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中国・インド・日本・フランスなどの偽善        かけはし2007.10.29号

ビルマ全土に広がる民主化闘争に連帯を

豊富な天然資源獲得の代償に軍事独裁政権を公然と支える
                           ダニエル・サバイ


 ビルマ軍事政権は、一カ月以上前に始まった独裁体制に対する民衆の決起を弾圧した。数十人が殺され、数百人が逮捕された。政権は「国際社会」からの支援を享受している。

学生の闘いに
僧侶が合流

 世界で最も抑圧的な軍事政権の一つであるくびきの下で生きているビルマでは、デモはめったにない出来事である。しかしラングーンにおける八月中旬の石油価格の大幅な引き上げに続くかたちで、デモが拡大していった。学生によって始められたこのデモは、ビルマ中部の町パコックで僧侶がこうむった弾圧によって、九月初めにはより政治的な転換を見せた。この弾圧は、政府からの謝罪ととともに、経済改革や、ノーベル平和賞受賞者アウンサン・スー・チーをふくむすべての政治犯の解放を求める大規模な動員を引き起こした。
 以前、一九八八年に起こった大きな民衆反乱は、少なくとも三千人に上るデモ参加者の殺害と数千人の逮捕者を出して終わった。ビルマ民衆は、民主主義の不在の中で、極度の貧困状態に置かれている。国内は準軍事組織の私兵によって拘禁状態に置かれ、「連邦団結発展協会」といった組織は、彼らが殺害を試みてきたアウンサン・スー・チーなどに対する弾圧作戦に系統的に関わっている。

東南アジア第2の
強力な軍隊の背景

 一九八八年とは対照的に、現在のビルマの危機は国際的メディアで大きな注目を集めている。それは、諸国政府と国際組織がいかに偽善的であるかを示している。国連、EU、米国は、デモ参加者への弾圧に速やかに反応した。しかしそれにもかかわらず「抑制」と「安定を回復するための平和的手段の行使」に向けたアピールは、シニカルなものである。
 特別に残虐な人格であるタンシュエが率いる世界で最も残忍なものの一つである独裁政権が、こうしたおずおずとした言葉に脅えるなどということを誰が信じられようか。「トータル」(注)などの欧州の大企業は、あまりにも長い年月、ビルマに居続けている。こうした企業の活動は、完全に合法的な形で軍部支配層を富ませている。EUは軍事政権に金をもたらし、彼らが権力に居すわることを支える戦略的部門(希少木材、宝石、鉱石、石油)の貿易を禁止しなかった。民衆は強制労働に追いやられた。
 アジアにおける近隣諸国、とりわけインドと中国は、ビルマが豊富に持つ天然資源の消費者であり、人権や子どもの権利の系統的侵害に目をつぶることを決めていた。インドと中国は、ビルマにおける自らの影響力を拡大することを決めた。彼らの競争は軍事政権に漁夫の利を得させた。インフラ開発、油田の採掘などのプロジェクトに数十億ドルが投資された。
 この二国はまた、最新兵器、飛行機、ヘリコプター、小型船舶、そして独裁政権が民衆を粉砕するために使用するあらゆる物資を売りさばき、タトマダウ=ビルマ軍を東南アジア第二の強力な軍隊に仕立てあげることに大きく貢献した。そのお返しに、この二国は、「他国の国内事情への不介入」を名目に、軍事政権の過酷な行為を非難することを拒否している。今年、中国は二度にわたってビルマの政権を非難する国連決議を拒否した。
 タイ、マレーシア、シンガポールなどのASEAN(東南アジア諸国連合)諸国は、独裁政権との「建設的関与」政策を開始した。それは民主的改革に道を開くものであるとされた。しかし民衆に有利な変化はなく、反対派や少数民族への弾圧政策が強化された。この間、ビジネスや天然資源の収奪はうまい具合に継続していた。たとえばタイは、人道的問題や環境への深刻な影響を配慮することなく、二国の国境を流れるサルウィーン川の幾つかのダム建設について軍事政権との了解覚書を取り交わした。

45年間の独裁と
民主主義の破壊

 政権の座にある軍部は、個人的蓄財と権力を保持するという以外の、いかなる目的も持たなかった。彼らは、民族的反乱に対する戦いの中で嘆かわしい歴史を有している。彼らは子どもの大規模な強制徴兵、強制労働、村民の即決処刑、女性や子どものレイプ、拷問、住民の強制退去と略奪などに従事してきた。彼らは村落と家畜を焼き払い、食料資源を破壊し、被害者たちを救おうとした医療労働者を殺害している。そんなことに気づかなかったと言える国やグループはいない。
 この国の健康状態、社会状況は、あまりにも恐るべきものなので、われわれは近隣諸国(インド、中国、バングラデシュ)でデング熱、結核、致命的な形をとったマラリアなどの病気が発生、再発生しているのを目撃している。この状況は、近隣諸国によって難民の地位を認められていない数百万人ものビルマ難民の運命によって、さらに悪化している。軍が組織している麻薬取引のため、ビルマは世界第二のアヘン生産国、第一の覚醒剤生産国になっている。
 すべての国、とりわけEU諸国において、圧力は軍事政権との貿易・金融的投資の禁止(「トータル」などビルマで事業展開しているすべての企業のボイコット)にまで拡張されるべきである。国際的レベルで言えば、国連はもはや単なる「両者の平和的対話」の要求に止まってはならない。国連は軍事政権の不当な強制措置をはっきりと非難し、文民政府の即時樹立に向けて活動すべきである。この文民政府は、民衆が必要とする緊急の社会的措置を行い、究極的にはビルマ社会のすべての構成要素を結集するような真の憲法制定議会選挙をもたらす、民主主義的自由を再建すべきである。
 唯一正当化される援助とは、軍部や軍部が支配する組織の手に落ちることのない人道的援助である。

(注)とりわけフランスはビルマに深く関与している。多国籍企業の「トータル」は、同国に多額の投資を行い(それはビルマ国家予算の約七%にあたる)、一九九二年以来、軍事政権に協力してきた。二〇〇三年のベルナール・クシュネールの報告は、フランス石油会社がビルマ労働者への超搾取に責任があるという告発を免罪している。いまや外相となった彼は、「トータル」はビルマにとどまるべきだと再確認している。パリでは、ニコラ・サルコジは亡命中のビルマ政府首相セン・ウィン博士と会見した後、「たとえば『トータル』のような民間企業は、『最大限に自制』すべきであり、ビルマに『新しい投資』をすべきではない」と述べた。
 こうした声明は、情勢の重大さを反映していない。ビルマ軍事政権とのあらゆる協力に終止符を打つことが必要である。「トータル」はビルマから撤退せよ。政治犯、そして最近のデモで逮捕されたすべての人びとの釈放を!

(筆者のダニエル・サバイは「インターナショナルビューポイント」のバンコク通信員の一人)
(「インターナショナルビューポイント」07年10月号)




寄稿
長井健司さんの訃報に接して
物静かな本物のジャーナリスト
豊田直巳(フォト・ジャーナリスト)


ビルマは情
報閉鎖社会

 九月二十七日、夜七時のNHKニュースで、日本人らしいカメラマンがビルマで撃たれたと第一報が流れた。誰だろう? と思っているところに、そのNHKから電話が入った。「誰か、心当たりはないか?」と。
 私は十五人ほどの同業者で作るJVJA(日本ビジュアルジャーナリスト協会)の会員の顔を思い浮かべたが、誰もビルマには入っていないはずである。一番ビルマに関係が深い山本宗補さん(写真集『ビルマの子供たち』[第三書館]、「ビルマの大いなる幻影」[社会評論社])も現在は日本のはずだった。その旨をNHKに伝え、もし情報が入ったら教えて欲しいとお願いした。
 電話を切ったとたん、共同通信の友人から「誰か、知らない?」と。その日の朝、共同通信は、バンコク支局長が中日新聞の記者と一緒にビルマから国外退去処分になっていた。だから、共同通信は情報を得ているものと考えていたが、その殺された「カメラマン」と接触はなかったのだろう。もっとも誰もがビルマの取材となると、「隠密」を余儀なくされるほど、情報の閉鎖国家である。当局の監視の厳しい場所でわざわざ目を引く日本人同士で会うというリスクは犯さなかったのだろう。この時点で、この共同通信の友人も、フリーランスの知人のカメラマンもビルマのビザを東京で申請して拒否されていた。あらためて、ビルマという軍事独裁国家のあり様を思った。

バグダッドで
別れて以来

 それから一時間ほど立ったろうか、「オフレコで」と「ナガイさんという方の可能性があるが、知っているか?」と、報道機関から問い合わせがあった。ナガイさんで「カメラマン」。頭に浮かんだのは長井健司さんだったが、テレビで流れた「カメラマン」が引っかかった。私の知る長井さんはビデオ・ジャーナリストだったからだ。「ええ、一人だけ知っています。二〇〇三年にバグダッドで会っています。でも、それきりで……」。
 それから、一時間程して、長井さんの所属するAPF(AFPではない)の山路さんがテレビカメラの前で、長井健司さんであると確認したと話しているのがライブで流れた。あの長井さんが……。ビルマなどに入っていたのか? と驚くと同時に、背中に冷たいものが走った。なんで殺されてしまったんだろうかと。
 イラク戦争の空爆下のバグダッドに、長井健司さんはバース党政権が崩壊しつつあった四月七日か八日頃やってきた。ビデオカメラだけでなく、隣国ヨルダンのアンマンで仕入れた紙おむつの束を持って。それは長井さんが殺された晩から、長井さんを紹介するニュース番組で繰り返し放映されたVTRで、イラクで取材する長井さんの隣にいた少年、サード・ムハンマド・アル・ズベイディ君(当時12歳)に届けるためのオムツだ。
 私はそのサード君を、その半年も前から追っかけていたから、長井さんの登場には少々戸惑った。私はそのサード君を何度かテレビで紹介していたのだが、長井さんは別の局の仕事でサード君を追っかけるという、いわば「商売敵」としての出会いでもあったから。
 しかし、長井さん自身は、がつがつしたところのない、むしろ物静かな好印象を人に与える本物のジャーナリストを感じさせる方だった。目まぐるしく変わるバグダッドの情勢の中で互いに現場を異にし、その後、結局はゆっくり話す時間もなく過ぎてしまった。案外、私たちの仕事は、そんなもので、互いの日常については知らない場合も多い。そんな中での長井さんの訃報だった。
 彼を殺すような政権であるからこそ、私たちがジャーナリストを名乗るなら、その後のビルマを取材しなければならないと思う。ただ「ジャーナリストの死は残念だ」と言って済ませていいはずがないのだから。


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