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    かけはし2012.年2月20日号

退役軍人が報勲処長に任命
され安保産業を復活させる

安保前衛隊、大統領選に向けて突撃!

 再び問題は南北関係だ。キム・ジョンイル北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)国防委員長の死亡によって韓(朝鮮)半島の時計が再び不透明になった。2012年の総選挙と大統領選挙において対北政策が重要なイシューだという点については政治人や学者たちの間に意見の違いはない。ただし2010年の6・2地方選挙以降、「安保の変数=与党に有利」という公式は崩れた。保守も変わった。イ・ミョンバク行政府は激論の末に制限的弔問を許容した。だが変化はあいまいだ。国務会議(閣議)で、弔問は絶対にダメだという反論が激しく出てきた。ハンナラ党の内外で「安保前衛隊」は堅固だ。〈ハンギョレ21〉は、「国家報勲処―行政安全部―国防部―極右団体」にカネと人が行き交い、安保前衛隊が形成される過程を探ってみた。ノ・ムヒョン政権を「左派政権」だと批判してきたパク・スンチュン国家報勲処長が、自らが作った私組織に特恵を与えた事実も明らかになった。安保前衛隊は依然として、その地位にいた。(「ハンギョレ21」編集部)

マッカーサーとは
違う韓国の老兵
 老兵は死なない。ただし消え去りも、しない。マッカーサー将軍と韓国の老兵は違った。特に彼はノ・ムヒョン前大統領の下で静かに消え去ることはできないと考えた。2004年7月14日、北韓の警備艇が西海(黄海)の北方限界線(NLL)を越えて来た。南韓(韓国)海軍がその警備艇を撃った。軍は青瓦台(大統領府)に「北の警備艇がわが海軍の交信に応じなかった」と報告した。事実は違った。北側が海軍の警告に応じた事実が明らかになった。
 ノ・ムヒョン前大統領は徹底的に調査せよ、と国防長官に指示した。情報兵科(軍の部門)に責任論が提起された。当時、合同参謀本部情報本部長だった老兵は心が穏やかではなかった。交信記録を〈朝鮮日報〉と〈中央日報〉の記者に渡した。国防部が再び急に大騒ぎになった。老兵は「虚偽報告についての責任が情報兵科にあるのではないにもかかわらず、情報兵科の過ちへと流されていった」とし「事実を明らかにするためにメディアに会った」と調査を担当した国軍機務司令部に語った。老兵は、おしゃべりだった。軍紀がびん乱という批判が降り注がれた。1971年に陸軍士官学校を卒業するとともに始まったパク・スンチュンの軍人生活は、こうしていったんは終わった。

巨額の税金を安保教育に支出


 軍人は消え去った。パク・スンチュン前本部長は強い意志を持った人物に見える。動映像の中のパク前本部長は「あゝ」「もう」「う〜む」のような間投詞は使わない。今年64歳のパク前本部長の文章は断固としている。目、鼻、口はキリッとしている。報勲処のホームページでパク前本部長は「田舎で貧しい中で育ったものだから『何者かにならなくては』という思いはそうなかった」と語った。「陸士に志願したのも、貧しかったものだから、せめて経済的にでもオモニ(母)の負担を減らしてさしあげたいと思って選択したのです。…特別に何かになるために夢見るかわりに、その時その時に与えられた状況の中で誠実に最善を尽くしてきました」。与えられた状況の中で最善を尽くしてきたというパク前本部長が選んだのは政治の道だった。2008年の総選挙を前にして、ハンナラ党の比例代表への公認申請を行った。
 当時の大衆演説を見ると、彼は自らを参与政府(ノ・ムヒョン政府)の犠牲の羊と考えていたようだ。ノ・ムヒョン前大統領の逝去直後の2009年6月25日、国際外交安保フォーラムの招請講演で、彼はこう語った。民正党出身の政治家キム・ヒョンウク前議員が会長を務めた団体だった。「現在、ノ・ムヒョン自殺事件によって一部国民が哀悼し追悼しているが、実際のところノ・ムヒョン前大統領は640万ドルを着用したことが問題なのではありません。韓米連合司令部を解体し、わが安保をぶち壊したその罪は必ずや明らかにされなければなりません」。
 わが国の憲法は「国軍は国家の安全保障と国土防衛の神聖な義務を遂行することを使命とし、その政治的中立性は順守される」(5条)とし、軍部の中立を要求している。だが確信に満ちた老兵にとって中立の境界はしばしばあいまいになった。軍人の安保は休戦ラインで戦闘を展開する。政治軍人あるいは軍人の政治を選んだパク前本部長の安保の戦線は国会に移っていった。
 「政府とハンナラ党が争点の法案(メディア法、覆面を禁止した集会・デモ法)を通過させ、放送を正常化し、我々の政策が国民にキチンと伝播されるように作られてこそイ・ミョンバク政府が成功できるのであり、イ・ミョンバク政府が成功してこそ大韓民国が守られ得るのである。2012年の大統領選で間違いが起きれば、皆さんはどうなりますか」(同、国際外交安保フォーラム招請講演)。

安保戦線は選挙の
投票所にも拡大
 老兵の安保戦線は選挙の投票所へと拡大した。2010年の天安艦沈没、延坪島砲撃事件が契機だった。老兵の頭の中で課題がしだいに明らかになった。パク前本部長は2010年5月、戦争記念館での安保セミナーでこう語った。「(天安艦事件後)野党と一部の親北勢力は北韓を庇護し、イ・ミョンバク政府の対北強硬政策がわが将兵の犠牲を招いたかのように国民を誤導しています。…(北韓は)天安艦事件以降、イ・ミョンバク政府と国民を離間する戦略を駆使するものです。このような北の戦略が6月の地方選挙でいかなる影響を及ぼすのか見ておかなければなりません」。
 2つの演説でパク前本部長の問題意識があらわになる。「伝播」という単語は軍において広く使われる。国民の意識を鼓舞する「安保前衛隊」が真実を知らせれば国を守ることができる、と彼は考えているようだ。以降のパク前本部長の言動に「安保前衛隊の再構成」の過程が隠れている。国防部がアン・ベギュプ民主統合党議員室に提出した資料を見ると、彼は2010年8月、国防部に財団法人「国家発展未来教育協議会」(国発協)を登録させた。国発協はホームページで「先進市民意識と安保観の研究・教育・広報を通じて国民らの国家観と安保観を定立し、大韓民国のアイデンティティーを守り国家発展に寄与すること」を目的として明らかにした。「安保教育のサービス」業の名目で事業者登録も行った。いかなる組織もカネや人なしに作られはしない。国発協は財団法人だ。誰かが財産を犠牲にして出資しなければならない。アン・ギュベク議員室の資料を見ると、パク・スンチュン前本部長など5人が預金7500万ウォンを出資した。
 そしてイ・ミョンバク大統領は昨年2月末に老兵を国家報勲処長に任命した。代わって陸士27期同期のイ・サンテ前国防大学総長が国発協の会長職を受け継いだ。大統領令は報勲所の職務として「国家有功者とその遺族に対する報勲、参戦有功者、5・18民主有功者に対する礼遇、除隊軍人・枯れ葉剤後遺症患者・特殊任務遂行者の支援および報勲の宣揚、そのほかに法令で定める報勲に関する事務」を挙げる。パク・スンチュン処長は「報勲宣揚」に集中し始めた。

跳ね上がる安保
教育の講演料
 時あたかも安保産業が復活した。イ・ミョンバク大統領は2010年12月の国務会議で「全国民の安保意識の強化」を指示した。行安部(行政安全部=省)の指示に従い全国の基礎・広域自治体において民防衛(敵の軍事的侵略や天変地異による人命・財産上の被害を阻むために民間人が繰り広げる非軍事的防衛行為、またはその目的で編成された組織)の安保教育が一斉に復活した。参与政府の時から2010年まで、ほとんどすべての自治体が民防衛安保教育を動映像の上映によって進めてきた。
 〈ハンギョレ21〉が全国の基礎・広域自治体に情報公開を請求した結果、2011年だけで全国自治体で2億4927万ウォン以上の税金が安保教育に支出されたことが明らかになった。京畿道は2011年の安保教育の講師料だけで1億3072万ウォンを支出した。光州西区庁の安保教育支出は2010年の230万ウォンから2011年1890万ウォンへと跳ね上がった。
 報勲処と行安部がこの過程で自治体に安保教育の講師として国発協の講師を推せんするなど特恵を与えた事実が明らかになった。ソウル北部報勲支庁は昨年7月、管轄自治体に「民防衛隊員対象・国を愛する精神涵養教育特講協助要請」の公文を送り、安保の講演を指示したと、と語った。同時に北部報勲支庁は国発協と韓国自由総連盟所属の講師を優秀講師として推せんしてやった。全国的に他の報勲処支庁でも管轄自治体に同じ要求をしたことが伝えられている。パク・スンチュン報勲処長が、自らが作った団体に特恵を与えた形だ。

自分が作った団体に特恵

 行安部や国防部も特恵を得た。行安部は昨年2月27日、全国の自治体に「全公職者ならびに国民の安保教育用の標準安保映像物および優秀安保講師プール通告」の公文を送った。できてから6カ月にしかならない国発協の講師が優秀安保講師に含まれた。講師の名簿について情報公開を請求したが、行安部は拒否した。昨年2月25日、国防部は国発協に予備軍(現役の兵役を終えた人で、平時には日常生活をしていて非常時や訓練期間に召集され軍務に服務する兵役、またはそれに該当する人)に安保教育を委ねるという「予備軍安保教育講師運営協約書」を締結した。
 アン・ギュベク議員室の資料を見ると、国発協講師73人が昨年3〜11月に軍部隊で1323回の安保講演を行った。江原道のある基礎自治団体民防衛教育担当者は「郡庁に出入りしている国情院(国家情報院)の職員が(国発協を)紹介してくれた」と語った。講師の名前を明らかにした一部自治体の資料を総合すれば、国発協は退役軍人、退職官僚、脱北者などで構成されたものと見られる。
 この結果、昨年に全国の基礎・広域自治団体で安保講演を行った安保講師455人のうち国発協所属が144人を占め、彼らが総額9500万ウォン以上の講演料を受け取った。情報公開に捕捉されない学校・公共機関、軍部隊の安保講演を含めれば、彼らははるかに多くの安保講演の収入を手にしたものと推定される。イ・サンテ国発協会長はソウル・鍾路区で安保講演を行った。国発協のほかに在郷軍人会の講師が27人だった。火の粉は病院にも広がり、昨年8月、国家有功者委託の病院である慶北・慶山市のセミョン病院が報勲処の要請に従って看護士などの職員を対象に安保教育を実施した。至る所から雑音が聞こえた。昨年6月、忠南・天安市の市民は民防衛の安保教育に関して〈ハンギョレ〉に通報してきた。「国発協という団体所属の講師が出てきて精神教育をさせることが今回の召集教育の核心だった。…講師は現政府への批判を許さない極右の論旨と天安艦の事態の際に疑問を提起した人々に対する敵がい心、ヒョソン、ミソン嬢の死(米軍装甲車が2人の女子中学生をひき殺した事件)を契機に国民文化として位置づき、米国からの輸入牛肉問題の波紋によって一定の枠をつかんでいったキャンドル文化に対しても、容赦なく従北勢力だと裁断するごう慢さを示した。その挙げ句、俳優ムン・ソングン氏が主導している「国民の命令・百万民乱運動」は実際に民乱をひき起こそうとする勢力であり、わが社会を不安におとし入れようとするスパイ勢力だ、と主張した」(〈ハンギョレ〉2011年6月30日付)。

老兵の闘いはまだ終わっていない

「自律精鋭民防衛隊」は
与党の選挙組織に転換?


 安保前衛隊を構成するカネと人間は、ひっきりなしに続いている。メン・ヒョンギュ行政部長官は2010年12月、「自律精鋭民防衛隊」の創設を指示した。消防防災庁は「官主導の収拾・復旧システムでの被害最小化が限界につきあたった」として、その理由を説明した。「民防衛の事態の際、事態収拾のための救助・復旧」が彼らの任務だ。奉仕の精神が明確で政党活動をしていない地域の名望家(有力者)から自発的支援を受けて構成する、と当時の消防防災庁は説明した。2012年に3240人を養成するのが目標だ。消防防災庁は2011年、教育予算6億4944万ウォンも策定した。
 だが2012年の選挙のための、与党勢力の選挙組織として活用されるだろうとの憂慮も出ている。趣旨とは違って安保教育が大きな比重を占めているからだ。2泊3日にわたって18時間の教育が施される。その内容は安保講演(3時間)、天安艦など安保の現場見学(8時間)などが11時間だ。国発協所属の講師2人が安保講演に参加した。消防防災庁の資料を見ると、昨年10〜12月に全部で860人が自律精鋭民防衛隊の教育を受けた。消防防災庁の期待とは違って、地域や年齢が偏重した。京畿道(138人)、慶北(108人)、慶南(79人)、釜山(73人)出身の教育生が多かった。ソウルは5人にとどまった。半数を超える472人が60代以上だった。男性が62%だった。
 パク・スンチュン処長は国際外交安保フォーラムで、しばしば演説した。この団体は行安部の2011年の非常利民間団体支援事業の対象に設定され、カネをもらった。このように軍出身者が代表者であったり、国防部に登録された安保団体のいくつかが行安部の支援金に乗じた。「報勲処―国発協―行安部―国防部登録の極右団体―国防部」で構成された安保前衛隊に税金が流れていった。老兵の長年の夢は実現されたのだろうか。
 パス・スンチュン処長は1月4日、新年の業務関連報告資料を通じて「2040世代を中心として太陽政策と南北和解が、現政府の原則ある対北政策ならびに韓米同盟の強化よりも安保に有利だという誤った認識」を持っていると語った。パク・チュソン民主統合党議員は、この日の報道資料を示してパク処長の辞退を求めた。

安保前衛隊は
今日も休まない
 イ・ミョンバク大統領は昨年12月、「今後の対北関係については、いくらでも柔軟にすることのできる余地がある」と語った。シン・ジョンテ北韓大学院大学教授は「与党は慣習通りに天安艦の危機の際、安保の変数を大いに強調したが、(6・2地方選挙で)逆風を受けた」し「それをハッキリと認識しているだろうがゆえに(2012年の総選挙、大統領選挙で)そのような動員は行わないだろう」と見通した。
 だがハンナラ党と保守の真の変化はまだアイマイだ。イ・ミョンバク大統領は民間弔問団を規制した。国務会議では激論が繰り広げられた。パク・クネ・ハンナラ党非常対策委員長はキム・ジョンイル国防委員長への弔問に反対した。対北関係を柔軟に変えていくというイ・ミョンバク大統領の下で、今も自律精鋭民防衛隊の教育生らが入校している。対象を選ばない安保教育は今も続いている。老兵の闘いは、まだ終わってはいない。安保前衛隊は今日も休まない。(「ハンギョレ21」第894号、12年1月16日付、コ・ナム記者)

 


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