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    かけはし2012.年3月12日号

返済強要が不当なのは法的逸脱の故ではない

ギリシャ

債務危機に対する民衆の回答は
その全面的帳消しに導く闘争だ

OKDEスパルタコス(第四インターナショナル・ギリシャ支部)

 

 欧州をゆるがしたギリシャのデフォルト危機は、二月中旬から三月はじめにかけた、欧州支配勢力の一連の談合を通した「支援枠組み」合意によりひとまず山を越したかに見える。しかしそれは外見にすぎず、危機の実体は何一つ解決されていない。何よりも、「支援枠組み」と称するものの本質はギリシャ民衆への全面的な犠牲強要なのだ。なおここに示された「債務監査」ではなく「全面帳消し」を求めるギリシャ支部の立場について、二月末に開催された第四インターナショナル国際委員会は、ギリシャ支部の立場を了解するとともに、ギリシャ支部は欧州各国で第四インターが独立した債務監査委員会のキャンペーンを行うことについて了解した。(「かけはし」編集部)

債務監査委員会には反対する


 ギリシャ公的債務危機が勃発して以降、三種類の主張が左派ならびに労働者運動から出されている:債務のリストラ(そして削減)か、監査か、帳消しか。これは単にどのようなスローガンを掲げるかの問題にとどまらない。そこには政治戦略の違いがある。OKDEスパルタコスならびにANTARSYA(訳注一)は、そこにいくつかの論争点はあるとしても第三の主張を選択する。
 最初の主張(リストラによる債務削減提案)はシナスピスモスとシリザの多数派(訳注二)、ならびにもっと保守的な形で民主主義左派党のフォーティス・クベリス(訳注三)から出されているものだ。
 これは返済可能なレベルに債務を削減するためにその一部を帳消ししてくれるよう債権者と交渉しようという考えだ。これは多少となり政府やEUのイニシアティブで現に行われていることであるが、この方法で全債務の帳消しなど起こりえないことは明らかである。
 債権者からすれば、すべてを失うより、今後の投資のための新たな好条件(低賃金、労使関係の規制緩和など)と引き換えにいくらかの利益を失うだけの方がいいに決まっている。これはまさにブルジョア的プランであり、文字通り「リストラ」のプロセスでしかない。そのために、この主張は労働者階級からの左派への信頼を急速に失わせ、彼らに赤っ恥をかかせた。
 債務契約をチェックしその中の不公正な部分を割り出す債務監査委員会の設置要求に対してはより突っ込んだ議論が必要だ。この委員会の根本目標は自分たちが返済義務を負わされている債務が公正性も正当性もないことを大衆に明らかにすることにある。
 この考えから、一部のギリシャのエコノミストが左派ならびに全ギリシャ社会主義運動(PASOK)の元メンバーの政治家(たとえばソフィア・サコラファ議員)とともに一年半前、監査委員会(ELE)の設立要求を発表した。この提案は今日ではすでに多少時機を逸したものとなっており、また実際の委員会設置に向けてほとんど進展もしていないようだ。しかし、それでもやはりこの主張の是非を検討することは重要だ。
 債務監査のプロセスは債務帳消しの主張につなげることができるが、債務帳消しの主張そのものと同意ではない。われわれからすれば、ELEの最初の呼びかけはこの点を明確にしていない。しかし、問題はこれだけではない。大きな問題はこの主張をする者たちがどのような視点に立っているのかということだ。もし、債務が国内・国際法規制に照らして正当性があると判断された場合、その債務の一部だけ帳消しするのか? それともそれが正式には正当性があろうがなかろうが労働者階級がその重荷を背負うのを拒否するのか?
 危機に対して反資本主義的立場から取り組む急先鋒として債務帳消しを主張するわれわれは以下の五つの理由からギリシャ債務監査委員会(ELE)に反対する。

帝国主義的戦略にこそ真の責任


1、ギリシャの公的債務は第三世界債務と同じタイプのものではない。
 経済学的に言ってこの債務は、国を不法に占有し、生産性比較の違いによる不平等取引で利益を上げる帝国主義国家によって押し付けられたものではない(不平等取引がギリシャ債務の原因という側面は多分にあるが)。ギリシャ債務はギリシャのブルジョア階級(かれらも帝国主義者である)により意図的に選択された開発戦略によるものだ。
 この過度に野心的な戦略――過剰な公的借り入れと通貨ユーロを武器にした東欧への経済侵略――は失敗し、誰が危機のツケを払うかという資本主義者同士の内ゲバで袋だたきにあっているのだ。
 さらに、ギリシャの債務危機はこの国の独自の事情によるものではなく、世界的な資本主義構造の危機の一部であり、過剰な蓄積による危機であることが最新の分析でますます明らかになっている。これが最初にギリシャのようなもっとも弱い部分に襲い掛かったのだ(よってギリシャ固有の問題ではない)。
 技術的側面から言うと、委員会が審査するような契約はほとんど存在しない。なぜなら公的借り入れは第三世界の通常の場合と異なり融資ではなく国債を通して行われたからだ(少なくともIMF、EU委員会、欧州中央銀行のトロイカによる救済融資以前は)。よって、この債務をとりあげることで明らかになるものがあるとしたら、それは階級間収奪を倍加させるメカニズムとしての、債務の非常に搾取的な構造だろう。しかし、これを暴露する役割を負うのは基本的に債務監査ではなく、マルクス主義的政治分析であり、政治活動であり、そしてもちろん、政治闘争である。

支払い拒否はすでに大衆的要求

2、債務が公正なものでないことをギリシャの労働者や抑圧されている人々に納得させるのに何の苦労もいらない。ほとんどの人はその点、納得している。そして大衆を「おびえさせていけない」という口実の下に債務帳消しについて話そうとしてこなかった左派政党が、単なる偽善者といって悪ければ、わけもなく保守的であることが明らかになりつつある。
 「怒れる者たち」の運動の期間にシンタグマ広場で開かれた民衆大集会で、最初に投票決議された事項の中に、債務返済の即時停止(年金基金に対するものを除く)の要求が含まれていたのは示唆的だ。当時はまだ、債務返済停止を主張していたのは極左”(特に目立っていたのはANTARSYA)だけだった。
 最近の世論調査では、いわゆる民衆の意見の三分の一以上が公的債務帳消しに賛成している。この割合は労働者階級では明らかにもっと高くなるだろう。このパーセンテージは、公的債務の帳消しはわれわれ全体に壊滅的災厄をもたらすと声高に叫ぶのをやめないギリシャ政府とマスメディアのプロパガンダを考えると非常に意味のある数値だ。
 一年以上前は債務帳消しの主張に異を唱えていた共産党は、大衆を「怖がらせたり」人気を失う心配がなくなったので、いまや立場を変えて帳消しを支持しているとも伝えられている。真の問題は大衆に「債務を支払うべきではない」とどう説明するかではなく(彼らはすでに知っている)、どうすれば実際に支払いせずにすむのか、どうすれば債務帳消しを押し通せるのか、仮に返済拒否できた場合、どうやって国内・海外のブルジョア階級の執念深さから自分たちを守るのかをどう示すか、である。
 もちろん国際的な連帯キャンペーンという文脈ではことは大きく違う。この場合、この債務の影響を直接受けているわけではない人々に、この債務がギリシャの労働者をいかに搾り取り、破滅に追い込んでいるか示すために監査は本当に重要かもしれない。ポイントは、海外から監査委員会のために署名した活動家を非難することではない――彼らからすれば、これは連帯の気持ちの正当な表れなのだ。にもかかわらず、国内の戦略としての監査要求は明らかに後ろ向きといっていい。

エクアドルは手本にならない

3.ギリシャは、監査の成功例として常に言及されるエクアドルとは根本的に異なるケースである。エクアドルは革新政府で、自ら監査委員会を設置し、公的借り入れ契約をチェックするイニシアティブをとった。そして実際に対象となる債務契約が存在した。この政府は、同時に限界を抱えてはいるものの、大衆運動と労働者の階級闘争の結果生まれたものだ。
 一方、現在の「挙国一致」政府も前のPASOK政府も、ブルジョア階級が労働者階級に仕掛けている野蛮な戦争の主要な道具である。彼らは、階級間の和解を多少なりとも受け入れる気などまったくない資本の代理人として動いている。
 そしてギリシャ政府もギリシャの資本家も、債権者に損をさせないと固く決意しているのはよく知られている。債務のデフォルトは彼らの開発計画全体に対する脅威であるとともに、彼ら自身の直接の利益に対する脅威でもある。彼ら自身の多くが債権者なのだ(債務の三分の一以上がギリシャの銀行によって保有されている)。
 よって、最初の呼びかけで言われているように、債務契約をチェックする許可、あるいは「必須の権限」を債務監査委員会に与えるよう、そのような政府に懇願すること自体が笑止千万なのだ。このような要求は、なにか「全国家的な難問」のようなもの、われわれの国への海外からの「略奪者」に対する国民的闘争といった共通の課題を、私たちが政府と共有しているという考えを暗に示している。
 実際はそれとは逆に、われわれの目下の課題は、「われわれの」政府が海外の銀行のいいなりになりっぱなしの点において非難に値するだけでなく、われわれを苦しめている攻撃の中心的な担い手であり、打ち倒すべき相手なのだということを、反乱を起こしている大衆に示してみせることである。さらに、コレア政権が不公正であるとして支払い拒否している額は、現在のギリシャ政府債務の五%にも満たない。国際金融システムは、エクアドル程度の損失には寛大になれても、ギリシャに対してはそうはいかないだろう。
 もし、エクアドルがギリシャと比較するに適切な例でないとするなら、ELEのエコノミストがときどき引き合いに出す他の例はどうだろうか? たとえば一九九八年のロシアだ。このロシアの公的債務の一部帳消しは、一〇〇%ブルジョア階級の計画の一部をなすものである。これは帝国主義国間の競争に関する問題で、民衆の要求やロシアの労働者階級の利益とはまったく関係がないことは説明するまでもないだろう。

何よりも大衆的闘争にこそ全力を

4、ELEは「著名人」に支援された純粋に科学的、技術的委員会たることを目指している。これはキャンペーンでも戦線でもないし、労働組合や政治組織・社会運動も含んでいない(呼びかけ文では「この委員会は政党からは独立」とされている)。第一に、これは非常に官僚主義的であり、この委員会の専門家がどのように大衆運動のコントロールを受けるのかが明確でない。
 しかし、問題はこれだけではない。ELEの政治的枠組みは、最初の呼びかけにあるような、あるいは、最もラディカルな署名者が望むような「中立」なものではまったくない。
 これはむしろ、社会民主主義的な組織だ、すなわち、その第一の目標は、資本主義支配を壊すことなく、システムをうまく管理することで危機からの脱出口を見つけることだ。
 呼びかけ文によると「委員会はなぜ公的債務が作られたのか、どのような条件で契約がなされたのか、借り入れいられた資金がどのように使われたのかを明確にすることを目指している。これらを考慮した上で、委員会は、不法・不公正・忌むべき(独裁者)債務とされたものを含む、債務の適切な処理の提言を作成する。委員会の目的は、ギリシャが債務の重圧を打ち破るに必要なすべての手段を講じる手助けをすることだ」。
 この種のレトリックは、労働者階級や奪われ抑圧されている社会階層ではなく、「ギリシャを救う」方法を求めるという偽りの愛国心を強化するものだ。しかし、危機においてはギリシャ全体を救う方法などない。なぜなら資本家と労働者の両方を救うのは不可能だからだ。救われるのはその片方だけだ。もう片方の完全なる犠牲の上に。

5、債務に関する技術的議論は有益であるが、その重要性は二次的、あるいは補足的なものにすぎない。基本的に、ギリシャの公的債務危機は技術的問題ないしは管理の問題ではなく、根本的な階級的矛盾の問題だ。
 誰が危機のツケを払うのか? 誰が危機を引き起こした破壊過程の重荷を背負うのか? 労働者・抑圧されている人々に返済義務が押し付けられている債務は、法規制に反しているから不公正なのではなく、民衆の基本的利益と権利を暴力的に侵害しているから不当なのだ。
 もし、技術的な側面に議論を絞るなら、それは政府やブルジョア階級、そこにくっついている専門家、マスメディア、プロパガンダグループを喜ばせる結果になるだけなのは目に見えている。重要なのは債務を検証するのに必要な政治的核心事項、つまり国家財政のデータ、バランスシート、財源などにアクセスする労働者階級の権利、あるいは労働者のコントロールだ。われわれはこの要求は支持する。しかしこれはまさに一つの過渡的要求であり、現在の資本主義とブルジョア国家の状態では達成できない。そして当然、「必須の権限」をブルジョア政府にお願いしても、そのような目標達成の役には立たない。
 われわれは監査委員会にも、左派が唱えるさまざまな債務リストラ計画にも、戦略として採用することには同意しない。同時に、われわれはすぐに大衆運動の優先化に着手する。われわれは、われわれが直面する問題に対して、それがどのような「進歩的な」提案であろうとも、国全体にとって好ましい解決法があるという考えは受け入れない。労働者階級と奪われた状況にあるものたちの第一の課題は、国内のその他の層を説得することではなく、債務帳消しを押し通すために闘争、ゼネスト、生産拠点などで圧力をかけることなのだ。その債務が違法であろうが、不公正であろうが、独裁者債務であるかどうかに関わらず。やつらはわれわれの議論を恐れているのではない。やつらが恐れるのは、ブルジョア階級支配を脅かすわれわれの力そのものなのだ。

▼OKDEスパルタコスは第四インターナショナルのギリシャ支部

訳注一) ANTARSYA:OKDEスパルタコスやSWP系組織などが参加する統一戦線組織。公式ウェブサイト(ギリシャ語) http://www.antarsya.org/
訳注二) シナスピスモスとシリザ:シナスピスモス(左翼環境連合)は、もともとはギリシャ共産党とギリシャ共産党(国内派)などの選挙連合で「左翼急進連合」と称したが、のちにギリシャ共産党が離脱し、二〇〇四年に政党として改組・改名した。同年、他の政党と選挙連合であるシリザ(急進左翼連合)を結成し、シナスピスモスがその中心を担っている。二〇〇九年一〇月の国会選挙で三〇〇議席中一三議席を獲得(ギリシャ共産党は二一議席)。
訳注三) フォーティス・クヴェリス:二〇一〇年六月にシリザから離脱して民主主義左派党を結成。ギリシャ共産党(国内派)の出身。

ギリシャ

資本と家父長制の神聖同盟あらためて前面に

債務反対、緊縮政策反対の
独立した女性運動が不可欠

ソニア・ミトラリア

 債務反対、緊縮政策反対の独立した女性の運動が、ギリシャでなぜ必要なのか。それは、債務危機とそこから来る緊縮政策が、われわれのくらしの日々の側面すべてで、われわれ女性を苦しめるからだ。そして、もし女性が抵抗のために自身を組織しないのならば、われわれに代わってそれを行う別の者は誰一人いないだろう。

大量解雇そして
無報酬奉仕強要


 しかし、債務危機と緊縮政策はなぜ、より特別に女性を苦しめるのか。

 それは、債務危機の中での新自由主義的緊縮策が、福祉国家の中で残っているものおよび公共サービスに、特に狙いを定めているからだ。公共サービスを解体もしくは私有化することによって、国家は、市民に対してかつては負っていた社会的責任を否認し、それを――再び――家族へと移している。そのようにして、子ども、病人、老人、障がいのある人々、また、非常な困難を抱えたり仕事のない若者の場合ですら、その保護の仕事はもはや国家の責任とはならず、家族の責任とされている。しかも、何の報酬もなしという条件でだ。
 しかし家族という観念は極めて一般的かつ抽象的だ。すべての人が知っているように現実には、上に見たすべての国家の社会的義務を――実際上はすべてたった一人で、なおかつそれが何であれ何らの報酬もなしに――家族の中で引き受ける者は女性なのだ。それゆえ新自由主義国家が行う攻撃には、一石二鳥の効果がある。つまり、国家は「国家財政赤字を拡大し、それゆえ国家債務を拡大する」社会的義務から自身を完全に解放し、そしてわれわれ女性を強制して、見返りを何も求めずに働くことによってそれらの仕事を自ら背負うよう仕向けるのだ。

 すなわち女性は、仕事をするよう、否むしろ福祉国家の代わりをするよう強制されている……。

 その通りだ。しかしそこにはそれ以上のものがある。コインにはもう一つの面が、これらすべてのメモランダム(訳注)が女性に狙いを付けてわれわれを苦しめるもう一つの理由があるのだ。と言うのもわれわれは、あらゆる種類の公的な社会的サービスの解体や私有化と共に進んでいる大量の解雇によって苦しめられている最初の者なのだ。なぜならば女性は、それらの部門の労働力の多数を構成しているからだ。
 結果は単純であり、われわれの国の何千人という女性賃金労働者の利害に関わっている。それは、特にわれわれがすでに母親になっているか出産年齢の既婚女性であるならば、再雇用の望みなど絶対的に皆無のまま解雇される最初の者がわれわれだからというだけではない。それは、われわれが大量に失業のまま残され、特に若者が専門職に就くという将来をまったく期待できないまま残されるからというだけではない。さらにまた、われわれが貧困と不安定を宣告されるからというだけでもない。その上また彼らはわれわれに、疲労、ストレス、早すぎる老け込み、ただ働きその上余分な費用などすべての必然的な結果のおまけ付きで、かつては国家の任務であったものを背負わせもするからだ!

時代錯誤的家父
長制の舞い戻り


 それはそうだ。しかし、これは自身を家庭や家族に捧げるという真の使命に女性が戻ることのできる道だ、と言う人たちもまたいる。それは何よりもまず国家であり、さらに教会やいわゆる善意の人々だ。

 もちろん彼らはそう言っている! そう言うだけではなく彼らはそれを屋根に上がって叫んでいる。なぜならばメモランダムの非人間的な政策は、イデオロギー的包装に包まれて来ざるを得ないからだ! それはまさに安っぽい宣伝であり、新自由主義的諸政策のどう猛さを覆い隠すためにもっとも性差別主義的な反動的決まり文句を使っている。事実上われわれが今見つつあるものは、明らかに矛盾のある何かだ。つまりそれは、母親あるいは配偶者以外に他の任務をまったくもたずに家庭の中に閉じ込められていることが女性の「本性」だとわれわれに信じさせたがっている、過去の時代のもっとも反啓蒙主義的理論の支持者たちと、メモランダムの暴虐な緊縮策に見られるような資本主義の政策作成の頂点との間の連合なのだ。それは、われわれを「近代化」するのが望みだと語る、IMF、メモランダム、EU委員会と、教会あるいは右翼また極右に埋め込まれているもっとも時代錯誤的で女性蔑視の家父長主義の要塞、この両者の連合なのだ。

 それは単なる宣伝なのだろうか、それとも女性にとって実際上の帰結があるのだろうか……。

 確かに、それは単なる理論の問題あるいは宣伝ではない。もっとも悪いことは、われわれの日々の生活に及ぶまさに実体をもつ悲惨な作用だ。率直に言って遠い過去へのこの回帰には、過去二、三〇年の闘争を通して獲得された成果やわずかばかりの諸権利を女性から奪い取るために仕組まれた諸方策が伴われている。資本と家父長制の神聖同盟は実際的に、われわれの働く権利、そしてそれと共にわれわれの経済的独立の権利を廃絶する。それは再度われわれを、自由意志をもつ権利を奪われた依存的生活へと強制する。それはわれわれを、以前は福祉国家が提供した役割やサービスを背負わなければならない奴隷として扱う。なぜならば、保母、老人ホーム、病院、レストラン、クリーニング業、精神病棟、特別学校教育、さらに失業家族成員向けの求職相談センターにあってさえ、その仕事をやることが、女性の「本性」の中で想定されているからだ。しかも、他人のために「自己を犠牲にする」ことが女性の血の中にあると想定しているが故に、すべてただで、報酬ゼロで、またその価値を認識することもなくだ。そしてそこからの帰結として、彼女には、休息を取る時間も、彼女自身の個性を築く時間も、公的なことがらに参加する時間もまったくないということになる。

二つの暴君を貫
いて撃つ闘いを


 このすべては間違いなく、女性に大きな犠牲を強いる……。

 まさしくそうなる。それは、この日々のストレスが女性をすり切らせ早く老け込ませるから、というだけではない。それはまた、いわゆる「女性の本性」をめぐるこの全面的な性差別主義が、いわば劣った存在としての女性の扱いに導くからだ。つまり彼女の身体がいつでも利用可能なものと見なされ、すべての男が彼のいらいらをぶつける対象とされるからだ。過去にもすでに膨大な数にのぼっていた女性に対する暴力事件が、資本主義とメモランダムというこの時期にさらに数を増しつつあるということは、単にたまたま時期が一致したということではない。
 ここに見てきた理由すべての故に、また多くの他の理由の故にも、結論は単純だ。すなわち、トロイカ(EU委員会、欧州銀行、IMF――訳注)政権とメモランダムによるこの女性に対する攻撃へのわれわれの抵抗は、われわれが自身を組織し、債務反対、緊縮政策反対の独立した女性の自律的運動を発展させるよう求めている。それは、われわれに代わってそれを行うことのできるものが誰もいないからだけではない。それはまた、資本主義と家父長制が、内的に密接に結びついてもいるからだ。その結びつきの深さが、これらの暴君の一つに反対する闘いがどのようなものであっても、もう一つに対決する闘いが同時に行われないならば当てにならないものになる、というほどに緊密だからだ。

▼筆者は、ギリシャのフェミニスト活動家であり、CADTM(第三世界債務取消委員会)ギリシャのメンバー。(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年二月号)

訳注)現在ギリシャを締め付けている国際的圧力の発端は、一昨年夏ギリシャ政府に宛ててメルケル・サルコジの主導の下に作成された、債務返済に向け緊縮策を強要する覚え書きにある。そのため、ギリシャ国内の抵抗運動の中では、特に欧州支配階級が行使するギリシャに対する圧力を総称するものとして、大文字のメモランダムがよく使われる。
 

声明

2月12日の暴力的弾圧を弾劾する

決起した巨万の人々と固く結び
彼らを追い出すまで闘い続ける

ANTARSYA

 Antarsyaは、アテネの街頭で、シンタグマ広場で、そして国中の他の都市でデモに決起した数十万人の人々の側にいる。何時間も抗議し続けた労働者と若者たちが保持した、巨大な戦闘性、政治的方向性、粘り強さ、そして反逆の姿勢は、われわれが新たな局面に入りつつあることをこの上なく明らかにした。
 政権は、彼らが抗議に決起した人々を追い出そうとした時、一年前タハリール広場でムバラクが経験したものと同じ力と憤激に出会うこととなった。政権は、まさに同じ回答を突き付けられるだろう。そしてそれは、彼らにふさわしい回答なのだ! われわれは、メモランダムが指令する賃金では働かないだろう。そして、鉄鋼労働者が示した道を取るようすべての人々に訴える! われわれが彼らを追い出すまで中断なく続行されるストライキを始めるよう訴える!
 警察は、シンタグマ広場に何時間も立ち続け怒りをあらわにしていた何千人ものデモ隊を排除し、追い払う決意を固めていた。そこには何トンもの催涙ガス弾が準備されていた。そしてそれらが、建物への損傷を、また放火を呼び出した。
 巨大な民衆運動は、主導権を取ることができ、暗黒の戦線としての支配階級の連立政権を打倒できる。それは、債務支払い合意も、EU・IMF・資本の反社会的切り刻み政権による支配も、葬り去ることができる。
 われわれの反対側の陣営、銀行のそして資本家団体のSEV並びに多国籍企業の政治スタッフである、PASOK(中道左派の前政権党である全ギリシャ社会主義運動――訳注)、右翼の新民主党(ND)、極右のLAOS、DISY(NDから分裂したウルトラ新自由主義派)は、一層身を震わしている。ブルジョア諸党は分解過程にある。メモランダムはその子どもたちを食っている。
 思想的な恐怖政治、嘘、俗悪な脅迫、そして一種のファシストタイプをとる国家・警察による抑圧は、「救出」諸策を押しつけるための中核的道具だ。
 集会が始まる前から早々とシンタグマ広場でのデモ行動解体に狙いを定めていたこの日の大規模な警察の作戦、デモ参加者に対する何時間にも及ぶ極度に暴力的な攻撃は、「敵性国民」に敵対する政府の真の意図を前面に浮き彫りにした。これは、シンタグマ広場にデモ「禁止区域」を設定する、というもくろみと一体となっている。
 戦闘的なデモ参加者と反逆心旺盛な若者たちは、何時間も抵抗し続け、国会議事堂前の規制線区域内に入り込み、不屈の勇気をもっていまだ街頭に留まり、議事堂前の警察が行使するあらゆるテロ的行為にもかかわらず、デモを続けている。
 そのような戦闘的な精神をもつ民衆が敗北することはない。戦闘はこの日では終わらない。戦闘は、明日もそして毎日、最終的な勝利の日まで続くだろう。
 勝利は、困難だがわれわれのものだろう!
二〇一二年二月一二日二二時四五分

▼Antarsyaは、ギリシャの革命的左翼からなる反資本主義の連合。そこには、第四インターナショナルギリシャ支部であるOKDE―スパルタコス、並びに国際社会主義潮流メンバー組織であるSEK、社会主義労働者党が参加している。(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年二月号)

イタリア労働者運動、ギリシャ連帯へ

ギリシャ人民支援の指令を
FIOM―CGILが採択

 FIOM―CGIL(金属労組―イタリア労働総同盟)中央委員会は、トロイカ(IMF、EU委員会、欧州中央銀行)が押しつけ、ギリシャ議会が受け容れた緊縮諸政策に対決して闘っているギリシャの労働者に対して、全面的な連帯を表す。どのような経済情勢も、すでに三〇%が貧困に陥れられた人々に押しつけられたこのような政策の繰り返しを、決して正当化できない。
 賃金切り下げ、個人化された労働契約に力を与える形での全国協約の廃止、五年に及ぶ不況化にある国での医療システムや年金システムの劣悪化、というこれらは、民衆に対する根深い憎悪を解き放ち始めた。そして、新自由主義の、またそれだけでなくその目標の破綻をもはっきり示している。
 攻撃は、民衆に対してだけではなく、民主主義に対しても無慈悲だ。この状況は、議会と人民からあらゆる決定権を奪っている。そして彼らは、次期選挙の勝者とは関わりなく、貧困を刻み付けたずーっと続く勘定書に署名する義務を負わされている。
 ギリシャの例が示すことは以下のことだ。すなわちわれわれは、今あるEUを再討論する必要があり、民衆が決定権をもつ民主的な連邦構想を求めて闘わなければならない。われわれは、今回の危機と全諸国の貧困に責任のあるEU諸政権の自由主義と対決して闘う必要がある。われわれは、雇用と公的投資が労働と諸権利と社会福祉に集中する欧州社会モデルに奉仕できる、そのようなオルタナティブを必要としている。ギリシャの証文がフランスとドイツの銀行の手中にある以上、われわれは、ギリシャへの実体ある連帯を実行に移す必要がある。
 FIOM―CGIL中央委員会は、すべての組織に、二月二九日の欧州行動デーにギリシャの労働者に対する支援と連帯の強い表明を携えて参加するよう促す。
二〇一二年二月一五日、ローマ(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年二月号)
 


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