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    かけはし2012.年7月30日号

社会に開いた裂け目は広が
るだけで閉じることはない

ギリシャ この国はどこに向かうのか

ヨセフ・マリア・アンテンタス


社会の分極化と
増大する緊張
 トロイカは、ギリシャ社会の一部をとらえているもっとも深いおののきを利用しながら、新たな親メモランダム政権の形成を監督してきた。しかしながらかれらは、最初の猛攻をしのいできたとはいえ、時間を稼ぐことはほとんどできず、情勢を安定化する可能性にも困難だけが一体になっている。調整政策実行に関してギリシャ社会に開いた裂け目は、日々ただ広がるだけであり、短期的にはほとんど閉じることなどないだろう。既成体制の正統性の危機は深く、伝統的政党システムの崩壊は逆転不可能な事実だ。
 アンドニ・サマラスの新政権は、公的には健康問題を理由にした財務相の辞任にさらされたばかりだが、信用を失い正統性を欠いた諸政党によって構成される弱体な政府となるだろう。トロイカはおそらく、この政府にわずかばかりの酸素を送るために一定の譲歩を行うだろう。とはいえ新執行部は、新たにされた重大な諸決起に行き着くはずの不人気な諸政策にしたがうよう、逃れがたい形で迫られるだろう。
 政治的かつ社会的安定性という問題を除けば、あらゆるシナリオがあり得る。もっともありそうなこととして、社会・政治情勢は緊張を増し続けるだろう。緊縮政策には、国家からの抑圧と権威主義的姿勢が伴うだろう。その背景には、社会的分極化の増大、そしてネオナチの「黄金の夜明け」の予想可能な台頭と国家機構の一定部分のそれとの共謀がある。
 二年以上にわたる厳しい緊縮政策を経て、人口の重要な一定層は瀬戸際で生きている。そして数世代間の家族的連帯の伝統的仕組みは呑み込まれている。社会的骨折は明瞭だが、ギリシャ社会は敗北と挫折の感覚にはない。これこそ鍵となる変数だ。疲れはあるが、同時に、メモランダムのブルドーザーは何かしら粘土の足をもつ巨人にすぎず、強力ではあるが同時にもろくもある敵、という意識もあるのだ。


SYRIZAへ
の広がる支持率
 社会運動にとっては、サマラスを打ち負かすための秒読みが始まっている。社会的動員は、調整諸方策の新たに組にされた策の前進を阻む中心要素というだけではなく、あり得る将来のSYRIZA政権がトロイカ並びに当地の寡頭支配層の利益と実際に縁を切る可能性を確実にすると思われる、主要な戦略的課題でもある。「街頭の民衆と一体となった人民政府」は、メモランダムに反対する諸勢力の目標を最良の形でまとめ上げる定式となっている。
 アレクシス・チプラス率いる陣営は、調整政策反対の先頭に立つ特権的地位につき、自身を唯一の実体あるオルタナティブとして押し出している。これは、将来の選挙で権力を引き受ける道に障害がないことを意味しているわけではない。SYRIZA指導部が思い起こした方がいいと思われることは、彼らの成功への鍵はこれまでのところ、メモランダム反対の申し分のない実績を備えた勢力として登場してきたことにある、ということだ。この領域におけるいかなるあいまいさも、既成エリートとの妥協を見込んだ「秩序」に向けた「責任ある」反対派として登場しようとするいかなる試みも、自己崩壊と下からの変質で終わるだろう。

欧州周辺部に
拡大する可能性
 一九七〇年代のチリのように、ギリシャは現在、金融資本の社会再編成に向けた計画の実験室となっている。われわれはこのギリシャ人の国を、ここだけの孤立した事例と見てはならない。それとは逆に、ギリシャで進んでいる成り行きの結果は、鎖の最弱の環として、欧州周辺部における残りの地域の運命を特徴付けることとなるだろう。それは、金融のミノタウロスの悪辣な猛攻にさらされた社会の広場と街頭で、日々演じられつつあり、あらかじめ書き込まれているわけではない、そのような運命だ。

▼筆者は『ヴィエント・スル』誌(IVスペイン語版)編集部メンバー、またバルセロナ自治大学の社会学教授。(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年七月号)


 

映画に寄せて

監督:齊藤潤一/東海テレビ公開劇場ドキュメンタリー

『死刑弁護人』

あなたの正義の根拠は何ですか?

 

権力と毅然と闘う姿勢の中に
安田弁護士の生き様が見える


死刑判決に向き
合う姿を追う
 安田好弘弁護士(64)は「オウム真理教事件」麻原彰晃、「和歌山毒カレー事件」林眞須美、「名古屋女子大生誘拐事件」木村修治、「光市母子殺害事件」元少年など、最も困難な死刑事件の弁護人を引き受けてきた。安田は「取材に応じることは『悪人』である被告をバッシングするための話題提供にすぎない」とマスコミの取材にほとんど応じない。東海テレビの一年間の取材に応じたのは名張毒ブドウ事件で知り合った弁護士を通じて光市事件の弁護団会議の撮影を依頼すると、「信頼できる人」ならと応じたという。
 ドキュメンタリーでは前述の死刑裁判の他、新宿西口バス放火事件、本人の安田事件を扱っている。「名古屋女子大生誘拐事件」木村修治の場合は恩赦請求を出して死刑執行を止めようとしたが執行されてしまい、自分の責任だと悔やんだ。死刑弁護人は裁判だけではなく、最後までみとらなくてはならない。「和歌山毒カレー事件」の林眞須美は、一審、二審で死刑判決が出され、最高裁で「もう安田先生しかいない」と弁護の依頼がきた。林を犯人とする証拠はなく、間接証拠の積み上げによって死刑判決が出された。安田らの弁護によって「えん罪」の可能性が出てきており再請求中だ。
 最大の話題となったオウム真理教や光事件などでのやりとりで、司法が強引に死刑判決を出そうとする姿とそれを応援する一般市民の姿が浮かびあがってくる。
 書類に埋まる山小屋のごとく雑然とした事務所に寝泊りし、一カ月に一度ぐらいしか帰らない、家族は相手にしてくれないと自嘲を込めて語る。飲み屋で酒を飲みながら、裁判について語る、そんな裁判外での安田に「あたり前」の姿に安心したり、もうちょっとなんとかならないのかと思わせたりする、ドキュメンタリーならではのよさがある。

四〇数年前の安田さんとの出会い
 個人的なことであるが、安田さんと初めて出会ったのは一九七〇年夏、一橋大学小平分校のバリストの中だった。前年静岡県のある高校運動によって自主退学させられた私は一橋大学小平分校のもより駅の近くに下宿して私立高校に通っていた。
 一九六九年の東大・日大闘争などの後に大学管理法が出され、全国の学生運動を機動隊を使ってつぶしにかかっていた。一方、七〇年安保自動延長に対する闘い、沖縄闘争、ベトナム反戦、入管闘争が闘われていた。在日朝鮮・韓国人やアジアからの留学生の闘いを抑圧するために入管体制が強化されていた。それに対して支援の運動が起こり、東京入管闘争委員会が作られ、東京の各地区にも地区入管闘が作られた。三多摩にもそうした闘争委員会が作られ、そこに高校生である我々も参加した。小平市に朝鮮大学があり、地域での防犯体制がどうなっているかを明らかにするために、防犯協会などがどのように分布しているかを調べる活動や一橋大学のアジアからの留学生を防衛しようとする運動があった。
 バリストの指導者であった安田さんは一橋大に行った我々数人に対して、ゲバ棒を持たせて突撃訓練を指導した。民青が授業再開を求めて実力でバリ封を排除しようとしているので、それに備えているというのだ。安田さんはあるブント系毛沢東派の組織に属していた。その組織は中国の文革派の影響を受けて学生運動で急速に勢力を伸ばし、中核派としばしば集会で殴り合いを演じていた。中核派はその報復に大阪の事務所を襲ったらしい。安田さんたちは理論合宿をやったらしいが、「理論といっても中核批判ばかりでこれでいいのか、田舎にでも帰ろうか」とも言っていた。兵庫県の田舎育ちで、秀才の誉れ高い安田さんだったらしいが、一途に人民のために活動をしたいという強烈な意志を持つ芯の強い人だという印象を持った。
 それから一九八〇年前後の東京拘置所へ、管制塔被告などへの救援の差し入れに行った時、弁護士バッチをつけた安田さんに再会したのだ。田舎に帰ったものとばかり思っていたのと、闘う闘士が「弁護士」になっているということは大学をちゃんと卒業したというそのギャップに驚いた。時間がなかったので頭を下げるだけのあいさつで通り過ぎた。その後、死刑反対の集会やデモで安田さんを見かけ、安田さんが死刑廃止運動の中で重要な役割を果たしていることを知った。戦線は違ってもお互いがんばっているということでうれしくなった。
 オウム事件の麻原彰晃の主任弁護人になった時は正直驚いた。弁護士でも事件を選ぶことはできるだろうに、私が安田さんの立場だったら応じないだろうと思った。そして、一九九八年一二月、強制執行妨害罪で安田さん自身が逮捕された。安田さんが報酬として三〇〇〇万円くらいもらったとも報道された。世間は「人権弁護士などと正義ずらしながら、私服を肥やす弁護士」と安田さんを非難する報道が相次いだ。ちょうど神戸震災ボランティアの行った先でこの報道を見た私はショックを受け、安田さんをなじってしまった。
 その後、この事件をめぐっては全国一四〇〇人の弁護士が安田さん弁護に名をつらね、一審無罪、二審は強制執行ほう助罪を認め罰金五〇万円、最高裁で刑が確定した。罰金刑だったので弁護士資格は剥奪されなかった。こうした推移を見て、私の当初の感情は消えうせ、自分の判断のいたらなさを恥じた。
 「極悪人の代理人」、「人殺しを弁護する人でなし」、「悪魔の弁護人」と呼ばれようとも、依頼人を背負い続けると、映画パンフレットは安田さんを紹介し、何か我々とはかけ離れた「超人」のように思わせる。しかし、このドキュメンタリーで映し出される安田さんは丁寧に被告人を弁護する理由と死刑制度の問題点を感情を表に出さずに穏やかに理にそって説明している。「正義」をかざして、被告人を「悪魔」=死刑にしようとする権力と毅然として闘う安田さんだが、それほど「超人」でもなく、ただ信念を貫く一途さにおいて、ひたすら「まじめ」なのだと思う。そして、ヒトラーでさえ変わりうると死刑制度に反対する姿勢は「宗教的求道者」というより、やはり一九六〇年代末活動家の姿を見る。東京のポレポレ東中野などで上映中。全国で順次公開される。(松)

 

コラム

 サンマの丸干し

 

 不思議なことがあるものだ。先日、コラム「マイ ウエイ」を書き上げ、ひと休みしていると、電話が入った。“明日、近くに行くので時間を空けてくれ”と言う。毎度のことながら、こちらの都合はお構いなしだ。急ぐ用でもないのだから、事前に連絡のしようがあろうというものだ。遠来の客であり断るわけにもいかない。「マイ ウエイ」の中の先輩である。
 私を車に乗せるや否や“コーヒーの美味しい店”。いちいち要求がうるさい。私も鍛えられているので、何店かは頭の片隅に常備してある。聞けば、妻と二人、車で紀伊半島一周の旅をしてきたという。“マイワイフは疲れているのでホテルに置いてきた”そうだ。私は一度しか会ったことがなく、顔も覚えていないが、彼にはもったいないくらいの女性だという記憶がある。
 「熊野灘で獲れたサンマの丸干し」が美味しそうなので、呑んべえのために買ってきたという。うれしいかぎりである。その量たるやかなりのものであった。
 丸干しにするためのサンマは一〜三月熊野灘沿岸で獲れる。北海道から南下してきた「戻りサンマ」だ。「戻りカツオ」は油がのっていて、刺身にすれば美味しい。が、この「戻りサンマ」は、秋に旬を迎える北のサンマに比べて、脂肪分が半分以下で、あっさりしすぎているが干物に適している。獲れたてのサンマを丸ごと塩漬けにして、天日で干し上げる。保存食としての干物の伝統的な製法を継承しているという。熊野地方では、昔からサンマの「かんぴたん」と呼ばれていたそうだ。
 私は、うるめの丸干しが好きである。それも、めざしよりもう少し小振りのものが良い。軽く炙って頭から食べる。その苦みばしった味が何とも言えない。サンマの丸干しはもっと大味である。
 当然にも、形も大きさも不揃いだから、とりあえず小振りのものを食べることにした。それでも頭から骨まで食べるという芸当は、私には到底できない。そこで、頭と骨を取り分けることになる。軽く炙ってから取り分けるか、取り分けてから炙るかは悩ましいところだ。噛むほどに味が出てくるから、それなりの歯応えがある。塩分を控えている人は、塩抜きをしたほうが良いかも。酒の肴に合いすぎるのが難点だ。日頃、親しくしている人に裾分けすることにした。珍しがる人も、酒飲みは一・二度は食べたことがある様子であったりして、話がはずむ。
 “友あり、遠方よりきたる。…”日常性の中に投げ込まれた非日常は、人々との関係性を豊かにしてくれる。もちろん、楽しいことばかりではなく、負の影響も与える場合もあるだろう。ある時は静かに、ある時は激しく広がってゆく関係性の変動は千差万別であり、一つとして同じものはない。それを楽しむためには心の余裕が必要である。
 例えば、夏目漱石は『猫』の中で、秋刀魚に「三馬」という当て字を使っている。この遊び(非日常)によって、読者は何か深い意味があるのだろうかと考え込んだり、漱石という人間はどんな性格をしているのだろうかといぶかしんだりするのである。
 私も、時には、そんな「非日常の存在」になってみたいと願ってはいるのだが。      (灘)


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