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    かけはし2012.年7月23日号

エコフェミニスト的世界観と反資本主義

反資本主義、フェミニズム、エコ社会主義

複合的な矛盾と緊張の分野で
エコロジー的側面での連携を

マリケ・コール

  エコフェミニズムは、一九八〇年代に、緑の運動の発展と大規模な反戦・反核ミサイル大衆運動の文脈の中で成長した。エコフェミニストの「世界観」は、現在、先住民族の闘い、そして「ヴィア・カンペシーナ」(農民の道)のような農民組織の闘いとともに共感を呼んでいる。ここで論じるのは、その分析と見解の中心的要素についてである。

女性と自然に対する継続的支配


 西側の社会は、何にも増して、男性と科学的知識を価値あるものとしている。女性と自然の再生産能力を価値あるものとしていない。専門家たちと資本の所有者は、女性と自然を掌握し、支配するために新しいバイオテクノロジー(遺伝子組み換え作物、体外受精)を発展させてきた。
 豊かな大地と女性の生殖能力は、男性の支配を通じて変形させられ、男性の技術的創造力は社会の中で中心的位置を占めている。大地と女性は、男性の専門家たち、医師、農業技術者、アグリビジネスに携わる男たちによる干渉の、受動的対象にされている(1)。
 遺伝学者たちは、伝統的な種子選別を後進的で無秩序なものと見なしており、遺伝子組み換えによる変種を進歩、秩序、カネを代表するものと見なしている。農民たちは多国籍アグリビジネス企業がパッケージで販売する種子、肥料、殺虫剤の使用を強制されている。農民たちは種子の伝統的な所有権と多様性を失い、選別されたGMO(遺伝子組み換え)作物と種子にカネを支払わなければならない。
 女性は、健康な子どもを産むことが義務とされ、胎児の遺伝子検査(着床前)、精密検査と音波検査、帝王切開の増加などによって、拡張する医療産業の対象物になっている。女性たちは、自己決定の可能性と能力を失わされている。
 植民地主義は、人間というよりも地域的生物相の一部と見なされた先住民族、非白人、伝統的地域コミュニティーの「原始的」「後進的」文化をさげすんだ(2)。
 植民地時代に行われたジェノサイドは、原始的社会への進歩の導入、「無人の」土地の征服と偽装された。土地の共同所有・共同使用は、文明の進歩にとって障害と見なされた。若きチャールズ・ダーウィンは彼の日記に、ティエラ・デル・フエゴ(南米最南端の諸島。マゼラン海峡以南に位置する)の住民の間の完全な平等は、全財産の所有者となる力を持った指導者が登場するまでは、かれらの文明のあらゆる進歩にとって障害となる、と記している(3)。
 ヴァンダナ・シヴァは一九九二年に書いている。
「『改良』された種子と胚は、実のところ囚われた種子と胚である。農民と女性の自己決定権は、後進性と無知として嘲りの対象に落とし込められた。自主的生産者の暴力的追放は、進歩の名の下で自然と女性に属するものを盗み取る過程だった。暴力と盗みは、われわれの過去の植民地時代に富を創造する基礎であっただけではなく、新植民地主義の現在でも、生命それ自体への脅威として継続している」(4)。

「ジェンダー」役割配分への抗議

 北米と西欧では、一九七〇年代のフェミニストたちは、男は文化を体現し女は自然を体現するといった男女の間の伝統的な二分法や、異なった「ジェンダー」役割に対して抗議した。この二分法は男性の支配的役割を正当化するために用いられた。近代の人間(富裕な世界の白人男性)は文化の創造者であり、他方、女性は理性、勇気、自己規制、自由、自立的所有権の主体としての能力などの個人的な資質において、限定されたレベルのものしか持っていない二級の人類として見なされていた。近代の男性のジェンダー役割が社会の基準になった。そうした観念は啓蒙主義の時期に発展した。女性は「自らの本分」を知った自然の影という存在にとどまった。
 男性は「狩人」である――競争を好み、性的に積極的な存在――といったもう一つの典型的なイメージは、「科学的」知識によって正当化された支配的イデオロギーの一部であった。女性は、男性の野性的な本能を統御する、受け身で無性の存在として描き出された。プルードン(一九世紀のフランスの社会主義者)は、家族におけるその役割のために、女性は不可欠の文明的要素である、と語った。後になって容易に想像できるように、第二波フェミニストたちの多くは、エコフェミニストたちがすべての女性たちは自然との特別のつながりを持っていると語った時、それに納得しなかった。
 しかし、男性の女性に対する支配や、エコシステムとしての地球の破壊の拡大の性格とは、正確にはどういうものだったのだろうか。女性の抑圧と、自然が破壊されるあり方に相互のつながりがある可能性は存在するのか。「人間の性質」に関するわれわれのビジョンとはなにか。そしてこのビジョンが女性の解放に及ぼす結果はなんであろうか。

資本主義発展の中での女性解放

 一八世紀末までに、新しい生産様式、すなわち資本主義の発展が見られるようになった。この変革に含まれた変化は、社会における女性の地位に重要な結果をもたらした。農民や職人など何世代もふくんだ生産単位である大家族は、現在では「核家族」(非生産単位)と呼ばれるものに置きかえられた。この家族の中心は家庭の主婦だった。彼女は工場や会社や公共サービスで労働者として雇われていないため、生産的ではないとされた。男性は、妻や子どもたちのための稼ぎ手とされ、彼は「家長」であり、彼の賃金は家族全員の生存のために支払われているとされた。女性によって行われる家事は見えなくされた。それは賃金という形では報われなかったからである。女性は経済的には、完全に夫に依存していた。
 もちろん、女性(と子ども)は、工場制度のそもそもの初めから新しい工場で働いていた。児童労働に反対し、健康と安全に関する保護的措置を求める闘い、労働時間の短縮などを求める闘いは、男性と女性の本来の役割に関する新しいイデオロギーと結びついていた。理想的家族とは、男性が妻を家庭にとどめ置くことができる核家族だった。イデオロギー的レベルでは、男性(理性、文化、公共生活など)と女性(直観、自然、私的生活など)の著名な二分法が再確認された(5)。
 第二次世界大戦後、女性の状況は避妊などの点でかなりの程度変化し、中絶を選択する女性の権利のための闘いは、その中の重要な部分を占めた。女性のための新たな教育の機会、女性による(核家族の外での)賃金労働の一般化も、男性との関係での彼女たちの立場を変化させた。単純に離婚率の上昇を見ただけでも、もはや夫の賃金に完全に依存することなどなくなった女性たちの自立の増大を示している。
 しかし真の経済的平等は達成されなかった。ケアなど女性の伝統的スキルの価値は低く見積もられ、女性たちはこうした役割で働く際に低賃金であっただけでなく、男性とならんで働く場合でも女性たちの賃金は低く、その価値は軽んじられた。彼女たちはパートタイム労働に追いやられた。それは多くの場合、子どもを見る時間が与えられなかったためであり、女性には失業がより簡単に受け入れられたからである。
 こうした事情の根本的原因は、女性たちが家族のケアの中心的存在であるという事実にある。実際、女性たちは経済的自由の拡大のために大きな代価を払った。彼女たちは職業と家庭内の仕事(その八〇%は女性が担っている)を「結びつけ」なければならなかった。女性たちが、衣服、出来上がった食品などを買う余裕があった場合でも、すべての家族構成員の安心に満ちた暮らしへの中心的責任は、彼女たちの肩に背負わされた。
 第二波のフェミニストたちは、こうしたあり方を批判した。彼女たちの公共サービスや家事の集団化の要求は、資本主義の枠内での女性解放の可能性への批判的見解や、民主主義的な社会主義社会のための闘いを通じた真の解放の展望と結びついていた。

新しいフェミニストたちの登場

 一九七〇年代の終わりには米国と西欧で、欧州への核巡航ミサイル兵器の配備に反対する大規模な動員が見られた。まったく「フェミニスト」ではない、多数の普通の「主婦」たちがこの運動に参加した。平和運動に参加した女性たちは、英国の重要な軍事基地を包囲するグリーナムコモン平和キャンプを主導した。こうした女性たちの多くは、中絶・避妊キャンペーンに参加してはいなかった。彼女たちは、伝統的な主婦役割に疑問を呈することもなかった。
 しかし女性たちは平和運動の中で、いわゆる伝統的な「男」的価値である攻撃性、合理的思考法(核兵器と戦争ゲームの論理!)、テクノロジーと自然科学への無批判的信仰、そしてあらゆる類の「マッチョ」的態度への特別の批判を発展させていった。
 この新しい、より柔軟なフェミニズムは、発展する緑の運動と緑の諸政党の中にその場を見出した。女性たちは自分たちの歴史を再発見した。「魔女火刑」、女性のからだの医学実験材料化などである。女性たちは新しい緑の思考に居心地の良さを感じ、「スモール・イズ・ビューティフル」、オルタナティブなライフスタイルを発展させていった(自分でパンを焼くことからハーブ療法まで)。
 エコフェミニスト的世界観は発展し、家父長制(「男」的価値と態度の表現)や、自然そして究極的には生命それ自体をも破壊する産業システムを非難した。
 科学の対象としての女性の医学的治療と、アグリビジネスが農民を産業的な植物・食肉生産者に変えてしまうやり方の間のパラレルな関係についての分析は、確かにきわめて強力なものである。しかし私は、家父長制をこうした展開の主要因だと指摘するエコフェミニストには同意しない。
 家父長制についての単純で超歴史的な認識(言い換えれば、すべての男たちの根本的かつ永遠不変の性質)は、この二〇〇年間で人間社会に起こったすべてのことを説明できるのだろうか。現代史を見れば、世界全体を覆う資本主義的生産様式の成長と発展こそが、社会主義フェミニストとエコフェミニストの双方が描き出す変化の中心にあるものなのである。
 前資本主義社会において女性たちが行った多くの活動(伝統的医療、地域的な食物、衣服の生産などにおいて)は、資本主義経済へのこうした活動の組み込みによって破壊された。資本主義経済における利潤のための商品生産が、かつては重要だった人間のニーズのための使用価値の生産に取って代わったのだ。

人間解放に向かう運動の強化へ


 第二波フェミニストは、賃金と機会の平等、選択の権利、ジェンダーを基礎にしたあらゆる差別との闘いなどの具体的要求を通じた、ジェンダー間平等の可能性を強調した。彼女たちは男女間の根本的な類似性について確信を持っていた。彼女たちの闘いは、女性への特殊な抑圧についての分析と、より多くの公共サービス、家事の集団化など資本主義の論理と対決する要求とを結びつけるものだった。
 多くのエコフェミニストたちは、「フェミニン」な態度、「マッチョ」的な態度やふるまいと対照的な生活様式を価値づけた。二つのジェンダーは、深く根差した二つの現実(生物学的に決定された)の表現であるという主張に関して、彼女たちは時にそれとは区別された立場を取るようになった。一部のエコフェミニストたちは「すべての悪の根源である男」という主張に反対し、「アイデンティティーの政治」(訳注1)を発展させた。
 他方、社会主義フェミニストも、性的ステレオタイプ化は、両方のジェンダーに対して禁圧的に作用すると指摘した――たとえば男性は、自らのセクシュアリティーを問題に付すことなしに介護士になることを許されなかった。そしてもちろん、こうした課題はLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クイア)運動によって強力に取り上げられた。LGBTQ運動はステレオタイプ化の解体を支持し、それぞれのジェンダーに伝統的に適用された特質の価値化を主張していた。
 反資本主義的エコフェミニスト内部の別の思考のラインは、より興味深いものだ。彼女たちは、利潤のための交換価値生産と、人間のニーズを満たすための使用価値生産との間の資本主義の基本的矛盾から出発したからである。
 社会を氷山と見なすならば、海面から浮き上がって出ているのは体積の三分の一にすぎず、見えない三分の二の体積が頂点を支えている。したがってわれわれは社会を次のように描くことができる。
 可視的な資本主義経済は、賃労働、商品生産、交換価値、競争、成長、労働力と自然の搾取として特徴づけられる。この社会が機能し続けられるのは、まず第一に大人や子どもたちの面倒を見るために、人間としての基礎的ニーズの充足のために、女性たちが行っている不可視の家事労働によって支えられているからであり、第二にすべての自然システムの再生が保障されているからである。
 少数者ではなく多数者の福祉に基づく社会を建設するためには、社会的再生産、個人的・社会的ニーズの充足、使用価値の生産、そして生命の生物物理学的基盤の保存の活動を、われわれの関心と実践の中心に置く必要がある。
 自然の破壊、資本主義的条件の下での資源の枯渇を分析・批判するエコロジー経済学は、これまで過小評価され、多くの場合に不可視化されてきた女性の活動(日々の生活とすべての個々人の福祉を維持するのに必要な活動)を分析の中心に置くフェミニスト経済学と結合され、こうしてフェミニズムとエコロジーの新たな相乗化が作りだされなければならない。
 現在の文明の危機は、複合的な矛盾と緊張によって引き起こされている。資本と労働との矛盾、資本主義的生産様式全体と自然(すべての人間がそれに依存している)の保護との矛盾、そして最後に一方における、再生産の課題、使用価値を通じた人間的ニーズの充足と、他方における利潤に突き動かされた商品生産との間の緊張である。
 この緊張に満ちた分野で、反資本主義、フェミニズム、そしてエコ社会主義社会のための闘争のエコロジー的側面との間で強力な連携が必要なことは、明らかである。
 女性解放のための闘い、女性の抑圧と自然の抑圧/搾取との間の強い類縁性・同一性への理解は、エコ社会主義社会における人間解放のための運動を強化することによってのみもたらされる。

(1)ヴァンダナ・シヴァ「種子と大地――女性、エコロジー、バイオテクノロジー」、『エコロジスト』誌 一九九二年1号
(2)ベルギーのチョコレート会社コート・ドールは、コンゴにおけるベルギーの植民地支配の最盛期だった一九五二年、野生生物をテーマにした写真集を出版した。このアルバムに忘れることのできない写真があった。その写真集のタイトルは「コンゴの動物相」だったが、最後のページには市場で食べ物を売る黒人男女を撮った写真が掲載されていた。それは大型の猿に関する章の一部だった……
(3)A・デスモンド、J・ムーア『ダーウィン』、ハモンズワース、一九九二年
(4)ヴァンダナ・シヴァ前掲論文
(5)E・ショーター『近代家族の形成』、ロンドン、一九七六年
(訳注1)「アイデンティティー政治」は、差別・抑圧された社会集団が自らの固有のアイデンティティーに基づく要求・主張に基づいて自己解放をめざす実践をさす。

▼マリケ・コールはアムステルダムIIRE(調査・教育のための国際研究機関)共同代表の一人。彼女はベルギーのゲント国立大学で生物学を学び、一貫してエコロジー問題や自然保護に関心を抱いてきた。学生時代、彼女は一九六八年五月のパリ「五月革命」に連帯し、ベトナム反戦運動にかかわるラディカル左派の活動家になった。彼女はRAL/LRT(革命的労働者同盟、第四インターナショナル・ベルギー支部)の創設メンバーになった。一九七〇年代は、ベルギーでの女性運動が始まった時代でもあり、彼女は中絶や避妊の自由を求める運動で中心的役割を果たし、後には危機に立ち向かう労働組合の女性たちの運動にも参加した。彼女は一九七九年の第四インターナショナル第一一回世界大会の女性解放決議の執筆にも参加した。二〇〇八年、彼女はフランスNPA(反資本主義新党)の結成に関わり、二〇〇九年一月NPAの全国指導部に選出された。
(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年六月号)
 

 


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