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                            かけはし2007.11.5号

「かけはし」2000号にあたって

「闘いのメディア」として共に鍛え上げよう


 一九五六年三月二十日の「反逆者」第1号発行以来、「かけはし」は本号をもって通刊で二〇〇〇号を迎える。群馬県の内田英世・富雄の兄弟によって発行されたB4表裏・謄写版印刷の「反逆者」第1号は、「共産主義者、社会主義者の根本的資質は、搾取者と特権者に対する『反逆者』たることにある。二十余年の永きにわたる国際共産主義運動におけるスターリン一派の支配は労働者階級の指導部の未曾有の混乱と危機となった。吾々は革命的マルクス主義の復活のために微力をつくさんとするものである。反逆者よ来たれ!」とする「刊行のことば」を掲げた。
 「刊行のことば」に続いて「同志レオン・トロツキーの墓前に捧ぐ」と題した詩が掲載されていることに示されるように、同紙は、当時の共産主義運動の内部ではいまだ「帝国主義の手先」「反革命」の代名詞であったトロツキーと第四インターナショナルの立場を公然と掲げた、日本初の刊行物であった。「反逆者」は翌一九五七年一月に結成された「日本トロツキスト連盟」の機関紙となった。
 「反逆者」はその後、「第四インターナショナル」(57年5月)、「世界革命」(58年4月)、「かけはし」(96年6月)と紙名を変更したが、その中に「搾取者と特権者に対する『反逆者』」としての思想を貫き、大衆運動の現実に即しつつ国際主義と労働者民主主義、そして社会主義革命の立場からの分析と指針を提出していくためにわれわれは意識的な努力を重ねてきた。

 時代は大きく転換した。国家体制としての「スターリニズム」は崩壊し、ソ連・東欧の官僚的独裁体制と等置された「社会主義」や「革命」という理念は、労働者・民衆の闘いの中でその信頼性を失ってきた。その一方で新自由主義的なグローバル化を通じた資本の剥き出しの搾取と収奪、それと表裏一体の関係にある「対テロ」を名目とした帝国主義の戦争の広がりの中で、労働者民衆の抵抗が拡大している。
 しかし新自由主義とグローバルな「対テロ」戦争に特徴づけられる資本の支配に疑問が突きつけられているにもかかわらず、旧来の左翼は、スターリニズムへの批判をベースにしてきた急進派「新左翼」もふくめて、今日の時代状況へのオルタナティブを提出することができず深刻な危機に陥っている。それは言うまでもなくわれわれにとっても無縁ではない。
 われわれは、この新しい時代に対応できない「主体の危機」を、現実の抵抗・運動に内在しながら克服するための闘いにあらためて挑戦しなければならない。そのための基盤は、徹底的に国際主義的であること、労働者・市民の運動がつちかってきた民主主義と人権と平等と公正の理念を発展させていくことであり、その中から「新しい社会主義」をめざすオルタナティブを築き上げようとすることである。
 そして「新しい社会主義」へのオルタナティブは、今日のグローバル資本主義秩序とのラディカルな断絶、すなわち「革命」を必要とする。
 一九七六年の「世界革命」週刊化以後、われわれはこの三十年間一号の欠落も遅延もなく機関紙週刊体制を維持しつづけてきた。それはもちろんすべての同志たちの献身的な努力と、読者、友人たちに支えられて初めて可能であった。
 はっきり言って、週刊機関紙の発行はきわめて弱体なわれわれの組織力量からすれば「無理に無理を重ねる」ことで初めて可能となった。しかし「身の丈」を越えた週刊機関紙の発行という選択は、何よりも今日の新しい左翼的オルタナティブへの挑戦にとって、それが必要な課題であるという認識に基づいている。
 機関紙の継続的・定期的な発行は、国際的・国内的情勢や運動分析の主体的検証、総括の系統的な蓄積を可能にし、同志・読者の間の積極的な討論・批判の基盤を作りだす。そうした討論のための出来る限り正確な情報、階級的であるとともに偏見にとらわれることのない公正な分析・検証の提出は、「かけはし」が労働者・市民に対して果たすべき責任である。
 われわれの誤りは何だったのか、国際的・地域的な運動の成功の共有化、失敗の克服のための討議、そして新しい指針の模索――われわれはこうした討論を、より開かれた形で民主主義的に発展させていく場として、「かけはし」の内容を豊富にし、充実させていきたいと考えている。
 本紙が多くの限界を抱えていることは言うまでもない。だが他のメディアにはない「かけはし」の最大の特徴は、今日の世界の階級闘争、民衆運動の情報・分析・教訓をできるだけ広く紙面に反映させていることにある。それは決して、第四インターナショナル潮流内部に止まらない豊富な内容を持っていることをわれわれは確信している。
 われわれが挑戦しようとする、反資本主義的な複数主義的な左翼建設のための闘いは、まさに今日の情勢そのものが求めている課題である。「かけはし」の役割は、これからいっそう大きなものになるだろう。二〇〇〇号という一つの通過点にあたって、今後とも「かけはし」紙への協力をあらためて訴えたい。読者の皆さんによって、本紙を開かれた「討論の場」とし、事実に即した「批判の武器」にしていただきたい。
(「かけはし」編集部)


クラスター爆弾廃絶へ
禁止条約をつくろう
グループ武器をつくるな!売るな
最大の被害者となっているのは子どもたちだ

 十月二十二日、東京の中野商工会館で、集会「クラスター爆弾の廃絶に向けて」が行われた。主催は「グループ 武器をつくるな! 売るな!」。地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)の目加田説子さんが講演した。
 アフガニスタン、コソボ、イラク、レバノンなどの戦場で使用されているクラスター爆弾は、一つの親爆弾に数十〜数百個の子爆弾が装填され、親爆弾が分裂すると子爆弾が広範に飛び散って、地上に衝突し爆発する。それは無差別に人を殺傷し、多くが不発弾として残り「地雷」化するため、紛争が終わっても深刻な被害をもたらし、とりわけ子どもが最大の被害者となっている。
 国際人道法であるジュネーブ条約第一追加議定書では「余分の危害又は不必要な苦痛を生ぜしめる性質を持つ兵器、投射物及び物質、ならびに、そのような戦争の方法を用いることは禁止する」(第35条)。また「軍事目標と文民又は民用物に区別なしに打撃を加える性質」を有する無差別攻撃は禁止されており(第51条)、クラスター爆弾はまさにジュネーブ条約第一追加議定書が禁止する兵器に該当するものだ。
 対人地雷禁止国際キャンペーンは各国政府への働きかけ、世論を動員したキャンペーンによって一九九七年十二月に対人地雷禁止条約(オタワ条約)が調印され、一九九九年三月には発効し、締約国が現在百五十五カ国に上るという大きな成果を収めた(オタワ・プロセス)。
 この対人地雷禁止条約にならい、今年になってからノルウェー政府の呼びかけでクラスター爆弾の全面禁止を実現する国際会議(2月オスロ、5月リマ)が進められている。オスロ会議では「クラスター爆弾の使用や生産、備蓄、移譲の禁止、除去の義務」「被害者支援のための国際的枠組み作り」を盛り込んだオスロ宣言が採択され、二〇〇八年までに条約締結をめざしている。しかし、会議に参加した四十九カ国のうち、三カ国だけが反対または留保した。反対したのはポーランドとルーマニア、そして「留保」したのが日本政府である。その後「オスロ宣言」への賛同国は八十二カ国に達しているが。日本はクラスター爆弾の生産・備蓄国であるのにもかかわらず賛成していない。
 防衛省の鋤先幸浩・国際企画課班長は「クラスター爆弾について自衛隊は、地上発射と航空機投下のタイプを保有している。……侵攻を水際で防ぐため、短時間で広範な面積を制圧できる兵器として有効だ」と語り(「毎日」5月21日)、五月のリマ会議直後に久間防衛相(当時)は「日本を守る時にそれ(クラスター爆弾)に代わる武器がない。攻撃されて蹂躪されっ放しでいいか、守り抜いて処理をしたらいいか、国民がどちらを取るかだ。私は後者だと思う」(「毎日」5月25日夕刊)と述べる始末だ。

市民による国際
世論の喚起を

 目加田さんは、こうした経過にふれながら、「オタワ・プロセス」(対人地雷禁止)の教訓に学んで「オスロ・プロセス」を成功させ、クラスター爆弾の禁止条約を二〇〇八年いっぱいかけて締約にこぎつけるために、イニシアティブ国であるノルウェー以外の中核となる国家グループを組織し、市民による国際的世論を喚起し、メディアによる継続的報道をはかることが必要だ、と強調した。
 「オタワ条約」に加盟していない国でも、対人地雷を公然と使用することはできない国際的状況が成立している。そうした力関係を作り上げるために私たち自身の課題として「知る」「伝える」「行動する」ことが必要であり、評論家的な姿勢ではなく、身近な行動が積み重なって世界が変わることに確信を持とう、と強調した。
 アメリカは世界的な禁止の流れに逆行し、今夏までに新型クラスター爆弾を開発し、年内にもイラクやアフガニスタンに配備すると報じられている。「対テロ」戦争のためのクラスター爆弾生産・配備を許さない世論を、私たち自身が作りだそう。     (K)


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