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    かけはし2017.年2月6日号

人間を破壊する資本主義


学習

帝国主義の構造的な野蛮(上)

「ホロコースト」と工場労働

くどう ひろし


はじめに

 資本主義のメカニズムと人間性の破壊を原理的に説き明かしたマルクスの分析を、今日の帝国主義の危機の中で、いかに学んでいくべきか。今、改めてそのことが問われている。くどうひろし同志からの問題提起を掲載する。(編集部)


マンデルは、ヨーロッパ・ユダヤ人の運命を資本主義の死の危機という、より広い文脈に確固として位置づけ、また、この危機の産物である第二次世界大戦の他の恐怖の文脈にも位置づけており、そうすることで説明可能なものになると考えている。
 「ユダヤ人の悲劇的運命の責任を負っているのは、そして人類全体が陥った袋小路の責任を負っているは、資本主義である」(E・マンデル、アブラム・レオン『ユダヤ人問題の史的展開』第1版序文より、『エルネスト・マンデル』つげ書房新社、2000年、267頁)。
 第二次大戦の犠牲者六〇〇〇万人、ユダヤ人被害者六〇〇万人。「ユダヤ人に対するヒットラー帝国主義の野蛮な取り扱いは、現代帝国主義の通常の方法に見られる野蛮を発作的激発の水準にもっていったものにすぎない。ユダヤ人の悲劇は、人類の運命から切り離されてもいなければ、それと正反対のものでもなく、資本主義の没落が現在のテンポで進むかぎり、それが自分たちの未来の運命でもあることを他の民族に知らしめるものにすぎない」(同前)。
 これはいささか現象的にすぎる表現なので、マルクスが人間性を喪失する仕組み、機能、流通を総合的に明らかにしており、久しく顧みられなくなったその一端にふれることは、時宜にかなっていよう。ひょっとするとマンデル、トロツキー、レーニンの著作も書架のほこりをかぶっていそうだ。
 イギリスのEU離脱、アメリカ大統領選のトランプ現象、NAFTA・北米自由貿易協定は国境に壁の話題、不動産王が貧者の味方?
 アメリカで不安定雇用・コンティンジェント労働が労働力の三割強と言われたのは一九九〇年代、労働者の格差が急速に拡大した。アメリカ追随がならい性となっている自民党は、日本の労働市場を岩盤規制と攻撃、竹中路線でこれまたアメリカに劣らない速さで労働市場を破壊した。
 労働者はそもそも自分の労働力を売って賃金を得る以外に生活のすべがない。一人一人は交渉力のない弱い立場にある。労働組合にまとまって自分たちの生活を守るはずの労働組合が、中曽根政権の国労つぶしにあって弱体化した。過労自殺が何度も起こるのは、労働組合が労働者の生活を守れなくなっているからである。あるいは労働組合がない、あってもないに等しいからである。
 働く者が自分たちの生活を守れなければ、資本主義のもとでの民主主義は絵にかいた餅、何も機能しなくなる。すでに報じられた国際NGOオックスファムの提言のようになる。
 「世界で最も裕福な六二人の資産の合計が、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分(約36億人)の資産の合計とほぼ同じだとする報告書を発表。経済格差が拡大しているとして世界各国の指導者に是正へ取り組みを呼びかけた」(「朝日新聞」、2016年1月20日)。
 労働組合の必要性を、労働者はいうまでもなく、資本家や保守政治家も当然の権利として認めなければ、世の中は格差拡大、行き詰まってしまう。中曽根政権のような組合つぶしは、時代錯誤、間違いである。
 原発が労働組合つぶしとぐるになって進められ、事故を誘発したことは、分かりやすい例である。事故が起こると原子力村が槍玉にあげられたのはもっともだが、ことはそんな狭いグループにあったのではない。
 現実、現場を誰よりも肌身で感じ、熟知しているのは、そこで働いている人たち、労働者である。労働組合は労働者の利害を反映する主要な組織であるだけでなく、人間関係のほんね・本音が出せるところである。得てしてこれまでの保守政治家や企業は労働者、労働組合を買収して安心する。
 事故を起こした福島原発は、当初三五メートルの高台に予定。ポンプで水をくみ上げるのは困難(カネがかかる)、それで一〇メートルまで掘り下げ、事故にあった。事故が起こっている今まで、人災であるのないのという有様。国会事故調は「起こるべくして起きた人災」となった。
 どこの原発も地元の労働組合や自治体、漁協、農協、市民団体などの反対があった。そこでは組合つぶし、地方自治つぶしが吹き荒れた。福島県では一〇万人近い人々が、いまだに避難生活を送り、終りが見えない。電源三法交付金、つまり原発マネーで買収された負い目が残った。

企業城下町の拡大


労働者が企業の思い通りに働くようにする方法は、そんなに特異ではない。あれこれ考えるより、現実の工場、ここではトヨタの企業を見よう。
「トヨタ企業集団は本格的成長の初期、周辺農村を主に労働力供給地として捉えた。それも不安定雇用をつぎつぎと外延部から引き出す形態での捉え方であった。中期においてはこれに加え分工場、下請工場が農村部に進出、残された労働力を吸収し、こうして周辺農村に広く深く根を下ろした重層的な工場展開、企業編成、労働市場が完成した。それは地域的には中核地域ほど大規模上層企業が多く、外延部ほど底辺の零細企業が多く立地する構造であった。そして底辺の下請ほど、地域的には外延部ほど女子、中高年者が多く雇用された」。
「トヨタ企業集団の重層構造がそのまま賃金の企業間格差として、したがって地域的な賃金格差として現出するのであった。その地域差は、一方では元請、下請企業間の格差構造を基礎にしており、他方では農村部に展開する軽工業や建設等の人夫、日雇、農林業が下支えする形をとっているために容易に崩れない、いわば構造化されたものとなっている」(『トヨタと地域社会』都丸泰助他、113頁)。
フォードの急拡大期とくらべ、「労働者たちの等質性、その教育水準、さらに、テレビその他による情報の全国化といった条件のもとで、その管理もまたいっそう効率的に行なわれた。トヨタ自工が、三河農民の純朴さに依拠して、質の高い仕事を達成してきたというその信条にもとづいて、家族・郷里との連携を重視しつつ、家父長的な監督を独身の労働者に加えたということがあり、他方、トヨタ生産方式が、ラインの流れに留まらず、多数の下請工場の生産、地域の交通網、さらに労働者の生活時間までを含む徹底的な周期化を必要とし、それに支えられて高蓄積が可能となったという経過がある。結果として、自工労働者とその家族を中心に地域における生活管理の体系が、フォードの前例よりもはるかに巧みに、かつ生活の全面を覆って成立し、それはさらに、豊田市の行政、財政を通じて、地域の生活を包括的に自工の独占的な支配下に置くという現状を生み出した」(同前、192頁)。
労働者が包括的に企業の管理下に置かれ、自分の意思で生活を設計し、趣味、娯楽、特技を持つゆとりが持てない。寝ても覚めても会社がついてまわる。別の著書にかわってスケッチしてもらい、確認してみよう。
「トヨタの巨大な工場は、旧挙母(ころも)市街の西方から南方にかけ、スプロール状に点在する。社宅、アパート、公営あるいは民営団地などの住宅は、工場のあいだに混在する。そしてさらに、旧市街の北方や東方にも無秩序にのびている。豊田市と隣接の三好町に、トヨタの八工場が集中し、四万五〇〇〇人近い従業員が働く。彼らは二交代あるいは三交代制勤務で、昼夜をわがたず、マイカーで住居と工場を往復する。市内にバス路線はあっても本数が少ないうえ、すべての工場をつないでもいない。かりにそうだとしても、深夜や早朝の出退勤には役にたたない。けっきょく、マイカー通勤を強いられる。トヨタの工場の周辺にはおよそ二万台の駐車設備がある。会社は通勤用のガソリンをくれる。ただし、トヨタ車以外の車にのるものには、この恩典があたえられない。実際問題としては、日産や三菱の車で会社にいけば、狂人あつかいされることだろう」。
「トヨタマンはおろか、豊田市民全体にトヨタ意識がある。市役所職員のSを取材したときだが、勤務がおわってから『自宅でゆっくり話しましょう』ということになった。市役所の玄関で待ちあわせ、駐車場へいった。『ここでこの車にのるには勇気がいりますよ』といいつつ、Sはホンダのシビックのドアをあけてくれた」(『TOYOTA、オーアニマル』平澤正夫、164〜5頁)。
こうなると何をかいわんや、生活のすみずみまで会社がついてまわる。下請企業は親企業の指示が絶対で、御無理御もっとも、徳川のどんな悪代官よりも親企業がこわい、と噂された。
決まった部品を、決まった値段で、決まった期日までに、決まった数量をそろえさせられる、という。念のため下請は数次にわたり、家族請が底辺。管理、いじめの分泌が気になる。
全国に企業城下町と言われる所は少なくないが、ここでは町が工場の敷地とかわらない。人間の息づかい、活気、都市には自由の風が吹く、ヨーロッパに都市が勃興した頃、そう言われたが、そんな雰囲気はどこにもない。

平均寿命は63歳

 柔道できたえた頑強な身体の持ち主が、かんばん方式の呵責ない労働で、見る影もなく変りはてた。ストレス、不安の悪戦苦闘、ひたすら心身を破壊した。そこで会社側が行った退職者の追跡調査を見よう。
「その結果、自工の労働者の平均寿命は六三歳であることがわかった。日本人男子の平均より一〇歳も短い。長年にわたるきびしい労働で、体がむしばまれているからであろう。トヨタは六〇歳定年制をとっている。ただし、五五歳で退職金が支払われ、そのあとは役職をはずされ、昇給はベースアップ分のみで、定昇はつかない。定年までつとめあげたあと、わずか三年であの世いきである。余生をたのしむどころか、会社に一生をささげ、すべての生血をしぼりとられるわけだ」。
「実際には、定年までつとめる人はきわめて例外的なケースになりつつある。ほとんどの人がいつかない。理由はいろいろ考えられる。『トヨタ自工労働者戦線』のPがいう」。
「『自由がないからですよ。とにかく定着率がわるい。新規採用者は半年で半分、一年で三分の一になる。中途採用者でも、一〇年もいるのは一〇〇人中三人ぐらいです。家から会社へ、会社から寮へ、一週間おきの夜勤でしょう。クタクタになります。豊田には一時ボーリング場が六つか七つあったが、一つしかのこっていない。そんなものやってる余裕がない。自由時間といったって、テレビをみるか、酒のむか、早く寝てしまいます』」(同前、194〜5頁)。
各人が手足をのばし、生活を楽しむすきまがない、と言いたくなる。急拡大期の記述で少々古いとはいえ、会社の基本的な構造は変わらない。  (つづく)

コラム

極寒の那須旅行

 行きつけの理髪店店長の話を昨年、小欄で書いた(6月20日号「帰ってきた人々」)。薄くなった私の髪を切りながら、彼女は何度も家族旅行の話を聞かせてくれた。
 那須にある区の保養施設に夫と娘、孫を連れて車で出かける。周辺にはレジャー施設も多く、子どもたちも退屈しないという。
 町会の掲示板でオフシーズンの利用者を募集していた。「一度は行ってみたいね」――散歩の時の口癖だったが、実行する気配のない私に業を煮やし、連れ合いが先に休暇を申請した。
 仕方なく宿に電話をすると、あっけなく空室が取れた。往復の高速バスも一緒に申し込めるという。私も休暇届を出し正式に予約をすると、二日後には乗車券が郵送されてきた。
 新宿バスタを出発した高速バスに途中から乗った。乗客は五組しかいない。真っ青な空の下、はるか遠くに銀嶺を眺めながら、東北自動車道を快走した。那須ICで降りると、暖房が効いた車内でも冷気を感じた。見上げれば雪がちらついていた。
 「那須温泉」停留所まで乗ったのは、私たちと、もう一組の若いカップルだった。車体のすぐ後ろに小型車が停まり、若い女性が降りてきて名前を確認した。奇しくも同じ宿だった。四人は狭い車内で身を寄せながら、曲がりくねった急な下り坂を降りて行った。
 大手ホテルチェーンの現地施設の数室を、区が利用しているのだ。午後の日差しが庭の積雪に反射してまぶしい。古い和室で浴衣に着替え少し休むと、交代で風呂に出かけた。大浴場の泉質は、乳白色に濁る天然硫黄泉である。出た後は肌がツルツルしている。
 夕食は事前に「会席」「すき焼き」「しゃぶしゃぶ食べ放題」の三コースから選ぶ。私は生まれて初めてしゃぶしゃぶを食べた。牛肉と豚肉、野菜類、天ぷら、刺身、漬物。さらにデザートの甘味はバイキングである。そのボリュームに圧倒されながらも、二人で肉六皿を平らげた。
 チェックイン時には「区民だけの特典」として五つを提示された。私たちは「カラオケ一時間無料」にした。夫婦でカラオケに行くのは、今回が初めてだった。
翌朝は定番の焼魚、温泉卵、ご飯、味噌汁、納豆等の他に湯豆腐とデザート。それにサラダバイキングが付いた。フロアには読書スペースもあり、漫画や小説が自由に読める。一日二本のバス出発時間まで、ロビーで時間をつぶした。上りの高速に出ると再び青空が広がった。
 なにごとも期限ギリギリにならないと身体が動かない私。事前に綿密な計画を立てねば気が済まぬ連れ合い。だから衝突も絶えない。
 那須行きは中学時代の林間学校以来か。大満足の料理と温泉を堪能して交通費込み一人一万円強。「案ずるより産むが易し」を実感した、真冬の小旅行だった。     (隆)



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