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寄稿 フィリピン・スービックのレイプ事件        かけはし2007.1.29号

多発する米軍犯罪を許すな
被害者の尊厳を回復せよ!

差別的な比米軍事訪問協定
平田一郎(フィリピン・ピースサイクル)

加害米兵に禁
固40年の判決

 昨年の06フィリピン・ピースサイクルの宿題はまだ解決をみていない、対比ODA問題、比「慰安婦」被害者問題の解決とあわせ、宿題は増えるばかりである。
 二〇〇五年十一月一日にフィリピンスービック元米海軍基地でおきた、米海兵隊員によるレイプ事件は、昨年十二月四日に第一審の判決が出た。主犯ダニエル・スミス被告に終身禁固刑四十年。他の三被告は証拠不十分で無罪となり、この日のうちに沖縄キャンプハンセンに原隊復帰した。
 このスービックレイプ事件裁判では、フィリピンの米軍駐留の歴史始まって以来初めて、米兵のレイプ犯が裁かれたそうである。スービック元米海軍基地があるオロンガポ市では、三千件ものレイプ事件があり、全く裁かれたことはなかったという。
 スービックレイプ事件裁判は、四人の海兵隊員が米大使館に保護されたまま行われた。比米訪問米軍協定(VFA協定)により、犯罪発生から裁判過程終了まで身柄拘留権を米軍側が持ち、裁判期間を一年間としている。その後は米兵被告は比国を離れ帰国できる仕組みである。
 このため裁判は、実質昨年六月以降三カ月にわたり、毎週三回の公判が維持され、資金も力もない原告側には非情なものとなった。「合意の性交渉」がスミス他三人の海兵隊員により一方的に主張され、あざ笑いの中、レイプ裁判特有の「第二のレイプ」の状況が繰り広げられた。

被害者を非難す
る司法相と検察

 また当初から、ゴンザレス比司法長官は、「レイプはただの思い込み」等の発言を連発、政府の役人である「検事」が「和解を勧める」というとんでもない状況で進んだ。しかし、被害者の「ニコール」(仮名)さんは涙にくれながらも闘い抜いた。裁判の後半では、検事が被告追及を怠り、裁判長が検事に注意を与えることも起きた。被害者と被害者側依頼弁護士は全検事団の入れ替えを求め、検事の一人は政府に抗議して辞任した。被害者は出廷を拒否した。
 第一審のマカティ地裁ポゾン裁判長は、VFA協定第5条6項―裁判過程終了まで米側が身柄確保―に対し、一審有罪で裁判過程の終了と判断、米大使館ではなく比側の拘留を命じていた。判決直後、法廷内で被告の身柄を米大使館警備員と比裁判所警備員の間で奪い合う一幕もあった。
 この判決と米兵の比側拘留を受け、ブッシュ大統領は、在米比大使の信任時には、VFA協定の遵守と米兵被告の身柄引き渡しを要求し、十二月二十二日には比米軍事演習「バリカタン2007」と人道援助の中止を声明した。

ついに身柄を米
大使館に移送

 十二月二十九日、クリスマスから新年の全官庁が休暇に入っている期間を狙い、スミス有罪囚は米大使館に移送された。比政府が自ら、控訴裁判所に出した身柄移送要求請願への決定を待たない処置であった。控訴裁判所は、「移送」を事実として容認、しかし、原判決――スミスをフィリピン国内で米大使館を含まない施設に拘留する命令――を「正しい」と判断、原告、被告双方が勝利を声明する事態となった。米軍は軍事演習再開を発表。
 一月七日には、大統領府VFA協定委のパレデス委員長が「監獄破りも同然」と辞任を表明した。議会、政府、教会関係に賛否両論が広がっている。
 06フィリピン・ピースサイクルは昨年三月八日に被害者の依頼したウルスア弁護士事務所を訪ねた。このときはじめて原告側支援グループとこの弁護士を紹介された。この一年間、現地スービックレイプタスクフォース(TFSR―16団体、ガブリエラを含まず別に支援)からの要請を受け、日本の各団体は支援の訴えを、おそまきながら開始した。

日本でも被害者
を支える訴え

 このスービックレイプ事件では、事件発生の一昨年十一月一日直後から日本で、女性団体が中心となり、すばやく抗議声明がまとめられ、多数の賛同者とともに発表されていた。
 現地ではその後、被害者側が支援の受け皿を変更し、広範な支援を生む結果となった。ギンゴーナ元副大統領をはじめ、女性人権グループ、中間層の著名人グループ、各種市民団体、法律界の重鎮たち、若手弁護士グループ、教会関係者などが支援に結集した。ガブリエラもふくめて、一年間を通じての支援の高揚があり、比政府からさえ攻撃される被害者を支えた。11・1事件一周年、犯行現場のスービック元米海軍基地では、佐世保港を母港とする強襲揚陸艦エセックスを前に、被害者を先頭にした抗議行動も行われた。
 百年を超える比米軍事関係のなかで、かつて基地内で狩猟ハンターのようにフィリピン人基地従業員を銃で撃ってきたことを、思い出させる結果ともなっていった。

各国地位協定を
比較検討すれば

 大変勉強になったのは、比米地位協定の内容であった。
 比米軍事訪問協定では、第5条6項で、犯行時点から裁判過程終了まで米軍側が容疑者を保護、これに一年間という期限を設けて、一年で結審しないと米軍側の拘留義務がなくなる。
 これが日米地位協定では、17条5項Cで、―起訴時点で日本側に容疑者を渡す―となっている。
 韓米地位協定(韓米駐屯軍地位協定)の場合は第22条5項Cでは、すべての裁判手続き上、未決の間米軍側が拘束権を持つ、第22条7項Bでは刑に服していても米側の要請で「身柄引き渡し」(刑の執行制限)となっている。
 独米地位協定では、NATO軍地位協定(1956)第7条5項Cで、起訴まで派遣国が身柄拘束、ボン協定(1961)の第22条2項で、いつでもドイツ側に引き渡しでき、ドイツの要請で好意的考慮を払うとなっている。(「『安保』が人をひき殺す」米軍人軍属による被害者の会1996年9月15日発行より)
 いかに地位協定というものが、国際法における人権と国家主権を無視し、相手国次第のいいかげんな協定であるのかをまざまざと見せてくれた。
 これらの地位協定は、米軍の都合により、現在の米国の世界支配の中で、国境を問題としない軍事のグローバリゼーションのなかで起きている差別と特権支配の規定である。
 米側は軍事演習を中止する理由を「米兵の安全が守られない」としたが、TFSRのバロットさんは、「フィリピン人の安全を脅かしておいて、なんということを言うのだろう」と語っていた。ここでも、米軍は、住民の安全など一顧だにしないことが、連日の新聞報道で(インクワイアラー紙の1紙だけでも12月だけで163件の記事)報道された。しかし、米比両国政府側に立つ、スミスは無罪だという記事も相当にのぼる。
 今年早々に支援団体は、スミスの米大使館移送を非難し、抗議行動を開始した。

VFA協定の
廃止を求める

 事件当初から、VFA協定による一年期限の犯罪米兵釈放規定が、裁判上最大の制約だったと思われる。訴えの当初から、裁判を正当に進めるため、VFA協定の「違憲」判断を最高裁に被害者は訴えた。比刑法では有期六年以上での保釈を認めていない。終身禁固四十年の第一審でマカティ市地裁は、裁判過程の終了とし、米大使館への拘留権を認めなかった。しかし、超法規的に比政府と米軍側はスミス有罪囚の身柄を米大使館に移送した。
 再度、原告はこの移送を違憲であるとし、VFAの違憲性の判断を最高裁に求めている。VFA協定の差別性が明らかになり、支援団体ではこの協定の廃止を訴えている。米国による百年の植民地支配がいまも続いているかのようだ。

沖縄少女レイプ
犯が再度殺人

 一九九五年、沖縄での十二歳少女の誘拐レイプ事件で六年半の懲役刑を受けたケンドリック・レデット元海兵隊員(31才)が、〇六年八月十二日、米国ジョージア州で友人の女性ローレン クーパーさん(22才)をレイプ殺害し、自殺したのを、被害女性の父親が発見した。地元ではVTR報道もあり大々的に報道された。
 レデットが何年、どのような状態で日本で服役し、反省したのかわからない。しかし、エアコン、テレビ、ステーキ付の「監獄」に米軍当局の指示どおり何年いても、本人の自省と自己回復はできなかったようだ。
 〇六年一月四日、横須賀での主婦殺人が起きた。コンクリートに主婦の頭部を打ちつけ、内臓破裂で死亡するまでの暴行は偶然、VTRに撮られていて、声だけの証拠開示が裁判所で行われた。たまらず耳をふさぎたくなるような悲鳴だったという。被害者の家族は〇六年十月二十一日に民事特別法で、日本政府を相手に異例の損害賠償請求裁判を起こした。
 スミス、レデットははともにキャンプハンセン駐留の海兵隊員で、スミスは佐世保を母港とする強襲揚陸艦エセックスで比国に上陸した。横須賀主婦殺人の米兵は、横須賀港を母港とする空母キティーホークの乗員だった。米国の戦争に深く関わる日本の米兵犯罪は一九九五年以降、ますます増加していると、「米軍・軍属による被害者の会」の海老原さんは警告している。ブッシュ政権はイラクに次ぐ、「反テロ戦争の第二戦線」としてフィリピンの反政府勢力掃討を位置付け、比軍当局は相次ぐ左派活動家、ジャーナリスト、人権活動家、教会関係者への暗殺路線を続けていると見られている。アムネスティーインターナショナル、キリスト教協議会をはじめ、「超法規殺害」に反対する声も広がりつつある。しかし〇七年五月の総選挙を前に殺害はよりいっそう拡大する懸念がある。
 日本では、沖縄辺野古の基地建設を軸に進んでいるが、米軍再編成は東アジア各国を被う国境なき再編でもある。戦争のための改憲はフィリピンでも同様に進行している。米兵犯罪による被害者の闘いを支援し、連帯をつくろう。
 また今春も雨季と乾季の境目をぬって、私たちはフィリピンのサイクリストといっしょにヤシの葉の下を、反戦平和・人権擁護・環境保護を訴え自転車を走らせることになっている。




日雇全協総決起集会
差別襲撃あおる行政による排除と闘いぬこう


佐藤さん虐殺22年
山岡さん虐殺21年

 一月十三日、佐藤さん虐殺22ヶ年 山岡さん虐殺21ヶ年 弾劾!追悼!日雇全協反失業総決起集会が行われ、百二十人以上の労働者・支援者が結集し、集会とデモを闘った。
 集会では司会者より、佐藤さん、山岡さんのことを直接知らない若い仲間も増えたが、二人の意思を引き継いで闘っていこうとの発言があり、全体で黙祷を行い、ATTACジャパン首都圏、アジア共同行動日本連絡会議、三里塚芝山連合空港反対同盟(北原派)、破防法・組対法に反対する共同行動の四通の連帯アピールが 紹介された。
 続いて争議団連絡会議、長居公園仲間の会、大阪北越冬実行委員会、山谷労働者福祉会館活動委員会の仲間から連帯発言が行われ、長居の仲間、大阪北越冬実の仲間からは昨年のうつぼ公園、大阪城公園に続いて今年二月にも長居公園での強制排除が目論まれていること、そしてそれに先立って昨年九月には五人の仲間が不当逮捕され、うち四人が起訴されていまだ獄中にあることが報告され、不当な排除に屈せず「人間宣言としての闘い」をやりきると力強く決意表明した。

社会的労働運動
としての方向性

 続いて日雇全協各支部の発言に入る。釜ヶ崎日雇労組の仲間は「ホームレス自立支援法が排除のためにつかわれ、本来あるべき形でつかわれていない」と批判し、グローバリゼーション、格差社会の広がりの中で労働者の闘いをつくっていこうと訴えた。
 笹島日雇労組の仲間はこの間相次いでいる野宿者への襲撃にふれ、「行政の排除が差別襲撃をあおっている」と糾弾した。
 ここで再び連帯発言として渋谷のじれんの仲間が発言。「八月から毎週月曜日の都庁前朝情宣、月曜、木曜の新宿中央公園で共同炊事を行い、都の排除と闘ってきた」「十一月には都庁前でハンストを行い、半年間の取り組みをもとに十二月に全都実を結成した」と全都の野宿労働者の闘いを報告し、二〇〇七年は ホームレス自立支援法が五年目で見直しの年であり、国は「テントが減った」ことを成果として宣伝するだろうが、テントもなしに野宿を強いられる仲間と連帯し闘っていかなくてはならない、と訴えた。
 次に山谷争議団の仲間が「大変な時代である。野宿者や、フリーターなどの不安定労働者が激増している。そのような時代の中で私たちの活動の軸をどう捉えていくのか」「かつてに比べて様々な団体が野宿者支援の運動を行っている。医療支援を行うグループや、米や野菜などのカンパを送ってく れる農家とのネットワークもある」「そのような活動をまとめて社会的な運動を作っていかなくてはならない」と提起した。
 最後に司会の仲間が「日雇全協として社会的労働運動の観点から新たな方向性を打ち出していく年にしていきたい」と結んで集会を終えた。
 全体でシュプレヒコールを行った後に山谷を一周するデモに出発したが、盾をぶつけてくるなど警視庁第五機動隊による不当な弾圧が行われた。これは明らかに長居公園での強制排除を前にした事前弾圧をねらった挑発だが、参加者は権力の悪質な挑発にのることなく強固なスクラムで弾圧を跳ね返してデモを貫徹した。       (板)


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