「戦争に反対しつつ銃を持つことはできない」 かけはし2002.8.5号より |
非宗教人が初め
て拒否を宣言
「良心に従った兵役拒否」に新たな地平が開かれている。昨年十二月十七日、平和主義者オ・テヤン氏が「不殺生」の宗教的信念に従って兵役を拒否してから六カ月余ぶりに、また別の若者が政治的信念を理由にして兵役拒否の宣言をした。非宗教人が信念に従って銃を持つのを拒否したのは今回が初めてだ。
七月九日、民主労働党ソウル銅雀区党事務次長ユ・ホグン氏(26)はソウル中区の国家人権委員会事務所で記者会見を行い「戦争反対と平和の実現という信念に従って兵役を拒否する」と明らかにした。ユ氏は「良心に従って兵役を拒否した青年らを毎年、数百人ずつ無条件で監獄に送っているのは国家の利益にも付合しない。個人のためにも国家のためにも銃の代わりに別の方法で国防の義務を履行できる機会を与えるのは不可能なのか」と問いただした。
良心的兵役拒否を
めぐる社会の変化
オ氏とユ氏の宣言の間には半年余りの時間差がある。その間に、わが社会では良心に従った兵役拒否をめぐる多くの論争とともに、少なからぬ変化があった。一月二十九日、ソウル地裁南部支部は「現行兵役法は良心に従った兵役拒否者の尊厳や価値、幸福追求権を侵害する可能性がある」とし、違憲審判についての判断を憲法裁判所に提起した。オ氏ら一部の兵役拒否者に対する拘束令状が裁判所によって棄却されたりもした。そして遂にユ氏の兵役拒否宣言が出てきた。
ユ氏の兵役拒否は、このような社会的脈絡の中にある。彼の宣言は突発的ではなかった。「思想と信念に従って兵役を拒否するのは国家の存在を否定するものでもなく、国家の安保を害しようとするものでもありません。ひたすら他のやり方で国家のために寄与しようというものです」。
ユ氏は大分前から平和主義者だった。一九九五年に崇実大政治外交学科に入学した彼は統一問題研究サークル「興師(起兵)団アカデミー」で活動するとともに、ごく自然に平和や人権に関心を寄せつつ学生生活を送った。北韓が食糧難で苦しんでいた九六〜九七年には校内で北韓同胞を救う募金活動を主導したりもした。九九年に大学を卒業して以来ずっと進歩政党に身を置きながら平和運動を繰り広げてきた。
だからと言って、ユ氏は最初から兵役拒否を決心していたわけではない。昨年初めからインターネットを通じて徴兵制反対運動や良心に従った兵役拒否の問題に接していたものの、自らが中心に立つことになるまでには長い時間が必要だった。昨年末、オ・テヤン氏の「挑発的問題提起」が出てきた後も、彼の苦悩は続いた。兵役特例法に指定されている業種への就職のために六月に情報処理技士の資格証を手に入れたのも「執銃拒否」という、いばらの道をできることなら避けたかったからかも知れない。
だが選択の瞬間がやってきたとき、彼は再び揺れた。兵役特例対象者になったとしても、どのみち四週間は銃を肩にして軍事訓練を受けなければならないからだった。彼は「平和や統一への所信に照らして、四週間の軍事訓練であれ、二十六カ月の軍服務であれ、さしたる違いはない」と語った。ユ氏が望んでいるのは「違い」を受け入れることのできる社会の「寛容」だ。彼は「少数者に配慮し、違いを認めることこそが民主主義の基本精神であり、そのような成熟した社会になったときに初めて、より多くの人々のより多くの幸せが可能となるだろう」と固く信じた。
オ・テヤン氏の前例からすればユ氏も不拘束状態で裁判を待つことになるものと見られる。検察は二月に二度ほどオ氏の拘束令状を請求したが、裁判所は不拘束状態で裁判を進めることを明らかにした。そして六月十九日に開かれた初公判で、裁判所は「憲法裁判所で審議中の、兵役法の違憲の有無についての判断を待とう」と明らかにした経緯がある。これにより、オ氏に対する実質的裁判は憲法裁判所の判決後になることになった。
兵役法改正を展
開する連帯会議
ユ氏の宣言が一定の社会的脈絡の中にあるように、彼の宣言は再び良心に従った兵役拒否にかかわる、また別の社会的流れを引き出すものと見られる。ユ氏の兵役拒否宣言に合わせて人権運動サランバンや平和人権連帯など三十余の市民・社会団体が集い、二月に結成した「良心に従った兵役拒否権の実現と代替服務制度改善のための連帯会議」(以下、連帯会議)の足どりも早まった。連帯会議は七月四日、国会議員会館で公聴会を開くなど、兵役法改正のための立法活動に拍車をかけている。
連帯会議が用意した兵役法改正案には@代替服務の判定を受けていた者は兵力動員の「招集対象」から除外A現役服務中に、代替服務委員会から代替服務の判定を受けられるB代替服務要員の服務期間は三年以内、召喚部署は保健福祉部とする、などの内容が盛り込まれている。また代替服務申請事由として宗教だけではなく倫理的・政治的、平和主義的、人道的事由をも包括する「良心的事由」を挙げるとともに、国内外の別なしに、あらゆる戦争を拒否する人だけを兵役拒否者として認めることとした。
今後は、いままでよりもしばしば、良心に従った兵役拒否宣言が見られるものと予想される。民主労働党人権委員会コン・テユン氏は「連帯会議を通じて、すでに良心に従って兵役を拒否するとの意志を明らかにした人々がいる。オ・テヤン氏の拒否宣言後、二番目の宣言が出てくるまでは六カ月がかかったが、三番目の兵役拒否宣言は、それよりも短期間に出てくることもあり得るだろう」と語った。
全国学生会協議会(全学協)を中心に、兵役拒否権の認定と代替服務制の導入を求める署名運動に参加した学生数は、すでに一万人を超えた。全学協が毎年進めている全国巡回行事「大学生実践団・希望」の今年のテーマも良心に従った兵役拒否と決められた。七月二十四日から八月一日まで五十余の学生会、百二十余人が参加した中で開かれる予定の今回の行事期間に合計五万人の署名を獲得する計画だ。
全学協イ・ジュナ政策局長は「大学生は在学中には軍入隊を引き延ばすことができるが、オ・テヤン氏やユ・ホグン氏が相次いで兵役拒否を宣言するとともに、兵役拒否権や代替服務制度についての関心が急速に広がっている。九月ごろまでに在学生五〜十人程度が宣言のレベルとは言え、兵役拒否者の隊列者に合流する方案を考慮している」と伝えた。
変化の芽はふくらんだものの、互いの「違い」を受け入れようとするわが社会の努力は、いまだ部分的だ。声優ヤン・チウン氏は「宗教のゆえに監獄に囚われている『エホバの証人』の青年たちは依然として宗教行事さえ阻まれた状況」だと伝える。裁判所の判断も混乱気味だ。大田地裁ハン・ドンス判事は四月十二日、信仰による良心的兵役拒否問題は裁判の過程で有罪・無罪を見分けるべき事案だ、などの理由でエホバの証人の信者ホン某氏(20)の拘束令状を棄却した。だが半月後、警察はホン氏の拘束令状を再申請し、裁判所は結局、拘束令状を発付した。
兵役拒否宣言が
堰を切る前に…
四千七百万人が暮らしている国には四千七百万個の「良心」があり、良心の数だけ多様な暮らしのあり方がある。良心に従って「国防の義務」を尽くそうとする人がいるとすれば、銃を執るのを拒否して「代替服務」を主張する人々もいる。ユ氏が兵役拒否をした日、彼のオモニ(母)は明け方から彼を揺さぶって起こしたという。「こんなことは、するな。身の破滅だ。早く行け」。
だがオモニの切々たる思いも息子の信念を変えられなかった。「いまは余りにも当然に受け入れていることどもも何年か後には、まるで違って感じられるはずです。『そのとき、われわれはなぜそうだったのか』と語り、良心に従った兵役拒否権や代替服務制を当然のように受け入れられる日が必ずや来るだろうと思います」。
彼が言っている「良き日」が到来するまで、良心に従った兵役拒否宣言は、さらに相次ぐことだろう。(「ハンギョレ21」第418号、02年7月25日付、チョン・インファン記者)
日誌で見る良心的兵役拒否
2001年
11月26日 声優ヤン・チウン氏、「エホバの証人」執銃拒否者仮釈放の基準差別について国家人権委に陳情。
12月17日 オ・テヤン氏、「不殺生」の信念に従い国家人権委に陳情書を提出し、兵役拒否宣言。
2002年
1月29日 ソウル地裁南部支部、現行兵役法は良心に従った兵役拒否者の尊厳や価値、幸福追求権を侵害する可能性があるとして違憲審判を提起。
2月2日 平和人権連帯など市民・社会団体「良心に従った兵役拒否権実現と代替服務制改善のための連帯会議」発足。
2月8日 ソウル地裁東部支部、オ・テヤン氏拘束令状棄却。
2月18日 韓国キリスト教教会協議会「宗教・良心的兵役拒否と代替服務」討論会開催。
2月28日 ソウル地裁東部支部、「エホバの証人」チェ某氏(21)、ユン某氏(21)保釈決定。
3月22日 全州地裁、「エホバの証人」信者カン某氏(21)一年六カ月に減刑。
3月25日 大韓弁協「良心的兵役拒否と人権」討論会開催。
3月29日 カトリック教キム・スファン枢機卿、「信仰のための良心的兵役拒否尊重」発言。
4月12日 大田地裁、「エホバの証人」信者ホン某氏(20)拘束令状棄却。
4月20日 大田地裁、「エホバの証人」信者キム某氏(20)拘束令状発付。
4月23日 第58次国連人権委員会、良心に従った兵役拒否権の認定を求める決議案採択。
4月27日 大田地裁、令状棄却された「エホバの証人」信者ホン某氏(20)拘束令状発付。
5月24日 ソウル大公益人法センター、『良心的兵役拒否』発刊。
7月4日 連帯会議、国会「国と文化を考える会」と共同で代替服務制の立法関連公聴会開催。
7月9日 ユン・ホグン氏、戦争反対・平和実現という信念に従い国家人権委に陳情書を出し、兵役拒否宣言。
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