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                            かけはし2007.11.5号

立川反戦ビラ裁判と「微罪弾圧」

免状等不実記載弾圧1周年公開講座
連携して権力の攻撃をはねかえそう


立川反戦ビラ
弾圧被告迎えて

 十月二十日、文京シビックセンターでアジア連帯講座と10・24免状等不実記載弾圧を許さない!国賠裁判に勝利する会は、「立川反戦ビラ裁判と『微罪弾圧」』というテーマで講師を立川反戦ビラ弾圧被告の大洞俊之 さんを迎えて公開講座を行った。
 この講座は、二〇〇六年十月二十四日、アジア連帯講座の仲間であるAさんが免状等不実記載罪(運転免許証に記載されている住所〈実家〉と現住所が違っていた)で神奈川県警に不当逮捕されてから一周年を迎え、現在の国家損害賠償請求裁判の取り組みを強化し、また立川テント村の仲間たちの反戦ビラ弾圧最高裁闘争に連帯していくために行われた。
 二〇〇四年二月二十七日、立川自衛隊監視テント村の仲間三人が立川市内の自衛隊官舎へのイラク反戦ビラ入れを「住居侵入罪」だとして立川署・警視庁公安二課に不当逮捕された。一審は無罪判決(04年12月16日)をかちとり、二審の高裁は、罰金有罪刑の不当判決を言い渡してきた(05年12月9日)。被告たちは、上告し、現在最高裁闘争を闘っている。最高裁の審理は、公判が開かれず、文書のやりとりで進行し、ある日突然、判決が出てしまう。だから公判傍聴闘争を軸にした運動作りの困難性を抱えながらも被告と救援会は、最高裁での無罪判決を実現するために、上申書運動、無罪要求署名運動、最高裁情宣行動をねばり強く取り組んでいる。この日も大洞さんは、京王線高幡不動駅前での最高裁勝利署名活動後、講座に駆けつけた。

経験を共有して
反撃の陣形を

 講座は司会の開催あいつから始まり、免状等不実記載弾圧国賠裁判と立川反戦ビラ入れ裁判の経過を説明し、「立川テント村の反弾圧、裁判闘争の経験から学び、国賠裁判の勝利にむけて論議を深めていこう」と呼びかけた。
 大洞さんは、(1)立川自衛隊監視テント村の活動(2)逮捕と取り調べ(3)裁判の経過(4)支援の広がり、カンパ(5)上告審の展望(6)社会運動への影響はどうなる││について報告した(別掲)。
 とりわけ日本共産党が立川ビラ弾圧事件で自衛隊が警察と共謀していたことを証明する文書を入手した赤旗記事(10・12)を紹介し、「これは非常になかなか面白い記事だ。この文書について、どのように使っていこうかと考えている。なんとか裁判を有利な方向にさせるために活用していきたい」と強調した。
 Aさん(免状等不実記載被弾圧者)は、国賠裁判の取り組み経過を報告した。「県の準備書面では、免状等不実記載罪がJRCL(日本革命的共産主義者同盟)の『武装闘争路線の一環として、組織活動を推進する目的のために行われた、組織的、計画的な犯罪』などと手前勝手なストーリーにもとづいて決めつけ、違法性がなかったと開き直っている。さらに『組織的指令』があったことを『証明』するための唯一の根拠としてJRCLの規約を引っ張り出してきた。『大笑い』してしまうが、公安政治警察の『得意技』だ。権力犯罪を許してはならない」と訴えた。
 さらに、東京地裁が信号無視で不当逮捕したことに対する国賠裁判で、警察の逮捕は違法だという判決(10・16)を出したことを紹介し、「事件の性格は違うが、逮捕乱用を批判する判決も出ている。裁判制度に幻想は持たないが、こういった流れもあることを認識しておきたい。反弾圧戦線の一翼をになっていこう」と強調した。
 続いてBさんは、Aさんの逮捕時、七時間におよぶ人権無視の家宅捜索の模様を報告し、厳しく糾弾した。また、権力弾圧後もさまざまな生活破壊の被害を紹介しながら奮闘していく決意を述べた。
 質疑応答後、参加者全体で国賠裁判と立川裁判への支援・連帯を確認した。(Y)

大洞俊之さんの報告から
反戦運動への牽制効果
しかし共感の広がりも

最高裁闘争の
むずかしさも

 立川反戦ビラ弾圧事件の控訴審は、一審が無罪判決だったが有罪で、罰金刑になった。現在は最高裁で闘われている。最高裁は公判が開かれないので、大衆運動的に作っていくことが難しい裁判闘争となってしまっている。最高裁は、書類審査だけですべて判断し、公判廷を傍聴したりすることができない。
 例外的に公判廷を開く場合があるが、それは二審の判決を見直す場合だ。また、死刑がからんだ重大事件の場合は公判がある。さらに、一審、二審は結審があるが、最高裁の場合は、いつ判決を出すのかもわからない。
 このように最高裁闘争の困難性を抱えながらも、僕らの人生にとって重要な闘いだ。また、人権と民主主義、全国の社会運動全般に影響を与える闘いだから勝利をめざして闘っていきたい。

立川テント村の
たたかいの歩み

 テント村は、1972〜1973年、自衛隊の立川進駐阻止闘争の過程で結成された。当時は、革新市政で共産党系の市長だった。自治体総ぐるみで自衛官の住民登録を拒否したりするなど反対運動が盛り上がっていた。政治党派、市民団体、労働団体が基地に隣接した公園にテント村を張って、現地本部を作った。これが立川テント村の発端であった。当時は諸団体の実行委員会、連絡組織として作られたのが立川テント村だった。
 残念ながら自衛隊基地が強行進駐されてしまった。反対運動は後退したが、その中で基地の存在があるかぎり問題が続くと考えた人々が残り、現在のような単一の市民団体として純化していったのが現在の立川テント村だ。よくテント村の名前のゆかりを聞かれるが、どこかにテントがあるのと思っていたら、マンションの一室だったという笑い話があるほどだが、最初は本物のテント村だった。
 70年代後半、自衛官そのものに反戦の声を届けようということで作られたのが自衛官向け新聞「積乱雲」だった。一番最初のポスティングだった。
 自衛隊官舎は、一般の団地と変わらない構造だった。四階建で一戸一戸入れていった。集合ポストに入れたほうが楽だが、ただ管理者に抜かれ、自衛官に渡る前に処分されるおそれがあった。今回の弾圧以前は、なにも抗議もなかった。

差別と人権侵害
取り調べの実態

 逮捕後、長い取調べが続いた。黙秘し、調書をとらせない、弁解録も作らせないことで対応した。だが執拗な取り調べが行われた。われわれの場合は、毎日六時間、八時間の取り調べが行われた。権力は、脅したり、すかしたり、ちょっと優しそうな言葉をかける刑事がいたり、大きな声で怒鳴ったりする刑事もいた。
 取り調べの最後のところで「手塚監察官」が登場した。被告の高田さんが「寄生虫」「立川の街にいられなくしてやる」とかの暴言を受けた。これは差別的な人権侵害の取り調べではないかと弁護士接見の時に伝えられ、マスコミなどにも暴露され、問題となった。だから監察官が登場し、取り調べが公平に行われているかどうかチェックするために様子を見にきた。最後には、アムネスティが良心の囚人と認定した。
 結局、二十三日間、耐え抜いたが、残念ながら起訴されてしまった。
 弾圧のねらいは、反戦運動全般に対して一罰百戒の牽制効果だった。逮捕者が出て、その救援は大変だ。学生だったら大学対策、親対策がある。労働者だったら、職場対策が必要だ。その職場に労働組合があればいいが、ない場合が多い。だから二十三日間、十日間、無断欠勤で解雇される可能性もある。一審が無罪だとしても強気に出ることもなかなかできない。権力のねらいは、まさにここに牽制効果があった。
 立川ビラ弾圧事件で自衛隊が警察と共謀という記事が赤旗(10・12)に掲載された。共産党は、当事者しかわからないような文書を入手した。記事では、警察と自衛隊・東部方面情報保全隊立川派遣隊の役割分担、長期的監視を行っていたことを暴露している。具体的には、被害届けの提出、実況見分の立ち会い。面割り協力などだ。
 さらに目的は言論弾圧だったことも明らかにしている。ある警察の捜査員の「われわれとしてはテントの構成員が二、三日くさいメシを食ってもらいたいんですがね。そうすればテント村も多少変わってくると思うんです」などの発言も紹介している。
 これは非常になかなか面白い記事だ。この文書について、どのように使っていこうかと考えている。なんとか裁判を有利な方向にさせるために活用していきたい。
 以前、テント村でチラシ撒きで逮捕されそうになった。立川広域防災基地の中に警察官が住んでいる宿舎がある。そこにチラシを撒いた時、メンバーの一人が逮捕されそうになった。警察を呼ばれたけど、その場で口頭注意だった。普通は、このようなケースで終わっている。立川反戦ビラ事件が起こるまでチラシ撒きで起訴されるとは、ちょっと考えにくかった。やはりそういう時代に入っていたということだ。
 しかし、反弾圧の広がりは、権力の予想を超えたところがあった。多数の抗議声明が発表された。アムネスティまで動いた。全国から救援カンパが集まった。テント村を全く知らない部分も結集させてしまった。
 反軍放送の取り組みを行っている。立川基地正門前で自衛官に向けたアピール活動だ。立川警察署の前なので公安警察がすぐに飛んでくる。だから情宣許可を取ったり、複数で取り組むようにしている。公安の介入があった場合には、あまり無理をしない。弾圧以降、これぐらいやらないとだめだと考えている。
 さらに弾圧の可能性として威力業務妨害罪が成立しないかと弁護士に相談してみた。ところが道交法違反だと指摘された。警戒はしていきたい。
 いずれにしても弾圧に対しては、反弾圧闘争で正面から向き合うしかない。実は、ビラ弾圧事件以前に前哨戦みたいな弾圧があった。杉並・反戦落書き弾圧だ。これは公衆便所に反戦の落書きをしたら、逮捕された。通常だったら器物損壊罪で罰金刑ぐらいだ。ところが最初は、器物損壊罪で逮捕し、その後、建造物損壊罪という一段上の重い刑罰で裁かれた。しかも執行猶予は付いているが、懲役刑だ。非常に厳しい判決がくだされている。おそらくこの時期でなければ考えにくい弾圧だ。
 以前のオウム真理教に対する弾圧について的確に分析する力があれば、慎重に構えていたかもしれない。オウム真理教も大量にマンションビラ入れなどで逮捕されている。逮捕して何日か泊めておいて、がさ入れを行った。それで釈放し、裁判まではいっていない。このような手法が一段アップしたのが立川反戦ビラ弾圧である。

右翼からも不当
弾圧だとの声

 一審が無罪判決、二審が有罪判決(罰金刑)だった。救援運動の過程で右翼の人からメッセージまであった。二審の不当判決が出た後、右翼団体から不当判決である、頑張ってもらいたいと激励された。また、左翼運動だからざまぁみろと言っている場合ではない、右翼だってやられる可能性がある、言論の自由に対する不当な取締だと言っていた右翼もいた。このように右翼、さらに保守と言われる人たちの中でも、やりすぎではないか、逮捕までやる必要はなかったという意見が多かった。
 ある元裁判官は、起訴した以上は犯罪の構成要件を満たしているのだから、絶対に有罪にすべきなんだと主張していた。後は量刑の問題だと言っている。
 しかし、犯罪の構成要件が成立していれば、全部、違法なのか。いちいち全部逮捕して、処罰しなければいけないのかというと、かならずしもそんなことはない。法律にもあいまいなところがあり、時代とともに変わっていくものだ。
 一番いい例が、わいせつ物の規定だ。戦後四〇年代のわいせつ物と、今のわいせつ物とかなり違っている。巷に氾濫しているヘアヌード写真集を過去の世界に持っていったら、間違いなく逮捕されてしまうだろう。わいせつ物が具体的にどのようなものかというのが、法律の条文に記載がない。それを裁判所がその時代で変えてきたところがある。今は緩くなっていく方向なんだろう。
 僕らの場合は、逆に、七〇年代、八〇年代だったら犯罪とされなかったものが、犯罪にされてしまった。そういう恣意的な解釈まで、どんどんまかり通ってしまえば、全然犯罪だと考えられなかったものが、これから先も権力によって勝手に犯罪とされてしまう。
 反戦ビラ弾圧事件は、反戦運動だけの問題じゃなく、民主主義の根底をひっくり返してしまう性格だ。
 マスコミは一審無罪判決が、二審で有罪となったことに産経新聞を除いて、だいたい批判的だった。
 二審は、憲法問題について一切触れていない。マスコミは、若干の疑問を表明しているが、表現の自由であるとか、言論の自由について、どれだけの判断をするのか気にしているところがある。
 二審の判決が出る直前にNHKの取材を受けているが、個人の意見だがと断って記者は、「私も無罪の判決がいいんじゃないかなと思うんです。取材でいろんな人の住宅を尋ねるが、知らない人の敷地に入って、ある日、突然、住居侵入罪にされたら取材なんかできないですよ。たまったもんじゃない」と言っていた。記者の率直な感想だ。
 ただ逮捕直後の報道の仕方は、各局「犯罪者」「過激派」的な扱いのニュースを流していた。無罪判決後、そういった流れが修正されていくが、マスコミのいいかげんさは批判していかなければならない。

五四九人の弁護団
と上告審の展望

 上告審の闘いは、非常に難しい闘いになってきた。二審の有罪判決は、非常にシンプルな判決だった。要するに管理者が入っちゃいけないと言っているんだから、だめだというのに入ったから有罪というものだ。商業チラシが放置されているのに立川反戦ビラだけを弾圧したことについて無視、憲法判断もしなかった。
 最高裁は、国家秩序の観点からの判断を優先する可能性がある。最高裁のこの間の反動判決からすると二審判決をひっくり返すためには、よっぽど世論の圧力がないとだめだ。だから大型弁護団を編成した。弁護士選任数は、五百四十九人だ。
 その他のビラ弾圧事件では以下のような判決が出ている。二〇〇六年の五月三十日、板橋高校事件・藤田さん裁判では不当判決だった。国公法判決(6月29日)は、不当判決だが罰金刑で執行猶予だった。ほとんど刑罰の意味がない判決を出した。裁判長は「それだけの微罪だ」と認めたが、形式的に構成要件を満たしているから有罪だが、かぎりなく無罪に近い有罪にするために罰金で執行猶予を付けたのではないか。葛飾事件(8月28日)は無罪判決だった。現在、控訴審がすべての裁判で開始されている。
 立川事件と葛飾事件は、似通っている。葛飾事件は、マンションのポストに共産党区議団の報告書を入れ、現行犯逮捕された。最高裁が判決を出すためには、どういう判断をするにしても、チラシの投函を全て有罪にするのは難しいからガイドラインを示す必要がある。葛飾事件の控訴審が終わって、どのような判断をするかを見てからではないか。
 さらに自衛隊情報保全隊と警察の共謀の発覚したが、この問題が大きくならないうちに判断してしまう可能性もある。こちらも補充書、情報開示請求などをして動いている。

社会運動への
今後の影響は?

 事件後、ポスティングは封殺状態だ。公判中でもあり止めている。全国的に見ても自衛隊官舎へのビラ投函が減ったんじゃないか。横須賀の仲間もダイレクトメールに変えている。
 だけど、なんとか自衛官への働きかけをしなければならないということでダイレクトメールを行った。反戦ビラ弾圧事件を知っているか。犯罪と思うか、思わないかと聞いた。七十通のうち返信が二通あった。いずれも犯罪だと思わないと答えていた。その中の一人は、感想を書いてきた。それは「こんなチラシで自衛官が動揺するようだったら自衛隊を辞めてもらったほうがいい」と書いてきた。自衛官と意見の交換ができてよかった。
 このように権力は、自衛官に対する働きかけが恐いから弾圧した。今後も地域の仲間達と知恵を出し合いながら闘っていきたい。
 〈講演要旨・文責編集部〉


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