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    かけはし2013.年5月20日号

政府問題への回答があらためて重大課題に


ギリシャ危機

問題への若干の留意点

政府スローガンは

崩壊的危機の不可避的要請

フランソワ・サバド

 ギリシャでは、本紙でもたびたび紹介してきたように、深刻な国家的危機の中で、いわゆる政府権力の問題が、労働者運動と左翼に切迫性と具体性をもって突き付けられている。以下に紹介する論考は、この問題に、過去の論争を振り返り、論点を一定程度整理しつつ、過去とは歴史的に変化した現代の諸条件を加味した上で応えようと試み、ギリシャに関しては、SYRIZAに対して最後通牒主義的姿勢を回避すべきと主張している。(「かけはし」編集部)


 資本主義の危機の深さは、一般論として権力の問題を提起する――緊縮との絶縁は政策の抜本的な変更と別の政府を必要とする――が、ギリシャの危機は、現実に見る通り社会・経済的崩壊、政治的危機、社会的抵抗を組み込みつつ、その問題を社会と政治の光景前面に直接押しつけている。

過去の論争をふりかえる


 二〇世紀の始まりから、政府問題――労働者政府、労働者と農民の政府、人民政府――は、労働者運動の中で、戦略的討論の中心に位置を占める課題の一つであった。この討論はロシア革命以後、労働者権力と同一視された「プロレタリア独裁」とは区別された、「労働者と農民の政府」、という展望を共産主義インターナショナルが討論した際に、勢いを盛り返した。労働者と農民の政府はプロレタリア独裁と単純に同義であるのか、それともそれは事実上、危機のど真ん中で、危機にあるブルジョア権力と革命的労働者階級の急速な社会的浮上の間を中継することになる、そのような政府形態を提案しているのか、これをめぐって正真正銘の論争があった。
 当時インターナショナルの多数派は、このタイプの政府を使って実験してみることを選択した。それは、ブルジョアジーとの絶縁に向けた第一段階を、そして、崩壊中の資本主義権力と革命的危機から浮上中の労働者階級の権力の間の、つまり、「すでにもはや実体がなくなっている」ブルジョア権力、概して解体過程にあるブルジョア国家と、「まだ形成されていない」労働者権力の間の移行政権に求められる綱領を、明確にするという問題だった。
 この討論は、ボルシェビキが一九一七年春に二重権力から発する政権を提案したロシアで始まった。それは、ソビエト政権、ソビエトによる権力奪取以前の社会革命党/メンシェビキ政権、そしてボリシェビキ政権の形成をめぐる問題だった。それは、ドイツ革命期間中の一九二〇年代におけるドイツの、スペイン革命期間中の一九三〇年代におけるスペインの、革命に刻印された諸経験の光に照らして継続した。すなわち、一九二三年のドイツにおいてはザクセン/チューリンゲンの労働者評議会に責任を負う政府があり、一九三六年の六月から九月にかけたカタルーニャでは民兵中央委員会があった。
 直接に革命的とは言えなかった情勢の一九二〇年代のフランスでもトロツキーは、大衆闘争から、また選挙での勝利からも浮上する可能性をもった、社会党/共産党多数派による政府、という形態における労働者政府というこの展望を呼び戻した。「労働者政府は『革命の議会的開始』の帰結となる可能性がある」ことを十分に考えつつ、「それは、ブルジョアの議会的組み合わせすべてに対して自分たち自身の政府という考えを対置する、プロレタリア大衆運動のスローガンだ」(トロツキー)と。
 一九三〇年代に彼は、過渡的要求を基礎とした社会党/共産党政権という考えを擁護した。一九三〇年代、革命派と改良主義者の間の違いは、資本主義打倒という言明された目標を全体的構図とする内部にあった、ということは理解される必要がある。当時トロツキーは「人類の危機は労働者運動指導部の危機に集中されている」と信じていた。同時に彼は、たとえ「一九一四年〜一九一八年の戦争後に、社会民主主義指導部はブルジョア秩序の側に行き過ぎた」、そしてスターリニズムがドイツにおけるヒトラーとの闘争で決定的な破綻を明らかにした、と考えたとしても、できごとの圧力の下で労働者運動指導部の変化は可能だ、とも考えた。彼は、労働者運動はもはやこれらの指導部を当てにはできないと確信していたが、ロシア革命の推進力に依拠することはなお可能だと確信していた。その革命は、スターリニズムにもかかわらず、労働者階級の急進化を刺激していた。
 後知恵から言えば、当時の労働者運動に対する幻想も確かにあった。つまり運動の強さは、社会党と共産党の指導部は「彼らが意図している線の先まで進むこともあり得る」という、そうした戦争―革命のつむじ風の中にあるものとして想定されていたと思われる。これらの政府形態は戦後と一九七〇年代の時期に再度取り上げられた。その時に革命派は、諸要求の達成を確実にするために社会党と共産党が権力を取るよう要求した。
 しかし第二次大戦後情勢は変化した。具体的には、労組官僚との取引並びに議会諸制度という側面の双方で、社会民主主義者とスターリニストの官僚支配は安定化され、結晶化した。反資本主義綱領を実行するための社会党と共産党の政府という定式は、人々に現実性を感じさせる政府展望の提供という利点をもっていたが、ブルジョアジーとの絶縁を確実に始めるという点におけるこれらの党の能力について、幻想を引き出すという欠点をもっていた。
 これらの歴史的な諸経験以上に、思い起こされるべきことは、これらの移行政府に関する討論は、痛切な諸危機――社会・経済的、政治的――をはらんだひとときに結びついている、ということだ。そして問題となっている危機では、政治的危機は例外的であり、大衆の急速な高まりもまた同じく例外的なのだ。この討論は、一九六八年のフランスと一九七四―五年のポルトガルで、極めて鋭い形で舞い戻った。一九六八年五月にフランス共産党(PCF)は民衆の反乱に反対した。つまり、PCFや社会民主主義勢力を含んだ政府形態すべては、運動によって拒絶されるか捨て去られた。
 革命的共産青年(JCR)の若い革命家たちは当時、ドゴール退陣要求、並びに五月運動内部の諸組織すべて、すなわち、諸々の総会、委員会、労組を基礎とした「人民政府」の呼びかけを押し出した。
 一九七四年のポルトガルカーネーション革命は、独裁制の清算、憲法制定議会の選挙、新たな権力の早急的構築を日程に載せた。多数の革命的組織は各々がそれ自身のやり方で、大衆の動員、自己組織、また軍の革命的部分に依拠する政府に、力点を置いた。

社会民主主義の不可逆的変質


 われわれの前には今歴史的情勢がある。そこにおいては、社会民主主義の社会自由主義への転換が、そうした(社会主義)諸政党との間のいかなる連合も、いかなる政府形態をも歴史的に断罪している。これらの諸政党は、「ますますブルジョア的となり労働者階級の性格をますますなくし」、自由主義的資本主義の緊縮政策を直接に支えている。情勢がそれを可能にする際には、これらの諸政党が抱える民衆的基盤の存在が行動における統一諸政策を必要とするとはいえ、統一政策は第一にそして最優先としては、職場における社会主義労組活動家との、そして前記諸政党の支持者との統一となる。
 議会における、あるいは政府に関わる連携は受け入れ不可能だ――これが、フランスにおける左翼戦線、特にPCFに対するわれわれの不同意の中心だ――。周知のように、左翼戦線の支配的諸政党は、政権に参加はしていない。またしばしば、社会党の法令にも反対投票している。そしてそれは共同行動の諸条件を作り出している。しかし彼らはそれと同時に、オランド/エロー政権に対する「左翼野党」として自身を位置させることを拒否することによって、彼らが議会多数派の一員であること、また社会自由主義と一体となったこの多数派の再度の方向付けのために活動中であること、これらをあらためてはっきりさせている。われわれは、こうした姿勢に対しては根本的に同意できない。社会自由主義へと転換した社会民主主義は、社会的変革を求めるものとして政府形態上で同一視される可能性から、自身を取り除いてしまったのだ。これは、問題が二〇世紀のふさわしい時期に提起された用語との関係では、歴史的な変化だ。

「代数的定式」による介入準備

 しかし一つの質問がわれわれに直接提起されている。すなわち、オランド政権と闘っている最中の人に、あなたたちは代わりに何を提案するのか、というものだ。これらの質問をオリビエ・ブザンスノーは何度たずねられただろうか? それらは、現在の危機の深みから、緊縮政策に反対してこの国に存在している感情から流れ出てくる質問だ。トロツキーはこの問題を、一九二〇年代のフランスに関し彼の著作中で論じている。「労働者政府とはある種の代数的定式だ。換言すれば、具体的数値がまったく決められていない定式だ。それ故そこには利点と同時に欠点もまたある」と。そして彼は「利点は、労働者運動全体の統一的政治展望としてのものであり、欠点は、このスローガンの純粋議会主義的解釈の中にある」と続けている。それ故われわれは注意深くなければならない。しかしこれは、展望をもたないようにトロツキーを導くことはない。その逆だ。
 「労働者政府」、「人民政府」、あるいはもっと特定された「反緊縮政府」といった定式すべてはそれゆえ、権力問題に対する最初の対応となる一般的――代数的――定式だ。われわれはそれらを、それらに込められた任務によって確定する。今回の事例では民衆にとって決定的である緊急諸方策(雇用、賃金、公共サービス)の実行であり、正統性を欠いた債務の取り消しによるこれら緊急計画に対する資金供与の諸政策、反資本主義的課税政策、そして銀行と経済の中心部門の接収による最初の資産再組織化、といったものの実行だ。この綱領を実行し始めるためにわれわれは、現在の「緊縮政権」に終止符を打たなければならず、人々の決起に依拠しなければならない。どのような組織が労働者に奉仕する一つの政府に参加しそうか、あるいはその政府を支援しそうかを決めるものは、情勢、そして各左翼組織と社会運動の政策だ。
 この一般的宣伝が、大きな危機への介入に向けた土俵を準備する。そしてそこで、政府定式は具体的意味を帯びることになるだろう。

あらためてSYRIZAの定義

 これこそ、ギリシャ情勢に特別の性格が刻み込まれているところだ。なぜならばわれわれの知る限りギリシャが、政府展望がもはや単なる一般論ではない、そして単純な宣伝の問題ではない、そのような唯一の国だからだ。ギリシャでは、国民的危機としての危機の痛切さは、政府問題が具体的に、トロツキーが言うように「確定された値で」、提起される可能性があるほどに鋭い。こうしたことは欧州においてただ一つの事例であり、そこでは、急進左翼の政党/連合が二五%を超える国政選挙結果の達成に成功し、左翼全体としては三五%を超え、そのことは左翼が議会多数派を得ることに、それゆえ政府問題が持ち上がることに、可能性を作り出している。次の選挙は二〇一五年に予定されているが、危機はあまりに深く、それ以前の選挙実施を除外することはできない。
 こうした文脈の中で、「左翼政府」の提案が全面的に重要性を帯びている。もちろん、この政府の定義とその綱領をめぐっては諸問題がある。その均衡点は、SYRIZA内のさまざまな諸潮流間で展開されている討論の下に置かれている。あれやこれやの言明を見る限り、諸々の定式には広がりがある。しかしこの段階では、SYRIZAは「政府とトロイカの緊縮政策メモランダに反対する諸々の左翼からなる政府」を主張し続けている。この提案は、SYRIZA左派が行動を通して挑戦中の、以下の方向の中でもっとはっきりさせられるべきだろう。
 つまり、?左翼政府とは、SYRIZA、KKE(ギリシャ共産党)、ANTARSYA、左翼の諸個人の主張に対応する政府であり、国家救済あるいは階級間連合の政府ではない。 ?それは、反緊縮政府であり、ユーロのための犠牲はいかなるものも拒否し、住民の死活的要求はすべてを守り、反資本主義的移行、すなわち社会的管理下での中心的経済部門と銀行の国有化、を開始する政府である。 ?それは、現サマラス政権を打倒する大衆的な決起から生まれ、民衆的運動に力を与える社会的力関係に向けた諸条件を生み出す政府である。 ?この「左翼政府」は、反緊縮闘争という戦略の中にのみ機会を得る。
 死活的諸要求を満たすためには、支配階級とEUとの衝突は避けられないだろう。そのような政府は、反資本主義的絶縁に向けた諸方策を深化させなければならず、町や都市や職場の中に、社会的管理と人民権力の諸要素の土台を据えなければならない。

緊縮と対決する闘いの貫徹から


 このような諸課題がSYRIZA内部で討論の下に置かれている。この段階では、左翼改良主義諸潮流は反緊縮路線の上に留まっている。そしてこれが、SYRIZA内緒勢力すべての共同行動のために諸条件を生み出している。しかし改良主義派の視野は、現存諸制度内部の左翼政府、並びに危機以前の均衡への回帰という限界に留まっている。繰り返すが、選挙での勝利を基礎とすれば「左翼政府」は、始まりを議会にもつかもしれない。しかしその政府は、経済と政治の抜本的転換を開始することによってしか、新たな権力のための諸条件を生み出すことによってしか、緊縮との闘いをごまかしなく遂行する可能性をもたない。これは移行のあり得る形であり、政府は到達点ではない。これが、この提案に対してわれわれが支持を与える意味合いだ。反資本主義的絶縁、旧態依然とした国家諸制度の解体、新たな権力のための諸条件創出、こうした問題は、単なる理論的課題ではない。それらはたちまちの内に決定的課題となる可能性がある。それらは依然として、SYRIZA指導部の視界の中にはとらえられていない。それらはわれわれに以下のことを思い起こさせる。すなわち、予測の不在や未検討の領域といった問題以上にそこにあるものは、革命と改良の間の戦略的論争と対比される明確な実用本位だ。
 これらすべての課題に関する論争が今あり、今後もあるだろう。諸仮説、たとえば現議会と現政権の継続、しかしまた、一方にファシストの攻勢に加えたあるいは軍の圧力下に置かれたある種の権威主義体制、他方に社会的かつ政治的急進化の間の分極化と一体化した危機の急速な悪化、こうしたあらゆる仮説に可能性がある。
 この情勢の中で、SYRIZA指導部は支配階級とEUの圧力に屈服するかもしれない。
 しかしまた別の仮説も残る可能性がある。ギリシャ民衆の、さらにSYRIZAの猛烈な抵抗が反資本主義政府のための諸力を見出す、といった仮説だ。もちろんそうした政府は、支配的諸階級の圧力を表現する諸勢力と、底辺からわき起こる運動の圧力を映し出す他の諸勢力との間の「争いの中に」置かれるだろう。そうした諸勢力は、その左派内部にも、しかしまたその指導部の一定層内にも存在している。「例外的な環境――危機、衝突、戦争――においては、左翼のあらゆる政治勢力は彼らが元々想定していた線の先まで進む可能性がある」(トロツキー、一九三八年、過渡的綱領)ということを忘れないようにしよう。何よりも、そしてこれこそが大きな違いなのだが、官僚的結晶化はSYRIZA内部では、諸々の欧州共産党内部に存在しているものほどには強くない。
 いずれにしろ、この段階でのギリシャにおける一つの勝利は、部分的なものであってさえ、急進化とSYRIZAの首尾一貫した反緊縮政策の組み合わせとなるだろう。敗北もまたあり得ることだ。しかし革命家の役割は、あり得る明日の裏切りを予想した上でSYRIZAを厳しく非難することではない。そうではなく役割はその逆に、緊縮政策と対決する彼らを支援し、その闘いの反資本主義的性格を強化するために可能なすべてのことを行うことにある。それ故にわれわれは、SYRIZAの敗北は同時にわれわれの敗北にもなる、そのようにはっきり言おう。

▼筆者は、第四インターナショナルの執行ビューローメンバーであり、フランス反資本主義新党(NPA)活動家。長期にわたって、革命的共産主義者同盟(LCR)の全国指導部をになった。(「インターナショナルビューポイント」二〇一三年四月号)
  


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