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    かけはし2017.年2月13日号

帝国主義の構造的な野蛮(下)


学習

「ホロコースト」と工場労働

くどう ひろし

機械と工場


 次の記述は一世紀半も前にさかのぼるが、あたかもこれまでの引用文と同じ時期に書いたかのようだ(好みもあって、長谷部文雄訳によったが、一部今風の言いまわしに改めました。おゆるし下さい)。
「自動的工場の叙情詩人、ドクター・ユーアは、この工場を説明して、一方ではたえず一中心力(原動力)によって活動させられる生産的機械体系を熟練と勤勉とをもって監督する種々の部類の成年および未成年労働者たちの協業だと言い、他では一個同一の対象を生産するために協同一致して絶えまなく作業する、かくしていずれも自動的な一個の動力に従属させられている。無数の機械的器官および自己意識ある器官から構成された一個の巨大な自動装置だと言っている。この二つの表現は決して同一ではない。第一の表現では、結合された全体労働者または社会的労働体が支配的な主体として現われ、機械的自動装置が客体として現われる。第二の表現では、自動装置そのものが主体であって、労働者たちは、ただ意識ある器官としてのみ自動装置の意識なき器官に付属させられており、そして後者とともに中心的動力に従属させられている。第一の表現は、大規模な機械のありとあらゆる充用に当てはまり、第二の表現は、それの資本制的充用を、したがってまた近代的工場制度を特徴づける。したがってユーアはまた、運動の出発点たる中心機械を、アウトマート(自動装置)としてのみならず、アウトクラート(専制君主)として叙述することを好むのである。これらの大作業場では、仁慈なる蒸気の君が、その周囲に多数の家来をよせ集めている」。
「労働用具とともに、それを操縦するための巧妙さもまた、労働者から機械に移る。道具の作業能力が、人間労働力の個人的諸制限から解放されている。かようにして、マニュファクチュアにおける分業の土台をなす技術的基盤が止揚されている。したがって自動的工場では、マニュファクチュア的分業を特徴づける特殊化された労働者たちの等級制の代りに、機械の助手たちが遂行すべき諸労働の均等化または水準化の傾向が現われ、部分労働者たちの人為的に生みだされた区別の代りに年令および性の自然的区別が主要なものとして現われる」(『資本論』第1部、441〜2頁)。
機械化が種々の労働力を搾取する装置として発展、自動化は技術の画期的な進歩だが、同時に専制支配である点を、たくみにきわだたせている。さきに引用したトヨタ自工の記述を、世紀をまたいで先取りしている。
封建社会は土地、所領を媒介に主従関係で人を動員したが、資本制生産は、主として生産手段の所有者、資本家が労働者を搾取することによって、際限もなく利潤をふくらませた。独占資本の形成、世界的な市場の争奪、帝国主義戦争は未曽有の犠牲者を出した。
根底にあるのは、生産現場で大量の人間を自動、専制支配する構造である。
補足として『経済学批判』の一部を引用しておこう。
「使用価値は、自然的な原基を含んでいる。どんな形態かで自然的なものを獲得するための合目的的な活動としては、労働は、人間の生存の自然条件である。すなわち、人間と自然との間の物質代謝の条件であって、すべての社会形態から独立している。これに反して、交換価値を生む労働は、労働の特殊的に社会的な形態である。例えば、特別な生産活動として、一定の物質的性質を与えられた裁縫労働は、上衣を生産するのではあるが、上衣の交換価値を生産するのではない。労働が上衣の交換価値を生産するのは、裁縫労働としてではなく、抽象的で一般的な労働としてである。そしてこの抽象的で一般的な労働は、社会関係から生ずるのであって、これを裁縫師が縫い上げるわけでのものではない。このようにして、古代の家内工業では、織工は上衣を生産したが、上衣の交換価値を生産することはなかった」(『マルクス・エンゲルス選集第7巻』、65〜6頁)。
近代の工場では、交換価値つまり売れる商品づくりに励んでいる。市場と一体である。売れることがたえず圧力になっている。それは自工のように寿命がちぢむほどである。

ホロコースト

 『ホロコースト』は第二次大戦時、ユダヤ人大虐殺がなぜ起こったのか、客観的に捉えようとしたマラスの著書名である。著者はナチ古参党員のサンプル調査を初めに示し、ユダヤ人への関心が平均的であり、たどり着く結論が平凡であろうと客観を大切にした。
三分の一はユダヤ人への偏見を持っていた証拠はない。約半数は全くユダヤ人に関心を示していない。ユダヤ人への暴行や政治行動を起こしやすい偏執的な反セム主義者は一三%であった。一九三〇年以前の党の人気獲得に反セム主義の宣伝はあまり役立っていない。
「ヒトラーのみが、ユダヤ人の脅威を党や後の第三帝国に固定するのに必要な権威と一貫性、そして無慈悲さでもって規定したのであった」(『ホロコースト』マイケル・R・マラス著、38〜9頁)。
ガス室で殺された大多数はユダヤ人であったが、それだけではない。「様々なグループや国籍の人々が収容所には見られたわけであり、ジプシー(自称シンティ、ロマ)や精神障害のあるドイツ人、ソ連軍戦時捕虜、反ナチのポーランド人など多くの人々の殺害にも毒ガスが使われた」(同前、42頁)。
ユダヤ人の絶滅は、諸々の法律や命令の産物であったというよりも、時代精神――ラウル・ヒルバーグの丹念で広範囲にわたる調査、研究によれば「加害者自身に特定の個性がなかったことであり、根本的要因は彼らが適合していた機構そのものにあった」(同前、81頁)。
人間によって開発、構成された機械は、ますます速度を増し、機能を推進する。能率こそ優良の証明になった。機械工場で作業する者は、専門的に適合しようと努めた。割り当てられた仕事に不適格と見なされることをおそれた。
機能主義を遂行する組織の働きは最大限を追求、その動機は私的な利潤が目的であった。毒ガスや鉄道の利用による大量の人間管理、移動――「テクノロジーへの厚い信頼が、犠牲者の人間性を抹殺することに相互に作用した。このプロセスに引き込まれた人々は、あらゆる人道的考慮を払いのけ、自身の専門的な本職へと逃避した。こうした加害者たちは、自身をまさに熟練技術者としか考えなかったのであり、後年、大量殺戮を遂行したという烙印を押されて、純粋に驚くことがしばしばだった」(「同前、85頁)。
「アウシュヴィッツへの道を切り開いたのは憎悪であるが、それを舗装したのは無関心であった」(ケルショー)と言われたりする。
ドイツ・ユダヤ系の哲学者、ハンナ・アーレントによれば、「東欧であろうと西欧であろうと、そこのユダヤ人指導者たちは、ナチの殺人目標を直接助長しつつ、ナチ支配者のために積極的に仕事を行った。アムステルダムでもワルシャワでも、ベルリンでもブタペストでもユダヤ人の官僚は、名簿と財産目録を作成し、移送と絶滅に要する費用を移送される人々から徴収し、空き家となったアパートを見張り、ユダヤ人を捕らえて列車に放り込むのを手伝う警察力を提供する仕事を任されており、そして一番最後に、最終的な没収のために、ユダヤ・コミュニティの財産をきちんと引き渡したのであった。以前は無視されていたが、この共謀は、ホロコーストというパズルのなかの非常に重要な一枚であった」(同前、165頁)。
未組織で指導者がいなければ犠牲は少なかったのではないか。自民族の絶滅に手を貸したユダヤ人指導者たちの役割は、この暗澹とした一章である。「本当の問題は、近代社会を悩ませる人間喪失の過程のなかにあった」(同前、166頁)。
ユダヤ人評議会(議長)も、最後的な解決を大量殺戮の進行中に完全には理解していなかった。
ローマ法王庁は、「東欧での大量殺戮に関する最も詳細な情報を受け取り続けたのである。しかし、数々の嘆願にもかかわらず、ローマ法王は、ユダヤ人殺戮に対してはっきりと告発することや、直接ナチに殺戮を止めるよう要求することを拒絶した。ピウス一二世は、中立の姿勢を断乎として維持し、ナチの戦争犯罪に反対する連合国側の声明に賛同することを断ったのである」(同前、264頁)。
聖職者の中には、ナチの敗北がヨーロッパにポルシェヴィズムの勝利をもたらすのではないか、と恐れた者もいたとも記している。(2016年12月2日) (おわり)

資料

日本軍「慰安婦」問題解決全国行動 声明

条件付き謝罪は謝罪ではない

日本政府は、日韓合意の破綻を認め、
「慰安婦」被害者と韓国の民意に向き合え

 一月七日、安倍政権は釜山の日本領事館前に、日本軍の「性奴隷」とされた軍隊「慰安婦」の苦しみを記憶する「少女像」が設置されたことが日韓合意に反するものだとして、駐韓大使と総領事を帰国させる強硬措置に出た。日本の加害責任への反省など一かけらもないこの行為に対し、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動は、声明を発した。声明を支持し、本紙に転載する。(編集部)

 日本政府は、釜山総領事館前に「平和の少女像(以下、少女像)が設置されたことに対し、駐韓大使および釜山総領事の一時帰国など4項目の対抗措置をとると発表した。同措置およびこれを伝える報道に、私たちは強く抗議する。

T 日本政府に抗議する

 1、韓国では、2015年12月28日の日韓政府間合意(以下、合意)に対する民衆の怒りが爆発し、日本政府に対する不信感がさらに高まった。直近の世論調査でも、「合意を破棄すべき」との回答が6割に迫っている。釜山の少女像も、合意に怒った釜山市民・学生らが合意直後に建立計画を立て、合意1周年の日に設置を挙行したものだ。まさに合意が、韓国民衆との関係改善を図りようもない状況をつくり出したと言っても過言ではない。
合意後にさらに高まった怒りの主な要因は、(1)日本政府が10億円について「賠償ではない」と繰り返し述べたこと、にもかかわらず韓国政府と「和解癒し財団」が「賠償にあたるもの」等と国民を欺き、被害者たちの説得にも当ってきたこと、(2)安倍首相がお詫びの手紙について「毛頭考えていない」と一蹴するなど、「お詫びと反省」を合意で謳いながら実は謝罪する気など全くないこと、(3)「日本は10億円を拠出したのに、韓国は合意を守っていない」として、日本政府が事実上、駐韓日本大使館前の「平和の碑」の撤去にのみ執着し、圧力を加えていること。韓国民衆は「韓国政府が10億円で『平和の碑』を売り飛ばした」と怒っている。
韓国民衆を怒らせているのは、女性たちを戦争遂行の道具とする重大な人権侵害をおかしながら、心から謝罪するどころか、「金を出したんだから碑を撤去しろ」と言わんばかりの日本政府の態度なのである。「未来世代に謝罪を繰り返させない」ために口先だけで「お詫びと反省」というフレーズを述べたにすぎないことが、この「少女像」をめぐる態度に象徴的に現れていると見抜かれているのだ。これは、ナチスに虐殺されたユダヤ人犠牲者のための記念碑、記念施設をブランデンブルグ門の南に設置したドイツ政府の姿勢とはあまりにも対照的だ。本来、日本政府が日本国内に記念碑や施設を建てるのが加害国としてあるべき姿勢なのである。

 2、 今回の事態には、甚だしい論理のすり替えがある。日本政府は、合意に従っ
てすでに10億円を支払ったのだから、合意で「最終的・不可逆的に解決」したのだから、釜山市民が釜山の領事館前に少女像を設置するのを韓国政府が禁止しないことは合意違反だと言う。しかし、合意ではソウルの日本大使館前の「平和の碑」について「適切に解決されるよう努力する」ということだけで、そもそも「平和の碑」の撤去も約束されてはいない。正式文書もない、両政府が口頭で発表しただけの「最終的・不可逆的解決」合意が、民衆の慰霊・追悼、記憶の行為にまで及ぶかのように世論をミスリードする行為を、政府は直ちにやめなければならない。

 3、諸悪の根源は、被害者を抜きにした、「慰安婦」問題の根本的解決ではない、政府間合意自体に存在する。これに気づかない限り、被害者の、また韓国民
衆の怒りと不満のマグマはいつまでも噴出し続けるだろう。
この度の事態も、日韓合意では日本軍「慰安婦」問題の解決にならないことを再び浮き彫りにした。こうした事態が起きるたびに高圧的に対処することはかえって反発を招き、関係を悪化させる。
第一、今回の少女像設置問題を直ちに政治・経済問題に直結させ、4項目の制裁措置をとるのはあまりに稚拙だ。過去の日本が犯した重大な人権侵害の被害回復、つまり人権問題なのであり、外交・政治・経済問題とは別に協議し考慮すべきだ。日本が加害国としての責任を果たすべく、2012年にアジア連帯会議が提出した「日本政府への提言」に立脚した根本的解決策を実施しなければ、永久に、こうした事件が続くであろう。
また、昨年11月には、謝罪と補償を長年待ち続けているフィリピン、東ティモール、インドネシアの高齢の被害者たちが遠路来日して外務省を訪れ、私たちも同様に被害者であると切々と訴えた。韓国だけではない、アジアの全被害者に対して、被害者が亡くなる前に日本は責任を果たさねばならない。

U 報道機関に求める


この件に対する報道は押し並べて、合意により日韓関係が改善に向かっていたという前提に立っている。これは、交渉自体が困難になっていた首脳会談や安全保障等、政府間での協議ルートが再開されたことを主に指していると思われるが、政府間の関係だけが日韓関係なのだろうか。または経済関係だけが日韓関係なのだろうか。
前述のように、釜山の少女像も、合意に怒った釜山市民・学生らが合意1周年の日を期して設置を挙行したものだ。このような韓国市民の怒りを無視して「関係が改善したと報じるメディアは、政府の視点に追随し、民衆の意思を黙殺する非民主的な言説を振りまいていることを認識すべきである。
翼賛報道の轍を踏まず、メディアの使命と主体性を自覚し、この問題の本質的な視点に立った報道をするよう求める。

 2017年1月8日

日本軍「慰安婦」問題解決全国行動


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