スペイン
民衆決起こそが民主主義を救出できる
九月二五日 国会包囲へ
エステル・ヴィヴァス |
今年春のゼネスト以来スペインでは、反緊縮の大デモがたびたび行われてきた。この湧き上がる民衆の怒りを前に現国民党政権は、より厳しい緊縮政策の実行を前提とするEUに対する財政支援の申し出をいまだ行っていない。そしてスペイン民衆は九月に入って、九月一五日、九月二五日と再び大規模な抗議行動に立ち上がり、それに対する弾圧も激しさを増している。以下は、この決起とそれに対する弾圧の意味を、特に民主主義の再生という観点から説き明かしている。書かれた日付は記されていないが、文面からは九月二五日の行動に向け書かれたと推測できる。なお、九月一五日の行動はポルトガルにおける一〇〇万人の大デモと同日の決行。そして少なくともポルトガルのデモは、この両行動を意識的に連携させる観点から準備された。欧州での反緊縮行動が一定の連携を射程に入れ始めているという点でも注目される。(「かけはし」編集部)
今年九月二五日、銀行と「市場」による人民主権の差し押さえに抗議するために、数万人の民衆がマドリードでデモをした。そこでの抑圧は再度暴力的であり、何十人もの負傷者を残し、数知れない逮捕もあった。以下の論文でエゼル・ヴィヴァスは、この決起に向けた志気、並びにかつて以上に暴力的となった警察の抑圧の理由をあらためて検討している。(IV編集部) 頂点にいる者たちが恐れ始めた
「彼らはそれを民主主義と呼ぶが、これは民主主義ではない」、これは広場でそしてデモ中繰り返された叫びだった。このスローガンは時が過ぎるにつれ、一層多くの意味を帯びることになった。自身の諸権利のために街頭で闘う人々に対する抑圧と汚名押しつけは、ここしばらく激しくなるばかりとなった。危機が悪化するにしたがい、そして抗議に立ち上がる人々に対する民衆的な支持が広がればそれだけ、抑圧の激しさはひどくなる。自由への熱望は、現在の「民主主義」共々絞め殺されようとしている。
先頃の日々は、ここで述べたことに対する格好の構図を提供している。今年九月一五日、マドリードでの緊縮反対デモの中で活動家たちが拘束されたが、彼らの罪とは何だったのだろうか? 「九月二五日国会包囲」とのスローガンが入ったプラカードを持っていたことだ。翌日、二台のワゴンに詰め込まれた警官が、レティロにある公園で何十人もの人びとについて身分証明書検査を行った。その目的とは? 先に言及した行動に向けた準備会合への参加だ。五日後、これらの活動家の何人かは、国家の最高機関に対する攻撃という容疑で告発された。彼らは最高で一年間投獄される可能性があった。
「九月二五日国会包囲」行動の目的は何だったのだろうか? そのアピールはそれをはっきり示している。「次の九月二五日われわれは、この機関を不用なものに変えてしまった誘拐から救い出すために国会を包囲する。誘拐、それは、トロイカと金融市場によって遂行され、多数派の諸政党の同意と協力によって達成された」と。この行動の形態はどのようなものと予定されていたか? その組織者はかつて語り、そして再度語った。「非暴力」と。これらすべての警察の措置を必要としたものは、どのような類の恐れなのか?暴力に対する恐れなのか、それとも表現の自由に対する恐れなのか?
「底辺にいる者たちが動く時、頂点にいる者たちは震えあがる」、まさに私は二、三カ月前社会センターでこう語った。それが真実だ。たとえ部分的にすぎないとしても、恐れは、それにとらえられる陣営を変え始めた。上に見てきたような抑圧方策は、権力を行使する者たちをとらえた恐れを示している。人々が蜂起し、組織し、不公正に対して自身を自由に表現する、という恐れだ。多様な民衆を前にした一握りの者たちの恐れだ。
誰がクーデターを策したのか
「九月二五日国会包囲」に対する犯罪視は実際上、マドリードにおける政権の代表者、クリスティナ・シフエンテスが先の呼びかけを「偽装されたクーデター」と特徴づけた一カ月前に始まった。前閣僚でありPSOE(スペイン社会労働党、前政権党・訳者)下院議員のホセ・マルティネス・デ・オルモスは先の行動を、一九八一年にテジェロが試みたネオフランコ派一揆になぞらえた。「テジェロがやったように内部からであろうが、九月二五日にある者たちが望むように外からであろうが、議会占拠に込められた目標は同じであり、それは主権の差し押さえだ」と。それは、国民党(現政権党・訳者)書記長、ドロレス・デ・コスペダルが昨日繰り返した言葉だ。
クーデター? しかし政権を転覆させる今ここにいる反乱者は、望み通りに政権を倒し、彼らの信頼できる子分でそれを置き換える、そのような金融権力だけだ。彼らはイタリアで、ゴールドマンサックスの前顧問であるマリオ・モンティを支持しつつ、シルヴィオ・ベルルスコーニを退陣させた。彼らはギリシャで、ゲオルギオス・パパンドレウを、元欧州中央銀行副総裁のルカス・パパデモスで置き換えた。スペインの経済相であるルイス・デ・グインドスは、リーマンブラザースの前雇われ人だ。ジャーナリストのロバート・フィスクはまさにそれを、「銀行と格付け会社は西側の執政官となった」と表現している。そして、「市場」が入り口から入ってくる傍らで、民主主義は窓から出ていく。
議会が「人々の意志を代表する」と今日信じることは難しい。閣僚と下院議員のかなりの数は私企業出身であり、他の者たちは、彼らの政治的キャリアが終わるや否やそこに戻っている。諸企業は彼らに対し、与えられたサービスの対価として気前よく報いている。エドアルド・サプラナを覚えているだろうか? 最初は雇用相であったこの者は、次にはテレフォニカの顧問だ。エレナ・サルガドはどうだろうか? 経済副大臣であった彼女はアベルティスの顧問となった。前経済相であり、次いでIMF理事、そして最終的にバンキア(現在破綻と救済が大問題となっているスペインの大銀行・訳者)総裁となったロドリゴ・ラトについては言うまでもない。銀行首脳としての彼の投機は、われわれには高いものについている。元首相のフェリペ・ゴンザレスとホセ・マリア・アズナールも忘れてはならない。前者はガス・ナチュラル顧問となり、後者はエンデサ、ニュース・コーポレーション、バリック・ゴールド、ドヘニー・グローバルグループその他のために働いている。ものごとの動きとはそういうことだ。
もっと多くの民主主義のために
しかし民主主義とはまさしく、怒れる者たちの運動が今要求しているもの、民衆に奉仕する実のある民主主義であり、ビジネスによる政治の差し押さえ、あるいは自己決定に対する民衆の権利を否認するスペイン中央集権主義とは両立しない。逆説的なことに、「反民主主義者」と思われてきた者は抗議に立ち上がった人々だ。それは、いかなる選挙マニフェストにも示されていなかった緊縮策を含む予算討論期間中の二〇一一年六月一五日に、カタロニア議会を象徴的に「包囲」したが故の反民主主義者だ。それは、あちこちの広場で集会を組織し、大衆的討論を活気づけたが故の反民主主義者だ。それは、空き家を占拠しそれを社会的な用途に向けたが故の、決定的には、不公正な法とその施行と闘っているが故の反民主主義者だ。
そして街頭により多くの民主主義がある時、さらに多くの抑圧がある。マドリードのM15運動(大型地方選投票日一週間前の昨年五月一五日、多くは若者からなる巨万の人々が決起しマドリード中心部の広場、プエルタ・デル・ソルを占拠し、この占拠は何日も続いた・訳者)の四四六人の活動家に対し内務省が課した罰金は一三万三〇〇〇ユーロ。「バレンシアの春」に関わった二五〇人の学生たちに対しては六〇〇〇ユーロ、ガリシアでの活動家に対しても数百ユーロの罰金が課せられたが、ここであげた例はほんの二、三にすぎない。それと共に、五月二九日のゼネスト並びに抗議の新しい形態を犯罪とする刑法修正以来、カタロニアでは一〇〇人以上の逮捕者がいる。
緊縮政策のもう一つの顔は恐怖と抑圧の政治だ。あるものは刑罰国家であり、社会的国家としての姿は少ない。民主主義はそれを実行していると主張している者たちの側にはなく、むしろそのために闘っている者たちの側にある。歴史はこうした例で満ちている。そして「九月二五日」はその一つとなるだろう。
▼筆者は、ポンペウ・ファブラ大学社会運動研究センター研究員、新自由主義の諸問題に関するいくつかのスペイン語著作があり、『ヴィエント・スル』誌編集委員でもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年九月号)
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