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2007年大統領選挙、未来ではなく既に過去      かけはし2007.12.10号

韓国社会を包む新自由主義に
対する立場が問われている



流失した闘いの戦線

 客観的に言えば2007年の大選(大統領選挙)は87年の民主化以後20年、97年の新自由主義の全面化以後10年、そして6・15南北宣言後の7年を、よしんばブルジョア選挙の日程という限界がありはするものの、いずれにせよ政治的に総括する場としての位置と性格とを帯びている。改めて言えば07年大選は単に向こう5年を執権する政治勢力を選出するという行為を遙かに超えて、韓国社会がこれ以降、歩んで行くべき発展の方向を新たに規定したり、またその基礎を作るというような意味を持っている。
 そうであるとき、特に労働者民衆運動陣営にとっては民主化運動の実質的な主導勢力として、新自由主義に対する最大の反対集団として、また韓(朝鮮)半島問題についての一当事者として、既存の新自由主義の支配秩序に取って替わるための政治的対案と展望とを提出し、これを中心として労働者民衆勢力を結集させるべき課題が与えられていた。

 だが今の状態であるならば07年の大選において新自由主義対反新自由主義の戦線、または保守―中道―進歩の3分立の構図を形成しようとしていた労働者民衆運動陣営の目標は、現実的には達成しがたくなった。これとともに、いわゆる「階級的左派」陣営が試みようとしていた2つの課題、すなわち1つは上のような構図を形成することのために政治力量を発揮したり、もう1つはそのような政治力量を発揮しつつ同時に独自的な勢力化を実現することを語ることはできるものの、いずれも実際には実現できなくなった。
 こうして07大選において、まだその結果は確定していないものの、労働者民衆運動全体として見ても、その中での政派それぞれの立場から見ても、労働者民衆に意味のある政治力を発揮するのは期待できなくなった。

闘争と選挙の乖離

 少なくとも87年以降の韓国社会の政治地形は、2002年のノ・ムヒョン政権の登場の時までは大きな枠組みで見るとき、休むことなき左旋回をしてきた。そうできた決定的原因は、まさに労働者民衆の下からの大衆闘争だった。韓国労働者民衆の政治力量は、その闘争を通じて、それ以前の時期とは比較できないほどにめざましい成長を遂げた。
 特に「現実社会主義」の崩壊とともに新自由主義の登場によって萎縮していた全世界の労働者民衆運動が、95年フランスの公共部門労働者の反新自由主義闘争、99年シアトルでの反世界化遠征闘争、03年米国のイラク侵略を契機として立ちあがった全世界の反戦大衆闘争とかみ合って、韓国の労働者民衆闘争は世界的レベルでも一層、光を放った。

 韓国の労働者民衆闘争は、よしんば97年以降には帝国主義勢力および国内資本や政権の新自由主義攻勢に押されて骨の折れる防御闘争の性格を帯びたものの、相対的レベルから見るとき、その度合いも世界的には驚異的な闘いを展開したことに間違いはない。しかも韓国資本主義の位置は仮にも帝国主義ではないけれども、したがって韓国社会の水準は帝国主義の国々が施行している法的、制度的、社会福祉実態にははるかに及ばないけれども、資本主義の下での組織労働者たちによる典型的な階級闘争だったという点において、その意味は格別だ。特に典型的な階級闘争の様相を帯びていながらも国家権力との対敵戦線を直接的に形成し、闘争が強力な戦闘性を発揮することによって、韓国の大衆闘争は後発資本主義の国々の民衆だけではなく、帝国主義の国の労働者階級にも新鮮な衝撃を投じさえした。
 以上のような下からの労働者民衆闘争の歴史を持っているにもかかわらず、それを通じて87年以後、韓国社会の政治地形をたゆみなく左旋回させた動力を提供しながらも韓国の労働者民衆は、そのような政治力量を選挙を通じてはキチンと発現できなかった。それには幾つかの政治的、歴史的背景が横たわっている。

変化した国内外の政治背景

 まず国内的要因として
 第1に、韓国の労働者民衆運動は物理的闘争力においては最も強力な力を持っていながらも、それを通した政治的集中を実現することにおいて、独自的な勢力化へと踏みこむことができず、絶えずブルジョア政治勢力の一分派である自由主義政治勢力に依存したり、または協調的な態度を示してきた。選挙のたびに登場していた「民主大連合」、または「改革連合」が、まさにそれだ。このような認識や態度は、保守―右派勢力けん制論、またはそのコインの裏面である自由主義勢力活用論として始められた。
 第2に、大衆闘争と選挙との関係を定立することにおいて韓国の労働者民主運動陣営は、大衆闘争の成果を選挙を通じて拡張させる方向ではなく、その反対に閉じ込める方向で位置づけた。結果的に闘争と選挙は分離され、闘争は政治行為とは無関係に、単に物理的催しに位置づけられ、政治はいつの間にか日常から自立した選挙へと置き換えられた。
 第3に、民主労働党が及ぼした影響と「階級的左派」陣営が示した態度を挙げることができる。民主労働党は、その形式においては労働者民衆の独自的政治勢力化を帯びていたけれども、その内容や過程においては絶えず自由主義勢力に対する動揺を示してきた。民主労働党は現実的に自由主義政治勢力との関係において、ある種の下位パートナーとしての位置と役割とを拭いきれなかった。反面、「階級的左派」陣営は選挙に介入することのできる独自的な力量を整えることにおいて到底、及ばず、そのために選挙に対する不信と無関心とを、それとなく表してきた。これは闘う労働者民衆を民主労働党の下に閉じ込めるか、はたまた自由主義勢力へと向かわせる政治的結果を生んだ。

 次に世界的レベルの影響として、
 第1に、「現実社会主義」の崩壊が及ぼした影響だ。「現実社会主義」の崩壊は大衆に資本主義を代替できる可能性を極めて希薄なものとして受けとめさせた。資本主義の下で民主主義を最大限に拡張することが現実的に可能な最大値だという結論に至らせた。したがって、すべての現実的要求は韓国政治がなし遂げることのできる水準において自ら制約、制限するという同意が形成された。
 第2に、新自由主義世界化の情勢に対する大衆の反応だ。新自由主義の世界化は労働者民衆にとって明らかに一方では自らにおびただしい苦痛と犠牲とを強要しており、それに対する反発や不満を生みもするが、他方では結局、韓国という国家と韓国資本主義が新自由主義の世界化競争において生き残ることが同時に必要だ、という認識も植えつける効果を生みだしている。
 第3に、「現実社会主義」の崩壊と共に、新自由主義の世界化が到来した現実にあって、民族主義または国家(愛国)主義の情緒が大衆に極めて大きな政治勢力を及ぼしている。米帝国主義のイラク侵略や対北敵対政策、日本の右傾化や軍事大国志向、中国の急激な経済成長と域内覇権の強化を見ながら、韓国の生存と未来に対する危機意識が大衆の情緒に位置づいている。大衆はこれを韓国国家の位相の向上と韓国資本主義の成長を通じて解決するしかない、との結論を下している。民族主義または国家主義は、単にブルジョア国家と資本のイデオロギー攻勢のせいばかりではなく、そのような攻勢が現実的説得力を持つに至った理由だ。

要求される戦略的判断
 
 07大選の政局が大選投票日(12月19日)までわずか40日余という時点で、それこそ揺れ動いている。制度政治圏内の与野代表候補さえ最終決定していないのは極めて異例のことだ。87年から歴代韓国の大選において現れているという側面もあるものの、07年の場合は、その躍動性の持つ性格が、これまで現れていた左旋回ではなく右側に傾いているという点で、以前とは明らかな違いがあり一層、注目する必要がある。
 労働者民衆の立場から07大選の政局をどのように分析するのかは極めて意味深長な問題だ。少なくとも97年に新自由主義が全面的に導入されて以降、その被害を最も多く受けてきた労働者民衆が07大選をどのように見ており、また対しているのかについての解明をキチンとすることなしには今後、踏み出すべき政治的方向や目標を立てるうえで致命的な誤りを犯しかねないからだ。いや、現実はすでにこの間、そのように進められている。前述した新自由主義対反新自由主義の戦線は流失し、保守・中道・進歩への3分立の構図さえ形成できないのも、まさにそのためだと言える。

 周知の通り、07大選での最大の争点は「経済」に集中している。以前までの歴代韓国大選を大枠で規定していた民主対反民主、あるいは改革対反改革の構図は、07大選においてもはや作動してはいない。また選挙のたびにその威力を発揮してきた地域主義も今回の場合は、その絶大的威力が弱まっているばかりか実質的にも変化の兆しが現れている。同時に、いわゆる世代別の政治的性向においても少なからぬ変化が見てとれる。特異なのは若い自発的な保守層が形成されており、彼らが自分たちの立場を公々然とあらわにしている、という点だ。民主対反民主、または改革対反改革の構図の下では生じがたいことだった。
 87年以降の韓国大選において、経済それ自体が最上の争点として浮かび上がったことはなかった。逆に言えば、経済それ自体が他のすべての争点を呑み込んでしまったことはなかった。民主も、改革も、腐敗も、韓半島の平和も、反米自主も、経済を前にして首をつっこめずにいる。あたかも米国の大選で民主党クリントン候補が父・ブッシュ共和党候補に向かって「バカか、問題は経済だ」と呼びかけ、第1次湾岸戦争を勝利に導いたブッシュ候補をからかったことと同じ様相が今、韓国大選において起こっている。「民主! 改革! 反腐敗! 韓半島の平和! 反米自主!」、それが何だ? それらがメシを食わせてくれるのか!

 経済とは何か? ずばり、新自由主義だ。遂に韓国社会でも経済、つまり新自由主義の問題が最上の政治イシュー、最大の社会問題になった、ということを意味する。これはそれ自体としては進展であり、労働者民衆の立場からしてもそのように導き出そうとしていた政治の構図であり、階級指向だ。だが歴史にタダはないのであって、歴史が正当な過程なしに一挙に覆されることはないということを、07大選の政局は生々しく示している。07大選は最小限、過去10年の韓国社会を包みこんだ新自由主義に対する各政治勢力の態度や立場を判断する場となっている。
 キム・デジュン、ノ・ムヒョンの10年執権でその成績表を既に作成した自由主義政治勢力に対する労働者民衆の一定の信頼と期待は崩れ始まった。彼らが叫んだ民主は、たかだか386運動圏勢力が政治に入門するための政治的修辞にすぎず、彼らが主唱した改革は、むしろ新自由主義を全面化するための政治的道具であるにすぎず、彼らが自慢げにしてきた韓半島の平和や反米自主を韓米同盟の地域同盟への再編と駐韓米軍の戦略的柔軟性の認定、海外派兵などによって、その限界はことごとく暴露された。決定的に、韓米FTAの推進と非正規職法制化を通じて、その反民衆性や反労働者性を如実にさらけ出した。湖南の民衆も忠清道民も、そして当然に慶尚道の労働者も自由主義政治勢力に背を向けた。彼らが掲げている何らかの政治的価値だとか旗じるしも結局は新自由主義の下でのものとならざるをえないという点において、ハンナラ党との差別性は事実上、無意味になったのだ。

 ハンナラ党と保守勢力は、やったことは何ひとつない。この10年間、ただただ執権勢力に対する政治攻勢をもって一貫した。これらの勢力は北に対する冷戦的態度と米国に対する一方的同意を堅持しつつ、特に最も積極的に新自由主義を擁護し、かつ実行した。だがハンナラ党、特にイ・ミョンパク候補に対する支持を単純に反ノ・ムヒョン、10年の自由主義執権に対する反射的利益を享受するものとして説明するだけでは、事態に対する分析としては不充分だ。ハンナラ党とイ・ミョンパク候補に対する労働者民衆の関心は、やはり経済にある。つまり、いかがわしい新自由主義ではなく、新自由主義が不可避で、かつ受け入れているという現実にあって、労働者民衆はいっそのこと確実な新自由主義の方がむしろ経済を成長させられるという、そして成長なくしては働き口の創出や経済の活性化が難しい、との判断の下で、極めて戦略的かつ現実的な態度を取っているのだ。

 ここが核心だ。なぜ労働者民衆は、新自由主義が労働者民衆を苦痛と犠牲へと追い立てる原因だと分かっていながら二律背反的態度を取っているのだろうか? それは本当に労働者民衆の意識が低いからなのだろうか? それとも、ただノ・ムヒョン政権に対する失望のゆえなのか? 断じて、そのせいではない。韓国の労働者民衆の既に、この20年間、闘ってきたし、今なお非正規職の闘争は展開されており、正規職労働者も闘いをやめてはいない。
 ところで、これは新自由主義に対する反発と不満とを現したものではあるけれども、別の側面から見れば、現実が強要した側面がより大きい。すなわち新自由主義それ自体に対する闘争だと言うよりは、新自由主義が生み出している結果に対する闘争だ。これは不可避だ。労働者民衆にとって新自由主義を代替するということは、とりも直さず資本主義を代替するということと同じ意味として迫りつつあるものの、それについての展望はいまだ現れていないからだ。労働者民衆の意識と体は既にここに到達している。

 人は、こう言うこともできる。よしんば新自由主義、つまり資本主義を代替するまでではないにしても、その中で労働者民衆にとって被害がいささかでも少ない選択をすべきであり、またそうできるのではないか、と。まさにその点だ。いま労働者民衆は、まさにそのような選択をしている。ノ・ムヒョンの自由主義10年の執権を通じて、もはや彼らに頼れるものはないということを経験的に確認した。ハンナラ党とイ・ミョンパクの新自由主義が自由主義勢力のそれよりもさらに労働者民衆を苦痛の奈落へと追いやるのかは、いまが証明されていない。
 だが、ここが終わりではない。韓国の労働者民衆は、それほどに受動的、消極的に振るまうほどに世界に対して閉ざされていたり意識が低いのではない。むしろ新自由主義、すなわち資本主義を代替できる何らかの政治的展望や動力が世界的レベルで形式されてはいないという事実を、彼らは誰よりもよく知っている。社民主義または改良主義政治勢力のお粗末なプログラムは決して労働者民衆の利益と一致しないということを、よくよく承知している。こういった脈絡において韓国の労働者民衆も極めて戦略的で現実的な判断の下、それなりの積極的、能動的な態度を取っているのだ。ムン・クッキョン現象も同じ脈絡だ。

 一方、ハンナラ党とイ・ミョンパクの新自由主義がもたらす苦痛を体験することは結果的に以後の政治の発展の力ともなり得る。という仮定は全くのナンセンスにすぎない。まるで自由主義政治勢力に対する離脱が、取りも直さず労働者民衆運動陣営の成長を保障しないかのような理屈だ。仮に、そのような仮定が結果論的で、同時に労働者民衆の独自的な政治行為を強調するための脈絡から出てきたものだとしても、真実の一端をあいまいにしかねない危険をはらんでいる。
 労働者民衆の独自的な行為というものが、ただ独自的という形式自体を強調するレベルにとどまる時は、その説得力は半減されざるをえない。そうなれば、やはりハンナラ党の執権は阻止しなければならないのではないのかという反対の論理を必然的に呼び起こすことになる。特に韓半島の情勢や労働者民衆運動陣営において民族主義が占めている比重を勘案するとき、それは一層そうだ。したがって現情勢は新自由主義自体、資本主義それ自体に対する問題提起を正面から、そして全面的に行うことなくしては支配勢力との現実的、実質的な差異や展望をも明らかにすることはできない。まさにこの点が現情勢の本質だ。単に主張がそうだということではなく、既に現実がそうであることを生々しく見せつけている。現実に対して目を閉じている者は、いまなおそこを見すえられないだけだ。

歴史の復讐と今日の情勢

 民主労働党に表象されている反新自由主義勢力、すなわち労働者民衆運動陣営は政治的アイデンティティの確立や新自由主義に対する代案的政治を提出することにおいて失敗した。そのために、自由主義政治勢力に背を向けた労働者民衆が、はいはいと民主労働党に向かってはいない。もちろんこれは民主労働党に限ってのことではない。「現実社会主義」の崩壊と新自由主義の世界化が及ぼした影響から自由でいられる勢力は存在しない。韓半島の分断状況が及ぼしている影響も認めないわけにもいかない。「階級的左派」陣営も大枠では、その責任の一端を担わなくてはならないところだ。
 一方、民主労働党は07大選の過程で労働者民衆にとって意味のある政治を全く示していない。それどころか、何らかの政治的目新しさや魅力も創り出せずにいる。内部の政治もブルジョア政党のそれと、さして変わりはない。党員の競選だけでこれを挽回することはできない。特に民主労働党が掲げた、いわゆる進歩大連合は失踪した。いや、それは最初から徹底して政略的な態度にすぎなかった。政略自体が問題なのではなく、覇権的であったり宗派的な政略が主導権を行使することになったことが問題なのだ。これはそれ自体として、候補選出の過程であらわになっていた。ここまでは民主労働党が自らが責任を取るべき領分だ。

 だが民主労働党の本当の問題は別にある。民主労働党の反新自由主義はチョン・ドンヨンやムン・クッキョンのそれと大した違いはない。単にチョン・ドンヨンやムン・クッキョンが掲げている政治的修辞のせいではなく、実際の内容においても五十歩百歩にすぎない。民主労働党の反新自由主義もまた資本主義体制の下での反新自由主義であるにすぎない。だから、むしろ大衆からの、非現実的だとする逆説的質問にぶちあたっている。むしろ、ハンナラ党やイ・ミョンパクが主張している確実な新自由主義よりもよい良いだろうという確信や保障を与えられないのは当然だ。
 だからと言って、民主労働党が明確な反資本を打ち出して、これに対する説得や同意を求めているわけでもない。ムン・クッキョンからさえ、引っかき回されている理由だ。前に述べたように決して労働者民衆の意識が低いからではない。むしろ反対だ。現実に対する即自的対案も、さりとて未来についての政治的展望を示すことができない中では受動的な支持すら引き出すことはできない。ノ・ムヒョン政権に対する離脱を歴史的過程なしに棚ぼた式に食らうことができると考えたのであれば、それこそ労働者民衆を愚ろうするものだ。労働者民衆はそれほどまでに、おめでたくはない。民主労働党は、ともすれば現在、反資本を語るのはより非現実的だと言うこともできよう。正しい。いま民主労働党がそのような主張をすれば大衆の反応は当然にもそうだろう。それは反資本を主張することが間違いだからではなく、民主労働党がこれまで反資本を語ることのできる政治過程を示してくれなかったからだろう。歴史に復讐はあっても、タダはない。仮にもこの10年間、反資本の政治行為を組織してきたのであれば、支持率がどうなるかは分からないにしても、今日のような惨たんたる状態に至らなかったであろうことは明らかだ。北に対する態度が及ぼした影響は、しばらくは副次的な問題であり、反資本の旗じるしを掲げたのであれば北に対する態度も当然、今とは異なるだろう。

 「階級的左派」陣営は07大選の過程でいかなる政治行為も実行に移せなかった。よしんば民主労働党の誤った政略的発想から出てきたものであろうとも、進歩大連合は労働者民衆運動陣営が制限的レベルであれ、少なくともチョン・ドンヨンやムン・クッキョンとは区別が可能な反新自由主義の戦線を形成することのできるひとつの方案となれる側面を、能動的かつ積極的に配置しぬくことができなかった。だからと言って反資本の旗じるしを鮮明に掲げることもできなかった。これまた、あるいは当然なのかも知れない。「階級的左派」陣営もまた、歴史的にそうすることのできる準備があまりにも足りなかったからだ。準備不足だけではなく、政治的想像力や躍動性を発揮するには頭が余りにも固かったからとも言えるだろう。どんなに論理的に説明が可能だとしても、労働者民衆の心を動かすことのできる政治力を発揮できなくては、現実の政治勢力として背のびするのは用意ではない。

 今や07大選は労働者民衆にとっては既に未来ではなく、過去のこととなっている。迫り来るもうひとつの未来を準備するには時間がたっぷりあるわけではない。だが今からでも明確な準備をしていけば、時間はそう問題になるものではない。(「労働者の力」第136号、07年11月9日付、コ・ミンテク/中央執行委員)




コラム
新版「湾岸トラウマ」


 1991年6月、湾岸戦争終結直後のペルシャ湾。掃海母艦「はやせ」を旗艦とし、「ひこしま」など4隻の掃海艇と補給艦「ときわ」からなる日本の艦隊が99日間にわたる作戦行動についた。最初の自衛隊海外派兵であった。
 根拠法とされた自衛隊法99条を読んで、あきれてしまった。「海上自衛隊は、長官の命を受け、海上における機雷その他の爆発性の危険物の除去及びこれらの処理を行うものとする」。これですべてである。
 この条文には「どこの海」と限定していないから、海上における機雷の除去は海上自衛隊の通常業務であると強弁して、自衛隊が海外に派兵されたわけである。自衛隊の行動を根拠づける法律が、本当のところを隠した詭弁以外にないことを示す実例のひとつだが、いかにも人を喰った寒々しい冗談だ。
 こんな詭弁を弄しても艦隊を送らなければならなかった背景には、「湾岸トラウマ」があるとされている。日本政府は、米軍の湾岸戦費610億ドルのうち130億ドルを負担した(金額は資料によって異なる)。だが、「国際社会からは、カネを出すだけでアセをかかない」と非難された、というのである。
 実際のところ、誰がこのように非難したのか定かではない。しかも「国際社会」という言葉が使われる時は、常に用心しなければいけない。無いものを有るかのように欺瞞するこの言葉は、「帝国主義列強」と読み替えてみると、やっと本当の意味が透けて見えてくる場合が多い。
 湾岸戦争において、米軍は質・量ともに圧倒的な軍事力を誇示した。この時を境にして、アメリカ帝国主義は世界を一元的に制することになり、合衆国の巨大な財政赤字は一気に解消した。他方、日本ではバブル経済が崩壊し、政策担当者にとって新自由主義のグローバリゼーションが大勢となり、「国民経済」は消滅したかのようになった。
 つまり、「湾岸トラウマ」の実態は、アメリカ帝国主義が制する「国際社会」の分け前に与るためには、生身の軍部隊を投入することが欠かせないという「思い込み」である。この「思い込み」のもとで、自衛隊法の拡大解釈、さらにはPKO協力法などの制定、あるいはテロ特措法などの時限法をもとにして自衛隊の海外派兵が次々と進められてきたのである。
 今、この「思い込み」にさらに新手が登場してきた。国連決議を日本国憲法と同等法にするという詭弁を弄することによって、憲法上の制約を公然と無視して、武力行使をともなう自衛隊の海外派兵を常態化しようとするのである。民主党の小沢代表は、かねてからそうした持論を表明し、「湾岸トラウマ」脱却の道をそこに定めていた。
 自民党の側も「自衛隊海外派兵基本法」の制定に舵を切るだろう。「大連立」があろうとなかろうと、憲法改悪への道を迂回しながら「自衛隊海外派兵基本法」を制定しようとする動きは、現実性をもって迫っていると考えざるをえない。(岩)

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