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    かけはし2017.年1月1日号

「第3滑走路計画」撤回せよ


よびかけ

1・15三里塚空港反対同盟旗開き/東峰現地行動

現闘本部破壊を許さない


■二〇一七反対同盟旗開き 主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)

?日時:二〇一七年一月一五日(日) 時間:正午

?場所:横堀農業研修センター(〇四七九―七八―〇一〇〇) 参加費:一〇〇〇円

?会場への行き方:京成東成田駅地上 11時00分集合 迎えの車待機/09:13発 京成上野特急 →10:21着 成田→10:32発 京成成田 →乗り換え 京成本線(普通) [芝山千代田行き]→10:37着 東成田

★反対同盟旗開き終了後(午後2時頃→旧東峰共同出荷場に車移動)

■二〇一七・一・一五 三里塚―東峰現地行動 主催:三里塚空港に反対する連絡会

飛行制限時間緩和を許さない! 成田空港「第3滑走路」計画を撤回せよ! 裁判所の強制執行―現闘本部破壊を許すな! 反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古・高江の新基地建設反対! TPP反対!

?日時:二〇一七年一月一五日(日)/午後三時結集

?場所:旧東峰共同出荷場跡(成田市東峰65―1)、開拓道路に向けてデモ

主催:三里塚空港に反対する連絡会/連絡先:千葉県山武郡芝山町香山新田90―5/電話:FAX0479―78―8101

?会場への行き方:@2017反対同盟旗開き終了後(午後2時頃)→旧東峰共同出荷場に車移動 
A京成東成田駅地上 14時00分集合 迎えの車待機/12:35発 京成上野特急 →13:41着 成田→13:52発 京成成田 →乗り換え 京成本線(普通) [芝山千代田行き]→13:57着 東成田

1・15東峰現地行動呼びかけ

三里塚農民、全国の仲間
と連帯し闘おう!


安倍自民党政権は「戦争する国」づくりを目指し、二〇一五年戦争法制を強行成立させ、南スーダンPKO派兵を突破口に、米軍と一体となって世界各地に自衛隊を派兵しようとしている。
憲法九条は完全に空洞化されようとしている。安倍首相は、憲法を実態に合わせるために改憲を目論んでいる。憲法審査会の再始動を進め、三分の二以上の改憲派を確保した今、民進党をも巻き込んで改憲の世論形成を図っている。
労働者・人民は今こそ安倍政権打倒!改憲阻止を闘う大衆的な直接行動をつくり出さなければならない。それなくしては着々と戦争に向いつつある現状を変えることはできない。

夜間飛行制限時間の緩和を許すな!

 三里塚では今、成田第三滑走路建設、夜間飛行制限の大幅緩和という計画が進められている。
政府・国交省・空港会社は二〇二〇年東京五輪時の外国客増加を口実に発着回数を増やそうとしている。現在、夜間の飛行は午後一一時から午前六時までは飛行が禁止されているが(二〇一三年からやむを得ない遅延の際は例外的に午後一一時台は認める)、それを午前一時から五時までのたった四時間に短縮しようというのだ。
もともと内陸空港という制約上、住民が騒音被害を受けるのを少なくするために設けられた発着時間制限であった。それをLCC(格安航空会社)導入に伴って例外が設けられたのだ。その際には地元市町に「なし崩的に運用時間が拡大しないようにする」と約束されていた。
騒音下におかれている成田市、芝山町、横芝光町、多古町の住民は、住民説明会で「夜間飛行延長は絶対に認められない」と反対の声を上げている。
国交省・空港会社は、「アジア諸国との空港間競争や日本経済は大変厳しい状況にあり理解してもらいたい」などと、ひたすら自らの利益のみを追い求め、住民の生活には一顧だにしないという姿勢を改めようとしていない。
住民の犠牲の上に成り立つ「空港機能の強化」を絶対に許すことはできない。国交省・空港会社は直ちに夜間飛行制限時間の短縮を撤回せよ!

二〇三〇年を目標とした成田第3滑走路建設阻止!

 国交省―成田空港会社は、二〇一四年、成田に第三滑走路を作る計画を打ち出した。成田市や千葉県の経済団体が国交省に要望を出したのを受けて、空港機能拡大を目指して二〇三〇年を目標に新たな三本目の滑走路を作るというものだ。これと併せて平行(B)滑走路の北側延伸(一〇〇〇m)も出されている。
成田空港は羽田空港拡張、国際線の増便に伴い「空の表玄関としての地位が低下する」という危機感が高まり、しゃにむに成田を拡大しようとしている。
三本目の滑走路用地は平行(B)滑走路南東の芝山町北部にかかる。全体で約二〇〇戸が予定地内にあり、移転を迫られ、騒音の影響を受けるのは現在の約六〇〇〇戸から約二〇〇〇戸増えるという。住民を札束で追い出し、騒音被害を押しつけて生活を破壊する第三滑走路・北側延伸計画に断固反対する。

横堀現闘本部裁判―最高裁の不当な決定弾劾! 裁判所の強制執行―本部破壊を許すな!
現闘本部裁判は、千葉地裁が反対同盟の求めた現地調査、証人尋問を一切認めず、たった四回の書面審理で結審し、空港会社の不当な現闘本部撤去策動を追認した。東京高裁においても第一回公判で結審、次回判決という拙速な訴訟指揮を行った。そして最高裁は七・一七三里塚闘争五〇周年・東京集会の直後の七月二一日に上告棄却の決定を下すという露骨なやり方だった。
今後、千葉地裁による本部建物破壊の強制執行が目論まれているが、我々はこうした不当な攻撃には現地に結集して,断固として抗議の声を上げていく。
三里塚農民、全国の闘う仲間と連帯して直接行動を闘い抜こう。三里塚に結集しよう!
二〇一六・一〇・一八                               

12.10 戦争させない1000人委 東海

辺野古・高江に基地作るな

500人の労働者・市民がデモ

 【愛知】一二月一〇日、名古屋市の若宮大通公園で「高江オスプレイパッド、辺野古新基地建設を許さない―最高裁は沖縄の民意に寄り添う判決を!」12・10全国同時アクション東海ブロック集会が「戦争をさせない一〇〇〇人委員会東海ブロック」の主催で行われ、約五〇〇人の労働者、学生、市民が結集し成功した。集会には東海地方四県の主に平和フォーラムに所属する労働組合員が参加し沖縄の闘いに連帯する行動としてかちとられた。

静岡・三重
岐阜からも
最初に司会者と東海ブロック代表の長峰信彦さんの開会あいさつで集会が始まり、東海四県の各一〇〇〇人委員会代表が発言した。静岡からは「戦争させない一〇〇〇人委員会静岡」代表の渡辺敏明さんが発言した。
「静岡ではアメリカ軍海兵隊が沖縄の負担軽減を名目にして御殿場で九月から砲撃演習を行っています。これに対し集会とデモを行った。静岡にも米軍基地があります。沖縄と全国の力で辺野古と全ての基地を撤去させる取り組みを行いたい」。
続いて三重県からは「平和フォーラム三重」の中村武志議長が発言した。
「かつて東海地方にも海兵隊の基地があった。それはみんなの力で追い出した。しかし沖縄には残っている。これをなんとか、みんなの力でヨソに行ってもらわなければいけない。戦後七一年になりますが沖縄の基地が無くならない限り日本の戦後は終わらない。三重では前日に学習会をおこない、辺野古と高江に絶対に基地をつくらせないと決意を新たにしたところだ」。
続いて岐阜県からは「一〇〇〇人委員会岐阜」共同代表で岐阜県議会議員の太田維久さんが発言した。
「今日は多くの仲間と共に岐阜からやってきた。岐阜と言うと政治的には自民党が強いところだが、一〇〇〇人委員会は昨年から戦争をさせない、憲法を守る!という声を上げてきた。私は地方議員として地方自治に携わる者として沖縄の自治が踏みにじられることへの強い怒りがある。この思いを岐阜からも全国に広めていきたい、そして安倍政権を倒し、辺野古の基地をつくらせない闘いを共にがんばろう」。

全国と連動し
沖縄とともに
最後に愛知県から「1000人委員会あいち」事務局長であり「あいち平和フォーラム」事務局長の浅井晃さんが発言した。
浅井さんはTPPについても強く批判し「今日は全国の一七カ所で同時に集会とデモが行われている。今日配布した集会アピールは全国で読み上げられるアピールだ。全国の統一した闘いを明日から行っていきたい」と述べた。
四県の発言が終わり、沖縄の「基地の県内移設に反対する県民会議」から寄せられたメッセージの紹介と集会宣言が読み上げられ、集会参加者全員の拍手で採択された。デモ行進の行動提起と閉会あいさつが東海ブロック議長の大矢さんから行われ、最後に参加者全員でシュプレヒコールを元気よく上げて、栄の繁華街を縦断するデモ行進を行った。       (越中)
コラム

ユク・ヨンスの暗殺

 一九七四年八月一五日、一発の銃弾が朴正熙(パク・チョンヒ)大統領夫人の陸英修(ユク・ヨンス)の頭部を打ち抜いた。それは国立劇場で開かれていた光復節二九周年式典で、朴大統領が慶祝の辞を読み上げている最中であった。もちろん朴大統領を狙ったものだったが、大統領はとっさに防弾になっている演壇後ろに隠れた。そして銃弾はそれて夫人に命中したのであった。
 会場で犯人として逮捕されたのは大阪出身の在日韓国人で二三歳の文世光(ムン・セグァン)だった。彼は七三年八月八日に起きた金大中拉致事件後、日本でその救命運動に精力的に参加してきた。そして独裁者パク・チョンヒ殺害こそが韓国革命にとって最も重要だと考えるようになり、暗殺計画を実行したのであった。
 文世光は韓国入国にあたり申請書を偽造してパスポートを入手。銃は日本の警察から盗んだものであった。そして厳重な警備体制の中を、日本大使館職員になりすまして入場したのであった。彼は遺書に「死か勝利かの革命戦争に向かう」と書き残していた。
 しかし放送局が独自に依頼分析した結果によると、警備員が文に向けて発砲した銃弾が大統領夫人に当たったとする説も浮上していた。しかし検察は文を現行犯と断定して、裁判終了後すぐに死刑執行した。
 陸暗殺事件はこれで幕が降ろされたわけではなかった。事件の責任を迫られて六一年五・一六軍事クーデター以降のパク・チョンヒの最側近たちが次々と更迭された。そして新たに抜擢された側近人事の中には、韓国中央情報部(KCIA)部長となり七九年一〇月二六日に朴大統領を暗殺する金載圭(キム・ジェギュ)が含まれた。
 さらに陸夫人に代わってファストレディーとしての重責を担うことになったのが、フランスに留学していた娘のパク・クネ(当時二三歳)だった。しかし朴クネは正体不明のカリスマ牧師崔太敏(チェ・テミン)に深く依存するようになり、彼の死後は娘の崔順実(チェ・スンシル)に依存した。こうして「崔太敏問題」は朴維新政権にとっての頭痛の種となるのである。
 パク・チョンヒを殺害した金ジェギュも法廷で「崔太敏問題」が暗殺する要因のひとつだと証言している。もちろんパク・チョンヒ暗殺の直接で最大の動機は、一〇月に起きた釜山・馬山暴動に始まる民衆抗争への対応の違いだった。それは流血の大惨事を止めようとすることが目的だった。キム・ジェギュも文世光同様、パク・チョンヒを消せば軍事独裁体制は崩壊すると考えたようだ。
 韓国維新体制時代の様々な事件の真相究明はノ・ムヒョン大統領時代に進められた。『韓国独裁のための時代』(渓流社)は金大中拉致事件・政治犯問題・労働運動・ベトナム派兵・セマウル運動・光州事件など、多岐にわたってその究明内容を整理し報告している。(星)


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