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    かけはし2017.年1月23日号

暴力、嫌悪、反生命、反労働


パク・クネの4年―責任者の処罰必至

正当性の不在を公安統治で埋めようとした政権


 2016年末、大韓民国の街頭にはキャロルではなく下野の歌が流れる。街頭や広場はパク・クネ退陣と民主主義を叫ぶ声で満ち満ち、かつてないほどの躍動感があふれる。ほぼ毎日、広場には数百人の人々が集まり、毎週末には百万人を超える人々が行進する。単に大統領が、私人であるチェ・スンシルと共に国政をぐちゃぐちゃにして不正腐敗がひどかったというメディアの報道のせいで集まったわけではない。この4年間、パク・クネ政府が抑圧した暮らしや人権はく奪が人々の間に積もりに積もって作り出された局面だ。そのような市民たちの怒りが12月9日、国会での弾劾訴追案の可決を導き出した。
それならば2013年2月の大統領の就任以降の4年間、我々の人権はどこにあったのか。パク・クネとチェ・スンシル、与党セヌリ党や財閥一党らが腹を肥やしつつ「彼らだけの国家」を作っている間、人権は地中に埋められた。パク・クネ政府の統治のキーワードはパク・チョンヒ式の国家主義と保守の価値の復活だ。4年間ずうっと南北の緊張を誘導しながら国家の暴力を正当化し、公安機構による工作政治、大韓民国オボイ(父母)連合を押し立てた嫌悪の社会化、セウォル号の惨事で明らかなように貪欲な利潤追求のための規制緩和や反生命、反労働の政治を繰り広げた。このような統治は社会構成員の自由と安全、平和を侵害し、生存を脅かした。

従北煽りと露骨な国家暴力

 パク・クネ政府は国家情報院(国情院、旧KCIAの後身)による選挙介入によって当選した、政権の正当性を認められない政権だ。「存在しない正当性」を国情院や警察、検察などの暴力や公安統治によって埋めようとした。2013年8月、キム・キチュンが大統領秘書室長に任命された後、従北マッカーシズムは本格化する。彼はパク・チョンヒ政権の時に維新憲法草案の作成に参加し、国情院の前身である中央情報部で働いた。法務部長官だったノ・テウ政権の時にはカン・ギョンテ明知大生死亡事件が発生した。
統合進歩党の解散はイ・ミョンバク政府の時から拡大されていた「従北煽り」の決定版で、民主主義社会においては不可能なことだ。政治的結社の自由の実現体そのものの1つである政党を、実際的な内乱陰謀がなかったにもかかわらず、つまり民主的基本秩序に実質的に違背するいかなる具体的行動がなかったにもかかわらず、「隠された目的」を云々しつつ憲法裁判所は政党解散審判請求から1年にして党の解散を決定した。
これに対して2015年に国連「市民的・政治的権利に関する規約」(略称、自由権規約)委員会は、自由規約第22条に違反した人権侵害だと憂慮を表明した。政党解散は客観的で透明な規準によってなされなければならないが、そうでなかったからだ。最近のキム・ヨンハン元青瓦台民政首席の備忘録にあるように、憲法裁判所による解散決定はキム・キチュンの圧力が働いた政治弾圧だ。それ以降、市民社会や制度政治圏の内部において従北の烙印は避けなければならない危険となり、もはや合理的かつ自由な表現は不可能になった。従北の魔女狩りにひっかからないために野党は、我々は従北ではないとして憲法の価値を云々しつつ非常識的な決定に合流した。
2013年から4大悪の根絶と軽犯罪の処罰強化という旗じるしを掲げつつ規律を強化したが、これはセマウル(新しい村)運動風のパク・チョンヒ式国家主義の統治と似ている。国民の日常を規制し、市民の自由を縛りつけようとした。同時に警察人力の2万人増員5カ年計画によって警察力の増強を推進し、市民たちに思うがままの暴力を振るった。2013年上半期中ずっと警察はソウル中区の徳寿宮大漢門に設置されていた双龍自動車整理解雇労働者たちの焼香所を撤去し、追悼の場所を除去するために1人デモまで阻止しつつ、ありとあらゆる侮辱的行為をこととした。慶尚南道密陽の送電塔反対の住民らに対する警察の暴力は、その年の10月から2014年まで続けられた。暴力を主導したチェ・ソンヨン、イ・チョルソンらはそれぞれ総警(警視に相当)や警察庁長に昇進した。
何よりも国家暴力の生々しく露骨な行使は2015年末の民衆総決起の際、決定的な所にまで至った。故ペク・ナムギ農民を水大砲によって直射し重傷を負わせた。2016年、彼の死亡後には死因を歪曲し、遺体を強制解剖しようとした。誰であれ、自らの身体、生命、健康を脅かされてはならないという人権の基本は、デモ隊をイスラム国(IS)に引きよせた大統領の指示とカン・シンミン前警察庁長による合法云々の中で踏みにじられた。

嫌悪を拡大し少数者の人権後退

 「オボイ連合ゲート」で明らかになったように、オボイ連合を初めとする保守右翼嫌悪勢力は青瓦台や全国経済人連合会のカネをもらって、政府の政策を批判する勢力を従北だとして煽り立てた。従北煽りは特定の理念国家に対する嫌悪にまで格上げされ、これは性的少数者を初めとする他の少数者を排除嫌悪することへと連なった。特に一部の保守キリスト教会の合流によって、嫌悪は全社会に拡大された。
2013年2月、キム・ハンギル議員とチェ・ウォンシク議員(民主統合党)が発議した差別禁止法案は、これらの勢力の反対運動によって4月に撤回された。嫌悪勢力らは次の大権(大統領)候補の走者として浮上したパク・ウォンスン・ソウルを攻撃する根拠として「同性愛擁護者」だとして攻めたてた。これに振り回されたパク市長は2014年12月、性少数者の差別禁止が銘記されたソウル市民人権憲章を廃棄した。パク・クネ政府の反人権政策に同調した人々は単にセヌリ党にとどまってはいないことを示すものだ。嫌悪は共同体を引き裂き、人権の価値を覆い隠すものであるにもかかわらず、票欲しさに動揺する政治家たちはパク・クネの嫌悪政治に迎合した。
だが2016年初めのオボイ連合ゲートで明らかにされたように、嫌悪はパク・クネ統治の主要な手段だった。嫌悪拡大や従北煽りなどの工作政治は、すべて民意を歪曲し、偽りの世論を作り、公論の場を歪曲する。その結果、表現の自由は萎縮し民主主義は後退する。
多くの人々が、パク・クネ政府の国政課題に差別禁止法案が含まれただけに、差別禁止法案に対する最小限の意志があるだろうと考えたけれども、それは錯覚だった。パク・クネが国政の課題として掲げた障害等級制の廃止は今なお実現されてはおらず、障害人権活動家たちは1千日余りもソウル光化門駅の地下で籠城しているではないか。2015年8月、女性家族省は大田市が7月1日から施行した「大田広域市性の平等基本条例」に性少数者の保護および支援の規定が上位法である「両性平等基本法」の立法趣意に外れるとして、改正せよと発表した。性少数者の女性は対象ではないというのかのように差別を助長した。性の平等をあえて両性の平等と銘記しつつ、トランスジェンダーやインターセックスのような多様な性別のアイデンティティを否認した。
このような少数者差別は政府の保守という価値の中に拡散し、嫌悪勢力の活動はどんな社会的制裁も受けてはいない。これを見て社会的学習をした一部の人々は自分よりもより低い、また貧しい人を嫌悪することによって、不平等な社会構造が生んだ不安感を解消した。嫌悪が拡大され性少数者、障害人、移住民(外国人労働者を指す)、女性など社会的少数者の人権は縮小された。

セウォル号問題や反労働政治

 全国民が虐殺の場面を見守らなければならなかったセウォル号の惨事は総体的な人権侵害であり、パク・クネが退かなければならない重要な理由だ。憲法には災難状況に直面した人を救助しなければならない義務が国家にあるとしているが、国家はただの1人も救ってはいない。生命や安全に対する権利は奪われた。憲政の蹂躙は既に2014年4月のセウォル号の際に最も克明に現れていたわけだ。退船命令を行い救助活動を行っていたならば10分程度ですべてが生き残れたであろう状況にあって、なぜそうできなかったのか。真相を糾明し責任者を処罰しなければならないという国民的熱望の中で2014年11月に「4・16セウォル号惨事真相糾明および安全社会建設などのための特別法」が制定された。独立性の棄損と予算の縮小などによって「4・16セウォル号惨事特別調査委員会」(特調委)の活動を妨害していた政府は、挙句のはてに2016年に特調委を強制終了した。こればかりではなく、惨事の初期から「オンマ(母ちゃん)部隊」などを押し立てて、セウォル号の遺族らに「遊びに行って死んだのに、なんで断食抗議などするのか。補償金狙いか」として被害者たちを侮辱した。
セウォル号惨事以降「利潤よりも安全」という市民社会の声が高まったけれども、政府は依然として規制緩和を行った。危険を外注化するという非正規職の拡大によって数多くの人々の生命を危険にさらした。メルス(MERS・中東呼吸器症候群)を拡散させたサムスン医療院の責任は謝罪のひとことで終わった。2014年末から非正規職を拡大する労働法改悪案をあくまでやめなかった理由は単にミル財団やKスポーツ財団からカネをもらったからだけではない。
ソウル九宜駅のスクリーンドア事故で明らかになったように、労働者が死んでもまゆ1つ動かさない反労働の政治は、親財閥政治のもう1つの呼称だ。墜落し、はさまれて、爆発によって死を迎えている非正規労働者の産業災害(労災)死亡のニュースは連日、終りを知らない。サムスンやLGの下請け企業がカネを惜しんで使ったメタノールで20代の若い労働者が失明しても財閥は何の処分も受けていない。このような現実にあって、国際人権機構の勧告にもどこ吹く風、全国教職員労働組合の法外労組化やハン・サンギュン民主労総委員長を拘束できた。ユーソン企業やカブルオートテックなどの労組弾圧は難しいことではない。現実において消えた憲法上の労働3権は、市民たちの生存を脅かした。
社会構成員の生存を脅かしても政権が生き残ることができたのは、国家安保を押したてた戦争政治のおかげだ。「統一」について政府は4年間ずっと対決的南北関係や東北アジアの平和を脅かす韓米日軍事同盟の強化で一貫した。開城工団を閉鎖し、韓日間の慰安婦問題の合意やサード(THAAD、高高度ミサイル制御)配置を強行した。これに力を得て極右保守団体が北韓(北朝鮮)に風船を飛ばして緊張を高め、北韓はミサイルを発射するなどして平和への流れを削いだ。そのせいで全国民を監視し、国情院の権限を強化するテロ防止法が制定され得た。

「戦争政治」に脅かされた平和権

 今や反民主のアイコンとなったパク・クネ政府が幕を下ろしている。人権を侵害した者たちを処罰することなしには類似の人権侵害の発生を阻むことができないがゆえに、国際人権社会は「不処罰の根絶」という人権の原則を強調した。パク・クネが退陣したとしてもカン・ソンミン、キム・キチュンのように国家の暴力をしでかした人々を処罰し、人的清算を行わなければならない理由だ。
またパク・クネ政府は反人権政治が可能になるようにした、嫌悪に揺さぶられ動揺した「共に民主党」を初めとする野党は厳しく反省し変わらなければならない。そうしてこそ、嫌悪勢力の顔色をうかがいながら引き延ばしてきた差別禁止法をキチンと制定し、セウォル号惨事のような重大災難をひき起こした企業や高位公務員を処罰する重大災害企業処罰法を制定することができる。雨が降ろうが晴れていようが広場でキャンドルを高く掲げた市民らが望んでいるのは平等や自由、生命や平和という人権の価値を高く掲げた政治であり、党名だけを変えた政権交代ではない。(「ハンギョレ21」第1142号、16年12月26日付、ミョンスク人権運動サランバン常任活動家)



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