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教科書検定意見を撤回せよ               かけはし2007.10.29号

文科省ぐるみの介入に怒り
沖縄上京団と共に決起集会



沖縄戦史の改ざん
を許してはならぬ

 九月二十九日に沖縄で行われた「教科書検定撤回を求める県民大会」への大結集を受けて、十月十五、十六日の両日、沖縄から百七十人が上京し、首相官邸、文科省、各政党への要請行動を行った。
 十月十五日には、要請団の代表を迎えて東京・永田町の星陵会館で「教科書検定意見撤回を求める総決起集会」が開催された。主催は東京沖縄県人会と大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会(沖縄戦首都圏の会)。集会には会場には入りきれないほどの六百五十人が参加した。
 主催者を代表して発言した東京沖縄県人会会長の川平(かびら)朝清さんは「今回の問題は沖縄戦に関して日本軍の強制が検定意見で消されたことだけではない。来年から採用される教科書全体で沖縄戦の記述が大幅に減っている。どこが検定を主導したかは明白だ。『青少年の育成』という観点からも日本の現代史を正しく知ってほしい」と語った。
 続いて国会議員の発言。民主党の川内博史衆院議員は、民主党の中にも藤岡信勝(つくる会代表)や中西輝政(京大教授)に同調して『軍命はなかった』とする人びとがいる。まさに汗顔の至りだ。検定意見の間違いを認めさせ、検定審議会をもう一度開かせるために頑張る」と語った。社民党の山内徳信参院議員は、「私はかつて文部省から派遣されて『家永・日本史教科書を使うな』と働きかけた指導主事を追い出した経験がある。沖縄の闘いを全国・全県に波及させよう。首相官邸の『県民の心を受け止める』という対応は言葉だけだ」と怒りの発言。さらに公明党沖縄県本部顧問の遠山清彦参院議員も発言し、「北側幹事長と私で福田首相と会い、検定議事録の未公開を改めさせるよう要請した」と語った。

ひめゆり学徒
の悲痛な体験

 次に「ひめゆり学徒の沖縄戦体験」と題して上江田千代さん(ひめゆり同窓会東京支部副会長)が発言した。
 上江田さんは一九四四年に沖縄師範女子部に入学し、第32軍司令部(司令官・牛島中将)の命で高射砲陣地の構築や飛行場の周囲に濠を掘る作業に駆り出された。米軍が沖縄に上陸した後は、濠の中の二段ベッドに寝かせられた負傷者の治療を行ったという。「でも寝かせて死ぬのを待つだけでした」。その後、米軍の接近により濠を捨てて逃げよという命が出され北部方面に逃げたが、その途中で父親は日本兵に撃たれて即死した。上江田さんは、六月に砲撃で気を失っているところを米軍に収容された。この悲惨な経験を語った上江田さんは、文科省による教科書検定意見をあらためて強く批判した。

教科書記述を変え
させたのは誰か?

 再び、国会議員の発言に移り、糸数慶子参院議員(無所属)、川田龍平参院議員(無所属)、市田忠義参院議員(共産党書記局長)が発言した。
 糸数さんは「歴史の真実を正しく後世へ」と語りかけ、川田さんは、沖縄との出会いの中で幾度も沖縄に足を運んで住民投票や辺野古の闘いの現場にも駆けつけたと述べ「侵略戦争でアジアの人びとを殺した責任はもちろんのこと、自国の民を戦争に駆り出して殺したことの責任も追及する必要がある」と語った。
 市田さんは「日本軍の強制、誘導なしに住民の『集団自決』が起こりえなかったことは明らか」と強調した。
 教科書検定への介入は文科省ぐるみの行為であり、文科省の調査官が付けた「調査意見書」がそのまま審議会に提出され、文科省の「調査意見書」と同じ内容の「検定意見書」が審議会の答申に基づくという形式をとって作られた。政府・文科省は、「検定意見書」は審議会での専門的・学術的討論の結果作成されたもので、文科省がそれに手をつけることは政治的介入だとしているが、事実は、全く異なっている。すべては文科省が主導しているのだ。何よりも、審議会委員の中には沖縄戦の研究者は一人もおらず、文科省調査官の「調査意見書」には何の異論・疑問も出されなかったという(この経過は、「世界」11月号に掲載された安田浩一「誰が教科書記述を修正させたか」にも書かれている)。
 市田さんはこの事実を明らかにした上で「検定意見の撤回と記述の回復のために闘おう」と訴えた。
 次に沖縄現地からの発言として沖教組の大浜委員長、琉球大教授の高島伸欣さんが発言。高島さんは、藤岡信勝(つくる会)や産経新聞(教科書改善の会)らによる「教科書検定への政治介入に反対する会」の策動を厳しく批判し、彼らの動きが破綻していることを暴露した。
 平和フォーラムと全教からの発言の後、首都圏各地で検定意見撤回を議会決議をしている各自治体から、三鷹市、国立市、鎌倉市、小金井市の議員や市民が発言した。呼びかけられた会場カンパは三十五万円以上が集まった。最後に沖縄からの上京団が満場の拍手の中を登壇し、俵義文さんが閉会のあいさつを行った。

「政治介入やめろ」
と叫ぶ極右勢力

 この日、議員会館では前述した藤岡信勝ら極右勢力が合流した「教科書検定への政治介入に反対する会」の院内集会が開かれ、再書き換え反対決議を採択した。十月十六日の産経新聞は1面記事で「検定撤回は将来禍根」との見出しで、「軍命令はなかった」とか「沖縄では、軍命令を疑う意見は地元紙に一切掲載されず、今も言論統制が行われているのに等しい」とか、米軍の占領政策による反日宣伝が定着した、とかいう一部の人びとの発言を引用する形で沖縄の人びとの「検定意見撤回」要求を批判している。
 産経同記事は、「政府の介入は教育行政において『不当な支配』を禁じた教育基本法第16条に抵触する」という「教科書執筆者」の意見を紹介し、「中立・公正という検定制度の趣旨をないがしろにすれば、今後、中韓の教科書訂正要求をはねつける根拠は失われかねない」などと煽っている。検定意見に「介入」したのは、一体誰なのかを百八十度引っ繰り返した暴論だ。
 今こそ、こうした極右派のあがきに対決し、福田政権の口先だけのごまかしを糾弾して、文科省の介入による沖縄戦「集団自決」強制記述「検定意見」の撤回をかちとろう。  (K)


第21回団結まつり開催
国鉄労働者の解雇撤回!
生きる権利尊重する社会を



 十月十四日、江東区亀戸中央公園で、第二十一回「勝ち取ろう国鉄労働者1047名の解雇撤回!つくりだそう生きる権利を尊重する社会を!10・14団結まつり」が行われた。北海道や九州など全国の国鉄闘争団、フリーター労組、難民支援、争議団や「日の丸・君が代」処分を許さない、静岡から多数参加した静岡空港を許さない旗を掲げた仲間たち、労働情報やATTACジャパンなどたくさんのテントが並び、特産のカニやラーメンなどが売られてにぎわった。
 メインステージでは訴え、歌、踊りが披露された。エム・クルーズという派遣業で最近、ユニオンを立ち上げた若い労働者は「国鉄闘争は本でしか知らなかった。こうして実際に闘っている国鉄労働者と会えて、ヒーローの前でしゃべっている、歴史の現場に立ち会っているという実感が持てている。国家的不当労働行為と闘う歴史を受け継いでいきたい。こんなひどい貧困と格差社会をだれがした。私は二年間フリーターで働いているが、一カ月ぎりぎりの生活費しかかせげない。見殺しにされないために闘ってきた。希望のある将来を作り出すためにも皆さんとともに闘い」と連帯のあいさつを行った。
 団結まつりは団結を固め、国鉄闘争勝利に向けた11・30日比谷野外音楽堂での大集会の成功を誓いあった。        (M)

 国労に所属していたことを理由に「JR不採用」となったのは不法行為であるとした9・15鉄建公団訴訟判決は、解雇された当事者である1047名の団結と共闘運動を大きく前進させた。鉄道運輸整備機構・国土交通省に対する統一解決要求を提出し、解雇された当事者を中心にした大衆行動を広げ、当事者が裁判闘争をすべて立ち上げたことで、納得ゆく解決を勝ち取っていく展望が大きく切り拓かれてきている。この当事者の要求を実現する裁判闘争と大衆運動を二重にも三重にも強化することが重要である。
 国鉄「分割・民営」化という国策の矛盾・破綻が要因となり、107名もの犠牲者を生み出したJR西日本会社・尼崎事故に続いて、JR東日本会社・羽越線、JR九州会社・日豊線でも転覆事故が相次ぎ、利益優先・安全無視のJR各社の企業体質が誰の目にも明らかになってきている。しかし、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会が出した「尼崎事故最終報告書」は、JR西日本の安全無視の企業体質に言及しながら、事故の背景である安全基準の規制緩和について自ら検証することなく、責任の所在の明確化と事故の再発防止に向けた事故遺族・被害者の願いとは程遠いものとなっている。(略)
 根っ子はひとつだ!今こそグローバル資本主義に対抗するすべての労働者・市民とともに、貧困社会を変えさせ、人間として生きる権利が尊重される社会をともに創り出し、1047名の解雇された当事者の闘いを勝利させよう。また、民営化=安全切り捨ての交通政策の犠牲となった「尼崎事故」遺族・被害者の思いを受けとめ、規制緩和路線を転換し、公共交通としてのJRの安全性を確立する運動を大きく広げよう!
 10月14日 団結まつり参加者一同


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