12.17
〈語やびら沖縄〉もあい練馬 発足4周年の集い
沖縄から見える「軍事化」する日本
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沖縄と本土の
関係を変える
一二月一七日、東京・練馬区民・産業プラザで、〈語やびら沖縄〉もあい練馬 発足4周年の集い 変化する自衛隊にどう向き合うか―沖縄から見える「軍事化」するにっぽん―が行われた。
最初に、〈語やびら沖縄〉もあい練馬の一年間の活動報告を行った。〈語やびら沖縄〉もあい練馬は四年前にオスプレイの沖縄配備に反対するグループとして立ち上げた。沖縄戦について考える練馬の集い、「戦場ぬ止み」上映、練馬区議会へ「地方自治を尊重し、沖縄県との対話で解決を求める意見書を政府に提出することを求める陳情」、様々な都内での沖縄連帯行動への参加などを行ってきた。沖縄と本土の関係を変えていきたいという思いで活動をしている。
続いて、湯浅一郎さん(NPO法人ピース・デポ副代表、環瀬戸内海会議共同代表)が講演を行った。
最初に湯浅さんが関わった呉・岩国での自衛隊、米軍の基地強化に反対する活動を紹介し、世界規模で考える、核保有国などの一次資料にあたりながら情報を分析し、市民に流していくことの重要性を知り、ピースデポを立ち上げたことを語り本題に入った。詳細なレジメをもとに説明した。紙面の都合で部分的な紹介にとどめた。 (M)
湯浅一郎さんの講演から
米軍の世界再編と日本
(1)自衛隊変質の背景―アジア太平洋における米軍再編、新々ガイドラインと安保法制―
1)米軍の世界再編
「ハスの葉戦略」世界規模で米軍基地を再編しネットワークを作る(冷戦型からの脱却)。三つの類型、固定化した基地(日本、韓国、ドイツ)、中規模の基地、ローテーション(東欧・中央アジア・豪州)、中継拠点(港湾の利用など、フィリピン・シンガポール)。
中国包囲網。アジア太平洋に六割の兵力を展開。太平洋側に三八万人兵力。北東アジアに九・七万人(日本に5万人)。空母の唯一の海外配備。同盟国の責任分担と財政負担を求める。
2)在日米軍の再編
二〇〇六年、「再編実施のための日米のロードマップ」。二〇一四年までに終わらせることになっていた。
実現したもの。
a)司令部機能の統合。空軍、横田基地への空自航空総隊の移駐。共同統合運用調整所。・横田基地の変質:特殊作戦部隊の輸送任務を持つCV22オスプレイの配備。二〇一七年から一〇機。オスプレイ低空飛行訓練へ。陸軍、陸自中央即応集団司令部の座間への移転。海軍、原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀配備。
b)岩国基地、二〇一四年空中空輸機一五機移駐。空母艦載機部隊の移駐二〇一七年予定。軍港つきの空港。一三五機駐留。極東最大の軍事空港。海軍と海兵隊がいっしょに使う(世界で唯一)。
c)訓練移転、自衛隊施設の共同使用。
・KC130空中給油機の鹿屋、グアムへのローテーション展開。・嘉手納、三沢、岩国所属米軍機の新田原、築城、小松、百里、三沢、千歳の自衛隊施設訓練へ。
?膠着しているもの a)普天間基地全面返還→辺野古新基地建設。高江ヘリパッド建設。b)約八〇〇〇人の第三海兵機動展開部隊のグアムへの移転。
?追加されたもの
・相次ぐオスプレイ配備計画 普天間基地二四機。横田へCV22、一〇機(2017年)。岩国、MVM(海軍用)二機。
・経ケ岬通信所(京都市丹後)へのXバンドレーダー配備(2014年)・弾道ミサイル防衛能力を持つイージス艦の横須賀追加配備八隻へ。
3)新々ガイドラインと安保法制 日米の軍事一体化と共同運用の拡大。
二〇一五年四月、新々ガイドライン。世界規模での自衛隊の展開と集団的自衛権行使容認へ。
(2)自衛隊の六〇年強にわたる歴史を概観する―九〇年代前半の縮小へのチャンスを逸し、逆に「海外派兵への転換」に悪用された―
一九七九年、基準排水量五〇〇〇トンの洋上給油ができる補給艦「さがみ」が呉に配備。これ以後、補給艦を増やし、大型化していくことによって、海外派遣を「普通のこと」にする最も大きな物理的根拠となる。一九九一年湾岸戦争、大転機:掃海艦隊ペルシャ湾派遣、海外派遣の日常化へ。
辺野古新基地建設にこだわるのは港湾を備えた軍事空港が日本の予算でできる。空海両用の新軍事空港だから。埋め立ての大浦湾にはジュゴンが生息している。生物多様性国家戦略に反することを安倍政権は進めている。見直すべきだ。
オスプレイの墜落事故は起こるべくして起きた。一〇万時間運用するごとに起きる事故率は二〇一二年、一・九三、二〇一五年、二・六四。事故率が上がっている。全事故の検証が必要だが、日本政府は事故報告書を持っていない。米軍は機体に問題ないと運用の再開を行うだろう。日本と米軍合わせると五三機のオスプレイを運用する。事故は日本列島全体、とりわけ首都圏でひっきりなしにオスプレイが飛行訓練する。他人事ではない。
自衛隊南スーダンPKO部隊に駆けつけ警護の新任務を与えた。自衛隊の米軍との軍事一体化には限界がある。自衛隊は侵攻や殺戮を目的にはできない。九条の枠がなければいつでも米軍とともに戦争を担える体制を整えてきている。
(3)私たちは、これにどう向き合うのか―九条を保持し、自衛隊を国防軍(軍隊)にさせない世論形成へ―
1)安保法制の廃案を求め、少なくとも発動させない中長期的な視野での行動―日常的な日米軍事運用の拡大に一つ一つ疑問を呈していく活動―
自衛隊の行動のチェック、不当性を問題にしていく。自衛隊と米軍の連携のチェック。自衛官及び家族への働きかけ。自衛官ホットライン、新聞への意見広告。
2)包括的な平和外交を具体化する―朝鮮戦争を終わらせ、北東アジア非核兵器地帯を―
とにかく自衛隊は、あくまでも軍隊でないところに体制側にとって大きな壁がある。六〇年間、ある意味で構図は変わっていない。民衆の力で、拒み続けてきた実績。昨年の安保法制反対の運動は、明文改憲まで踏み込ませない市民社会の力を確実に示した。憲法九条と日米安保条約の併存状態という攻防は続いている。人類史においても初の壮大な実験、実践と言える。
12.20
官邸前抗議行動に350人
高江のヘリパッド建設強行反対!
北部訓練場の即時返還を
オスプレイ墜落
事故を許さない
一二月二〇日午後六時半から、「高江のヘリパッド建設強行を許さない! すべての北部訓練場の即時返還を! 北部訓練場ごまかしの返還糾弾 官邸前抗議行動」が呼びかけ:沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、辺野古・高江を守ろう!NGOネットワーク、ゆんたく高江、辺野古への基地建設を許さない実行委員会で行われ、三五〇人が集まった。
一二月一三日、米軍輸送ヘリオスプレイが辺野古海岸に墜落し大破した。住宅から数百メートルの所であり、あわや大惨事という重大事故だ。北部訓練場の返還は高江のオスプレイパッド完成と引き換えにされようとしている。一二月二二日には那覇市で返還セレモニーが予定されているが翁長知事は出席を拒否し、抗議集会に参加を表明した。さらに沖縄県の飛行中止の要請にも関わらず、オスプレイは一九日に飛行を再開した。怒りが沸騰している。そして、二〇日午後、最高裁は福岡高裁那覇支部が下した「翁長知事の辺野古埋め立て承認取り消しは違法であり、辺野古への移設・新基地建設が唯一の解決である」という反動判決を認める判決を行った。こうした二重三重にわたる米軍基地建設推進に抗議する行動として行われた。
1・4防衛省行動
1・ 新宿デモ
最初に、主催四団体があいさつを行った。関東一坪反戦の青木さんは「本当に悔しい」と満腔の怒りで糾弾し、東京警視庁の機動隊は沖縄から帰れとする裁判が提訴されたことを報告した。高江を守ろうNGOネットは「沖縄を犠牲にする平和はいらない」と訴えた。
ゆんたく高江の浦野さんは「高江できちんと説明していない。オスプレイの訓練が頻繁に行われている。夜一〇時以降にも飛んでいる。頭が痛い、動悸がする。赤ちゃん夜泣きする。子どもが体調を壊して学校に行けない」というような被害がすでに起きていることを報告し、さらに「日曜日まで高江に行っていたが、砂利トラ六〇台が入っていった。まだ完成していない。完成したとしても使わせない行動を続けたい」と語った。辺野古実の中村さんは「誰のために政府か、人権を守る最後の砦はどこにいったのか」と批判し、一月四日防衛省行動、一月二九日新宿デモへの参加を呼びかけた。
やんばるの森を
破壊するな!
沖縄から駆けつけた、伊波洋一さん(参議院議員、沖縄の風)は「最高裁判決は変えていかなければならない。オスプレイの低周波振動がひどい。住宅の中にいてもガタゴトと物もでも動かす。宜野座では住宅地で吊り下げ訓練を行っている。政府は見て見ぬふりをしているがおかしい。これは沖縄だけの問題ではない。オスプレイは日本全土で運用され、今後さらに拡大される。またXバンダーの新たな配備など自衛隊もいっしょの行動をさせようとしている。日米同盟強化は戦争への道だ。許してはいけない」と指摘し、さらに「高江N1ゲート前に毎日数百人で抗議行動を行っている。やんばるの森には絶滅危惧種が四〇〇〇種、大浦湾には五〇〇〇種生息し、米軍にはそれを守る義務がある。基地建設は環境を破壊しすめなくさせている。やんばるの森は日本全体の宝だ。最後まで新基地は建設させない」と発言した。
高里鈴与さん(オール沖縄会議)は「最高裁の却下判決は政府、日米安保の理不尽さを容認するもので、沖縄を差し出した。何の審理もしないで判決を下した。差別と排除があらわになっている。基地を作らせない、オスプレイを認めない、米軍は撤退を」と訴えた。
最後に、「高江オスプレイパッド建設とごまかしの返金式典に抗議する決議」と「辺野古埋立訴訟の最高裁判所の判決に強く抗議する決議」が読み上げられ、拍手で確認した。官邸に向け抗議のシュプレヒコールを上げた。 (M)
コラム
「城崎にて」
一月一四日の土曜日、風邪気味でラジオをかけたまま横になっていると雪のため至る所で交通が麻痺し、事故が多発していると報じた。この冬一番の寒波らしい。ニュースの中で「山陰本線の豊岡―福知山間が不通」と流れた。それを聞いた瞬間にフラッシュバック。三〇年ほど前の記憶がよみがえった。
その日、私は大阪に向かうために倉吉駅発午後二時頃の特急列車に乗った。通常であれば鳥取に四〇分ほどで着くのだが、吹雪のために一時間以上もかかった。期待していた余部鉄橋も窓の外は真っ白で全く見えず。それまで少しずつであれ動いていた列車は香住駅を過ぎた頃から止まり始め、城崎温泉で完全に止まってしまった。
「次の豊岡駅で先行する列車が止まっています。動き次第出発します」のアナウンス。そして三〇分後には列車の運行中止が伝えられ、さらに宿泊案内の車内放送。「列車内に泊まる人には毛布、城崎温泉のホテルに宿泊する人は四〇%、旅館の人は五〇%引きで紹介します。受付は改札口の横で……」。
こんな機会でもなければ降りることなどかなわない城崎温泉。迷わず旅館への宿泊を決め早速料金交渉。料金は二万五〇〇〇円から五〇〇〇円の幅で一万円まで四段階。料金は悩んだ末に一万五〇〇〇円に決めた。
部屋にカバンを置くやいなや川沿いの共同湯をはしご。夕食にはズワイガニも並び、翌朝にはイカの一夜干しの土産までもらい支払いは酒代を除き七五〇〇円。その上、駅まで客を送る旅館の車は“初めての人”を円山川の下流にある玄武洞まで案内してくれた。すべてを昨日のことのように思い出すことのできる忘れ難い旅であったが、残念ながらそれ以来城崎温泉に下車したことはない。
似たような経験はその数年後にも一度ある。一月末上野発の夜行で奥羽本線経由の青森行の急行「津軽」で秋田に向かった。米沢を過ぎた頃から吹雪が激しくなり、ついに新庄からは各駅停車となり、ラッセルしては次の駅という具合。ついに山形と秋田の県境である及位(のぞき)駅で止まってしまった。雪が列車の窓の高さまで積もり、外は全く見えずプラットホームの外灯の下だけがかすかに明るいだけだった。車内の客は三〜四人、この時はパン一個で一〇時間も車内に閉じ込められ、腹は減るし寒さで一晩中眠れなかった。
それにつけても寒い。テレビをつけると全国都道府県対抗女子駅伝が行われていたが、京都も雪が降りそそぎ走っている選手も見えない程。私の大雪の経験と記憶は一九六三年の二階の窓から出入りした三八豪雪とこの二つの相対する様相を持つ旅行が印象深い。私の『城崎にて』は大雪という災いと紙一重の天からの贈り物としか言いようがない。
ヨーロッパも歴史的寒波が襲来していると言うし、気候温暖化は単純な現象ではないようだ。(武)
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