12.19
「総がかり19日行動」に3000人
平和回復を妨げるPKO
難民を生み出した責任を問う
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内戦はさらに
激化している
一二月一九日、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会は、衆議院第2議員会館前、参議院議員会館前、国会図書館前で、毎月「19日」行動(二〇一五戦争法強行採決抗議)として「安倍政権の暴走止めよう!自衛隊は戦地に行くな!12・19国会議員会館前行動」を行い、三〇〇〇人が参加した。
安倍政権は、一一月二〇日、南スーダン国連平和維持活動(PKO)に向けて青森市の陸自第九師団第一一次隊の先発隊(一三〇人)を日航機をチャーターして派兵した。続いて三〇日に約一二〇人、一二月一四日に一〇〇人が出兵した。同時に一二日から戦争法に基づいて「駆けつけ警護」と、他国軍との宿営地の共同防衛の運用段階に入り、現地ではいつでもどこでも「殺す殺される」帝国主義軍隊として参戦することになる。この派兵キャンペーンとして、戦争法で可能となった「駆けつけ警護」の訓練を岩手県陸上自衛隊岩手山演習場(一〇月二四日)に続いて群馬県榛東村の陸上自衛隊相馬原演習場(一二月一五日)で行っている。
しかし南スーダン現地は、キール大統領の政府軍とマシャール前第一副大統領の反政府軍が内戦状態にあり、民衆の生活は深刻な事態に入っている。七月、首都ジュバでの激しい戦闘(一五〇人死亡)以降も両派ともに軍事力を強化し、他地域では散発的な戦闘が繰り返されている。
南スーダンの人権問題を調査する国連の委員会(一二月一日)は、声明で「飢えや集団強かん、村の焼き打ちといった形で、国内各地で既に民族浄化が進んでいる。国際社会には(大虐殺に発展することを)防ぐ義務がある」と訴えざるをえない状態だ。国連安保理は、南スーダン諸勢力への武器ビジネスを容認してきたが、危機的事態になってようやく武器禁輸などの制裁を検討している始末だ。
日本政府にいたっては、武器禁輸措置をすればスーダン政府派を刺激し、自衛隊に危険が高まることを理由にして慎重姿勢を演じている。一三年の内戦以前から武器禁輸措置が必要だったのだ。だがPKO部隊を投入しても軍事的緊張の流れを押しとどめることができていない。つまり、スーダン和平協議へのアプローチを怠り、内戦へと誘導してきた諸国の責任は重大だ。
「PKO五原則」は完全に破綻しているにもかかわらず、稲田防衛相は、「現状は落ち着いていて危険性は少ない」などと詭弁を弄し、安倍首相は七月の両派の戦闘を「衝突」などとデッチ上げまで行った。七月の深刻な内戦実態が明らかになってくると「自衛隊の安全を確保し、意義のある活動が困難であると判断する場合は、撤収を躊躇することはない」(一一月一五日)と発言せざるをえなかった。だが帝国主義軍隊として自衛隊員の犠牲をも射程に入れた実績を積み上げるために撤収を棚上げにしている。ただちに南スーダン自衛隊を撤収させ、南スーダンの和平協議、生活・難民支援を行えと主張していかなければならない。
オスプレイ墜落
事故を許さない
集会は、米軍輸送機・MV22オスプレイが沖縄名護市海上墜落事故(一二月一三日)と今日のオスプレイ飛行再開強行に対する糾弾から始まった。
国会議員から山尾志桜里衆院議員(民進党)、穀田恵二衆院議員(共産党)、福島瑞穂参院議員(社民党)がアピールし、戦争法廃止、沖縄連帯、憲法改悪反対、安倍政権打倒に向けた野党共闘の堅持と解散総選挙に対する準備を強調した。
高田健さん(解釈で憲法九条壊すな!実行委員会)は、「一三日にオスプレイが墜落し、同じ日に別のオスプレイが胴体着陸事故を起こした。二機連続で事故を起こしていながら安倍政権はオスプレイ飛行再開を認めてしまった。米国のことはなんでも聞くのが日米安保だ。高江・辺野古の闘いと連帯し、オスプレイは全面的に撤退せよ。山城 博治さんをはじめ不当勾留されている。即時釈放を求めていこう。野党四党と市民が団結し、安倍政権を打倒していこう」と批判した。
北上田毅さん(沖縄平和市民連絡会/ヘリ基地反対協抗議船船長)は、「高江ヘリパッド工事阻止に向けて連日座り込みをしている。政府は、一二月一六日にヘリパッド工事を完成し、二二日記念式典をやると言っている。辺野古の工事も再開すると言っている。そんな中、とうとうオスプレイが名護の海に墜落した。抗議船で墜落現場に接近することができた。オスプレイの破片がバラバラに散らばっていた。とんでもない大事故だ。防衛省との交渉でも『不時着水』など言っている。コントロールできないから名護の岩礁地帯に墜落した。防衛省は、今後のオスプレイ導入も含めて今回の事故を小さくみせたいということだ」と糾弾した。
さらに「明日は辺野古の最高裁判決が出る。翁長知事が毅然と対応しているかぎり、どのような結果になろうが工事は進まない。公有水面の埋め立てに関しては、知事権限は絶大なものだ。承認を撤回する。来年、三月三一日は岩礁破砕―埋め立て部分の地形変更―更新の時期だ。翁長さんは、更新はしないと言っている。設計概要の変更申請の承認も知事の権限がある。これらの知事権限を行使すれば政府がどういう動きをしようが、埋め立て本体工事に入れない。辺野古新基地ができれば、ますます危険が増すことは明白だ。高江の工事もまだまだ続く。二二日の返還式に向けて抗議集会を行い、夜には名護で県民集会を行う。来年の辺野古工事阻止に向けて断固として闘っていく」と発言した。
対話再開への
支援が必要だ
白川徹さん(日本国際ボランティアセンター)は、「南スーダン・ジュバ近郊の難民キャンプで人道支援を仲間たちが行っています。NGОのほとんどは、『駆けつけ警護』をやめとくれと言っている。非武装で軍隊と距離を置くことで安全を守っている。アフガン、イラクの経験からも言える。南スーダンは、大統領派と反大統領の軍隊が闘っているように言われているが、実際は諸勢力が入り乱れてわからない状態だ。所属不明の民兵が民衆を襲撃している。南スーダンに平和を取り戻すために諸勢力の対話が求められている。そのために日本政府は努力すべきだ」と発言した。
最後に山岸良太さん(日弁連・憲法問題対策本部)の発言、主催者から今後の行動提起が行われた。(Y)
1.4
辺野古実が新春防衛省行動
首都圏の反基地運動が結集
「本土」機動隊は沖縄から撤退せよ
厚木でもタッチ
アンドゴー訓練
一月四日午後六時半から、月初め定例防衛省申し入れ行動が辺野古の基地建設を許さない実行委員会の呼びかけによって行われた。寒い日であったが二〇〇人が参加した。
最初に「辺野古では昨年新基地建設の工事が再開された。正念場の年が明けた。オイルフェンスの設置工事にカヌー隊がいどみ、海保はその部隊を拘束した。しかし、必ず工事を阻止し勝利する」と主催者あいさつがあった。続いて、基地撤去を求める神奈川県央共闘の仲間が、「厚木基地爆音訴訟判決(第4次訴訟、12月8日)を米軍の飛行差し止めを認めなかった」と批判し、厚木基地では海兵隊のホーネット戦闘機のタッチアンドゴーの訓練やオスプレイの飛来の事実を明らかにした。「沖縄での墜落事故は他人事ではない。黙っていない、いっしょに闘っていきたい」と厚木基地司令官に対する申し入れ行動を行っていることも報告した。
安次富浩さんが
電話でアピール
沖縄から安次富浩さん(ヘリ基地反対協)が電話でアピールした。
「今年は良い年になりそうもない。年末にオスプレイが墜落事故を起こした。防衛局長はオスプレイを自衛隊が買うのは安全だからと言い、墜落ではなく不時着にごまかす。米軍が回収は終わったと言うが残骸が残っている。補償はどうするのか。返答できない。アメリカの発表を日本政府は鵜呑みにするのみだ。県民の立場に立つのではなく米軍を擁護ばかりしている。欠陥ではないというのなら、ボイスレコーダーを公開し解析すべきだ」。
「辺野古沖では浮桟橋を作るためのフロートが設置された。今後制限区域にフロートを入れる作業や基地建設のための搬入が始まるだろう。現場の闘いは厳しさを増す。山城さんの長期拘留は闘いの委縮をつくるものだがわれわれは現場で闘う」。
「一月下旬、トランプ政権が発足する。翁長知事が訪米し、米市民に訴える計画もある。石油パイプライン建設を止めた先住民の闘いと交流を深める。与那国、石垣、宮古、奄美と自衛隊の配備計画が実施されようとしている。粘り強く闘いぬく。あきらめない、したたかに民衆の力で非暴力の力で闘いをつくっていく。沖縄の未来は沖縄のわれわれがつくる。平和は黙っていてはつくれない。この国を変えるために共に闘いぬこう」。
横田爆音訴訟の仲間、パトリオットはいらない習志野実行委、東京に対する住民監査請求(警視庁機動隊の沖縄派遣をやめさせる)、同神奈川・千葉の住民監査請求者、沖縄に連帯する東部集会実、ストップ辺野古埋め立て実(大成建設への闘い)、それぞれの団体が活動報告を行った。辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会・反辺野古土砂搬出/首都圏グループ、ウチナンチュと共に闘う三多摩の会、日野市の未来を考える会、パトリオットはいらない習志野実行委が防衛省への申し入れを行った。山城博治さんなどの釈放署名、大成建設抗議行動(1月24日午後6時半、新宿駅)、新宿沖縄連帯デモ(1月29日午後2時、新宿東口アルタ前)の行動を確認し、防衛省に対して辺野古基地建設をやめろ、自衛隊の先島への配備をやめろとシュプレヒコールを行った。(M)
コラム
「ゴンボッパ」の叫び
ボンネットバスに揺られ親父に連れられ「山中(さんちゅう)」(故郷飯舘村をこう呼んでいた)に行く。「浜通り」の原町市(現:南相馬市原町区)から「中通り」の福島市に通じる国道一二号線。一昔前は「砂利道」が続き最大の難所は標高六〇〇mの「八木沢峠」。「福島行」の車内は、おしゃべりの声に包まれ車掌さんが切符を切り案内していた。
◆バスのエンジン音がひときわ高く唸りを上げると急峻な「八木沢峠」だ。バスは右に左にうねりながら坂をよじ登って行く。眼下は深い谷底。時々押し出された石が斜面を転げ落ちていく。押し黙ったままの人を乗せ甲高いエンジン音だけが鳴り響く。峠を登りきり軽やかな音に変わるとホットした空気が流れバスは飯舘村へ入って行く。高等小学校卒後、山を下りて様々な職業を転々として生きた父と、村で開墾生活を送っていた叔父。ランプの仄かな明かりとユラユラ揺れる炎。囲炉裏の火がパチパチと音を立て、話に興じる親父達の声に聞き耳を立てつつも心は「恐ろしい絵」に怯えていた。血を流した「磔」や「斬首」の様子が描かれた半紙が壁にあったのだ。風の音と怖い絵を思い出し寝付けなかった。農民の神様「佐倉惣五郎」との出合いである。零下一〇度近くの厳寒の冬、度々冷害が襲う飯舘村の過酷な開墾生活を想像すらできない。
◆二〇一七年春。飯舘村は帰還困難区域「長泥地区」を除いて避難解除される。だが、うず高く積み上がったフレコンバッグには、養分豊富な土壌と流した汗と苦労の日々が一緒に詰め込まれたままである。美しい自然の野山に抱かれた家族との平穏な生活は跡かたもない。原発事故から六年を経て何が解決したのだろうか? 政府と原子力ムラは「嘘も百回言えば真実」と言わんばかりの「新安全神話」を振りまき、国民の原発事故、放射能への恐れと不安を遮断してきた。福島の子たちへの「イジメ」の拡がりと避難者家族への陰湿な「村八分」の報道があった。他人を蹴落とし「評価」を得る「成果主義」「競争社会」の進展に比例し「暴力」や「イジメ」が社会の隅々で生みだされた。攻撃の矛先は「より弱い立場にある人」に向けられてきた。「イジメ」は大人社会の「写し絵」なのだ。
ラップのリズムに戸惑いながら人生初のフレーズ「勝手に決めるな!」「主権者は私だ!」と叫んだ。「寄らば大樹の陰」とか「長いものには巻かれろ」とか言う支配の論理に、抵抗し自立する多くの人々が心地よい「日向」を今年も行進するだろう!
◆時を経て思い出した「佐倉惣五郎」伝説の話。事の真偽は判りかねるが、東北の地で「佐倉惣五郎」に心を通わせた農民の姿を見た。「ゴンボッパ」入りの「凍み餅」に味噌をつけ炭火で焼き、炬燵で頬張っていた父の姿は故郷への断ち難い思いを噛みしめていたのだろう。
「難」を避けよと、真っ赤な南天の実が冬空に起つ二〇一七年一月。今年も元気で・・・!(朝田)
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