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    かけはし2017.年1月23日号

改めて左翼の突き出しを


リオデジャネイロ市長選大善戦の教訓(下)

最も貧しい層の要求と結びつく活動基礎に

マルセロ・フレイショ


進行中のジェノサイドとの対決

――ブラジル左翼は、宮廷クーデター、ディルマの敗北、そしてテルマ政府の後、一つの危機状態にある。そしてテルマ政府は、経済的かつ社会的観点から見れば早速極めて攻撃的になり始めた。しかしこの政府は議会に一つの多数派を確保し、こうして彼らが欲することすべてを実際に決めることができる。あなたは今後の二年を、そして左翼の転換における新たな左翼の極形成に向けた、リオデジャネイロにおける今回のキャンペーンの重要性をどう見ていますか?

 ブラジルにおけるこの右翼のサイクルは多かれ少なかれ避けられなかった。われわれは前から始まっていた右翼の台頭を見ることになる。これは、ブラジルの民主主義に対する極めて厳しい、極めて暴力的な打撃、少なくとも中期的に自らを構造化しようと挑む一つの反乱となっている。彼らはこれに合わせて今、特に公的医療や次の二〇年に向けた教育に対する、あらゆる投資を凍結する、PEC〔憲法改訂:原注〕を採択しようと挑んでいる。それは極めて強硬なクーデターだ。
それは財政危機に立ち向かう一つの方法だが、もっとも必要とされる分野への支出を削減することによるものであり、これは左翼を、街頭に現れるよう、公共的な場で組織するよう、一定の形で導くことになった。そして私はそれはよいことだと考えるが、しかしこれは、今後の年月における連邦政府の路線が景気抑圧の路線となることを示し、これは、労働者階級にとっては諸権利の相当な引き下げの路線となるだろう。私は、諸権利には今異義を突き付けられつつあり、その勘定書の支払いはわれわれに回される、ということを少しも疑っていない。
今日、危機のあらゆる現れがPTの統治のせいにされているがゆえに、左翼の腐食が、PTの非常に高度な腐食がある。その責任押しつけはメディアが行っていること、PMDB自ら行っていることだが、一定の時間のあとにはこれも効力がなくなり、今からはこの勘定書も、PMDBに出され、テメル政権へと達することになるだろう。
今も残っている大きな問題は次のことだ。つまり左翼は今何をするつもりか、自らをどう再確立するのか、どうそれを再組織するか、だ。二年後左翼が戻り、今と同じ過ちに基づき同じやり方で自身を表現するならば、これは何の進歩にもならないからだ。
基盤における活動、もっとも貧しい層の要求と関係を結ぶ活動が基礎となる。私は、左翼側の論争を諸々の人権に関する論争(欧州にあるものとは異なる)に関係づけるために、リオデジャネイロでわれわれがこれまで行ってきたことを極めて力を込めて強調する。人権に関するここでの論争は、都市の限定そのものに関する論争なのだ。諸々の都市は、欧州内の都市を含んで、外からやって来るものから自らを守るために壁をつくることによって生み出される。今日ブラジルの諸都市は、内部の者から自身を守るために壁をつくり出している。それは都市というモデル内にある一つの矛盾だ。今日諸都市は、彼ら自身が生み出している貧困から自分自身を防護しているのだ。
ブラジル左翼はこのメッセージを聞かなければならない。それは、大資本と労働者の対立は非常に頻繁にもはや工場の扉のところでは見つけられず、ファベーラの入り口で、増大一方にある職の不安定さに見つけられ、自らを殺している貧しい若者と黒人の若者の中に見つけられる、ブラジルには進行中のジェノサイドがある、というメッセージだ。一つのスローガンがあり、左翼は、階級闘争のために左翼が再び存在しなければならない、ということを理解しなければならない。
私はしばしば次のことを語ってきた。つまり、抵抗することを超えて、左翼は再度存在しなければならないと。左翼は彼らのスローガンにおいて、話すよりも聞くことによって、内部的にもっと民主的であることによって、再組織しなければならない。わたしは、われわれはここリオで、それが可能であり、それが起きる寸前にある、ということを示したと考えている。

病的うねり前に左翼再建必須


――結論的にあなたは、原理主義の、宗教的諸理念の、政治における病的な高ぶりの、右翼的保守的心性の、攻撃的自由主義のこの出現、それとトランプの勝利の間に類似性を見ていますか?

 そうした比較を避けることは不可能であり、われわれはそれをここリオで見てきた。腕に自由の女神を抱え、「私は君たちを理解している」と語っているクリスト・レデントール(リオデジャネイロのコルコバードの丘に建てられた巨大なキリスト像:訳者)のたくさんの戯画があり、滑稽とは言えない、非常に悲しいある種のシナリオの真ん中で、数多くのジョークがある。私は、トランプはただ彼が語った恐ろしいものごとのおかげだけで選出された、とは信じない。しかし彼は、これらの恐怖にもかかわらず退けられなかった。私はこれについて考えることが重要だと考える。一つのジョークであったこと、笑うべきものであったことが現実になったのだ。
リオデジャネイロはクリベラを、トランプのようなジョークの種として扱ったことは一度もない。しかし彼は、非常な脅威をはらんだ何かであり、トランプと同じほどに危険だ。トランプ政権がどのようなものになるかを予測することは非常に難しい。同じように、クリベラ政府がどのようなものになるか、政府の、リオデジャネイロのような都市の政府の施策とユニヴァーザル・チャーチの関係がどうなるか、を予測することも非常に難しい。そしてそれはほとんど元気を高めるものではない。左翼は再組織が必要であり、急速に力を高めるために、その実践として再び存在しなければならない。
(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一二月号) 

米国

BLMはトランプに立ち向かう

権力の座からの暴力を許さない

われわれの防衛
前以上の必要性

 われわれに課された任務に変化はない。それは、あらゆる黒人の命が大事にされるまで、組織し、あらゆる国家公認の暴力を終わりにすることだ。
 今日真実であること――そしてこの地の征服以来真実であったこと――は、黒人と女性の民衆が力を打ちたてる時、白人民衆は腹を立てるようになる、ということだ。先週、そうした立腹が、一人の白人至上主義者を米国政府の最高位に選出するという形で、自らを明らかにした。
 BLM(黒人の命も大事だ)の組織化以後三年、われわれはもっと安全であることを求めてきた。最低限としてだ。われわれは反黒人的な国家暴力を終わりにするよう求めてきた。われわれは白人の人々に、彼らの愛する者たちが連帯の重要性を理解する助けをすることに向け、われわれのために、自分自身と民主主義のために登場することに向け、彼らの共同体を組織することを求めてきた。
 われわれは、今回の選挙にいたる月々、白人至上主義とある種の道化芝居の解体について白人の人々からの支援を求めてきた。ちなみにこの道化芝居は、黒人民衆と他の有色人民衆の諸権利を同時並行的に巻き戻しつつ、われわれはポストレイシズムの米国に生きている、とある者たちを説き伏せている。しかし白人至上主義が、レイシズムと性差別主義を軽視する今回の決定に力を加えたのであり、それは今回の選挙結果における深刻な変数となっている。
 たとえ全員が政治的に合意していなかったとしても、まったく最低限でも、われわれは集団的に人間性が認められていてしかるべきだった。われわれは、失望や怒り以上のものを感じている。われわれは裏切られたと感じている。
 ドナルド・トランプは、より多くの死、選挙権の剥奪、追放を約束した。われわれは彼がそうすることを疑わない。彼が権力の座から加えることになる暴力、また暴力を行使するよう他の者に彼が与える容認は、今まさに顔を出そうとしている。これを前にわれわれの任務は前と同じにとどまっている。われわれ自身とわれわれの共同体の防護だ。

共感の力高め
集団的解放へ


しかしわれわれは自らに問う。米国の白人有権者の半分以上が、白人至上主義者がこの国にとって最良であることを決定すべきであり、またそれができるということを信じている、それを知ったことと、未来の世代の繁栄を求めるわれわれのビジョンをどう調和させるべきかと。われわれは組織する。
われわれが知っていることがここにある。つまり、市民参加は民主主義に取り組む一つの方法であり、またわれわれの命は選挙のサイクルを軸に解決されるわけではない、ということだ。われわれには未来の世代の信頼を勝ち取ることが課せられている。すべての人々のために経済的、社会的、そして政治的な力を守るためだ。われわれは、われわれには任務が、またわれわれの国を黒人民衆にとって安全なところに組織する民衆的な力とビジョン――威嚇や怖れではなく、公正への負託と包摂に基づき導かれるそれ――がある、と確信している。
われわれはまた、白人至上主義およびそれに向かう無言の偏見両者を根絶するために、入念な戦略をも必要とし、またそれを獲得する力ももっている。われわれは、この政治的時期に導いた米国史がもつ、反黒人の事実を考慮に入れなければならないのだ。
われわれは、わが民衆にとっての愛の場を、また真の自由を求める深い熱望を出発点に行動し続ける。われわれはわれわれの活動において、もっとも周辺に置かれた人々を中心に置き、彼らを指導部として当てにする。われわれは、黒人民衆が自由になるまでは誰も自由ではないということをはっきり知るがゆえに、われわれの集団的解放を求めて闘う。われわれはこの闘争の中で、互いの間で共感を働かせることに専心する。しかしわれわれは、レイシストやファシストとは、あるいはわれわれにわれわれの存在を譲るよう要求する者とは誰とも、今も今後も交渉しない。

黒人民衆への
戦争の終結を

 われわれはわれわれの存在をはっきり確認する。われわれは、生きるためばかりではなく成長のために、われわれの権利を確認する。われわれの人間性が認められ尊重される世界で存在するためにだ。われわれは、その中でわれわれの信念が尊厳の中で保持され、われわれの独自性が尊重され、わが家族たちが優先される、そうした世界を具体化するために組織し続けている。われわれは、われわれの子どもたちが保護され、われわれの飲料水が大事にされ、われわれの運命を決める公正な機会を与えられる、そうした世界に値する者だ。
われわれは、勝利することがわれわれの義務であるがゆえに闘争を続けるだろう。そして今日われわれは、それ以前の日々と同じく、米国および世界中で、償い、経済的公正、黒人の未来への約束、そして黒人民衆に対する戦争の終結を求める。
そのしごとは困難となるだろうが変わることはない。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一月号、「アゲンスト・ザ・カレント」二〇一七年一・二月号より)  



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