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    かけはし2012.年7月16日号

緊縮継続への信任などない

ギリシャ 新たなメモランダ政権を前に

先鋭化確実な階級闘争に向け
統一した社会的抵抗の準備を

アンドレアス・クロケ

ネオナチ、正体現すも地位確立

  進行中のギリシャに関する論争の一環として、六月一七日の選挙結果に対するギリシャ支部の同志による評価が、「インターナショナルビューポイント」誌に寄稿された。以下に紹介する。(「かけはし」編集部)
 六月一七日のギリシャ議会選挙は、五月六日の選挙後どの政党も連立政権を形成できなかったが故に必要となった。結果は、予想外ではなかったが、二九・七%(五月六日では一八・九%)をもって、右翼の新民主主義(ND)の勝利となった。左翼の連合SYRIZAの得票率は、一六・八%(五月六日)から二六・九%へと上昇したが、再度単なる第二位政党となっただけだった。こうして、政権形成にとっては決定的な議会における五〇の「特別」議席は、新たな指導的メモランダ党であるNDによって奪取された。しかしながらNDは、一二・三%を得て(〇・九%の減少)第三党につけた、ひどく縮み信用を失った前社会民主主義のPASOKと連立政権を形成することを強いられている。SYN党(SYRIZAの指導勢力)からの右翼分裂政党であるDIMARもまた新政権に参加するだろう。DIMARは六・三%(〇・二%増)を獲得し六番目につけている。DIMARは初めて、メモランダ政策の責任を公然と引き受けることとなる。メモランダ政策支持を拒否したND離脱政党の「独立ギリシャ人」は、七・五%(三・一%減)をもって再度四番目の位置を確保することで終わった。
 「黄金の夜明け」(GM)のネオナチ徒党は六・九%(〇・一%減)をもって、今や第五位につけている。彼らのテロリスト的特性は、移民や左翼政治家に対するナイフやこん棒を使ったあからさまな攻撃――全面的に人々が見ている前で――をもって、五月六日の投票後の数週間で公然とあらわとなった。そうである以上、ネオナチの安定化は、なおのこと注目すべきことだ。何のために投票しているのかを支持者は分かっていないのだ、などとはもはや誰も言うことはできない。社会生活内に加えてギリシャ議会内におけるナチ勢力の永続的定着――しかし、アテネや他の場所の街頭におけるほとんど日常的なテロ襲撃と共に――は、今回の選挙のもっとも衝撃的な結果だ。
 KKEは四・五%を獲得したにすぎず、五月との比較で四%を失った。三%――五月六日における敷居――に届かなかった全政党は大幅に票を減らし、今回の選挙結果に対してほとんど意味あるものを残さない存在となった。そこに含まれる政党は、一・六%(一・三%減)のLAOS、一・六%(〇・六%減)のDimourgia Xana、〇・九%(二%減)の「グリーンエコロジスト」、そして〇・三三%(〇・九%減)のANTARSYAだ。有効投票総数は、有権者の六一・五%(一・二%減)に当たり、再度これまでよりも明確に低くなった。

NDと緊縮派の弱々しい「勝利」

 選挙結果をより子細に見れば、それは、五月六日との比較において左右の移動はまったく大きくはない、ということを示している。右翼諸党(NDからGMまで)は合わせて四七・三%となった。PASOKの割合は、「新しい」右翼政党としてここに加えられるべきかもしれない。左翼は、DIMARとグリーンをも計算に入れれば全部で三九%を得た。
 これまではNDとPASOKであったが、今やDIMARもそこに入ったメモランダ諸政党は、合計で四八・三%となったが、もちろん議会の中でははっきりとした多数を確保している。ブルジョア議会主義のルールに従えば、これは、メモランダ政策継続に対する「民主的な権限」の付与と解釈されるかもしれない。そうだとしてもこの「権限」は、公式的な意味においてであってさえはなはだしく弱い。
 NDの「成功」に寄与したものは部分的に、メモランダ諸政党とギリシャ並びに他の欧州諸国のマスメディアによる前例のない宣伝キャンペーンであったことに間違いはない。それによれば、左翼の勝利は、ユーロ圏からのギリシャの即時的離脱、この国の絶対的な経済的破滅、あらゆる支払いの消滅、などを意味するとされた。加えてNDは、五月六日の際にはまったくバラバラになっていた伝統的な右翼支持者のほとんどを惹き付けることができた。それにもかかわらずNDの選挙結果は全般的に弱々しい。そこには、今や指導的政権党としての役割と一体的に継続するはずの、歴史的な退潮傾向が映し出されている。
 左翼の側では、SYRIZA党あるいは連合がそれ自身を、鮮明な指導勢力として確立できた。その主要な理由は、この党が先頭に出れば、「左翼政権」という展望を提供すると思われた、ということだ。

強さと弱さ示した全左翼の課題


 左翼諸政党あるいは連合について言えば、特に二〇一一年一〇月の偉大なゼネスト後二つの指導的な改良主義政党、つまりKKEとSYRIZAから出された「即時選挙を!」のスローガンには戦略的破綻が現れている、ということが確認されるべきだ。議会選挙を通してメモランダ政策を止めさせる可能性はなかった。二つの選挙における左翼の全体としての相対的強化は、二〇一〇年五月からの、二〇一一年六月と一〇月、さらに二〇一二年二月を頂点とした、社会的抵抗の大動員が作り出した結果だった。抵抗は、メモランダ政策を打倒する強さを十分もってはいなかった。このことは理解されなければならない。こうして偶然ではないこととして、今回の選挙結果における全左翼の強さと弱さは、ギリシャ社会の主要階級の間の実体的な力の均衡を反映している。選挙結果はこの点で、抵抗運動の一時的敗北の政治的表現だ。
 今回の選挙におけるKKEの弱さは部分的に、他の左翼勢力とのどのようなレベルにおける協力にも向けられた厳格な拒否を伴った、この党の断固とした「孤立戦術」によって説明可能だ。これは、抵抗運動の強化によってであれ、あるいは(最終的には幻想である)議会主義の道によってであれ、どちらでも、現行政策を終わらせるために考え出された展望の、必然的にまったく完全な欠如と結びついている。
 SYRIZA指導部は特に五月六日以来、現存政治社会システム――つまりギリシャ資本主義――の管理に向けた「左翼」連合として、政府レベルでその空間を切り開くことに向け明確な数歩を歩んできた。それでも明白なこととして、この点に関する限りギリシャと欧州の支配階級は、SYRIZAの奉仕を受けずにやっていく方を望んでいる。SYRIZA指導部はトロイカの債権の論理を、こうしてその返済を、同時に賃金と年金の削減や最初のメモランダムによって強要された生活基準の全般的切り下げ、さらにユーロ圏残留の尊重をも、丸ごと受け入れてきた。これらの物事は、支配階級から突き付けられたとてつもないジレンマにはらまれた「妥当性」を受け入れつつ、政府の政策の主要目標として考えられた。このようなやり方で、昨年の運動の主な要求、「われわれには何の義務もない、われわれは払わない、われわれは売らない!」は、完全に薄められ、その反対物へとひっくり返された。移民という中心問題に関しては、SYRIZA指導部は、どうすれば社会的抵抗が元気を回復し元に戻ることが可能か、ネオナチの大群が引き起こす日常的な脅威をどうすれば押さえ込めるかについて、たった一語も発しなかった。
 ANTARSYAにとって六月一七日の選挙結果は、崩壊にほとんど等しいものだ。五月六日の後、この陣営の弱点すべてがものすごく明確となった――たとえば、さまざまな組織のエゴイズムを克服する能力不足の結果としての、中心部分における団結欠如、地方委員会の基礎組織の弱さ、中心問題に明確かつ説得力を持って対応し立場を取り、五月六日後の政治情勢に立ち向かう、そのための能力不足――。ANTARSYAは、この敗北を前に必要な自己批判を行い、適切な結論を引き出す必要がある。もしそれができなければ、この連合が継続できる可能性はほとんどない。抵抗運動の主なエンジンの一つとして、また左翼の反資本主義的かつ革命的な極としてANTARSYAが発展する道は、このようなやり方の中にのみ可能性が開かれるだろう。
 統一戦線政策の精神において全左翼による統一した諸行動に向かう諸段階を始める点で、不足はまったくない。待ち受ける諸戦闘に向けた綱領的展望はANTARSYAによって、大部分正しく概括されてきた。来る数カ月、階級闘争は疑いなく鋭いものとなるだろう。これこそ、社会的抵抗が準備しなければならないものである。
二〇一二年六月二一日

▼筆者は、OKDE・スパルタコス、第四インターナショナルギリシャ支部の指導的メンバー。二〇〇〇年以来、「インターナショナルビューポイント」と「インプレコール」への定期的寄稿者。(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年七月号)
 

パラグアイ

大統領の不当な罷免を認めない、人民による決定を!


アルゼンチン労働者社会主義運動(MST)

  六月二二日、右派が多数を占めるパラグアイの議会は左派のルゴ大統領を、農民の土地占拠運動を容認した、などという理由で罷免した、以下の声明は隣国アルゼンチンのトロツキスト組織・労働者社会主義運動(MST)全国執行委員会による、ルゴ大統領罷免に反対する声明である。アルゼンチンMSTは、今年二月に開催された第四インターナショナル国際委員会にゲストとして参加している。(「かけはし」編集部)
 アルゼンチン労働社会主義運動(MST)は、パラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領を、虚偽に満ちた糾弾国会決議によって罷免したパラグアイの「制度的クーデター」を認めない。ルゴに代わって、この不当な策動を共謀したコロラド党出身の副大統領フランコが大統領となった。またわれわれは、この不正に満ちた大統領解任に反対した数千人のデモに対して行われた暴虐な弾圧も認めない。

 腐敗に満ちたパラグアイ議会は、わずか数時間のうちに、いかなる司法上の弁護権も認めず迅速な手続きを通じて、真正急進自由党、コロラド党、最愛祖国運動、コロラド党UNACE派、人民民主党による議会多数派の賛成で、民衆によって選ばれた大統領を解任してしまった。しかし大統領の職務遂行停止を決める権利を持つのは民衆だけである。
 このクーデターは、パラグアイ人民の民主主義的権利への侮辱であるだけでなく、この国に展開する巨大アグリビジネス企業、大土地所有者、多国籍企業の利益を保護する目的に奉仕するものだ。
 パラグアイの右翼がこうした暴力を行使することが可能になったのは、かれらの利益やかれらが数十年間にわたって握ってきた権力の源泉を攻撃するためにルゴが何もせず、農民や労働者や民衆に有利な選挙での公約を、彼が放棄してしまったからである。全土の八五%が住民のわずか二%によって所有されているこの国で、ここ数年で幾千・幾万もの農民家族が住んでいた土地を奪われた結果として、大豆生産は一五%も増加した。
 ルゴは二〇〇八年の選挙で民衆の大きな支持を得て、数十年間にわたるコロラド党の支配に終止符を打ち、大統領に選出された。しかしルゴは民衆組織に依拠するのではなく、最初は自由党と、そして次にはコロラド党の一分派と、といったように伝統的右派政党の一部と連合を組んで政治を行った。政府のこうした右転換が、民衆の支持のレベルの低さや大統領への不信の拡大の原因であり、そこから右派がクーデターを遂行するのに有利な条件を獲得したのである。
 こうした情勢の中で、クルグアティの虐殺事件(土地なし農民の占拠闘争と警察官の衝突事件)が引き起こされた。六人の警察官と一一人の農民の計一七人が、組織的に企てられたと見なされたあいまいなエピソードに基づく疑わしい出来事で殺されたこの事件は、正当な農民闘争を抑圧するだけではなく、ルゴ政権を不安定化するために行われたものだった。ここで起きたことの重大な政治的責任の追及は、隣国の民衆を搾取する少数の者に奉仕する抑圧機構の解体に向かっていない。
 社会主義者であるMSTは、ルゴ大統領の罷免を非難し、フェルナンド・フランコの大統領への不当な任命を拒否する。国を誰が統治するのかをパラグアイ民衆が決定することを、われわれは望んでいる。民衆の大多数の必要に応える国のモデルを民衆が決定し、右派や、大資本家と多国籍企業の手下に立ち向かうことを可能にするために、即時の選挙と自由で主権を持った憲法制定議会の招集をわれわれが求めるのは、そのためである。
 われわれは、民主主義を主張するすべての政治・社会組織が、クーデターに反対し、パラグアイの兄弟姉妹の民主的権利を防衛するために結集することを呼びかける。われわれはアルゼンチンのクリスチーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領がこの正統性のない政権とのすべての通商・外交関係を断ち切り、このクーデターを孤立化させ、兄弟姉妹であるパラグアイ民衆の権利を守るために、次回のUNASUR(南米諸国連合)の会議で、わが国がこうした立場を取るよう求めるものである。

二〇一二年六月二三日、ブエノスアイレスにて 
MST(労働者社会主義運動)全国執行委員会

(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年六月号)

 


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