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投稿 かけはし1999.3.8号

「学ぶ」とは何か-狭山事件・石川一雄さんの話を聞いて

高田 篤史

公立夜間中学増設の運動で

  2月7日、埼玉県北浦和で開催された「石川一雄さん・生い立ちを語る会〜作ろう、夜間中学を〜」に参加しました。主催は埼玉に夜間中学を作る会です。作る会は、八五年から川口市を中心に活動を続けていおり、県や市との交渉や駅頭での情宣・署名活動、そして週2回の自主夜間中学を開設して公立夜間中学の増設に向けて活動してきたそうです。
 そんな折り、昨年7月に朝日新聞に掲載された石川早智子さん(石川一雄さんの妻)の「一雄さんは、学校でほとんど勉強できず、逮捕されてから独房で字を覚えたそうです。でも『学校の休み時間に友達と遊んだのが楽しかったよ』とよく言います。実現すれば、私も一緒に通いたい」という記事が作る会スタッフの目に留まったそうです。
 公立夜間中学の増設は行政と政治の厚い壁に阻まれて実現していないのですが、石川一雄さんが獄中で必死に字を学んだという体験を聞くことによって、「学ぶこととは、学校とは、生きることとは」ということをもう一度とらえ直し、今後の活動の糧にしていこうと今回の催しが行われたそうです。

「文字はいのち」の意味

 石川一雄さんは、狭山事件で無期懲役という不当な判決が下され、無実を訴え再審闘争を闘っている。現在は、94年12月に32年の獄中生活から解放されて仮釈放の身です。第2次再審請求という闘いの中ですが、「(闘争に)勝利したら夜間中学に行きたい」という気持ちが今回の参加を実現させたそうです。
 夜間中学増設運動をしている人にとって、「文字はいのち、学校は宝」という言葉はなじみ深いものになっていますが、石川さんが文字を学ぶ過程というのは、まさに「文字はいのち」です。
 子どもの頃は、布団ではなくムシロで寝て、寒い時は裸になって(その方が暖かいらしい)家族で寄りあって寝たとか。差別と貧困から、小学校5年生で奉公に出されたという、石川さんの生い立ちを聞きながら「橋のない川」の中で描かれていた世界を思い浮かべていました。
 逮捕直前に勤めていた製菓会社では、伝票は同僚に頼んで書いてもらっていたが、ある日その同僚が休んだので、石川さんが前日と同じ数量と金額を伝票に書いたところ、計算が合わなくなって、結局会社を辞めざるを得なくなったそうです。石川さんをはじめ、それだけ多くの被差別部落出身の人たちが、「いのち」である文字を奪われてきたのか。

獄中で「いのち」を学ぶ

 しかし、石川さんは命を奪う死刑囚監獄(一審は死刑判決であった)で「いのち」を取り戻したのです。死刑囚を収容する監獄で、石川さんの無実を確信していた看守さんが、「無実を訴えたかったら文字を習え」と言って、石川さんに文字を教えたそうです。もちろん周りには分からないように。
 死刑囚には1日7枚ちり紙が支給されたのですが、余ったちり紙を集めてノート代わりとして石川さんに渡して、文字の書き取りをさせたそうです。筆順は、一枚の紙に一筆ずつ看守さんが書いたものを見ながら覚えたそうです。
 書き終えた紙は見つからないように隠しておき、部屋から出る時には体に巻きつけていたそうです。だから衣類はいつも大き目のものを着用していたとか。翌日その看守さんが来た時に使用した紙を渡して見つからないようにしたそうです。
 監獄は、午前10時から午後3時までは、各独房の扉が開け放たれ、出入りは自由だったとか。刑が執行されるのは午前中だったので、午前中は他の死刑囚は静かに部屋の中におり、その時間を利用して勉強したそうです。字を覚え出してからは、日記を毎日五百字程度書いていたそうで、多い時には一万字にものぼったとか。
 また、長い投獄生活で、七十人ほどの死刑囚と永遠の別れをしたそうで、死刑執行が告げられると、他の死刑囚に「先に行ってるから」とあいさつをしてまわるのだが、石川さんのところに来ると「石川さん頑張ってよ」と励ましの言葉をかけられたそうだ。

埼玉夜間中学第一期生に

 文字を覚え、様々な書籍に目を通すことによって、自分をえん罪に陥れたのは、部落差別であり、このような差別がなくならない限り、文字を奪われ、えん罪をかけられる人たちが跡を絶たないことを学んだ石川さんは、会場からの「今後、やりたいことは何ですか」との質問に、「第2次再審請求を実現し、無罪を勝ち取ること。それから部落差別自体をなくしていく活動をしていきたい。あと、動物が好きなのでケニアに行きたいですね」と意外な一面を聞かせてくれた。また、「もし埼玉に公立夜間中学ができたら、ぜひ第一期生として入学したい。読み書きはだいぶできるようになったが、それ以外の教科も勉強したいので」とも。
 子どもの頃「石川さんは無実だ」というデモに親に連れられて行ったということ以外は、本などでしか接することのなかった狭山闘争だったのですが、初めて石川さんの話を聞くことができ、文字を知るという大切さ、生きるために学ぶということを改めて考えさせられました。石川さんが完全無罪をかちとり、「いのち」である文字を奪われる人がいなくなるまで頑張ろうと思えた催しでした。 


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