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    かけはし2012.年2月20日号

宗教勢力の抑圧との対抗に向け
批判的姿勢の非妥協的堅持必要

アラブ革命

アラブの春についてのテーゼ

 アラブの春から一年、動乱は引き続いている。シリアにおけるアサド政権と民衆の激しい衝突だけではなく、自由選挙を経たチュニジアとエジプトにおいても、革命の深化、社会問題の改善と旧体制の徹底した破壊を求める民衆と、それに背を向ける暫定権力との厳しい対立があらわとなっている。その全体的構図とそこに働いている力学、そして革命前進に必要とされる闘いの方向について、ジルベール・アシュカルが簡潔に整理している。以下に紹介する。(「かけはし」編集部)

民主主義への熱
望が動乱を貫く

(1) 二〇一〇年一二月一七日にチュニジアで始まったその最初の微震以来全アラブ地域を揺るがしている巨大な動乱を決定したものは、爆発力を秘めた諸要素、つまり、経済成長の欠如、大量の失業(世界の全地域の中で最高の平均失業率)、広範に広がっているこの地域特有の腐敗、巨大な社会的不平等、民主的な正統性を欠いた専制的政権、奴隷的臣民として取り扱われる市民たち、等々の長期のそしてぶ厚い蓄積である。
 アラブ全域で行動に入った大量の民衆は一つの混成体をなしており、そこには、先にあげた決定諸要因が組み合わされた複合から成るあれやこれやの要因によって、さまざまな程度で苦しめられている社会層と社会類型の幅広い範囲が包含されている。しかしながらそのほとんどは、民主主義、つまり、政治的自由、自由かつ公正な選挙、民主的に練り上げられた制度――これらは、蜂起が力強く定着したすべてのアラブ諸国で蜂起に参加した大衆を統一している共通の分母だ――に対する、共通の熱望を共有している(これらの同じ条件が高度に欠如している唯一の国――すなわちサウジ王国――がまだ大衆的動乱に直面していないという事実は、この国における抑圧と支配のひどさを明かすものだ)。

革命に火を点け
かつ広げたもの


(2) 現在進行中の動乱を印象深く特徴づけるいくつかのものは、世界的な情報革命と直接に関係している。地域全体に蜂起が広がった速度はまさに、何よりもまず衛星テレビに負っている。それは、この地域の言語的な一体性にはるかにより強い効果を与え、こうして、「アラブ革命」という古い概念に、刷新された、またもっとはるかに強い実質を与えた。この新しい通信テクノロジーは、国境を越え、国家の検閲を無視し、全アラビア語地域の住民が出来事を、それが展開するリアルタイムで――最初はチュニジアで、次いではるかに大規模にまたはるかにあっと驚くような衝撃と共にエジプトで、そして結局は全地域レベルで――追いかけることを可能にした。
 チュニジアが模範となった力は、蜂起をそれが展開する過程に密着して見守る何百万人という民衆の、この新しい能力によって拡大された。地域全体の住民は、エジプト人の蜂起に「仮想現実として」参加したのだ。つまり、カメラと衛星テレビ局のレポーターを通して、彼らすべてがカイロのタハリール広場の民衆であり、エジプト革命の震央に集まっていた巨万の民衆の喜びと不安を共有していたのだ。シリアにおけるように、抗議の決起にテレビカメラが同行することを妨げられた場合は、それらのカメラは、闘争と抑圧の映像をグローバルなバーチャル空間に映し出すことを目的に、数え切れない活動家が利用する彼らの携帯電話のカメラとユーチューブによって取って代わられ、そこからそれらの映像は、衛星テレビ局によってリレーされ巨万の公衆へと送られた。
(3) 衛星テレビと世界的な通信はインターネットを介して、アラブ地域の民衆に、グローバルな文化的るつぼやグローバルな現実に、いくつもの虚構を交えて、かつてとは比べようもない大きさで入り込み姿をさらすことを可能とした。新しい世代全体――通信革命というこの時代に育った最初の世代――にとってこの経験は、極度に世界を広げるものとなった。一方における、この元々虚構でありながら実体も生まれている「グローバルな村」におけるバーチャルな市民社会が生み出した熱望とあこがれ、そして他方における苦しみと、中世的な文化的特徴の中に収められた未来なき社会へのぞっとするような現実の従属、この二つの間にある巨大な溝は、教育はあるが貧しい者たちから中流階級上層まで広がる幅広い社会階層に属する若者たち全体を行動に引き入れた、強力極まる決定要因だった。
 教育を受けた若い人々(元のそして現在の学生)が世界史の中で再度、社会的、政治的抗議の前線に立っている。この新たな層が、新しい通信テクノロジー、特に「ソーシャルメディア」を徹底的に利用した。特にフェイスブックが、容易に、かつほんの一〇年前には想像もできなかったような速度で、彼らが互いにネットワークをつくることを可能にした。

宗教勢力の権力
到達には必然性


(4) あるもっとも際立つ逆説が「アラブの春」を特徴づけている。つまり一方では、上述の文化的革命がそれを大きく決定づけているにもかかわらずそれは、宗教的原理主義勢力――過去三〇年この地域で、圧倒的に支配的な組織された反対派潮流となり、抗議の表現にとっては主要な利用可能な媒介物となってきた勢力――の行動と表現をこれまで押さえつけてきた抑制を取り除きつつある、ということだ。それゆえ巨大な解放運動の逆説的な成果は、選挙上の勝利をめざすものに取って代わられる中で、社会的、文化的な――政治的でないとしても(まもなく経験がわれわれに告げるだろう)――抑圧の勢力によって勝ち取られた。
 しかしこの逆説は、アラブ世界における現存の専制的かつ腐敗した体制が課した抑制が、反体制のこの形態の成長と文化的萎縮にとっては特に適合した環境を作り出してきたという事実から帰結する当然の結果だ。宗教と宗教勢力は、ポスト一九六七年の時代において、古い民族主義左派と共産党派左翼の残滓を押さえるため、また新しい左翼勢力の伸長を妨げるため、この地域のほとんどの政権によって、徹底的に利用されてきたのだ。進歩的な政治勢力が徐々に、彼らに向けられた国家の支援と資金供与の源泉すべてを失ってきたその間に、宗教的原理主義勢力は、地域の三つの富裕な産油国によって資金援助を受け、地域全体にわたって維持されてきた。それらに対する資金注入に競って参加した国とは、サウジ王国、イランイスラム共和国、カタール首長国だ。

逆説の突破に必
要な新しい経験


(5) ものごとのこの逆説的状態が変化するためには、アラブ世界が新しい歴史的な経験を通過する過程を必要とするだろう。それは、二つの同時的な歩みが展開せざるを得ない過程だ。つまり一方においてこの地域の住民は、宗教勢力に権力を握る機会を与えなければならず、こうして彼らの明白な諸限界を、特に、アラブの蜂起の深部に位置している深い社会的かつ経済的諸問題に対するいかなる綱領的対応策も欠いているという事実を、じっくり見なければならないだろう。
 他方で、動乱の中で、それに点火し指揮することに主導性を発揮した後力強く立ち上がった社会的、政治的そして文化的解放運動の新しい勢力は、宗教的逆行に対する信頼できるオルタナティブを確立できる政治闘争の、現実に組織されたネットワークを築き上げることが必要となるだろう。それらの勢力はこのために、宗教的原理主義勢力に対しては、彼らの基盤に浸透できるとの無益な信念を元に宗教的原理主義勢力がつくり出す文化的暗黒化と和解するのではなく、それと闘うために十分な大胆さをもつ必要があるだろう。

▼筆者はレバノンで育ったが、今は、ロンドン大学の東方アフリカ研究校で教鞭をとっている。彼のもっとも読まれている著作である『野蛮の衝突』は、中東に関するノーム・チョムスキーとの対話本『危険な権力』と共に、二〇〇六年に増補第二版が出版された。彼は、『三三日間戦争:レバノンにおけるヒズボラに対するイスラエルの戦争とその諸結果』の共著者でもある。彼の最新著作は、『物語でつくられたアラブ・イスラエル戦争』。(「インターナショナルビューポイント」二〇一一年二月号)
 

コラム

人報連シンポジウム


 昨年一二月。以前から関心のあった催しに、初めて顔を出した。「人権と報道連絡会」(人報連)が主催するシンポジウムで、年に一回開催されるものだ。
 この日のテーマは、犯罪報道における実名主義が、一般市民である報道被害者らにどれほどの打撃を与えているかを再確認。「匿名報道原則」の実現を求めるという、同会設立の原点に立ち返ったもの。司会を山口正紀さんが務めた。
 同志社大学教授の浅野健一さんは、著書「犯罪報道の犯罪」によって匿名報道主義を提唱した先駆者である。「あの時代はマスメディアが、警察や検察より先に事件を作っていた。そんな時代に私は思いつめて本を出した」と振り返る。
 昨年二月、東広島の山陽自動車道で起きた「高速バス横転事故」で、加害者として逮捕された大学生Aさんの父親Bさん。五月に広島で起きた「痴漢えん罪事件」で、犯人として実名報道された大学准教授のCさん。その弁護を担当した足立修一弁護士がそれぞれ問題提起をした。
 Aさんは当時精神疾患状態にあり、運転手に何度もバスから降ろすよう頼んだが、聞き入れられなかった。メディアはAさんが「ハンドルを奪い」と横並びで報道。警察は(乗客への)殺人未遂容疑で逮捕した。
 憲法学者のCさんは、婚約者とその家族で旅行中に事件に巻き込まれた。市内の歩道上。女子高校生の集団とすれ違った際に、身体の一部がぶつかったという。そこから数百m離れた場所で、数人の警官に取り囲まれた。任意同行が「痴漢現行犯逮捕」に切り替えられ手錠をかけられた。婚約者の眼の前で、である。
 メディアはCさんを実名で報じただけでなく、「一人で広島に来ていた」とか、「二か所で二人の身体に触った」などと事件をでっち上げた。悪質なことに、「左翼」「護憲派が護憲集会の参加後に犯行」などというデマ書きこみが、今なおネット上に氾濫しているという。
 浅野氏は非妥協的に匿名報道への転換を訴える。そして同業者による一連のレッテル貼りを、こう冷静に批判する。「『浅野は実名を書かなければいいと言っているだけだ』とよく言われるが、それはまったくのねつ造だ。捜査当局とジャーナリストの仕事は違う。当局が被疑者を逮捕・起訴したからといって、自動的に報道機関が名前を出すかどうかを決めるのはおかしい。メディア自身の内部で、真剣に議論して決めるべきだ。何よりもまずジャーナリズムをしっかりと機能させること。名前を出す・出さないではなく、ただそれだけのことだ」。至言である。
 私は発言した。「同じことは、こうした集会にも、市民運動の側にも言える。私たちは発言者や当事者に、敬意と細心の注意を常に払う必要がある」。 (隆)


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