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韓国は、いま                   かけはし2002.10.14号より

国民皆兵制か「貧民皆兵制」か

兵士の最低限の「人間としての価値」さえ保障されない超薄給にも強まる不満

 大学街では今年末の大統領選挙で万一、イ・フェチャン候補が当選するなら、強力な集団的兵役拒否運動を展開する、との話が出回っている。今年初めの人気歌手ユ・スンジュン氏の米国国籍取得による兵役免除騒動にも見られるように、兵役免除はわが社会にあっていつも熱い争点にならざるをえない構造を持っている。軍隊へ行く人々は人生の最も華やかな時期に大変な苦労をするのに、さまざまな理由で兵役を免除される人々の数は余りにも多いからだ。

上流層の子弟に横行する兵役逃れ

 現役は、つらい。陸軍26カ月、海軍28カ月、空軍30カ月という服務期間も長いけれども、内務生活も大変だ。軍隊はよくなったという話は20年前に筆者が軍服務をするときにもよく聞いた話であり、いまも続けられている話だ。だがいまなお、わが軍隊は良くならなければならない余地が余りにも多い。
 わが軍、特に士兵たちの服務条件をこのままにしていっては兵役の義務に対する拒否感を増幅させるだけだ。上流層の子弟たちは、あれこれの理由によってゾロゾロと兵役免除を受けている現実の中で、われわれの国民皆兵制は見せかけだけで、実際には「貧民皆兵制」になったという憎まれ口が聞かれるようになって久しい。現役服務者たちの相対的剥奪感は爆発直前だ。
 わが憲法39条1項は「法律の定めるところにより国防の義務を負う」となっている。国防部や法務庁が兵役義務の正当性を押し出すとき、金科玉条としている条項だ。ところで、われわれは39条1項だけではなく、その後に出てくる39条2項を覚えておかなければならない。「だれであれ、兵役義務の履行によって不利益な処遇を受けない」。
 死文化したこの条項を、われわれはよみがえらせなければならない。それが現在、上流層の子弟の兵役不正(兵役逃れ)によってひき起こされた兵役義務に対する拒否感を解消する唯一の道だ。…(略)…

台湾の士兵たちさえ40万ウォン

 最も重要な金額の問題さえ除けば士兵たちの月給は極めて条件がよい。筆者も2等兵の時に2700ウォンだった月給が兵長になるやいなや4500ウォンへと実に67%も上がった。2年の間に月給の3分の2が上がる職場は、そうあるものではない。賃金の遅払い? 心配する必要はない。ただの一度も決められた日に月給が出てこないことはなく、キチンキチンと支払われる。しかも3カ月ごとに月定額の50%ずつのボーナスも欠かすことなく支払われる。整理解雇や名誉退職は、どうぞやってくれれば、と思っても、そんなことはない。97年末、通貨危機が迫ったときには月給の10%を一律的に削除して国民経済の回復に赫々(かくかく)たる(!)寄与をしたりもした。ノミの肝を取り出して食う、という言葉もかくやとばかりだ。
 昨年、筆者は良心に従った兵役拒否運動を準備する過程で台湾を訪れ、代替服務制度を参観する機会があった。そのとき最も衝撃を受けた部分は、台湾士兵たちが、わが国のカネに換算すると40万ウォン近い月給をもらっているという点だった。台湾は経済規模はわれわれと似通っており、巨大な中国を米軍の駐屯もなしに相手にしており、安保の条件は決して良いとはいえない。ところが、わが士兵たちが26カ月間、月給やボーナスをすっかりまとめなければならない金額を1カ月の月給でもらっているというのだから! それまでは筆者も、わが国民のほとんどがそうであるように、徴兵制なのだから士兵らの月給は考慮の余地のない問題だと思っていた。
 現在2万ウォンにもならない士兵たちの月給は、月給と言うのがこそばゆいほどに、とんでもないほどに少ない。2000年初めに憲法裁判所が下位職公務員の試験で除隊軍人らに付与した5%の加算点を違憲だとの判決を下したとき、全国の予備役らは驚くべき戦友愛を示して憲法裁判所や女性団体のホーム・ページを焦土化させた。
 当時の予備役らの怒りは、怒りのやり場が間違っていただけで、充分にその理由のあるものだ。軍加算点というのは、政府が軍服務を終えた士兵たちにしてやった唯一の配慮だったからだ。…(略)…

近代戦に人海戦術でもやるつもりか

 現役として服務している士兵らはカネを出すことはないけれども、体で償っている。自身の労働力を提供することによって現物租税形態の兵役税を負担しているのだ。反面、兵役免除者たち、特例者たち、そして相当数の代替服務者たちは現役より良い条件、場合によっては正常な社会生活や余暇生活を享有し、正常な月給までもらっている。
 90年代初めに国防研究院や陸軍士官学校の論文集に載った諸論文を見ると、2000年代になれば徴収士兵らにも志願兵(副士官)水準の処遇を与えるべきだ、と提案している。93年のある研究は当時の物価を基準に24万ウォンという具体的な金額を提示したりしていた。だがこのような主張は実現されなかったばかりでなく、近い将来に再論されるきざしさえ見えない。休暇が出たとしても家族の手を借りなければならないし、除隊後、復学したり就職しようとすれば、ただぼう然としてしまう士兵たちに最小限度の月給を支給することが、そんなに不可能なことだろうか。
 いまこそ、われわれも募兵制を深刻に考えなければならない。しかも上流層の兵役不正が連日、放送や新聞を飾り立てるとともに、かつて現役として服務し、また現に服務しており、あるいは今後服務しなければならない人々の相対的剥奪感は、その極に達した。このような状況では徴兵制が持っている長点は全く生かされない。募兵制を採択すれば、もちろん最初はカネがたくさんかかるだろう。だがわれわれはいまや徴兵制の浪費も考えなければならない。一生懸命に学業に精進したり、生産活動に従事する年頃の青年たちを26カ月、軍に持っていくのは国家の経済的面からも極めて不合理だということは、重ねて言うまでもない。
 われわれは70万に肉薄している大軍に加え300万の予備軍、500万の民防衛を持っている。人海戦術を使うのでなければ、このような膨大な規模を維持する理由がない。現代戦において兵力数が重要なことではないという事実は小学校の子どもらも、みんな知っていることだ。
 80年から95年5月末の15年5カ月間に、服務中に死亡した人は自殺3263人、暴行致死387人など全部で8951人に達する。年平均577人の若者が命を失ったわけで、わが軍は戦争を行っていなくとも5年ごとに1個連隊の兵力を失っているわけだ。湾岸戦争当時、米軍側の死亡者は戦死148人、事故者121人の269人にすぎなかったのに比べれば、このような損失は、どれほどとんでもないものであるかも分かる。90年代後半に入って死亡者数は大分、減ったけれどもいまも96年330人、97年273人、2000年182人など平均200〜300人ラインに肉薄する。

服務する人々の怒りには理由がある

 軍当局が安全事故を減らそうと多くの努力を傾けているにもかかわらず事故が後を断たない理由は、無制限的な供給が可能な徴兵制の下で士兵たちの「人間としての価値」が充分に保障されていないからだ。士兵らに正当な月給を支給することは「新聖な軍服務」を遂行する士兵たちの人間的尊厳性を回復する第一歩となるだろう。
 現役として軍に服務したことのある人々は、うんざりするほど土を掘り、社会では想像もしがたい意味のない使役に動員された思い出が少なくないだろう。60〜70年代に比べて大きく改善されたとはいうものの、かつて師団長くらいになると百万長者も及ばぬほどの多くの兵力を官舎で使うことができた。仮に士兵たちに最低賃金水準の月給が支払われるなら士兵らを無意味な使役に動員することなどは当然にも消え去るだろう。これは兵力の合理的な運用にも大きな助けとなる。
 最近、問題になっている青年失業の問題、特に高卒失業の問題は軍隊の問題と密接な関係がある。義務的な軍服務が青年らの失業を防止する効果を持っているとの主張もあるけれど、就業するやいなや、やっと仕事ができるようになると軍隊に行かなければならない人々を正当な条件で喜んで採用する雇用主は、そうはいないだろう。そのうえ学力を過度に反映する選兵規準によって高等学校中退以下の人々は軍隊に行きたくとも行けず、また社会での就業の機会も容易ではない。
 筆者が携わっている良心に従った兵役拒否権実現運動が、この国で乗り越えなければならない課題は余りにも多いが、最も困難な問題は国防部や韓国キリスト教連合会などの反発ではない。むしろ、より大きな困難は現役として服務した人々の相対的剥奪感だ。そしてその剥奪感には余りにも正当な理由がある。問題は、怒りの対象が人生を前科者として生きる覚悟をし良心の命令に従うことにした兵役拒否者たちではなく、不合理で不公正な制度や、そのような制度を強要してきた大韓民国政府とならなければならない、ということだ。(「ハンギョレ21」第427号、02年9月26日付、ハン・ホング聖公会大教授・韓国現代史)


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