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C型肝炎大阪訴訟和解によせて          かけはし2007.11.26号

薬害を根絶するために今すぐ求められていることは何か



被害者に補償と無料治療を

 薬害C型肝炎大阪訴訟で十一月七日に和解勧告が出された。和解勧告が出されたことで、全国四地裁五高裁で闘われてきた薬害肝炎訴訟は、早期の全面解決に向かって動き出した。
 薬害エイズ、そして薬害ヤコブ。繰り返される薬害の原因は、国が治療に必要な臓器である血液や硬膜の供給に責任を取らず、「臓器の売買」で民間企業が収益を上げることを野放しにしてきたからである。その結果、売り上げを伸ばすために必要のないフィブリノゲンを投与され二百万人を超す感染者が生み出されたのである。
 政府・企業は今すぐ全面和解に応じ速やかに謝罪し、すべての被害者に補償と無償の治療を提供せよ。

血液は商品ではない!

 日本の血液行政は失政の連続である。失政の歴史を概括してみよう。
 一九四〇年代、当時輸血は、枕元輸血といわれ患者の隣で供血者から血液を抜き取り輸血していた。供血者の募集は売血により民間業者が担っていた。当然安全性の保証はなく梅毒感染が問題となった。そのため四八年にGHQが安全な血液を供給するために血液銀行を設立するように指示をした。
 しかし五一年、真っ先に立ち上がったのは731部隊の関係者内藤良一が創設した株式会社日本ブラッドバンク。五二年には日本赤十字社の血液銀行が設立されたが、それを上回る勢いで民間血液銀行が開業した。そして薬事法により臓器である血液が「薬品」として認定されたことにより、民間血液銀行は売血でかき集めた血液を売りさばくことが可能となった。
 その結果五〇年代から輸血による血清肝炎が多発するようになった。薬害エイズ裁判で、政府がなすべきことをしなかった不作為が問題となった。政府の不作為は薬害エイズが初めてではない。六〇年代当初売血により集められた輸血は「黄色い血」と呼ばれ、輸血を受けた患者の半数以上が血清肝炎に罹患していたのに政府はなんら対策を立てることなく放置していたのである。
 六四年、ライシャワー米国駐日大使が刺された。ライシャワーは輸血により一命を取り留めたが血清肝炎に罹患した。この事件により、輸血による血清肝炎は仕方がないと開き直っていた政府も渋々「献血の推進について」という閣議決定を行うことになった。
 その内容は、輸血用に使う保存血液は献血でまかなう、献血の受け入れは日本赤十字社、献血の推進は国・地方公共団体が行うというものだった。しかし売血が禁止されたのは五年後の六九年。輸血用血液が不安定ながらも献血でまかなえるようになったのは十年後の七四年である。
 ライシャワー事件から閣議決定を経て売血が禁止されるまでの五年間は、売血により利益をむさぼってきた民間血液銀行が、血漿分画製剤を製造する「製薬」企業へと変身するための時間だった。血漿分画製剤は閣議決定の対象外とされ、輸血用売血禁止の裏で血漿分画製剤の製造・販売が民間血液銀行の生き残り策とされた。日本初の民間血液銀行である株式会社日本ブラッドバンクは、「製薬」企業ミドリ十字となった。
そして六四年十月、「黄色い血」追放キャンペーンのなかミドリ十字による日本初フィブリノゲン製剤「フィブリノーゲン・ミドリ」の製造・販売が認可された。
 国は感染の危険を知りながら民間血液銀行が「製薬」企業として生き残るために血漿分画製剤は何の規制もしなかった。その結果、米国売血による様々な血漿分画製剤が商品化された。その結果が、薬害エイズであり、C型肝炎である。

フィブリノゲンとは

 薬害肝炎の原因である血液分画製剤であるフィブリノゲン製剤。フィブリノゲンは止血因子の一つである。止血のメカニズムには体内の様々な血液凝固因子が関与しており、どれか一つが欠けても止血はうまくいかなくなる。血液凝固因子は血漿に含まれ十二因子まで分けることができる。フィブリノゲンは第1因子である。生まれつき第8が欠乏するのが血友病A、第9因子が欠乏するのが血友病Bである。
 フィブリノゲンは、当初は先天性フィブリノゲン欠乏症の治療薬として認定された。先天性フィブリノゲン欠乏症は、非常にまれな疾患で二〇〇〇年の全国調査で患者数は四十三人である。なぜまれな疾患であるフィブリノゲン欠乏症の治療薬であるフィブリノゲン製剤で二百万人を超す感染者が発生してしまったのだろうか。
 フィブリノゲンを必要とする患者は非常に少数でしかなく商業ベースには乗らない。そこでフィブリノゲンの適用範囲が、出産、手術時の大量出血の患者に対して、血液中のフィブリノゲンを失った「後天性フィブリノゲン欠乏症」として根拠なく拡げられた。現在フィブリノゲンは、先天性フィブリノゲン欠乏症の治療薬としてのみ認められており、大量出血などによる「後天性フィブリノゲン欠乏」には効果がないことが証明されている。
 つまり薬害肝炎被害者は、まったく効果がない汚染された「薬剤」を投与されC型肝炎に感染させられたのである。

米国から遅れること21年

 六七年、医薬品の審査基準が改善された。それは、六七年以前に製造承認された薬剤で有効性が認められないものに関しては、製造承認を取り消すというものだった。本来「フィブリノーゲン・ミドリ」は、この時点で感染の危険性により製造が中止されるべきだったのである。
 ところがミドリ十字は六七年四月に「フィブリノーゲン・ミドリ」を「フィブリノゲン・ミドリ」と名称を変更し六七年以降の「新薬」として審査をフリーパスしてしまったのである。以降「フィブリノゲン・ミドリ」は爆発的に売り上げを伸ばしていく。六六―六七年は、年間一万六千五百本だった売り上げが、審査をすり抜けた翌年からは年間平均二万五千六百本になっている。
 フィブリノゲン製剤は七七年十二月には米国で感染の危険性が指摘され製造承認が取り消されている。七八年一月ミドリ十字は米国での製造承認取り消しを確認。しかしミドリ十字はなんら対策をとらないどころか、さらに売り上げを伸ばしていく。七〇年代前半、年平均三万四千七百本だった売り上げが、七七年には平均六万二千三百本と約二倍になっている。
 七四年、ミドリ十字のフィブリノゲンが売り上げを伸ばしていた当時の厚生省の薬務局長が松下廉蔵である。彼は七四年十月ミドリ十字に天下りして副社長・社長を歴任し会長となり、薬害エイズ裁判ミドリ十字ルート判決では実刑が確定している。製薬企業を規制する側のトップの人間が製薬企業に天下るという薬害エイズとまったく同じ、典型的な癒着の構造である。
 また、海外で薬剤の危険性が指摘され承認取り消しなどの処置がとられているのに、国は何の規制も行わず、製薬企業は儲けだけを考え「薬」を売り続ける。この構造も薬害エイズ、薬害ヤコブとまったく同じである。青森での肝炎集団感染を経てミドリ十字が「フィブリノゲン・ミドリ」の自主回収をようやく開始したのは米国より遅れること十年、八七年である。
 米国では七七年の製造承認取り消しの時点で出産・手術などの大量出血に対してフィブリノゲン療法は効果がないという結論がでていた。ミドリ十字がフィブリノゲン製剤の大量出血への適応を証明する臨床試験を断念したのは九七年、旧厚生省がフィブリノゲン製剤の適応を先天性疾患に限定したのは九八年、米国の決定から二十一年が経っていた。
 国が数十年も事態を放置した結果が二百万人もの感染者を生み出したのである。感染者が被害を証明するためには数十年前のカルテを見つけ出さなくてはならない。ところが医師法により義務づけられているカルテ保存期間はわずか五年である。証拠になるカルテは破棄されている可能性もある。自分の被害を自ら立証しなければならない。このような事態は倫理的にも許されない。国にはすべてのC型肝炎感染者の医療を補償する義務がある。

血液事業の全面国有化が必要

 このような悲劇を二度と繰り返さないためにはどのような対策が必要なのだろうか。薬害エイズ、ヤコブ、肝炎の本質は、人の臓器(ヤコブは脳を包む硬膜が汚染されていた)を商品にしたことにある。臓器を「薬」として薬価(値段)をつけて流通させたために、「製薬」企業は、官僚を抱きこみ、不必要な需要を作り出し、汚染された「薬」を販売したのである。
 現在血液事業は、日赤が献血者から血液を集め輸血用血液製剤、血漿分画製剤を製造し、「日本赤十字社の製造能力を超える需要について、国内製薬企業の協力を得て」いる。つまり日赤は意図的に供給能力を制限し、献血で集めた血漿を民間企業に売り渡し営利追求の場を与えているのである。
 日本は、現在海外から血液分画製剤であるアルブミンを二十トンも輸入しており、国内需給率は五三%でしかない(05年)。日本は一貫してアルブミンの大量輸入・消費国であり、八四年当時、日本は実に世界のアルブミンの三分の一を消費していた。血液事業から私企業が追放されれば、このように営利のために不要な血液製剤を使用される患者は減るだろう。血液製剤の投与が減少すれば、現時点で未知の感染症に罹患するリスクも減少する。
 血液製剤の使用量が適正化されば、献血だけで国内需要をまかなうことが可能になるだろう。海外から二十トンもの血液製剤を輸入する海を越えた売血は、倫理的にも許されるものではなく即刻中止されなければならない。
 血友病患者に使用されている安価な輸入の遺伝子組み換え製剤が、国内献血由来製剤を市場において圧倒しようとしている。遺伝子組み換え製剤の安全性はまだ証明されていない。がん遺伝子などの混入などが否定できないのである。安全性に疑問がある製剤の輸入を差し止め、安売り攻勢で安全な国内献血由来製剤が駆逐されないためにも、血液事業の国有化が必要である。
 私企業にとって安全とは市場で勝ち残るための手段でしかない。危険な商品であることがわかっていても、私企業は市場から駆逐されるまで毒でも「薬」として販売し続けるのである。
 血液は商品ではない。国が献血、製造、供給を一元的に責任持って行う体制を構築しなければならない。血液事業の国有化こそが解決策である。
 血液事業が、官僚ではなく、患者、医療労働者、労働者代表による委員会の下で民主的に運営されれば薬害は根絶できる!
 血液は商品ではない!血液事業の国有化を! (矢野 薫)


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