韓国 寄稿
パク・クネ弾劾の闘いに問われるもの
寄稿 12月14日/ヤン・ギュホン
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一二月一〇日、韓国国会はパク・クネ大統領の弾劾訴追案を賛成二三四、反対五六という圧倒的大差で可決した。憲法裁判所は審理手続きを開始している。一二月五日号の本紙で、元韓国全労協委員長、民主労総元筆頭副委員長のヤン・ギュホンさんに、この間の韓国労働者・民衆の大闘争と意義ならびに問題点について書いていただいた。今後の課題は何かについて、再度寄稿していただいた。(編集部)
予想していた聴聞会と
財閥が繰り広げたショー
一年間、われわれを襲ったすべてのことが、歴史という巨大な過去に向かって走馬燈のように脳裏を駆け巡る。一年の終わりは、多くの思いが交差する時期である。過ぎ去った日々を振り返ると、多くの禍根と失われたもの、そして理不尽な状況がそれぞれ互いにもつれ合い、葛藤を呼び起こし、一年の終わりと言うにはあまりにも空しい思いである。「12・09」。ある映画で見た囚人番号であるが、現在のこの数字は、歴史的意味を持っている。パク・クネが弾劾訴追された日である。訴追が宣言された瞬間、セウォル号の遺族および数多くの人々が歓喜の声とともに涙を流した。パク・クネも血の涙を流したと述べた。血の涙が一体何なのかは理解に苦しむが、思い上がりと恨み、そして貪欲から生まれた汚染して腐りきった感情の涙であろう。われわれはその言葉に憤りを感じている。祝杯を挙げるには、まだ早すぎるのではないであろうか。
聴聞会は予想を裏切らなかった。王のように君臨していた財閥の総帥らに数人の国会議員らは、責任を追及するのではなく、明らかに追及するふりをしていた。財閥は呼び出された罪人の役割を演じながら、「申し訳ありません」、「記憶がありません。」を連発して、敏感な質問には的外れな答えで終始し、 時間稼ぎでその場をしのいだ。サムスングループのイ・ジェヨンの「愚かな」態度は、予め仕組まれて演出されたものであった。一九代の国会議員の中で、「サムスンの奨学生が二〇〇人以上である」らしいが、二〇代の国会議員の中に何人のサムスンの奨学生がいるのか気になる。「財閥総帥の聴聞会は、国民を欺くショーに過ぎない」というのが私の感想である。聴聞会は、韓国人の怒りを募らせた。政経癒着、財閥改革という政治家らの主張はでたらめであるばかりでなく、聴聞会が笑止千万な「聴聞会ショー」に過ぎなかったからである。
ロウソク闘争の成果と限界
ロウソク闘争の過程とその成果が革命的だと言う人がいる。史上初の数百万人もの大衆が結集した集会デモが革命的だと言えなくもないが、革命と規定するには無理がある。繰り返し行われた週末のロウソク集会やデモについて「民心は天の心であり、国の主人は国民」だと言う人もいるが、闘争の現場を除いて、国民が運動の主役を演じた見せたことは一度もなかった。
巨大なロウソク集会の歓声についてキム・ジンテ議員は、「ロウソクの火は、風が吹けば消える」と述べた。またセヌリ党のキム・ジョンテ議員は、「ロウソクデモは、朝鮮民主主義人民共和国に親しい勢力がすべて準備したので、負けてはならない」と言ってのけた。キム・ジョンテ議員はさらに、「一つの欠点もない人はいない」などとパク・クネの悪行を擁護した。
闘争の現場において恐れをなし、顔色をうかがっていた自由主義政治勢力は、パク・クネが弾劾訴追されるや否や、権力や反逆者への批判を始めている。自由主義政治勢力は、自らの執権にのみに没頭しているに過ぎない。彼らの目には、民衆を抑圧する制度的装置や疎外された人々の生活は映っていない。
今回、ロウソク闘争によってパク・クネの弾劾訴追が行われたが、パク・クネ政権を弾劾するにはいたっていない。パク・クネによる国政の独り占め、財閥と結託したペテンの責任は、パク・クネ個人のみにあるのではない。その責任は、権力の心臓部において代役を受け継ぎ、犯罪行為を共に犯してきた者らすべてが連帯して負わなければならない。
彼らは現在、再び法の名の下にパク・クネの権力を継承し、安全保障、国民生活をうんぬんしながら、再び喜劇を演じている。検察はチェ・スンシル事件の初期にはパク・クネに一貫して追従してきたが、特別検察官が決定されるや否や、自らの存在に脅威を感じた。そして一転して捜査に拍車をかけ、「大統領は任期があるが、検察の権力は無限である」と強弁した。
検察は、自らの身内の擁護についての批判に耳を貸さず、キム・ギジュン、ウ・ビョンウには調査すらしていない。あらゆる疑惑の中心にあった国家情報院は、勢いが一時期衰えたとはいえ、その実態は変わっていない。彼らはすべて、労働者に対する反逆者らである。反逆者の審判を行わないパク・クネ政権の弾劾訴追は、単なるパク・クネ個人への訴追に過ぎない。
「ロウソク革命」と
労働者階級の課題
ロウソク集会の熱気が全国を覆っている現在、大統領選挙に向けた与野党の争いが激しくなっている。大統領選挙に向けた政治日程の中で野党各党には、労働者階級が置かれた現実に対する多くの課題を抱えている。自由主義政治勢力は、財閥の象徴のパク・クネ政権や執権与党が政治的危機に追い込まれた状況においても、法人税の引き上げすら行わず、親資本的な傾向を改めていない。これが自由主義政治勢力の本質である。
今更批判するにも値しないが、厚顔無恥にも弾劾訴追がされるや否や、「政策協議体」なるものを持ち出してきた。与野党、そして正義党は「経済危機が試金石である」との名目で、それぞれが頭を突き合わせて政策の立案に向けた協議を行っているようであるが、協議を行う前に、まずはパク・クネ政権が生み出して悪臭を放っている汚物やゴミの清算を先に行わなればならない。
労働者階級の立場において、資本による暴力を前面に押し出した支配体制が続く限り、「ロウソク革命」は意味を持たず、根本的変化も未だ実現されていない。財閥は、「労働市場流動化」なるものを絶えず叫びながらあらゆる手段を振りかざし、札びらで労働者の横っ面を張り倒している。そして財閥が利潤を倍増させる「秩序」は、一寸の狂いもなく現在も温存されている。
このような情勢を革命というのであれば、革命というものがいかに軽いものかということになる。ロウソク集会の熱気が全国を覆っている現在、われわれが八七年六月抗争をしきりに振り返る理由は、「とんびに油揚げをさらわれる」心配をしているからである。そのような心配を払拭するためには、当面の要求の貫徹のために労働者の力を粘り強く結集させていかなければならない。労働者による政治とは、要求貫徹のために現場において闘うことである。
改憲をうんぬんするのではなく、間違った慣行を正すことが本当の意味での弾劾の出発点である
ロウソクを持った人々は一年前、市庁と光化門においてパク・クネ政権の反労働者性と積年の恨みの清算を主張した。ロウソクデモへの参加を理由により、道路交通法違反で民主労総のハン・サンギュン委員長が拘束された。懲役五年を宣告され、控訴審でも懲役三年を宣告された。労働組合の代表が、労働者の要求を代弁して集会デモを行うのは、当然のことである。ハン・サンギュン委員長の拘束および重い刑の宣告は、パク・クネ政権による政治的報復である。正常な法の執行が行われていない証拠である。われわれは、不当に拘束されたハン・サンギュン委員長の釈放闘争に、組織のすべての力を結集するべきである。
そして、パク・クネ政権の常習的な凶悪さを前にした長期闘争の現場(整理解雇、構造調整等による職場からの追い出し、労働組合の結成の妨害、無慈悲な弾圧に対する過去何年にもわたる徹底的な闘争の現場)における問題の解決を図らなければならない。闘争が長期化せざるを得ない理由は、パク・クネ政権の庇護を受けた資本が上から目線で労働者を弾圧し、労使間のすべての対話に応じていないからである。
労働基本権の蹂りんに起因する長期闘争の活動の現場における問題の解決が優先されて初めて、パク・クネ弾劾の意味を見出すことができる。長期闘争の現場における問題については、あまりにも問題が多すぎていちいち列挙することすら難しい。われわれは、パク・クネ政権による労働者階級に対する呪いや政治的傲慢を思い起こすべきである。パク・クネ政権は、感情で振りかざした刀の狙いを労働者の代表に定め、権利を主張する労働者たちを路上に追いやってきた。間違った抑圧の政治、反民衆的政治、そして新自由主義攻勢に対する反省と省察がされて初めて、政権退陣がわれわれ労働者階級にとって意味を持つものとなる。また、労働者階級を抑圧する法制度的装置も廃棄するべきである。資本に特別の恩恵を施してきたペテンや悪辣な制度を、すべて撤廃しなければならない。
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