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    かけはし2012.年8月13日号

革命的極の自律的建設に優先性がある

ギリシャ論争に向けて

SYRIZA支持者に向かう
戦術の基礎には戦略が必要だ

アンドレアス・クロケ

 

現在進行中の討論の一部として、第四インターナショナル(FI)ギリシャ支部、OKDE・スパルタコスの中央指導部メンバーであるアンドレアス・クロケによる論文を以下に掲載する。この論文は六月一一日に書かれた。(「インターナショナルビューポイント」誌編集部)

海外から届く評価への疑問


 著名な左翼知識人、著述家であり若い時には革命的左翼活動家であったタリク・アリは、ANTARSYAは「CPG(KKE、ギリシャ共産党)のセクト主義に影響され」、「SYRIZAとの協力を促す提案を拒否した」と述べた。ギリシャ左翼の状況について彼がそれほどに十分な情報をもっているということをわれわれは知らなかった。しかし彼のコメントは明らかに、以下のことを極めて緊急なものとしている。すなわち、ギリシャの議会選結果と全体としてのギリシャ左翼の展望に関するこの論争において何が今進行しつつあるのかを、ANTARSYAのメンバーであるわれわれが自分自身に問いかけてみる、ということだ。この任務は、FIイギリス支部であるソーシャリスト・レジスタンス(SR)やFI指導部自身からのものを含め、海外からわれわれが受け取った他のメッセージの光に照らした時、もっと重要なものとなる。
 それらはわれわれOKDEに、SYRIZA指導部が六月一七日後の連立政権に向けた綱領的政綱として、極めて右翼的な「左翼」党でありSYRIZAからの分裂組織であるDIMARに、また間接的にPASOKと右翼民族主義者である「独立ギリシャ人」に提案した「五項目」を支持するよう呼びかけている。
 これらの「五項目」をわれわれが真剣に取り上げるとするならば、以下のことが明確にされるべきだ。つまり、ある種の左翼・ブルジョア政権の極めて右翼的な変種をわれわれが扱っている、ということだ。それは、社会民主主義者とスターリニストが欧州と他の大陸で「左翼政府」に参加した時代である第一次大戦と第二次大戦後の何十年間まったくありふれたことであった何ものかだ。すべての事例においてそのような「左翼」諸政権――われわれの現在の論争の中で改めて使われている定式、「労働者」政府と、時には言葉遣いの中で混同されている――は、勤労階級と抑圧され搾取された人々にとって、さらに労働者運動にとって、悲惨な結末に行き着いた。これらは、スペイン、ポルトガル、イタリア、ドイツ、イギリスその他の諸国におけるさまざまな社会民主主義者主導政権と並んで、一九一八年の一一月革命後のドイツにおける社会民主党政権から始まり、三〇年代のフランスとスペインの人民戦線政府、一九六五年のインドネシアのクーデター、チリの人民戦線政権、フランスの共産党が参加したミッテラン政権(一九八一〜八四年)とジョスパン首相(一九九七〜二〇〇二年)と続く経験だ。誰であれ、ほぼ一〇〇年にわたる労働者運動の教訓をそう簡単に忘れるべきではない。

SYRIZAの成功の意味

 次の点が今回の論争の決定的な点だ。つまり、SYRIZAは「左翼中間主義」なのか、ということだ。先の規定は、当今何人かの評論家が提案する――たとえば、(毛派)スターリニストやトロツキスト起源の組織の参加を理由に――ように、それによってわれわれがいわば「ほとんど革命的な」勢力の意味を与えているものだ。そうでなければSYRIZAは、「欧州左翼」の他の諸党――たとえば、メランションの「左翼戦線」やドイツの左翼党――のような単純な左翼改良主義勢力なのだろうか?
 同志たち、そしてユーロコミュニスト、毛派、(半)トロツキストの背景をもつ諸組織から、海外からわれわれに聞こえてくる、メモランダ政策と他の物事に対するSYRIZAの「断固さ」に関するあらゆる宣伝の後で、しかしわれわれは、SYRIZAは「欧州左翼」の諸政党すべてと質的に異なるところは何もない、と単純に述べるよう求められている。これが意味するところは、SYRIZAは左翼改良主義勢力、ということだ。この勢力は社会の社会主義的変革という方向に発展を押し進める意図をもつ政治勢力ではなく、またその権力への到達も物事をその方向に「事実において」動かすことはないだろう。
 実際真実はまったく逆である。SYRIZAは、労働者と民衆の怒りを資本主義社会とブルジョア国家の限界内に止めるために、可能なすべてのことを試みるだろう。SYRIZA内部のトロツキストあるいは毛派起源の二、三の組織は、意味ある重みをもってはいず、事実上SYN党指導部であるSYRIZA指導部が行うあらゆる決定に適応するよう強いられている。これは、革命派であると主張する組織にとっては非常に重い――おそらく重すぎる――負担だ。SYN党、特にその青年組織はSYRIZAの他の組織と共に、二〇〇四年以来多少とも、抵抗運動のあらゆる行動に引き込まれている。しかし指導部は部隊を押しとどめている。いつも留保条件があるのだ。それゆえ、たとえば一〇月のストライキの白熱した局面におけるSYRIZAの主要な要求が「選挙を」であり、他の大改良主義政党であるKKEと同じであったことは、少しも驚くことではなかった。これこそがまさに、両改良主義政党の心性と姿勢を特徴づけるものだ。
 五月の選挙におけるSYRIZAの得票の突然の伸長は、そしてそれは六月一七日にはさらに大きな成功として続くだろうが、システムを「改善し」同時に怒りと抗議を現存の(資本主義的)秩序の内部に止めようとする直感的な(左翼的だがまた保守的な)反射作用だ。メモランダ政策を止めよう――おそらくさらに逆転させよう――という、同時にユーロを維持しようという広範な層による熱望がある。これが意味することは、EU内部の現体制との鋭すぎる対立には入らない、ということだ。
 誤解を避けるために注意深く説明しよう。明らかなことだが、ギリシャブルジョアジーもトロイカもSYRIZA政府を支持しないし、SYRIZA主導連立政権ですら望んでいない。六月一七日後に現れる政権が何であれ、ブルジョア支配のシステムは既に袋小路に入っている。確かに、SYRIZA単独のあるいはSYRIZA主導の政権であっても、選挙後に現れる大闘争――確実に生か死かをかけた戦闘――のためにはより良いものだろう。まさしくKKEやANTARSYAを含む左翼の全政治勢力は、メモランダ政策と借り入れ条約と対決する方向で取られるSYRIZA主導政権の全方策を支持しなければならない。ANTARSYAは、SYRIZAを全体として左に押しやるよう挑まなければならない。

統一戦線の適切な実践が決定的


 そのような対し方の鍵となる要素は、ギリシャの労働者と他の運動にとってこの恐るべき情勢の中で生と死を分けるもう一つの問題である、統一戦線という概念だ。実際に統一戦線は、全社会の生き残りの問題だ。それは、すべての政党、組織、連合、労働組合、「民衆大会」のような陣形、実に数多くの他の主導性――過去二年を通じて、特にこれまでのところ抵抗運動のもっともヒロイックな局面の一つであった昨年六月の広場占拠(シンタグマ)後に発展した自己組織された諸グループ――の協力を意味する。
 統一戦線は、必要とされるすべてのところにおける、共通の敵に対する統一した断固とした行動を意味する。すなわち、メモランダ政策のすべての形態との対決、人種主義とナチ徒党の「黄金の夜明け」の極度に危険な台頭(KKEとSYRIZAの指導部は今も完全に過小評価している)との対決だ。それは、解雇や失業の恐怖、耐え難い人頭税と対決し、最貧困層への生活保障、路上生活者の保護、健康の保全と教育システム、公的投資計画を通した環境保護を求める統一した闘争を意味している。これらの闘争が下部の運動によって下から組織されなければならないこと、そして他のすべての人と並んで左翼の政党と組織によって支えられるべきことに疑いはない。
 このような絶対的に基本をなす統一戦線に対するKKEによる体系的で変わることのない否認は、まさしく犯罪的だ。彼らの姿勢に対しては他に特徴づけようもない。
 しかし同時に、「別個に進んで共に撃て」を意味する統一戦線の概念を、特に政権がSYRIZAのような左翼改良主義政党によって率いられる時には、左翼・ブルジョア政権への参加問題と混同しないことが不可欠だ。この場合における政府問題は確かに権力問題だが、しかし極めて限定された意味においてそうであるにすぎない。と言うのも、SYRIZA政府あるいはSYRIZA主導政権との関係で真の権力は、その抑圧機構を携えた資本家階級、トロイカ、ブルジョア国家の掌中に無傷のまま残るからだ。これらの資本主義社会の真の権力構造との決定的な衝突を欠いたままでも、「労働者政府」あるいは「労働者権力」の何らかの形態があると信じることは、単純に幻想だ。この単純だが決定的な真実を「忘れる」ことがどうして可能なのか? 自己組織化された搾取された者たちと抑圧された者たちの統一戦線陣形を欠いたまま、下からの――全国レベルで集権化された――二重権力の出現なしに、先の真の権力構造から抜け出ることなどあり得ないだろう。
 結論的にわれわれにとっては決定的であるこの観点からわれわれは、SYRIZA指導部の姿勢について何を言うことができるだろうか? 不幸なことに過去二カ月、選挙をめぐる政治が公的生活を覆い尽くしてきた。今街頭は静まっている。社会の平和と安定を脅かさないと支配階級を納得させるために、SYRIZAは街頭から撤退した。ANTARSYAとアナーキストのいくつかのグループは、街頭におけるナチスと対決する闘いをもって、抵抗の精神を生き続けさせようと挑んでいる。ギリシャにおける現在の選挙をめぐる論争は、闘う社会階級間の実際の力関係を映すものではない。それはこの関係を歪め値切っている。
 たとえばSYRIZAは、「挙国一致政権」という緊急呼びかけに、決まり悪そうにまた恥じらいながら肯定的に応じ、既に右に相当の距離進んだ。それはあっという間に、PASOKという「突然変異した」社会民主主義派に対する代役となっている。前回の選挙運動中、PASOKの元指導部メンバーの何人かはSYRIZAに合流した。SYRIZAはそのような改良主義政党であり、社会民主主義の方向に動いているということに何か疑いを差し挟む余地はあるのだろうか? ギリシャの人々自身に聞いてみればいい。誰一人それを疑わないだろう。
 実際に、「ユーロ残留の言明」――それが意味するものは、ギリシャの大資本とトロイカとの「何らかの良い妥協」を見出すこと――と組になった「左翼政権」を求めるSYRIZAの宣伝は、五月六日におけるSYRIZAの選挙上の成功を導いた秘密だ。多くの人々は明白に、そのような「左翼政権」が「丸を四角にする」ことを成し遂げ、支配階級と搾取され抑圧された人々双方の必要を満足させる可能性を願っている。問題はそれがありそうもないということだ。われわれはそのような願いを「議会主義の幻想」と呼ぶ。
 SYRIZA指導部自身が、その極めて穏健な対し方を隠していない。誤解を避けるために以下のことを付け加える必要がある。つまり、それにもかかわらずSYRIZAの成功には、今のところ限定されたやり方――革命過程の始めには珍しくはない何ものか――であるとしても、大衆的な規模の急進化が反映されている、ということだ。しかし、階級意識と(限定された)反資本主義的立場の目覚めというこの局面は避けがたい、ということははっきりしているように見える。

左翼の第三極建設も不可欠

 同時に心に留めておくべきことがある。それは、反資本主義の、最終的には革命的な大衆的規模における階級意識の発展は、できごとの「自動的な」結果ではなく、大衆的な闘争の高揚、並びに政治的、綱領的かつ思想的諸対立と結びつくものとなる、ということだ。そして後者は必然的に、左翼のさまざまな対立し合う諸政党や諸勢力の論争として表現されるだろう。
 この観点から、自身をギリシャ左翼の「第三極」へと転換させるために、反資本主義的/革命的左翼の中核を、つまるところ主要にはANTARSYAを発展させることが決定的であるだろう。この歩みに参加することが、今日のギリシャにおける革命的マルクス主義者の主な任務の一つだ。まさに、KKEとSYRIZAの双方共が深く改良主義であるからだ。この改良主義という規定でわれわれが言おうとしていることは、彼らがブルジョア階級支配の社会的かつ政治的システムに緊密に結びつき、それゆえ不可避的に、今後現れるあらゆる革命過程にとって障害となる、ということだ。この(再度不可避的な)左翼内部のヘゲモニーに向けた闘争、改良主義と反資本主義的/革命的路線の間の闘争は、労働者と抑圧された者のためのわれわれの目標が社会において階級的ヘゲモニー(グラムシの意味において)を獲得することであるとすれば、決定的なものとなるだろう。これは、二重権力を発展させること、そして革命的危機の過程を通じて大衆運動の自己組織を基礎とする労働者政権を確立すること、を意味する。
 それゆえ同じく、実質のある過渡的要求をめぐって、オルタナティブな民主主義システム、昨年六月広場占拠運動が求めたような「本当の民主主義」、債権者、大資本、トロイカの独裁であるとして自身をはっきりさらけ出した、腐朽し腐敗したブルジョア民主主義に置き変わるべき民主主義のために、労働者と抑圧された者たちが自身を組織することが必要となる。
 昨年われわれは、数十万の人々がシンタグマ広場においてまたギリシャのいたるところで、「われわれに義務はない、われわれは払わない、われわれは売らない!」とのスローガンを支持した時、始まりとなる過渡的要求が広範な民衆層によって採択されることを目撃した。これは、二〇一〇年にANTARSYAのみが掲げた債務帳消しの要求が、KKEによっても、さらにたとえ部分的にすぎないとしても(それを今見ることができるように)、「棚上げ」およびトロイカとの「再交渉」に向けた呼びかけという形でSYRIZAによって突然受け入れられた、ということを意味する。「本当の民主主義」に向けた要求は、たとえ完全にあるいは全面的に明確な方法で発展させられているわけではないとしても、自己組織化された労働者と民衆の民主主義によって、ブルジョアジーの「民主的な」独裁を置き換える必要を疑いなく表している。これは、資本家階級の支配の打倒を通してのみ達成されるだろう。これこそが真の労働者政権にいたる、革命と社会主義に通じる道だ。
 これらすべては、われわれが六月一七日の選挙結果に無関心だということを意味しているわけではない。まったくのところわれわれは、右翼諸党、ファシスト、PASOKが議会選でも敗北することを望んでいる。しかし事実の問題として、六月一七日に「左翼の多数派」が生まれることは決してないだろう。五月六日には、左翼の諸政党、連合、諸組織(DIMARやエコロジカルグリーンという疑わしいものも含め)は、約三七%を獲得した。その一方中核的な右翼と新自由主義の諸政党と連合には四六%以上があり、さらに見下げ果てた新右派政党のPASOKの一三%以上がある。六月一七日には、左へのさらなる移行があるだろうが、それも「左翼の多数派」には十分ではないだろう。それゆえ、主には海外のいくつかの左翼組織が「労働者政府」について語るすべては、実体を欠いている。

戦術問題かそれとも戦略問題か

 いずれにしろ選挙における左翼の勝利はそれ自身で結論ではなく、労働者と抑圧された者の階級意識と戦闘的精神を、基本的な過渡的要求――債務の無条件帳消し、労働者統制下での銀行と大資本の国有化のような――をめぐる闘争は「欧州連合」と呼ばれる帝国主義的な構想の枠内では達成され得ないということの彼らの理解、を押し進める一歩でなければならない。しかしながら明白なことは、この方向で意識を引き上げることは、SYRIZA指導部の取り組み方の中ではまったく役割を与えられていない、ということだ。それゆえ、SYRIZAとその支持者に向かう「正しい戦術的姿勢」と多くが考えているかもしれない何ものか以上に、代わりとなる反資本主義的/革命的極、主にはANTARSYAの自律的な建設が優先性をもっている、と言うことができるだろう。
 六月一七日の選挙においてSYRIZAを「批判的に」支持する必要を強調していると思われる戦術は、ギリシャの資本家階級支配の基礎構造に対するもっと急進的な攻撃に向け、SYRIZAの支持者を含む広範な層を獲得することを、「統一」の旗の下にわれわれに可能とする鍵となる要素がこれだ、という考えを基礎とすべきだと思われる。OKDEとANTARSYAがそのような戦術的な取り組み方を主張していないとしても、すべての人は、この方向での問題提起は正当であり合理的であることを認めるべきだ。OKDEの少数派とANTARSYAに参加している他の諸組織はこれを、SYRIZAに対する労働者と民衆の支持という圧倒的な波を特徴とする現在の環境下における正しい戦術、と信じている。SYRIZA、KKE、そして彼らの支持者に向かう正しく適切な戦術と、自身の極の強化という必要性を、反資本主義左翼に関わっているすべてのものが比較検討すべきだ、ということは論理的に見える。ここには、メモランダ政策に対決して、また大資本とトロイカとのあらゆるあり得る衝突の中で、SYRIZA政権が取るかもしれないすべての方策に対する支持が含められるべきだ。
 J・ディヴェス同志が「過渡的綱領」(一九三八年)中の注に関する最新の論文で書いていることは本当だ。そこでトロツキーは、「伝統的な労働者諸組織〔社会民主主義派とスターリニスト〕によるそのような政権〔真の労働者政権〕の創出はあり得るか? 既に述べてきたように過去の経験は、少なくともこれは高度にありそうがない、ということを示している。しかしながら、完全に例外的な環境(戦争、敗北、金融崩壊、大衆的な革命的圧力など)が及ぼす影響の下で、スターリニストを含むプチブルジョアジー諸政党がブルジョアジーと絶縁するにいたる道に沿って彼らが願う以上に進むかもしれない、という理論的可能性をあらかじめ断言的に退けることはできない」と述べている。もちろん、一九三八年にこれらの言葉が書かれて以来、議会的手段を通じて選出された「左翼政権」はどれ一つとして、そのような道に進みすらしなかった、ということが付け加えられるべきだ。にもかかわらずディヴェスは、SYRIZA政権が左に向きを変え、資本とトロイカとの公然たる衝突に入り込むという可能性に空間を残している。しかしこの「高度にありそうもない」場合においても左翼政権は、ギリシャ左翼の反資本主義的/革命的極が発展しそのような政権を左に押しやるならば、巨大な利益となるだろう。
 そしてわれわれはまた、代わりとなる反資本主義的/革命的極を建設するための「批判的支持」という考えは、SRとFI指導部が提案した姿勢ではない、ということも心に留めなければならない。それらの声明は、連立政権の基礎としてSYRIZA指導部がわれわれに差し出した「五項目政綱」に対する、無条件的適応を単純に呼びかけたにすぎない。
 SYRIZAに対する無批判的支持というこのような呼びかけは、改良主義諸政党に向けた革命的マルクス主義者にとっての「正しい戦術」に関する討論とは、もはやまったく関係がない。それというのも、革命的路線と改良主義のそれの間に存在する溝は、SRとFI指導部にとっては存在していないように見えるからだ。彼らは、FI支部としての革命的なマルクス主義者の組織や党の建設という概念を、「広範な左翼政党」の建設という概念と置き換える傾向がある。FIの綱領的、政治的、思想的基準にとってこれは実のところ、インターナショナルとその全支部が拒否すべき新しい何ものかだ。
二〇一二年六月一一日
(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年七月号)


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