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パキスタン 最高裁長官を解任し非常事態を宣言     かけはし2007.11.12号

ムシャラフの第2のクーデターを許すな

自爆テロはなにごとも解決しない
抑圧的法律と市民の自由を制限する口実に利用される

 パキスタンでは十月六日に、ムシャラフが野党の欠席の中で大統領に「再選」されたが最高裁が彼の大統領選出を確認していないなど、危機的な情勢が継続している。そうした中で亡命から帰国したPPP(パキスタン人民党)総裁のベナジール・ブット元首相の歓迎パレードへの爆弾テロが十月十八日(日本時間十九日未明)に発生し、百三十九人が死亡する大惨事となった。ブットは、米国の支援を受けてムシャラフと協力して次期政権を運営することが取り沙汰されていた。以下はこのテロ事件についてのパキスタン労働党(LPP)書記長、パキスタン農民調整委員会事務局長のファルーク・タリクが十月十九日にラホール記者クラブで行った記者会見での見解である。ファルーク・タリクは本紙既報(10月8日号)のように、さる九月二十七日に逮捕(この三カ月で三度目!)されたが、国際的釈放キャンペーンもあり、保釈をかちとった。しかし重刑が課される「反テロ法」による告発は撤回されていない。(本紙編集部)

土地改革が
最優先事項

 ファルーク・タリクは多くの報道陣が詰めかけた記者会見で次のように声明した。
 「ベナジール・ブットが帰還する前夜、この自爆攻撃への警告がパキスタンのすべての民主主義勢力に出されていた。それは市民的権利、結社と集会の権利への攻撃だ。この攻撃は軍事独裁と宗教的原理主義を一掃するために闘っている人びとを脅かすものだ」。
 「不幸なことに、危険な状況が広がっているために、われわれは封建制に反対し、土地改革を進める全国キャンペーンを延期している。十月二十二日にさまざまな政党と農民組織が封建制に反対してパキスタンの十六以上の都市でデモを組織することを決定した。十月二十二日に行動デーを組織するという決定は、この十月九日にカラチで行われた農民集会でなされたものだ。この集会には、アクション・エイド・パキスタンの支援で、さまざまな農民組織、労働者組織から五百人以上参加した。われわれは当面それを延期したが、今日、土地改革についてのわれわれの声明を発表している」。
 ファルーク・タリクは五ページの宣言文を提出し、封建制を終わらせるための彼らの宣言に諸政党が加わることを求め、土地改革が最優先事項だと紹介した。「軍事政権に支援された封建制の攻撃が進められており、われわれは、この昔からの、時代遅れの反動的制度を終わらせるために闘わなければならない」とファルーク・タリクは述べた。

原理主義者の
見込み違い

 爆破テロ事件へのコメントを行った彼は、レポーターに向かって軍部による宗教的原理主義への弾圧は、彼らの行為を促すことになるだけだ、と述べた。暴力に対して暴力で応えることは解決にはならない。アフガニスタンとイラクにおける米国とNATO軍の存在が問題の中心であり、そのために占領に対して多くの反撃が起きている。われわれは、パキスタンで自爆行為の拡大を止めるためには、その背後にある基本的原因を見定めなければならず、軍事的解決でなく政治的解決を見いださなければならない。
 ファルーク・タリクは次のように語った。
 「今年七月に起こった『赤いモスク』砲撃と、数百人が生命を失ったパキスタンのトライバル・エリア(アフガニスタン国境周辺の自治的『部族地域』)への最近の爆撃は、青年たちの間に大きな怒りを引き起こした。彼らの多くは報復として自爆攻撃の道を選択することになった。自爆攻撃が帝国主義者に教訓を与える唯一の方法だと信じる宗教的原理主義者は、見込み違いをしている。帝国主義勢力とパキスタンにおけるその手先は、こうした自爆攻撃によって沈黙することはない。それとは逆に、パキスタンの普通の市民は、よりいっそうの抑圧的法律と市民的自由の制限に直面することになるだろう。宗教的原理主義者は、大衆集会を禁止する口実として示されている。これは、自爆攻撃に直面したパキスタンのすべての民主主義勢力への最も深刻な脅威である」。

ブットの軍事
政権への協力

 さらにファルーク・タリクは、記者会見の中で次のように語った。
 「われわれはまたベナジール・ブットに対し、軍事政権との協力によって軍部支配から民主主義への平和的移行を果たすという彼女の政治戦略を変更するよう訴える。ベナジール・ブットがムシャラフ将軍と同じ道を進むことになるなら、パキスタン人民にとってよいことはない。ムシャラフ将軍による新自由主義政策の実施は、ベナジール・ブットの挑戦を受けることはない。それとは反対に彼女は、自分がムシャラフ将軍よりもうまくやることができることをアメリカ帝国主義に信じさせるために全力をつくしている。彼女は、この地域におけるアメリカ帝国主義の政策に従う点で、ムシャラフ将軍より一歩先に踏み出している」。
 「われわれは、宗教的原理主義と軍事化に対して闘わなければならない。両者は共に労働者階級の敵である。両者は、女性の権利、少数派の権利、そして人権一般に敵対している。両者は集会の権利、自由な表現の権利に敵対している。ベナジール・ブットは、軍事政権と協力してはならない。彼女は父親のズルフィカル・アリ・ブットのラディカルな伝統に立ち返らなければならない」とファルーク・タリクは訴えた。彼はまた、われわれはラディカルな変革を進め軍部政権を終わらせるというPPP(パキスタン人民党)の労働者の願いと共にある、と語った。
 「ムシャラフ将軍の体制は、今回の事件の責任を全面的に取るべきであり、直ちに辞任すべきである。われわれは即時の総選挙を行うために労働組合、社会組織、諸政党に基礎を置く暫定政府を要求する。誰が自分たちの代表なのかをパキスタンの民衆に決定させよう。軍事的解決は悲惨な失敗に終わった。それは、幾百万人もの人びとの生命と、不確実な未来に直面している民衆を危険にさらしている」とファルーク・タリクは記者会見の中で要求した。
(「インターナショナルビューポイント」07年10月号)


LPPは、苛酷な非常事態宣言への抵抗を誓う

 LPP(パキスタン労働党)のニザール・シャー議長とファルーク・タリク書記長は、ラホールで十一月三日に共同声明を発表し、市民社会の諸組織、労働組合、野党と協力し非常事態宣言の発令に対して抵抗することを誓った。LPPの指導者たちは、ムシャラフの大統領就任に抵抗している最高裁判事やイフティカル・チョードリ最高裁長官を全面的に支持した……。
 LPPの指導者は、裁判官たちがこれほどの勇気を示したことはパキスタンの歴史においてかつてなかったことだ、と語った。彼らは「この抵抗は、ムシャラフ政権の攻撃を打ち砕き、最高裁長官を復職させた弁護士たちの連帯が主導した、大衆運動に負うところも大きい」と付け加えた。彼らはまた、非常事態に反撃する闘いを開始すると発表し、闘いを進めているカラチの弁護士たちを賞賛した。
 LPPの指導者たちは、活動家、労働組合、市民社会の諸組織に向けて、軍事独裁国家を一掃するために抵抗している裁判官や弁護士たちと団結するようアピールした。彼らは次のように述べた。
 「政権は、辺境州の一定の地域を占拠しているタリバンの存在を、非常事態宣言の口実として利用しそうだが、非常事態宣言の発令はムシャラフの再選に反対する司法の決定の機先を制するため、ということが最もありうることだ。非常事態は、司法の権限が削減れる中で、すべての基本的な民主的権利が停止されることを意味する」。「パキスタンは政治的危機に捉えられ、政権は増大する大衆の怒りに直面していた。この非常事態は権力にしがみつくための絶望的試みだ」。
(「インターナショナルビューポイント」07年11月号)



第1回国際エコ社会主義会議を開催

WSFと連携して闘う宣言を採択

 十月七日と八日、十三の国から参加した環境活動家のグループがパリで会議を行い、エコ社会主義国際ネットワークを発足させた。数年前にジョエル・コーベルとミシェル・レヴィが書いた国際エコ社会主義宣言が、このイニシアティブの出発点となった。この会議の呼びかけ人の一人は次のように述べた。「エコ社会主義という言葉はまだどの辞書にも出ていないが、私たちは、それがこの地球を癒し、環境破壊から社会を救う唯一・最善の希望を示す言葉であることを確信する」。
 アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、キプロス、デンマーク、フランス、ギリシア、イタリア、スイス、英国、米国から、さまざまな政党や環境運動に属する六十人以上の活動家が、この会議に出席した。会議は、二〇〇九年一月にブラジルで開催される次回の世界社会フォーラムと連携して、より広範囲のエコ社会主義国際会議を組織することを決定した。
 会議は、ネットワークの最初の段階での発展を支える調整委員会を選出した。メンバーは次の人びとである。
 イアン・アンガス(カナダ)、ペドロ・イヴォ・バティスタ(ブラジル)、ジェーン・エンニス(米国)、サラー・ファロー(英国)、ダニエル・フォレット(米国/フランス)、ヴァンサン・ゲイ(フランス)、ジョエル・コーヴェル(米国)、ベアトリス・レアンドロ(ブラジル)、ミシェル・レヴィ(フランス/ブラジル)、ローラ・マッフェイ(アルゼンチン)、ゲオルグ・ミトラリアス(ギリシア)、ジョナサン・ニール(英国)、トレーシー・グエン(英国)、アリエル・サエフ(オーストラリア)、エロス・サナ(フランス)、デレク・ウォール(英国)
 調整委員会はさらに、中国、インド、アフリカ、オセアニアからのメンバーを組み入れようとしている。エコ社会主義者は、環境危機の推進力が、自然の一体性だけでなく人類の生存の環境的基盤をも破壊する資本主義制度の拡張の無慈悲な圧力であることを確信している。したがって彼らは、この資本主義制度に適応しようとする偽りの解決策を拒否し、社会および社会と自然との関係の根本的な変革を追求している。エコ社会主義は、「赤」と「緑」のアプローチのダイナミックな総合である。
 エコ社会主義は、社会を変革するための固定した青写真を持たないし、前世紀において社会主義の名でなされた経験への批判的観点に立っている。エコ社会主義者は、われわれが価値ある未来を持とうとするならば、全世界は一緒になって資本主義を退場させ、社会的・環境的公正と民衆の参加という原則に基づくオルタナティブな社会を創造する必要があるという確信で統一している。したがってこのネットワークは、これから不断に増大する、その目標実現のために訪れる人びとの間のコミュニケーションと連帯を可能にするものであると自己認識している。



コラム

戦争とジャーナリスト

 「不肖・宮嶋」の略称で人気の愛国カメラマン宮嶋茂樹氏が新刊を出した。イラク戦争から遅れること四年半。『不肖・宮嶋のビビリアンナイト(上・下)』(祥伝社)だ。イラクを取材した写真集や文献は多数出ているが、早かったのは豊田直巳氏の『イラク戦争の30日―私の見たバグダッド』(七つ森書館)。その年の十月に発売された。
 米軍侵攻が迫るイラク現地には、世界中の著名なカメラマンやジャーナリストが結集していた。前出の二人。大手メディアのスタッフはじめ、広河隆一、綿井健陽、村田信一、志葉玲そして故橋田信介などの各氏と、戦争に反対するさまざまな運動団体も、歴史的な瞬間に立ち会っていた。
 価値観が相反する両者。宮嶋氏はその違いを本文中の随所で記す。それでも危険な戦場では渋々「呉越同舟」となる。既刊を読み漁ったのだろう。日常の描写が非常に細かく、いつもの宮嶋節――差別的放言がここでも満開だ。
 かなり分厚い上下巻だが一気に読める。「日本人」以外の人々を独特のキャラクターで色分けして見下しつつ、今回は天皇も登場する。爆撃下では他人に構う余裕などないどころか、時としてライバルを蹴落としながら自分の安全と仕事を守る。彼の言葉は右翼の典型。「現場に立たず現場を知らない報告者ほど、危険なフリをしてもっともらしいウソを並べる」と大手メディアをなじる。人間の弱さやずるさ、下世話な本音の居直りが、宮嶋文学の読みどころではある。
 宮嶋氏は「報道カメラマン」と呼ばれ、豊田氏は「フォト・ジャーナリスト」を名乗る。巷には「戦争カメラマン」などの肩書きもある。いったいどこがどう違うのか。広河隆一氏はきっぱりと分別する。
 「報道カメラマン」は写真家の範疇に入る。「フォト・ジャーナリスト」はジャーナリストのジャンルの中の一形態であり、基本的にジャーナリストの訓練を受けていなければならない。工業技術が発達し、だれでも失敗のない写真が撮れる現在、被写体の背景にあるものをしっかりと見据えること。それも織り交ぜて文章で伝える行為がフォト・ジャーナリストの仕事だ。広河氏は、便利さが「心の回路」を奪っていくとも危惧する。デジカメは「悪魔の誘惑」だと警戒して使わない。
 九一年の湾岸戦争以来、経済制裁による市民生活の破壊。劣化ウラン弾で多発する白血病やガン。イラク国民は甚大な被害を受け続けている。森住卓氏や江川紹子氏らのレポートを見れば、だれでも理解できる悲惨な現実がある。
 「戦争の暴力装置が働いている中で、被害者のことを伝えようとしないジャーナリストはジャーナリストではない」。広河氏の言葉が、すべてを言い表している。 (隆)


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