワ・フィヨンの苦情にもかかわらず、政治指導者たちがあらゆる「リンチ」を注意深く避けていることに注意しよう。なぜならこうした「暴露」が、このような金銭支払いを促してきた政治システムの機能を照らし出しているからである。議員たちは、スキャンダルのレベルに達した報酬と、側近たちのために自由に使える月額一万ユーロを、喜んで手にしているのだ。右翼の議員たちは、誰もが知っているように何年にもわたって「大当たり」を取ってきたのである。
こうしたシステムが、「近親優遇」的であろうが、あるいはそうでなかろうが、すべての議員がそこから利益を得ているグループ――デュポンティニャン(小右翼政党の指導者)や国民戦線をふくむ――は、他の者たちと同様に沈黙しており、ジャンマリー・ルペンはフィヨンを支持するところまでいっている。現在、国民戦線は欧州議会からの三〇万ユーロの返還請求の対象になっている。明らかにその金額はFN(国民戦線)の専従活動家の給与にあてられていたのだ。二〇%以上の代議士(すべてのグループの)が、家族の一員を、真の機能を果たしているかいないかを問わず、アシスタントとして雇っていた。
この事実は、基本的な民主主義的要求を強めることになる。それは上院――大立者によって選ばれた大立者の集まり――の廃止、そして月額一万二八〇〇ユーロにもなる給与支払いの廃止(側近に払われる九五六一ユーロの手当てを勘定に入れずに)である。
大統領選までわずかに三カ月しかない今、新しい予備選を組織することは、共和党にとっては、破局的であることを恐れ、「断固とした態度」を取り、スキャンダルを抑えこむ以外の道はない。フィヨンの直接の敵対者の誰もが火に油を注ぐようなことをしなかったのは、公式には合法的な行為によって問題とされているのが、第五共和政の議会システムの全体的作用だからである。しかしこのなれあい的あり方は、法的手続きの継続と「カナール」紙によるメディア暴露によって明るみに出されている。
社会民主主義内部の政治的崩壊
PS(社会党)の危機は、今や公然化した。左派連合の候補を選ぶ第一回投票は二つにはっきりと分かれ、若者たち、労働者、ホワイトカラー勤労者、緑の党、左翼戦線の有権者の支持を得たアモン(前国民教育相)の側に大きく傾いた(注2)。反バルス(現首相)票は、国籍条項や緊急事態令の解除に関するマクロン法(経済活性化法案)とエルコムリ法(労働法制改悪)への懲罰だった。しかし他方では、バルス支持票と月曜日以後の反応は、社会民主主義の内部で政治的崩壊現象が起きていることを示している。社会党の中では、アモンは二〇一五年に行われた前回の党大会で三〇%弱を獲得した「動議B」を中心とする潮流を代表している。それは社会党を伝統的社会民主主義左翼として維持しようという希望に結晶化されるとは言えない傾向である。
具体的に言えばアモンを選択したことは、彼に投票した人にとっては、イタリアの前首相レンツィの民主党のイメージにならって共和・民主勢力の連合をめざしたオランド―バルスの方針、すなわち大規模な統治機構に対する社会自由主義的方針への拒否である。アモンによるこの抵抗は、英国労働党のコービンへの支持、米国民主党のサンダース潮流への支持に対応するものである。
再び、音楽は言葉より強力である。アモンは非常事態延長への消極的態度、NDDL(ノートルダム・デランド)空港計画の拒否、原発の閉鎖、遺伝子組み換え作物のコントロール、若者への雇用福祉支出システムの改善、ムスリム非難の拒否、スカーフ着用禁止の否定を強調した。さらに彼は、民衆的諸階級の間に存在する一連の社会的・民主的諸要求に乗っかった。さらにこの中でアモンのプロフィールは、メランション(左翼党の候補者)のそれと似通ったものになった(ヘッドスカーフの問題を除けば)。メランションは、より共和主義的で、「時宜を得た男」というプロフィールを演じているのだが。われわれはメランションが受け入れなければならない矛盾した選挙上の共存において生ずるだろうこと、とりわけフランス共産党が彼の「反抗するフランス」運動への支持を受け入れるに当たって、彼の傲岸さに支払わせる代価を見ることになるだろう(注3)。
社会党は曲芸飛行を強制される
今、大きな問題が、社会党の党機構とその議員たちに提起されている。フィヨンに代わってマクロンが第二回投票に出る資格を持つ位置にいるように思える。アモンは左翼アイデンティテイーを持ってメランションや緑の党の支持者に分け入り、オランド/バルスの社会党政権がやってきたことから距離を置くことになる。しかし彼の立候補は、社会党多数派の方針との決裂となり、どの世論調査でも彼が第二回投票に残るとしているものはない。したがってそれは、党機構と代議員の多数に反するものとなる。
そうであるために、二〇〇二年に五年任期制が導入されたことは、大統領選を国会議員選の発射台に変えてしまうことになった。全般的に言って、社会党グループ(二九五人)はリオネル・ジョスパン(前社会党政権の首相)が去り、ジャック・シラク(右派の大統領)が再選された、二〇〇二年の経験を繰り返すかもしれない(一四一議席で、五〇%減だった)。
多くの社会党の代議員は党を見捨ててマクロンに走る過程にある。彼のキャンペーンはフェラン、コロンといった社会党の名士たちによって組み立てられてきた(注4)。改良主義の極にいる者たち(サバリーなど)は、党から引き上げるよう呼びかけ、その一部はマクロンの下に結集している(注5)。しかしこの選択は、党機構と主要リーダーたちにとっては困難だろう。社会党は一つの構造であり、現在作られているようなマクロンの選挙運動に自己を解消できない。さらに、最初の段階から選ばれた候補者の正統性を指導部が拒否することは、全面的破裂の要因となるだろう。
したがって党のセンターは、こうした落とし穴の間を操縦し、きわめて困難なバランスをとろうとするだろう。アモンの選挙運動に影響を与え、カズヌーブ(訳注:カズヌーブは二〇一六年一二月に社会党政権の首相に就任)と最後の数カ月にむけて「党候補者の支持」をめざす和解支援を行い、反抗する「右派」をなだめ、そうしながら、マクロンの大統領選挙キャンペーンを行う者に目をつぶり、また国会議員選挙の資格付与について掌握しようというのである(注6)。道案内が困難な危険きわまる演習だ。
こうした中で、一つだけ確かなことがある。第五共和制の二つの伝統的政党である社会党と共和党(旧共和国運動)が、この「大きな」選挙で危機にさらされていることである。そしてこの危機は、二つの対称的な反映において緊縮政策のマネージャーだった二つの制度的政党への不信、その腐食を明らかにしている。こうした点で、すべての候補者は「システム外」、あるいは「反システム」を主張しているのだ。フィヨンもアモンも、サルコジ、ジュペ、バルス、モントブール(訳注:社会党の政治家、元経済相)といった「古い顔」を拒否することで人気を得ようとしているのだ(注7)。もちろんフィヨンもアモンも前閣僚であり(メランションもそうだ)、その性格が最近のスキャンダルで明らかになっているシステムの、職業的政治家なのである。
マクロンは政党外の候補という逆説的な地位におり、オランド政権のバランスシートの責任から免除されているが、彼は二〇一二年から大統領府の副官房長であり、企業のための税削減措置であるCICE(競争力強化・雇用促進税額控除。労働コストを削減することで競争力強化を図ろうとした税制)に当初から責任者として関わり、その後、経済相として民衆的諸階級から最も嫌われた二つの法案を導入したのである(一つは彼の名を冠した法であり、もう一つはエルコムリ法)。
いかさま師を止める力はどこに
マリーヌ・ルペンは右翼と左翼それぞれの予備選挙の後、いささかの困難に直面している。フィヨンの立候補は彼女にとって最善のメディア上の敵、サルコジと、超反動の伝統主義者の投票をめぐって競争する手段を取り除くことになった。同様に、オランド政権のバランスシートを擁護する社会主義候補の不在は、彼女のプロフィールを不安定化させる。彼女自身のスキャンダルへのかかわりは、フィヨンの陥った難局から利益を得ることを困難にさせるだろう。それにもかかわらず、彼女が依然として世論調査で先頭を切っていることに注目すべきであり、キャンペーンをスタートさせることなく、あるいは数週間にわたって政策宣言を行うこともないままに、二〇年間にわたって国を管理してきた諸政党への拒否に基づいて反動的・レイシスト的抗議票の主要な受け皿になっているのは彼女なのだ。
マリーヌ・ルペンが第一回投票でノックアウトされる可能性が排除されないとは言え、「全国連合」(もしここ数週間の後も依然として候補者であればの話だが、マクロンあるいはフィヨンを中心とした)のみが大統領選挙、反民主的な国会議員選挙で国民戦線が勝利者となるのを阻止することになるだろう。
これらすべてが、真の反資本主義オルタナティブ、搾取され抑圧される人びとの政治的代表を建設する緊急の必要性をさらに際立たせることになっている。
これこそ国民戦線(FN)が大衆をひきつけることへの対抗力の必要性を示すものである。国民戦線は依然として排外主義的で反動的な綱領によって、民衆の不満にはけ口を与える存在として立ち現れている。このいかさま師を止めることは、すべての搾取された人びとの連帯と社会的公正に基礎を置く反資本主義政治勢力によって労働者と被抑圧者の中に創造された力関係にかかっている。同様にアモンへの支持もまた、新自由主義政策、警察国家、イスラムフォビアへの拒否、気候変動問題の緊急の必要性を示すものだが、彼の綱領は資本主義的緊縮政策への疑問をささやかな形ではあれ表現していない。
最後にメランションと「反抗するフランス」は、この方向でどのような展望も開いてはいない。時宜を得た男という役割を演じ、彼を支援しようとするすべての人びとに彼の独裁への服従を押しつけようとすることにより、彼は危険な賭けを作り出した。彼は、オランドかバルスの指名に依拠することで、反サルコジ、次には反フィヨンを掲げる反緊縮左翼の白馬の騎士の役割を追求した。今や、アモンの指名で不安定化し、このプロフィールだけでは不十分である。左翼の単独候補としてマクロンを求める圧力が強まる中で、そのことはいっそう明らかになっている。
フランス共産党はこのキャンペーンに参加し、選挙運動の一部を担いながらも、メランションとの関係で労働組合運動はためらいがちになっている。多くの人びとが彼を「有益な投票対象」と考えているにしても、そうなのである。
不幸なことに、この統一の力学は、民衆的な反資本主義勢力の建設の基盤に根を下ろし、職場と民衆の居住地域で協働し、システムと対決する人びとと横断的連携を作り、反資本主義・フェミニスト・反レイシスト・反差別・国際主義、そしてエコロジストの勢力の共同の基盤を作るよりは、選挙機構の制度的枠組みの中で築かれようとしている。
「下からの」運動再現を好機に
対照的に、現在の危機によって開かれた情勢は新しいものであり、その情勢に関わることが必要である。来るべき日々において確実に多くの議論が行われることになるだろう。社会的・政治的運動の中で活動家たちの論議の枠組の可能性が開かれる。その討論はわれわれの考え方を擁護する機会であるだけではなく、すべての戦線で闘っている人びとの社会的・政治的結集を提案する機会となるだろう。フィヨンのスキャンダル、社会党の不安定化、これらすべてがスペースを開き、通常はこうしたことにあまり貢献できなかった時期の社会運動活動家を再び励ますことになるだろう。
逆説的なことに、来るべき数週間は、資本家との取引を継続しながら特権の行使・乱用にうつつをぬかしている指導者や諸政党の代表制、議会官僚制を終わらせる要求を伴った「下からの」運動の再登場を見ることになるだろう。それが今、メランション、アモンの候補者問題を中心に分極化しているにしても、われわれは社会的要求を基礎に別の内容を提示し、活動家潮流間の統合を推し進め、大統領選の観客や機械部品に止まるのではなく、われわれの運命をわが手に握る準備を進めていく。
したがってわれわれは、こうしたことすべてに関係ないといった態度を取ってはならない。われわれ(NPA=反資本主義新党)の候補者、フィリップ・プトゥは新しい希望、社会的戦闘への新しい制度的窓口を望んでいる多くの人びとに語っているからだ(注8)。われわれは制度的領域に止まっているのではなく、とりわけアモンやメランションには共有されない反資本主義的亀裂の展望について強調している。しかしわれわれは、とりわけ地方的にはもう一つの展望を提示し、共通の社会的・民主主義的要求を中心に討論を行っている。この中で、新しい情勢は新鮮な空気となり、必要とされる亀裂と取られるべき進路に焦点が当てられている。
(注1)フランソワ・フィヨンの妻であるペネロプ・フィヨンへの、彼の「議会アシスタント」としての金銭の支払いは風刺紙「カナール・アンシェネ」で報じられた。職務契約に関するいかなる契約も、フランス議会で仕事をしていた形跡もなかったが、英国の新聞「サンデー・テレグラフ」との二〇〇七年のインタビューではフィヨンは「妻が夫のために働いていた」と語っている。
(注2)ベノア・アモンは大統領候補を選ぶ社会党の予備選で元首相のマニュエル・バルスに決戦投票で勝利した。アモンは一九八〇年代の学生活動家で、それ以後は社会党組織でキャリアを積んだ。
(注3)公式に言えば、メランションが創設した左翼党、フランス共産党、幾つかの小組織が合同した「アンサンブル」が左翼戦線の構成組織である。しかしジャン・リュク・メランションは彼自身の運動である「反抗するフランス」を今回の大統領選とそれに続く議会選挙にむけて二〇一六年二月に結成した。フランス共産党は、最終的に自党の候補を立てるのではなくメランションを支持することを「渋々と」ではあるが決定した。メランションを支持するという「アンサンブル」の決定も組織内で議論になり、意見の違いも生じた。
(注4)社会党の前党員であるエマニュエル・マクロンは二〇一四年から一六年まで経済・産業相。彼は自分の政治運動である「アンマルシェ」を二〇一六年初めに結成して八月には政府閣僚を辞任した。彼は一一月に大統領選に立候補すると声明した。リシャール・フェランは社会党のブリタニー県議員。ジェラール・コロンも社会党の国会議員で、リヨン市長。
(注5)アラン・サバリーはミッテラン政権時代の教育相。
(注6)ベルナール・カズヌーブは現首相。彼はマニュエル・バルスが大統領選に出るために首相を辞任したことにともなって首相就任。
(注7)ニコラ・サルコジは二〇〇七年から二〇一二年まで大統領。アラン・ジュペはボルドー市長としてジャック・シラクとともに一九七〇年代に政治家としての経歴をスタート。マニュエル・バルスはフランソワ・オランド大統領の下で二〇一四年三月から二〇一六年一二月まで首相。アルノー・モンテブールは著名な社会党の政治家で、議員、閣僚、一九九〇年代以来、さまざまな時期にスポークスパースンを務めた。
(注8)フェリペ・プトゥーはボルドーに近いフォード・ブランクフォール工場の労働者。NPA(反資本主義新党)の大統領選予定候補。NPAはプトゥーが立候補して得票するのに必要な五〇〇人の自治体市長の保障人をまだ獲得していない。
(二〇一七年二月七日)
(「インターナショナルビューポイント」2017年2月号)
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