メキシコ
ペニャ出ていけ!”
ガソリン、電気料金値上げに対決
ダン・ラ・ボッツ
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次期大統領選
を揺るがすデモ
政府がガソリン価格を一四%から二〇%、電気料金を四・五%引き上げたことを受け、先週、メキシコ全州で何万人もが、エンリケ・ペニャ・ニエト大統領の政権に反対して抗議行動に合流した。
この抗議行動はこれまでのところ、教育改革をめぐる前回の教員ストライキ、あるいはアヨツィナパ師範学校学生四三人の当局が関与した行方不明に抗議する諸々のデモと、規模や規律の点で同じほど十分には組織されていない。しかし、ガソリナゾ反対のデモは広がりの点で全国的であり、社会の幅広い層を巻き込んでいる。
このデモはほとんど確実に、二〇一八年の大統領選に巨大な影響を及ぼすだろう。この選挙では、ペニャ・ニエトが支配する制度的革命党(PRI)が、深刻な敗北を喫することが運命づけられているように見え、世論調査では、国家再生党(MORENA)のポピュリスト候補者、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールがリードを保っている。急進勢力の民族解放サパティスタ軍(EZLN)は、それが宣伝を主としたキャンペーンなのか、それとも真剣な選挙の取り組みなのかが未だはっきりしていないとはいえ、大統領として、一人の先住民女性候補者に声をかけてきた(本紙二四四八号参照)。
人権侵害の恐れ
軍と警察が弾圧
メキシコ中で「ペニャ、出ていけ!」と叫ぶ抗議行動参加者――トラック運転手、タクシー運転手、また中でも目立つ公的医療労働者――が、PEMEXガソリンスタンドや他の企業施設を襲い、高速道路を封鎖し、料金所を解放し、ショッピングセンターを占領、さまざまな都市にある一〇〇〇以上の店から何百万ドルにもあたる商品を略奪した。
警察と兵士がこの抗議行動と略奪行為を弾圧するために動員されてきた。そしてその結果として数百人が逮捕され、多くの負傷者と数人の死者が出た。連邦、州、多くの地域の地方警察、そして軍は、人権侵害として繰り返し非難を受けてきたが、メキシコでの逮捕は一般的に殴打や拷問を伴っているからだ。警察が拘留するこれらの人々はまた時として、その声を再び聞くことができないまま行方不明になる。
政府に全野党、
多様な層が反対
全野党――保守派の国民行動党(PAN)、中道左派政党の民主革命党(PD)そしてポピュリストの国家再生党運動(MORENA)――は、値上げの差し戻しを大統領に訴えた。彼らはまた、あれやこれやの程度で、市民の抗議を支持することも明らかにした。
この野党には、メキシコカトリック司祭会議(CEM)と政府が支配する諸労組が合流するまでになった。この後者もまた反対に立ち上がった。全国の医師連合体であるエル・バルゾン、農民組織であるプラン・デ・アヤラ共闘委員会もまた、値上げ反対で登場した。最南部のチアパス州における大きな先住民運動、EZLNは、ガソリナゾを「破局」と呼んだ。
小さな極左諸政党――トロツキスト、スターリニスト、毛沢東主義者――は、値上げに反対し抗議行動を支持してきただけではなく、彼らの影響範囲は非常に大きいとは言えないとしても、さまざまな種類の行動への呼びかけをも発してきた。
何人かの市民は、今回の措置が人民の暮らしを悪化させるがゆえに憲法違反だと主張し、メキシコ最高裁に対する値上げ停止請願に取りかかった。貧困の下に暮らすメキシコ人が五二%にのぼる中、政府による価格引き上げは何百万人をも、もっと悲惨にする怖れがある。しかし不安定な中間階級もまた、こうした政策から悪影響を受けるのだ。
与党と大統領が
値上げ撤回拒否
エンリケ・ペニャ大統領は、石油価格引き上げを防衛するためにニューヨークでの演説を利用し、値上げがなされなかったとすれば、貧しい者たち向けの社会諸計画、たとえば医院のような医療計画に対する予算を切り詰めることが必要になったと思われる、と力説した。彼の党のPRIとその連携相手である緑の党、そして教員組合の「ニュー・パーティー」は、この価格引き上げを検討するための特別議会審議開催という野党の要求を拒絶した。
フェリペ・カルデロン前大統領――二〇万人以上のメキシコ人の命を犠牲にし、五万人もの誘拐を作り出し、メキシコを通過する中米の人々およそ八万人を殺害した麻薬戦争を始めたことで信用を失った――は、この価格引き上げ(彼もまた取り組んだことのある手立て)を防衛しなかった。しかし彼は抗議活動を、「アナーキスト、浮浪者、下品な犯罪者」によるものとした。
新たな左翼創出
の可能性に期待
これらの抗議行動が一つの集中された組織をもつならば、それらは早速にも全国的な反乱になると思われる。しかしメキシコには今、指導部を提供する用意がある政党、あるいは労働運動が一つもない。PRDはずっと前に、PRIやPANと同類の腐敗した資本家政党になった。
MORENAのロペス・オブラドールは、ここに来てさらに右へと方向を変えてきたが、教育改革に反対した教員の抗議行動に対しやろうと試みたように、またアヨツィナパの学生の行方不明に対する広範なデモで試みたように、自身を抗議行動の指導者として誇示するかもしれない。しかしそうであっても彼は、運動を抑制しようとし、彼の大統領キャンペーンへ、その向きを変えようと試みるだろう。
EZLNは、破局としてガソリナゾ糾弾に加わったとはいえ、過去には、セクト的姿勢をとり、諸政党や他の社会運動の両方と、あるいは左翼組織と――自分自身と関係を持つ場合を除き――連携することを全般的に拒否してきた。
この最新の動乱はおそらく、その運動を表現し、それを導く権威をもった、長く待たれた左翼の政治組織を生み出す可能性がある。われわれは今後を注目するだろう。(「ニュー・ポリティクス」二〇一七年一月六日より)
▼筆者は「民主的組合をめざすティムスター」(TDU)の創立メンバー。「ニュー・ポリティクス」の共同編集者、また「メキシコ労働ニュース・分析」の編集者でもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一月号)
ドイツ
国際主義社会主義組織(ISO)創立
支部の分裂に終止符
左翼諸勢力に一つの刺激
国際主義社会主義者左翼(ISL)と革命的社会主義者同盟(RSB)が合同を果たした。
RSBとISLは、二〇一六年一二月三、四日フランクフルトで、国際主義社会主義組織(ISO)形成のために統一した。この組織は、ドイツにおける第四インターナショナルの統一支部となる。これ以前には、各々別々の組織活動が長期にあり(一九九四年のRSB創立と二〇〇一年のISL創立以後)、共同の綱領、新組織の規約と輪郭、そして現在の政治的全体関係および国際主義社会主義者の組織並びに革命的マルクス主義組織のもっとも急を要する任務の分析に向かう、およそ三年の歩みがあった。
一日目にはおよそ七〇人のメンバーと内外からの来賓が出席し、諸々の論争に参加した。鮮明となったことは、新鮮なスタートをつくり出し、新たな諸問題に立ち向かう、という両組織メンバーの集団的確信と意志だった。招かれた来賓の何人かは、この大会の場で、新組織への合流という望みを表明した。
分裂の年月を通じた主な違いは、組織的文化と他の左翼諸組織に対する働きかけという点にあった。これらの違いはまだ完全に消えたわけではないとしても、この融合の歩みを通じて、はっきりした友好回復と、統一のための安定した基盤に向けた合意がつくられた。ISOの中には、観点や取り組み方に関する将来のあらゆる違いを尊重し、それらを生産的なものにする、という切望がある。
新組織のメンバーたちはまた、左翼党内での活動も継続することになる。加えてこの合同の結果としてISOは、社会主義者ニュース(ディー・ソツィアリスティッシェ・ツァイトゥング―SoZ)の発行を独立した機関として、またウェブサイトと機関誌の発展をも支えることになる。さらに、宣伝と批判的かつ社会主義的教育活動も引き受けられるだろう。われわれの(確実に強化された)諸活動に対する強調点は、産業、諸労組、および諸運動内部における実践的作業に置かれ続けるだろう。
多くの国で諸労組と政治的、社会的左翼の諸勢力が守勢にあり、政治的右翼と極右が上り調子にある時代において、それらの強さがささやかなものだとはいえ、活動的な左翼勢力の統一は、一つの良い信号であり、おそらくは、左翼の他の諸勢力に一つの刺激を与えることになる合図だ。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一二月号)
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