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オランダ                        かけはし2007.1.22号

欧州憲法の批准を阻止した力と結合

解説

「オランダモデル」の矛盾への批判が現出

 二〇〇六年十一月二十二日に行われたオランダの下院選挙(百五十議席・比例代表制)で、バルケネンデ首相率いるキリスト教民主勢力(CDA)は議席を減らしながらも、四十一議席を獲得し第一党の座を確保した。連立与党の自由民主党(VVD)も議席を減らし二十二議席となった。これに対して、野党の側では労働党が十議席減の三十二議席であったのに対し、一九七二年に毛沢東主義者の党として出発し、毛沢東主義と決別した上で「社会主義のメッセージの近代化」を訴えてきた議会内最左派の社会党(SP)が、九議席から二十五議席へと大躍進し、CDA、労働党に次ぐ第三党の地位を占めることになった。前々回の総選挙で第二党となり、連立政権に参加した極右排外主義のピム・フォルタイン党は、すべての議席を失った。それに代わって右翼ポピュリストの自由党がゼロから九議席へと躍進した。
 オランダで行われた二〇〇五年の欧州憲法批准国民投票で、フランスに続いて批准を阻止する原動力になったのも社会党だった(本紙05年6月27日号参照)。今回の選挙結果は、キリスト教民主勢力(CDA)と労働党という中道右派・中道左派の二大政党を軸に連立政権が組まれてきたオランダの伝統的政治構造が大きく揺らぎ、新自由主義の浸透の中で左右の分極化が進んでいることを示すものである。
 今回の選挙結果は、二〇〇五年の国民投票での「欧州憲法拒否」と重ね合わせた時、新自由主義的グローバル化を前提とした「オランダモデル」の雇用制度の下でも、労働者・市民の福祉や権利の解体への批判が広がっていることを示している。これに対して、オランダの中でも、社会党の躍進を「福祉国家」にすがりつく守旧派や、農産物開放への農民の反発にもとづくもの、あるいは民族主義的感情を背景としたものという批判が広がっている。
 しかしそれには根拠がない。世論調査によれば、今回社会党に投票した人びとの多くは、前回棄権したか、労働党に投票した人びとである。また社会党に投票した人びとの三分の二は女性だった。小中学校での模擬投票でも社会党は第二党だった。そして移民票でも社会党は労働党に次いで第二党である。すなわち社会党は、女性・若者・移民を大きな支持基盤にしているのである。
 雇用の非正規化にともなう「格差社会」の急速な進行の中で、正規とパートの「同一価値労働・同一賃金」にもとづく「オランダモデル」が一つの有効な対案として多くの人びとから提起されている(たとえば最近の例を挙げれば、中野麻美『労働ダンピング』岩波新書)。日本の男女差別的雇用システム・賃金制度を背景とした非正規化の攻撃に対して、「オランダモデル」を対案の素材として学ぶことに異議はない。
 しかし「オランダモデル」の矛盾への批判が、今回の総選挙でも明確に示されていることを見れば、それを無条件的に賛美することもできないだろう。グローバルな新自由主義的資本主義の枠組みに対する総体的なオルタナティブを追求する原則に立ったていねいな検討が、われわれに提起されている。   (平井純一)                 

総選挙で社会党が大躍進

前回棄権したか労働党に投票した人びとの多くが社会党に

コーエン・ヘゲンス


前回棄権したか労働党に投票
した人びとの多くが社会党に

 「アナーキストが選挙に勝った」「農民が権力を握った」「彼らは毛沢東主義の紅衛兵だったのか?」。これらは、二〇〇六年十一月二十二日に行われたオランダの国会選挙の結果を知った一部の反応だった。現実は、キリスト教民主勢力(CDA)の首相ヤン・ピーター・バルケネンデが率いた苛酷な右派政権の四年間の統治の後に、オランダの多くの有権者が、より社会的な路線を求める投票を行ったということである。その結果、戦後のオランダでは初めて、左派の間での労働党の支配的な位置が、新自由主義反対の左派である社会党(SP)によって挑戦を受けることになった。
 今回の国会選挙で社会党は大躍進した。社会党は一七%の得票率で、下院の総議席百五十のうち二十五議席を獲得した(前回の選挙では九議席)。
 社会党は、ほとんど議席の変わらなかったベルケネンデのキリスト教民主勢力(CDA)、議席を減らしたヴァウター・ボスの労働党に次いで、オランダ第三の政党として立ち現れたのである。
 長きにわたって蔵相を努めているゲリト・ツァルムのような右派リベラル政党=自由民主党(VVD)の指導者にとって、「アナーキスト」や「毛沢東主義者」へのこうした極端な反応は、不思議なことではない。より衝撃的なのは、多くのコメンテーターたちが、九議席を獲得して小規模な躍進を示した極右国会議員ギールト・ウィルダースの自由党や、六議席に前進したプロテスタントの小政党キリスト教連合の「双子」として社会党を取り扱っていることである。
 たとえば「フィナンシャル・ダグブラッド(フィナンシャル・デイリー)」紙は、「これらの政党はそれぞれ独自のやり方で、欧州連合とグローバリゼーションの力によって創造された開かれた社会に反対して闘っている。社会党は福祉国家の古い防護壁に、キリスト教連合は自らの宗教的アイデンティティーにしがみついているのに対し、ウィルダースの党は非西欧系移民を排除することでオランダ文化を守ろうとしている」と書いた。
 民衆は保守的で民族主義的で後進的だということを自ら口に出した、という分析が広まっている。最も極端な分析が、緑―左翼党に投票した詩人のイリヤ・レオナルド・フェイファーから語られている。「この選挙での勝者は、抑圧的で偏狭な信条を共有している。彼らは欧州からほとんど何も期待せず、彼らのすべてがテロリズムへの彼らの恐怖から思想の自由を犠牲にすることに余りにも熱中している。……ランドスタッド(アムステルダム、ロッテルダム、ハーグなど都市化された西部ネーデルランド)は敗北した。農民が権力を握った」。

リベラリズム
の危機と動揺

 真実は異なったものであり、もっと単純である。多くの有権者は十一月二十二日に左翼への移行を選択し、社会的プログラムへの攻撃に反対した。労働党、社会党、緑―左翼党、新しい緑・動物権利党あわせて六十七という左派の議席は、オランダ議会史において左派が獲得した最高の比率である。
 この結果は、二〇〇四年十二月に政府の年金への攻撃に反対する労働組合の呼びかけに応えて三十万人がアムステルダムの美術館広場(国立美術館やゴッホ美術館がならぶ、アムステルダム市内最大の広場)に結集し、二〇〇五年五月に国民投票で欧州憲法を敗北させた心意気を反映している。
 左翼への移行の背景に新自由主義的混乱に直面した安全への願いがあることは、理解しうる。しかし、現在の右派のいわゆる「進歩的」主張にもかかわらず、このことは大衆の「保守主義」とはほとんど何の関係もない。企業減税と労働者の権利削減を求めることがいつから「進歩的」になったのだろうか?
 オランダ政治における真の左右統一戦線は、社会党とウィルダースの想像上の枢軸にあるのではなく、右派のVVDから緑―左翼党の側にまで広がった新自由主義的コンセンサスにあるのだ。彼らの目標は、新自由主義への抵抗を周辺化させることである。しかし彼らが達成したものは、ますます多くの選挙民を政治から疎外している。
 既成政党の響き渡る反応は、彼らがとらわれている深刻な困難を明らかにしている。VVDは六議席を失った。労働党は野党の立場にあり、前年の多くの世論調査では優勢を保っていたにもかかわらず九議席を失った。
 両政党は、数議席を減らし、指導部の数人が落選するという以上の問題を抱えている。両党は存在の危機に直面している。彼らはもはや、自由主義、社会民主主義(三番目にキリスト教民主主義)というオランダ政治における二、三の支配的政治潮流の自動的な政治表現ではない。
 とりわけ右派にとって情勢は複雑化している。彼らはVVD以外にも、以前「左派リベラル」だったD66、緑―左翼党、労働党の一部、そしておそらくは動物権利党の中にも存在する。二〇〇二年にピム・フォルタインの右翼ポピュリズムが突然の高揚を見せて以後、もはやいかなる意味でも自由主義はオランダの右派をまとめる接着剤ではなくなっている(訳注:ピム・フォルタイン党は二〇〇二年に結成され、移民排斥などの極右排外主義の主張を掲げて同年三月のロッテルダム市議選では三五%を獲得し、市議会第一党に躍り出た。しかし党首のピム・フォルタインは総選挙直前の同年五月六日に射殺された。五月十五日に行われた総選挙ではピム・フォルタイン党は二十六議席を獲得した。だが党首を失った同党は勝利の直後から四分五裂してしまった。本紙02年7月15日号参照)。
 フォルタイン党は分裂し反目仕合う党となり、今回の選挙で議会からは消えてしまったが、ウィルダースの成功は、右翼ポピュリズムがそのアピール性を失ったわけではないことを示している。
 同様に、右派の移民相リタ・ベルドンクはVVDの選挙前の党指導部選挙で党員の約半数の票を獲得して成功を収め、彼女の能力が選挙後もVVDの指導者マーク・ルッテを悩まし続けている。VVDのナンバー2であるベルドンクは、ルッテよりも多数の票を取ったのである。
 皮肉屋は、自由主義はそれ自身の成功によって犠牲者となった、というかもしれない。福祉国家の多くの要素が解体される中で、この潮流の中心的プロジェクトのうちの何が残りうるのかについて人は問うかもしれない。多くのリベラル派は、もはやリベラル派には見えない。彼らはあらゆるものへの激しい敵意、穏健な左派に対してすら向けられる敵意によって突き動かされているように見える。

労働党の政治
的基盤の崩壊

 しかし労働党はそれ自身の問題を抱えている。今回の選挙後、社会党は少なくとも社会民主主義の伝統を具現すると主張することができるだけの力を得た。社会党の異常なまでの躍進は、オランダの政治にかつてないような情勢を作りだしている。議会史上初めて、労働党――ないしはその戦前期の組織であるSDAP(社会民主労働党)――のヘゲモニーが脅威にさらされている。
 これから先、数年の中心的問題は、どの党がオランダの社会民主主義を代表するのかということである。社会党は、その一九七〇年代における毛沢東主義者としての起源にもかかわらず、社会民主主義の左にいる潮流としてではなく、オランダの真の社会民主主義政党として自己規定する度合いを強めるかもしれない。同党の右への動きは、一九九八年に大企業の国有化の要求を放棄し、さらに今年の選挙マニフェストでNATOからの脱退と王制の廃止という主張を外したときに、はっきりと表現された。
 社会党が新自由主義に反対する闘争、オランダが米国の「反テロ戦争」に参加することに反対する闘争、その他の闘いに加わった時、同党は一貫して自らの原則に立脚していた。しかし社会党の躍進によって、労働党が社会党指導者のヤン・マリイニッセンにキリスト教民主勢力との大連合に加わるよう求めるにつれて、社会党を右へ向かわせる圧力は強まるだろう。
 そうであったとしても、われわれは現在の左翼の側に開かれたユニークで短命なイデオロギー的窓という機会を過小評価してはならない。社会主義とは何を意味するか、そして誰がその名前において語っているかという問題は、今や公的議論の主題になっている。それは批判的精神を持った社会主義者にとってのスペースを作りだしている。ここで課題となっているのは、次の選挙で増えたり減ったりしうる議席以上のものである。社会運動のルーツはもっと持続的なものである。労働党は、数十年にわたって労働組合、大学、メディア、司法、多くの委員会や諮問会議で多くの位置を占めてきた。それはオランダの伝統である。しかし近年、労働党はその基盤の多くを失ってきた。社会党がその穴を埋めるかどうかは、大きな、そして率直な問題である。
 課題は大きい。労働組合が政府内の労働党に忠誠を誓うかぎり、企業寄りの政府が提起する課題に対する強力な社会的抵抗の可能性は、より限られたものになる。
 少なくとも、社会党が市民社会に強力な基盤を根づかせる最初の兆候が存在する。ますます多くの労組活動家が社会党に投票し、さらには社会党に入党した。反戦グループ、借家人協会、難民組織もまた社会党を同盟者と見なすようになっている。しかし社会党は知識層の間では相対的に弱体である。社会党は依然として討論の余地がほとんどない内向きの党というイメージに悩まされている。

今後社会党に強
まる右の圧力

 いずれにせよ運動に根ざすことは、社会党が最初のチャンスを捉えて連合政府に参加し、支持者たちを失望させるよりも――いかにその圧力が大きかろうが――オランダ社会を変革するためにははるかに有望な戦略である。このことは、社会党とウィルダースの自由党を比較する上での無条件的目標である。マリイニッセンは、「責任を取る」勇気があること――つまりキリスト教民主勢力のバルケネンデ第四次内閣の閣僚ポストを受け入れる――を示すことで、彼の純潔さを示さなければならないとされている。
 これは社会党に投票した人びとをだます呼びかけに他ならない。今年の医療「改革」の見直し、鉄道の再国有化、金持ちへの増税、オランダ軍のアフガニスタンからの撤退といった社会党の政綱の核心部分をキリスト教民主勢力が受け入れてともに進むなどということは、ほとんど問題外である。
 社会党が自らのこうした要求を取り下げるとするならば、今回の選挙で伝統的政党に絶望した有権者は、次回には社会党を見捨てる可能性が大きい。彼らは政治全体にシニカルに背を向けるか、おそらくはウィルダースの極右政党の側に移行するだろう。社会党の「民主主義的」助言者になるということに関心がないのは明らかである。
 有権者はおそらく近い将来、社会党が与党となることを検証するために、一度だけチャンスを与えるだろう。したがって社会党は、自らの政綱の実質的部分を政策に移しかえるための最善の条件を手に入れるまで待つべきである。それには議会で強固な位置を占めるだけではなく、議会で左派が圧倒的多数を占めること、そしてとりわけ強力な社会運動と社会的発酵状態が必要である。このどれもが不可能ではない。労働党、社会党、緑―左翼党を合わせれば、昨年(二〇〇五年)の各月の世論調査の多くで多数派となっている。そして二〇〇四年十月のデモは、オランダ社会が永遠の静けさを運命づけられているわけではないことを示したのである。
 社会党内、そして周辺の批判的左派は、来るべき時期に自らの手に余る以上の活動をすることになるだろう。まず初めに、今回の選挙で左派が示した前進と有権者が社会党に託した信頼を擁護する必要がある。これは、投票した人びとを欺くあらゆる路線を油断なく見張ることを意味する。そして社会党にとって、キリスト教民主勢力が主導する政権に参加することが、有権者を欺く行為なのは明らかである。
 社会党は、労働党の指導者ボスが結局バルケネンデの次期内閣に入るのは当然だし、社会党に投票すればバルケネンデを首相の座から確実に追い落とせると訴えて、労働党への「戦略的」投票の誘惑に抵抗した。さらに社会党に投票した人びとは、キリスト教民主勢力との駆け引きを繰り返してきた伝統的な労働党のやり方に反対したのである。もし有権者がキリスト教民主勢力主導政権への入閣を望んでいたのなら、彼らはヴァウター・ボスの労働党に投票していただろう。
 社会党内の左派活動家は、社会党がウィルダースの自由党と同じになるような提起に反対する点でも理想的な位置にいる。彼らは、開かれた、多文化的で、民主主義的で国際主義的な社会党、そして大胆なイニシアティブを発揮し、社会の明確なオルタナティブ・ビジョンを提起する社会主義政党を建設するために活動することによって、最も効果的にその課題を果たすことができる。これを出発点にした、誰が真にオランダで社会主義の立場に立っているのかの討論を行うことは、非常に興味深いものとなりうる。VVD(自由民主党)が抱く悪夢はただちに現実のものとなることはないが、それは将来において魅力あるものとなりうるのだ。

(筆者のコーエン・ヘゲンスは「グレンツェルース」〔第四インター・オランダ支部・社会主義オルタナティブ政治=SAPが発行する新聞〕のライター)

(「インターナショナルビューポイント」電子版06年12月号)


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