松本耕三 全港湾委員長に聞く(中)
青年たちも闘いの歴史を共有
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コンテナの自動化
――ちょっと話は違いますが、「労働情報」に掲載した記事でTEUという用語が分からなかったのですが。
コンテナ作業の数量単位です。二〇フィートコンテナを一つ上げれば一TEU、四〇フィートコンテナ一つ上げれば二TEUとなります。コンテナの数え方はあくまでこの二〇フィートコンテナの個数換算、重さは無関係です。
――そこで言われるコンテナの自動化とはどういうものですか?
コンテナの積み卸しは今は人がクレーンを操作して作業していますが、それをコンピュータが自動的に上げ下ろしし、機械を運転する人がいらなくなります。
――そんなことができるのですか
できます。船からコンテナを荷揚げする、そして船に積み込む作業は、欧米諸国ではかなり自動化が進んでいます。アジアでも、シンガポールなど大規模港湾では自動化が実施されています。
世界では大規模な港湾で二四時間稼動の方向に進んでいます。船が着いたらそこからすべてが自動化で自動運搬車に積み込みます。コンテナの保管場所へ運ぶとテナーという地上クレーンで、そこへ行くと地上で吊り上げておいて、それもデータで、どこの荷物がどこの何段目にあるというのがコンピュータに入っているから、取りに来たらそれを取り出す。積む時もそうです。
この自動化は日本では名古屋の飛島港だけでなされています。クレーン操作では風とか揺れとかも考慮します。日本のオペレーターはトラックの運転手も含めてベテランがそれをこなしてきました。相当な熟練です。その意味で自動化が日本の港で果たして効率的になるかは疑問のところがあります。
「労働情報」ではオーストラリアは苦労していると書いてあったでしょう。しかしアメリカは気にしていなかった。アメリカでは、一九九一年に交流したときのことですが、サンフランシスコで一〇〇人募集したら三万人が応募するというのです。アメリカでは雇用あっせんが労働組合管理、自主管理ですから、その募集に学者から、医者から弁護士からみんな来るのです。ものすごくインテリが多い。そこで合理化するとコンピュータ関連業務がたくさんできるからそこに組合員を配置でき、まったく問題が起きない。だから自動化で一〇%ぐらいしか人が減らないと言っています。ここは強い。ただそういうのは日本では、オーストラリアと同じようにうまくいかない。結局、現場労働者が嫌がって反合理化にならざるを得ないのではないかと思います。
米国港湾労働者の闘い
――その差は何ですか。
つまり企業が雇った人の組合と、ハイヤリングホール(労働組合による雇用あっせん)と言うんですが、労働組合がすべてを、港自体を支配しているということの差ではないでしょうか。しかし、ハイヤリングホールというのは世界的にイギリスでも負けて、ニュージーランドでも潰されてきました。しかしアメリカではまだ生きていて強い。
歴史も感じます。港湾労組が募集して、普通医者や弁護士がきますか。それだけアメリカでは、医者や弁護士や教育労働者があぶれているという結果でもあると思いますが。ただILWU(国際港湾労働組合、米東海岸の労組)が、一九三〇年代の高揚期に反合闘争をめぐって東西に分裂して形成された経過からか、中にコミュニストがたくさんいたという感じを今も受けることがあります。いまILWUは門戸をものすごく開いています。エコロジストや市民運動の活動家をスタッフとしてずい分雇っており、あれはすばらしい。
――ところで港というのは、コンテナを中心にしてそれを自動化してゆくというシステムになっているのですか? 日本の場合コンテナ埠頭になっているように見えます。
確かにコンテナに特化しています。それ以外は石炭とかバラモノ、そういう形で機械化されています。日本ではどの程度自動化されるのかは分からないところがあります。やはり効率とコストが問題になります。自動化にかかる経費はものすごいですから。欧米やアジアの大規模港湾とかと比べれば日本は港自体が小さい。そして日本ではオペレーターの熟練度がすごく高い。日本の港湾では、港が小さく、自動化はコストに合わないともいわれています。人を使った方が効率がいいのです。だから自動化の程度というのは分かりません。その分、雇用とかをきっちり守る闘いをやっていく根拠はあるのでは、と思っています。
ただIoTなどIT化がどの程度世の中に広がるかは分かりません。ウィンドーズが九〇年代に出てから一〇年にもならないうちに、あっという間に広がったわけですから。この後すべてのモノがネットでつながって全部が遠隔でできるという時代になってゆく時に、コンテナもどうなるのか、注視が必要だと思います。
――今海運関係の再編が全面化しています。日本だけではなく、逆に日本は遅れているなどとも報道されていますが、どう受け止めていますか?
確かに船会社が合従連衡して、ついたり離れたりしています。今船舶は大型化すると同時に小分けする時代です。ハブ港でまとめて、そこからまた運ぶ。ハブ港が釜山とか上海に移ってしまっています。やはり、国内生産がないところにハブ港はできないと思います。だから港の競争に勝つことを考えるよりも、少なくとも経済に見合った、身の丈にあった港の運営をしていくことを言っていくべきだと思います。
効率化だけで船会社が再編していくといってもうまくいかないと思います。やはり、最終的にはコストはなければならないし、コストがあるから消費もあるのであって、コスト削減だけでいくという、今のグローバル時代の論理は行き詰まります。ただ私たちがそれを望んでも、省力化、コストで圧力がかかるから、そのために労働組合が力を持たなければなりません。
沖縄から学ぶ意義
――この間の諸運動への組合員の動員ですが、若い部分の参加では全港湾が一番目立つように見えます。その基盤はどういうものですか。
これは先輩の頃から青年労働者の教育、組織化を意識的にやってきたということです。だから一九九〇年代から沖縄の平和行進に青年労働者を行かせました。行くことによって、一〇〇回オルグするより、行って四、五日歩いた方がよっぽどまともになります。それと全国で青年部結成を、九〇年代から二〇〇〇年代にかけてずっとやっていて、いま九つの全地方のうちほとんどに青年部ができています。それが地方の青年部として新しい労働者をきっちり教育する。あとは課題別で、たとえば福島の原発事後の後、福島連帯キャラバンなどは徹底して青年労働者を軸にやっています。ただこれはチャレンジしたばかりでまだまだ不十分だと思っています。
一番成果が上がっているのは沖縄の平和行進です。やはりこれは沖縄に行けるというのがあるし、沖縄戦を勉強するということと、米軍の実態を見るということを三日間通して、学習会は一日だけ。あとは結団式があってその他は自由。あまりキチキチやらないのがいいのではないですか。
――全港湾の歴史を少し確認してみたら、ずっと、全軍労の時代を含めて沖縄に関わっていますね。まったく知りませんでしたが、沖縄の戦後の闘争が始まって、復帰協ができて、色々な労組が生まれて、その同じ時期から港湾に対して、軍で働いている人にもすごい働きかけをしていますね。
そういう意味で先輩はすごかったと思います。九〇年代中執になってすぐ、米軍の荷役から排除される攻撃に抗議闘争をやっていました。何でだと思いましたが、米軍の前でテントを張って抗議闘争をやっていたのです。最後は防衛局が間に入って何らかの解決策があった。だから沖縄とのつながりは、先輩たちのすばらしい活動によっています。今は、沖縄から、ウチナンチュから三役が出ているというのは全港湾の誇りでもあります。われわれは、先輩が作り上げたそういう歴史に乗っかっている、という感じがしないわけではないですが。(つづく)
福島からの報告
「復興」名目に「帰還」強要
住民を切り捨て東電救済
新たな難問が
次々に発生
東京オリンピック開催費の負担が問題となっている。
当初オリンピック開催費は東京都・組織委員会・国の全額負担となっていたが開催費の巨大化を背景に競技開催自治体の一部負担が俎上に載せられてきたからだ。しかし東京オリンピック開催に関わるウソは今に始まったことではない。もともと東京オリンピックは、安倍首相が福島原発事故は収束したとウソを吐き招致したものだからだ。汚染水問題はその一部分でしかない。加速度的に深刻さは増しているのが現状なのである。
他方、立地町を始めとする双葉郡は、原発事故処理技術開発の実験場として再編が進行している。その実態は低線量被曝の切り捨てと生活破壊を内実とする原発事故被害者の分断と棄民であり、そこでは原発関連企業が事故により暴利を貪り焼け太っている。
これら一切が原発事故の責任の所在を曖昧にしたままに進行しており、原因も未だに不明確なままになっている。そのような中で「福島原発告訴団」が勝ち取った清水元社長等東京電力幹部の起訴により福島原発裁判が開始されようとしている。
汚染水対策は福島第一原発の廃炉処理=原発用地更地化=の前提である。しかしその切り札とされていた凍土壁は撤回されてしまった。
燃料デブリの取り出しにいたっては、廃炉工程では二〇二一年末開始とされているが未だにその姿を捉えるにいたっていない。また、倒壊の危険があるが線量が高く、近づくことさえ不可能な排気塔(事故の時第一原発1号、3号基で実行したベントにより炉内ガスがこの塔を経由して放出されたため汚染することとなった)の存在。その他溢れ出る膨大な量の放射性廃棄物。貯まり続ける汚染水、使用済みフィルター(汚染水浄化に使用したフィルターは放射性物質を分離する技術がないため全量を貯蔵)等発災以降五年が過ぎ新たな難問が続々と発生しているのが現状なのである。
原発事故処理
の「実験場」へ
こうした事故収束さえままならず、廃炉(更地化)等まったく展望不可能な現実をよそに、復興に向けた政策が進行している。
その一つとして双葉郡の避難指示区域の再編問題がある。楢葉町井出川河口で超高線量物質が発見される等、立地町は除染終了地域であっても被曝の危険性が存在している。しかし政府は三月三一日富岡町の避難指示の解除方針を固めた(福島民報)。解除されるのは避難指示解除準備区域だけではない。富岡町の居住制限区域の避難指示も解除しようとしているのだ。
各地域の人口は昨年七月現在で居住制限区域八三四一人、避難指示解除準備区域一三八一人、帰還困難区域四〇四七人(1/9福島民報)となっている。この措置により富岡町町民の六割を超える居住制限区域町民をも帰還させることになるのだ。
経済産業省のホームページでは、原発震災により発生した避難指示に関わる各地域をそれぞれ、避難指示解除準備区域=二〇ミリシーベルトを越えない地域、居住制限区域=二〇ミリシーベルトを超える恐れがある地域、帰宅困難区域=五〇ミリを超える恐れがあると地域と規定している。
六割を超える町民を二〇ミリはおろか五〇ミリまで被曝させようとしているのだ。帰還した住民が罹患する恐れが存在する放射線障害については何らの補償も存在していない。それは収束作業現場作業員が一〇〇ミリ以上浴びて白血病を発病し厚生労働省が労災認定しても被曝との因果関係を不明とする評価をしていることが示している。
しかし帰還決定から三年が経過した楢葉町の帰還率は今年一月時点で五分の一に満たない(一五・四%)帰還しない住民は自主避難住民とさせられようとしている。政府・県がなそうとしている住宅無償提供打ち切りにより住居を奪われる危機に瀕する現在の自主避難者は、明日の避難指示区域の住民の姿を表しているのだ。圧倒的多数が帰還しないと予想される住民の存在と無関係に、国・県はイノベーション構想(福島国際産業都市構想)を策定し、双葉郡各町の再編は進行している。
すでに楢葉町には遠隔技術センター(モックアップセンター)が建設され大熊町には分析・研究センター(燃料デブリの現状把握・処理技術開発)等、富岡町、浪江町、南相馬市等双葉郡各市町村に災害対応ロボット実証試験や国際共同研究センターの建設が予定されている。
これらを背景に大熊町大河原地区には豪華な東京電力社員寮が林立し、続々と廃炉作業員の宿舎が建てられ、ホテル、スーパー、病院等社会的インフラの数々が整備されつつある。福島のチベットと呼ばれていた双葉郡の困窮を利用し原発を押し付けた国・県が、今度はその原発が起こした苛酷事故により発生した廃村の危機を奇貨とし、双葉郡を、原発の苛酷事故収束技術開発の実験場にしようとしているのが、進行している双葉郡再編の正体なのである。
原発震災にどう
向き合うのか?
自主避難者の困窮や放射能被曝による健康被害に怯える人々をよそに、いわき市の一部経済界には原発事故バブル経済とも揶揄される活況が存在している。それは膨れ上がり続ける事故処理費用(総額一一兆円の試算が昨年末二一兆五千億余と経済産業省が資産結果を発表)が背景となっている。
国が実施することとなった除染事業は戦後最大の規模に膨れあがりその一部が土木事業に流れ込んでいるためだ。そして除染費用を「廃炉・賠償支援機構」が一時肩代わりする等の救済策により、東京電力は二〇一一年一七三二億の赤字を脱し二〇一四年には四三八六億の黒字に転化した。東京電力は焼け太りしているのだ。
他方、二〇一一年三月に発生した原発の苛酷事故以降、事故収束や除染労働に多くの労働者が駆り出され、元来いわき市に事故以前から原発で働く労働者が存在する等、原発関連企業が存在していたが、その層は膨大にふくれ上がった。介護や保育などの低賃金労働者も失業者と共に流入し、こうした事業の人材不足に拍車を掛けることとなった。
原発震災から「東日本大震災からの復興基本方針」が定める復興期間一〇年の内、集中復興期間の五年は既に経過し、六年になろうとしている。
特別除染区域(国が除染を実施する区域)中の除染作業実施区域の中心は帰還困難区域に移動して来ている。規模縮小化傾向にある除染事業が失業者を吸収する能力を失うのは明らかになっている。
双葉郡から流入した避難民は、雇用の創出、介護、保育、など震災により垂れ流された―今も続いている―放射能など、問題は相互に絡み合い複雑化している。福島原発震災といかに向き合うか、復興についてどう考えるのか。現状が示しているのは、立ち向かう勢力がシングルイッシューから脱却する必要性なのだろう。 (浜西) |