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日本トロツキスト連盟結成50年             かけはし2007.1.29号

国際主義をつらぬき社会主義再生への新たな挑戦を

スターリニズムの根本的批判

 五十年前の一九五七年一月二十七日、それまでスターリニズムに一元的に支配されていた日本の共産主義運動の歴史の中で、「反ソ・反革命」というレッテルで断罪されていたトロツキズムの旗を公然と掲げた政治組織が結成された。日本トロツキスト連盟である。
 戦後すぐからトロツキーの著作の翻訳を精力的に行い、社会党内での働きかけを行っていた山西英一らの活動はあった。しかしトロツキスト政治組織としての活動は、この日本トロツキスト連盟を嚆矢とする。日本トロツキスト連盟の結成こそは、スターリニズムを根底から批判する革命的左翼のための闘いの画期であった。
 日本トロツキスト連盟の結成に参加したのは、前年の一九五六年からトロツキズムと第四インターナショナルの立場で「反逆者」を発行していた日本共産党の旧「国際派」の活動家だった群馬の内田英世・富雄の兄弟、一九五二年頃から山西英一、対馬忠行の影響でトロツキストとして独自の活動を続けていた太田竜、そして「トロ連」結成後間もなく第四インターナショナルを批判して「反帝・反スタ」戦略を打ち出した黒田寛一らであった。日本トロツキスト連盟結成会議に参加したのは、内田兄弟、太田、黒田以外には一、二名の学生のみ、合わせて五、六人であったとされている(国際革命文庫『日本革命的共産主義者同盟小史』新時代社刊、一九七七年)。
 日本トロツキスト連盟の発足は、その前年・一九五六年二月のソ連共産党第二十回大会におけるフルシチョフ秘密報告によるスターリン批判、六月のポーランド・ポズナニ蜂起、同年十月のハンガリーにおける労働者の決起とソ連軍の軍事介入による圧殺を契機とした、スターリン主義批判の胎動を国際的契機にしている。
 また国内的には「一九五〇年分裂」を経て、一九五五年の「六全協」(第六回全国協議会)によって形式的再統一を果たしながら、指導部批判と全面的な綱領論争の嵐のただなかにあった日本共産党の危機を土台にしている。それはまた、占領後の日本資本主義の復活・成長過程での新たな社会的構造変化と、階級闘争の枠組みの再編成を背景にしたものだった。

インターナショナルのために

 日本トロツキスト運動の歩みは、一九五八年以後の太田竜派や黒田寛一派との分裂を皮切りに、多くの錯誤や紆余曲折に満ちた正負の経験をともなった苦闘の歴史でもあった。まったくの少数のサークルから出発した日本の左翼反対派運動=トロツキスト運動は、国際共産主義運動の論争と歴史の本当の姿を、スターリニズムの「正統派」史観による歪曲から解き放つ契機となるとともに、一九六〇年を前後して、学生運動と労働運動の中に浸透を開始し、「新左翼」運動を発展させる触媒となった。
 太田竜派(国際主義共産党)との再統一(一九六五年)・再分裂を経たわれわれは、一九六〇年代後半の急進主義運動の発展の中でその重要な一翼を担うとともに、日本の新左翼の一国主義と内ゲバ主義・テロリズムを批判し、多くの青年労働者や学生たちを第四インターナショナルの立場に獲得した。一九七八年の開港阻止決戦を頂点とする三里塚闘争は、その最大の成果だった。
 しかし一九八〇年代以後、わが同盟内の女性差別問題、組織分裂、第四インターナショナルの正式な構成組織としての資格喪失という形で露呈したわれわれの重大な誤りは、一九八九年から九一年にかけた、ソ連・東欧のスターリニスト官僚体制の崩壊、労働者階級の間での社会主義思想への信頼性の急速な衰退ともあいまって、われわれの政治的・組織的影響力の深刻な後退をもたらしてしまった。それは社会民主主義やスターリニズムに代わる革命的左翼の組織建設をめざしてきたわれわれの重大な敗北だった。われわれはこの敗北の中から、新しい時代の社会主義革命運動の再生を担う組織と運動のために試行錯誤を続けなければならなかった。
 今日、アメリカ帝国主義のグローバル戦争と表裏一体のものである資本の新自由主義的な攻撃の激化の中で、全世界的に労働者・民衆の反撃が大衆的な復活が始まっている。そのことは中南米における新しい左派政権の相次ぐ登場や、欧州での新しい左翼のための闘いの着実な前進に表現されている。その先頭に立っているのが第四インターナショナルの同志たちである。この複雑なプロセスの中から、いまだ端著だとはいえ、労働者・民衆の自治と民主主義に根ざした「もう一つの世界」=グローバルな社会主義をめざす闘い、新しい革命的インターナショナルのための闘いの土台が築き上げられつつある。
 われわれは日本トロツキスト連盟以来の五十年の歴史の多面的な総括にふまえて、今こそ、日本の社会主義左翼に課されている新たな挑戦に踏み出すことを決意している。グローバル資本主義の支配が、もはや災厄以外のなにものでもないことがますます明白になっている現在、反資本主義的左翼オルタナティブへの闘いを進める上で、この半世紀の主体的教訓を次の時代に向けて批判的に継承・刷新していくことが不可欠の課題なのである。 (純)



パンフ紹介
「青 年 戦 線」170号 編集・発行/日本共産青年同盟 頒価400円


 「青年戦線」誌最新一七〇号が昨年末完成した。表紙は十一月三日に行われた「持たざる者の国際連帯行動」のデモ写真。
 今号の特集は「安倍政権と新自由主義」。小泉「構造改革」政策の後を引き継いだ安倍新政権は、「美しい国へ」などいう独善的な国家主義イデオロギーを前面に掲げ、発足後わずか三ヶ月で歴史的な悪法の数々を成立させた。その一つは改悪教育基本法である。
 「日の丸・君が代・国家への愛」を強制し、そのために進んで戦争に協力する思想を子供たちに押しつけようとする。この悪法は昨年十二月、国会周辺における連日連夜の抗議行動に包囲されながら、自公によって強行採決された。全国から駆けつけた教育労働者、学生、市民の国会内集会。寒風の中で続けられた座り込み。風雨を吹き飛ばす怒りのシュプレヒコール。一連の「ヒューマンチェーン行動」は熱気のうちに闘いぬかれた。表紙裏には国会行動の写真を掲載した。

「再チャレンジ」
政策の欺まん性

 本文では安倍の「再チャレンジ」政策の欺瞞を、ひとつひとつ細かく暴いている。九五年の日経連「新時代の日本的経営」路線は、今も脈々と生きている。終身雇用制の最後的解体と能力成果主義の全面開花。正規社員への徹底的な労働強化と、非正規社員の前時代的な超低賃金。
 この二本柱の奴隷労働によって、資本は空前の利益を上げ続けている。大手企業の三月期決算の経常利益は、なんと四年連続で過去最高を記録する見通しだ。だがしかし安倍の掲げる「再チャレンジ」で救われる失業者はいない。それどころか、現行の労働時間の規制を撤廃し、残業代不払いを合法化する「ホワイトカラーエグゼンプション」攻撃が準備されている。
 世論やメディアの「格差社会」批判が聞こえ始めると、そしてようやく過労死促進法が取り上げられると、さすがに安倍は経済三団体に対して「賃上げ推進」発言をしたという。なんというご都合主義だ。社会的弱者であるフリーター、失業者、野宿者、生活保護世帯の生活は、ますます困窮の度合いを増している。そんな私たちの生活を、「時給三百円」で働く外国人労働者の生産品が支えている。まさに「底辺への競争」である。
 対極する正反対のスタンダードは成立しない。安倍の美辞麗句は軽薄なペテンでしかない。今後さらに過労死や過労自殺が増え続けることは明らかである。特集には運動に関わっている仲間の報告とともに、「外国人研修制度」についての読書案内も併載した。

時代の歴史的
転換期の中で

 巨大な環境破壊、空前の税金浪費である静岡空港建設。緊迫する現地に通い続ける仲間の詳細なレポートと、昨年八月のイスラエルによるレバノン空爆を、生々しく伝えたJVJAの集会報告。アジ連フェミニズム講座の参加者からは、上野千鶴子著「生き延びるための思想」の学習ノートが寄せられている。ここでは「暴力の行使者は暴力の被害者にもなる」という提起があり、理論はより深みに吸い寄せられていく。
 右翼による集会破壊と言論活動への暴力的敵対がエスカレートしている。それと連動して、公安警察による微罪逮捕、別件逮捕がまかり通っている。止まらない「格差」と言論封殺、治安弾圧。明確な戦争国家化への動きにブレーキをかけるのは、意識的進歩的な人々の、社会正義に誠実な若者の責務ではないだろうか。今年の最重要課題は反改憲闘争である。私たちは、近代史の歴史的な節目に、もっとも重要な時代に生きているのだ。この危機感と怒りを共有しようではないか。
 「青年戦線」とともに、深まる格差社会にNOを! 新自由主義グローバリゼーションにNOを! 「もう一つの世界」をめざす闘いに、いまこそ合流していこう。 (S)



コラム
「古典」との出会い


 高校時代のある日、ぼくは、隣町にある古本屋めざして浮き浮き気分で自転車をこいでいた。
 中学二年のころから、ぼくにはいつも「今読んでいる小説」があった。どちらかというと、ある作家のものを手当たりしだい次々と読んでいくタイプだった。学校の図書館で借りていたため、紙魚の臭いのする旧漢字旧仮名遣いの本が多かった。
 高校生になると、読書傾向は思想書に移っていった。そのきっかけになったのが、古本屋で見つけた全二四巻の「世界思想教養全集」(河出書房新社)。どうしても欲しくて、アルバイトで貯めた有り金全部ポケットに突っ込んで、一時間ばかり自転車をこいでいたのだ。
 その全集の中で、サルトルやカミュ、カント、ヘーゲル、ウェーバー、そしてマルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキーなどと出会うことができた。
 全集にはトロツキーの『文学と革命』が入っていた。その著者がロシア革命の指導者らしいことくらいしか知らなかったが、なぜか「おもしろい人」と好感をいだいた。あえて言葉にすれば、無理なこじつけがなく、ごく当り前の感性と理性の全体性をもってスケールの大きな道理を語っている、ということだろうか。そのころはスターリニズムなど知る由もなかったにもかかわらず、不思議とそんなふうに思ったことを憶えている。その印象は、その後トロツキーを知れば知るほど強くなっていった。
 『共産党宣言』はほとんど理解できなかった。当時のヨーロッパ情勢を知らないぼくには、ちりばめられているレトリックと論理を区別することができなかったからだ。それでも『共産主義の諸原理』はなんとか読むことができた。『家族、私有財産および国家の起原』は、対象化する必要さえ感じなかった「家族」にこんなにも深い歴史があったのかと驚嘆したが、それ以上の理解は不可能だった。質問しようにも、そういう人は見つけられなかったからだ。
 しかし、『賃労働と資本』、『賃金・価格・利潤』には、「世界の秘密」が解き明かされる思いがした。「世の中はこんな仕組みで成り立っていたのか」と、興奮を抑えきれず、仕入れたばかりの一知半解の知識をまわりの友人たちにしゃべりまわっていた。しかし、「そういう資本家というのは誰と誰のことだ」と詰め寄られてグウの音も出ず、悔しい思いもした。こういう質問に対して説得的に説明することは案外むずかしい、と今も思っている。
 大学に入るとすぐ、実存主義研究会、ロシア革命研究会、マルクス・レーニン主義研究会などにかけもちで参加した。それぞれ異なる党派の表向きの看板だったが、そうしたオルグを受けることもなく半年ほどはサークル活動にいそしむことができた。高校時代に渇望していた良き教師を求めていたのかもしれない。
 現在、国際情勢も日本の労働者をめぐる情勢も歴史的な変化の中にある。それでも、「古典」と呼ばれる名著と格闘し、また「良き教師」として若い世代のそうした格闘とともにあろうとするのは、「現実」と向き合うのと同じくらい大切なことではないだろうか。
 ちなみに、件の全集は、学生運動に取り組むようになった時、文字通りぼくの血となり肉となった。マルクス・エンゲルスの二巻だけは、いっぱい書き込みをしたおかげで、今もぼくの本棚の中でちんまりと肩を寄せ合っている。   (岩)

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