ギリシャ
五〇%カット反対 新たな占領反対
支払いの停止 そして債務監査を!
ギリシャ公的債務監査委員会
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この一週間、ギリシャが世界を震撼させた。パパドレウ首相が打ち出した国民投票方針が、世界各国の支配階級から袋だたきにされ、ギリシャ政府は結局その方針を撤回、一一月七日時点では大連立政権の形成をめぐって与野党が協議中である。世界の支配階級は、欧州委員会がまとめたと称するギリシャ支援方策に対してギリシャ国民が意思表示するなど決して許されない、との姿勢を一致してあらわにし、ギリシャの支配的エリートに、結束して民衆を黙らせるよう指示した、と言ってよい。この間の日本のマスメディアも、国民投票などとんでもないと、大騒ぎした。この支援策なるもので塗炭の苦しみを負わされることとなる民衆の決定権は、この一連の中で完全に無視され事実上否定された。ここに示されているものは、現在の資本主義システムが民主主義と非和解的に対立する地点にまで至ったという事実、そしてそうならざるを得ない世界経済の危機の深さである。ギリシャの労働者民衆は、金融資本の収奪の要求を一体として、世界の支配階級によるこのような「占領」に決然と立ち上がっている。(「かけはし」編集部)
一〇月二七日早朝、欧州の指導者たちはギリシャ民衆に対する公的債務の締め付けをさらに強化する決定に達した。民間部門が所有する公的債務のカットについての提案は、ギリシャの債務問題を解決するのではなく、新たな重荷を負わせるものだ。その理由はたくさんある。
1 このカットは一三〇〇億ユーロという新しいローンを伴うものであり、約束された債務削減にはほど遠い。
2 救済ローン(六五〇億ユーロ)ならびに欧州中央銀行が保有する国債(五五〇億ユーロ)が支払い免除されることを考えれば、債務削減は少額であり、配分は不平等である。
3 年金基金は一一五億ドルの打撃をこうむる。それは債務のリストラが実際には年金と社会的支給の減額になることを意味する。
4 古い国債に代わる新しい保証国債は、ギリシャの法によって契約されるわけではなく、信用供与者により有利な立場をもたらす。
5 債務カットは、ギリシャ民衆をいっそうの貧困に追いやる賃金の引き下げ、公共部門労働者の大量解雇といった新たな緊縮政策パッケージを伴っている。
6 保証に関しては、ギリシャが縮小された国家主権の下で機能することをドイツとEUは求めており、実際にはそれは各重要省庁と部局への「大管区行政長官」(ナチスが占領地に置いた行政責任者)の任命に導く新たな占領の押しつけとなる。
7 期待される銀行との合意は保障されたものではなく、諸国政府が大成功と歓迎した七月二一日の合意と同様のものであることを考えれば、今回の合意それ自体は先行きの見通しのないものであり、完全なものとはほど遠い。
8 その結果がきわめて疑問の多いものであることは、政府とEUの宣言とは大いに異なり、二〇二〇年までに政府債務をGDP比一二〇%までに削減しても、国家財政を持続不可能にしてしまうからである。この水準が持続可能なものだとすれば、現在その債務が同等の水準にあるイタリアはなぜ削減を求められているのか。そして二〇〇九年の時点で債務の比率がこれよりもはるかに低かったギリシャは、なぜ救済パッケージの受諾を強制されたのか。
以上の理由すべてによって、欧州の指導者たちの決定は受け入れがたいものであり、ギリシャ民衆の闘争によって覆されなければならない。トロイカ(IMF、欧州中央銀行、欧州委員会)の非合法な貸し付けを放置したまま、年金基金を破局に導くこの選択的債務削減は、われわれのローン供与者への支払いを停止し、民主的で労働者主導の債務監査がいかに必要であるかを示している。この監査は、債務のどの部分が不法で、不当で、憲法違反であるかを示し、その帳消しを促すことになるだろう。債務の帳消しは、ローン供与者に支払い期限の受け入れを強制するギリシャ民衆の主権に基づくものである。
一〇月二八日の金曜日、ギリシャ民衆は一九四〇年の枢軸国に対するレジスタンス記念日を祝った。この記念日を刻印した民衆の堂々たる、決意に満ちた行動は、ローン供与者の足かせからわれわれ自身を解き放ち、現在企てられている新たな占領に終止符を打つ道を示している。近々計画されている債務監査キャンペーン会議は、不法で不当で憲法違反の債務を帳消しにするわれわれの社会の闘争に踏み出すことを目的にしている!
(「インターナショナルビューポイント」一一年一一月号)
自立的闘争で彼らを追い出せ
ANTARSYA
ギリシャ情勢は急速に変化している。ラディカル反資本主義左翼連合組織ANTARSYAの一一月四日のデモに向けたこの呼びかけは一一月三日に発せられた。(「インターナショナルビューポイント」編集部)
政治的展開の最前線で民衆の闘争が爆発的に介入していることは、「メモランダ」(その内容は緊縮政策というショック療法)の政府、トロイカ(IMF、欧州中央銀行、欧州委員会の三頭立て)、政治システム全体のいずれにも衝撃を与えている。この事実は、政府を公然たる危機、崩壊、生き延びるための「ライフベルト」を探し求める必要性に向かわせている。政府は、議会での信任投票、あるいは国民投票の宣言という選択を提起しながら、彼らがEUやIMFとともに準備している「社会的虐殺」への民衆の合意を取り付けるための脅しをかけている。われわれはいずれのケースでも、怒りと社会的不同意を前面に押し出し、この悲惨な現実へのノーの声を響かせ、社会的亀裂と反資本主義的闘争への新しい道が切り開かれるべきだ、と主張する。
金曜日(一一月四日)、崩壊した「メモランダ」の政府は権力の座にとどまり、信任投票で勝利しようとしている。彼らを権力の座にとどまらせるな。やつらを民衆動員の圧力で打ち倒せ。再び民衆の怒りで議会を包囲すべきである。
金曜日に行われる議会の外でのデモは、統一し、戦闘的で、不服従の意思を示すものであるべきだ。このような闘争においては、囲い込み的私物化の論理も、厳しく守られた政党分遣隊的あり方も歓迎されるものではない。われわれが必要としているのは、シンタグマ広場(国会前広場)が大きなデモに立ち上がった闘う民衆によって、労働者や若者たちによって、労働組合と学生自治会によって、民衆集会やさまざまな闘争委員会によって、諸政党や左翼の諸組織によって、大きく揺れ動くようになることである。
われわれANTARSYAは、現在のシステムと訣別し、打倒するための活動的戦線の道、左翼のラディカルで統一した行動を強調する。われわれは長期スト、占拠、戦闘的デモを通じた闘争の拡大のために闘う。大衆の自己組織化と民衆の連帯のために闘う。政府・EU・IMF、ならびに同類の政策を持つ経営者たちによる「民衆虐殺」を打ち負かすために闘う。市場と銀行家たちの独裁を取り除くために闘う。
われわれは、労働組合下部大衆の調整委員会が組織する、一一月四日の金曜日、午後七時にクラフトモノス広場から国会へ向かうデモを支持することを、労働者と若者たち、学生自治会、諸民衆組織、闘争委員会に呼びかける。(「インターナショナルビューポイント」一一年一一月号)
イスラエル
囚人交換の隠された真実
―シオニスト政権の後退
ミシェル・ワルシャウスキー 一〇月一一日、イスラエル政府とハマスはイスラエル兵捕虜一人と一〇〇〇人以上のパレスチナ人政治囚の相互釈放に合意し、一〇月一八日イスラエル兵一人とパレスチナ人政治囚四七七人(男性四五〇人、女性二七人)の釈放が実現された。朝日新聞はイスラエルの中では「釈放されるパレスチナ人受刑者によるテロ行為で家族を失った人からは非難の声も上がっている」と報じている(一〇月一九日)。しかしイスラエルの著名な反シオニスト左派の活動家ミシェル・ワルシャウスキーは、イスラエルは依然としてガザの包囲・封鎖を続けており、そこには双方の暴力の非対称性が表現されていると批判している。(「かけはし」編集部)
われわれはあと二日で、一〇三七人のパレスチナ人政治囚とイスラエル兵士ジラード・シャリトの帰宅を祝うことができる。間もなく愛する人と再会する幾千人ものパレスチナ人家族、そしてシャリトの家族のことを考えれば、私も幸せに思う。しかし釈放への喜びから少し離れて見れば、そこに存在するのは対称型ではない。釈放されることになる女性と男性のパレスチナ人政治囚は、すべてイスラエルの植民地占領に対する闘いの中で政治的・モラル的義務を果たした自由の戦士である。他方(パレスチナ人政治囚と交換で釈放された)ジラード・シャリトは、兵士、すなわち日常的に国際法を侵害し、戦争犯罪をおかしているイスラエル占領軍の兵士である。彼以前に幾百人ものイスラエル人が行ったように、シャリトはこの戦争に加わるのを拒否すべきだった。しかし彼はそうしなかった。
ジラード・シャリトの「誘拐犯」とイスラエルで言われている人々は、実際には戦争捕虜を確保したのであり、われわれの手に入るあらゆる証拠・証言によれば彼は「捕虜」としての扱いを受けていた。他方パレスチナ人政治囚はシャリトと同じような扱いを受けることなど夢想さえしなかった。
負傷兵が戦場に放置されることがないのと同様に、国家はいかなる代価を払ってもその力のすべてを上げて戦争捕虜を帰還させる義務がある。ここには、ベンジャミン・ネタニヤフの政府によって育成されたイスラエルのメディアが述べている「とりわけ特別なユダヤ的人道主義」があるわけではなく、戦争の情勢において通常の認められている行為があるだけだ。当たり前のことではなく、実際のところスキャンダルにまみれているのは、シャリト文書への政府の責任を特徴づける意識的なためらいである。ドイツの交渉役とエジプトとトルコの政府の助力によって到達した協定は、すでに三年前に締結されていたのだが、イスラエル政府はそれを無視するという選択を行い、疑いなく兵士の死という結果をもたらす奇襲作戦の夢想にふけったのである。
もしネタニヤフやリーバーマン(極右政党「我が家イスラエル」の党首)の子どもが捕虜になっていたら、政府はもっと速やかに動き、机の上に置かれていた協定を受け入れていただろう。違う! 政府はなんらかの「ユダヤ的人道主義」を示したのではなく、実際は人間性の真の欠落を示したのである。シャリトの家族の静かな決意と公衆の支援だけが、この不道徳で人間的心情を持たない政府を動かしたのである。
もう一つ別のことがある。国民的尊厳を政策の代用品へと変形させた政府は、トルコやエジプトのケースにおいてそうだったように、いまやその尊大な宣言から引き下がらなければならない。ここでも政府はそのプライドを抑えつけ、まさに約束していたこととは反対のことを行わなければなかった。「手を血まみれにしたテロリスト」を釈放し、その一方で釈放されたイスラエル人とパレスチナ人の比率(一対一〇三七)は一九八五年のラジュブでの比率(三対一〇五〇)よりもっと高いのである。
一つの問題が未解決である。ガザへのイスラエルの包囲はどうなのか。これはハマスとの合意の一部だと言われているが、ネタニヤフは合意を破ることには何の困難も感じない。イスラエルの約束にもかかわらず、女性囚がすべて釈放されるわけではないことは今や明白である。さらにガザ包囲の口実はジラード・シャリトが捕虜になっていたことだった。イスラエルが持ち出す新しい口実は何になるのだろうか。(二〇一一年一〇月一七日)
(「オルタナティブ・インフォメーションセンター」より)
▼ミシェル・ワルシャウスキーはジャーナリスト・著作家でイスラエルの「オルタナティブ・インフォメーションセンター(AIC)」の設立者。彼の著書はOn
the Border(South End Press)、Towards an Open Tomb(Monthly Review
Press)など。邦訳書に『イスラエル=パレスチナ 民族共生国家への挑戦』(加藤洋介訳 柘植書房新社刊)。
(「インターナショナルビューポイント」一一年一一月号)
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