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小沢一郎のISAF派遣論               かけはし2007.10.22号

国連の名による海外派兵許すな



テロ特措法を
批判する小沢

 小沢一郎・民主党代表の、アフガニスタン国際治安支援部隊(ISAF)への自衛隊派遣論が波紋をよんでいる。岩波書店が発行する「世界」07年11月号に発表された小沢の「今こそ国際安全保障の原則確立を」とする文章がそれである。「世界」前号(10月号)に発表された国連本部政治局政務官・川端清隆の「テロ特措法と安保理決議」と題する文章への「公開書簡」という形をとった小沢の文書の骨子は次のようなものだ。
 日米同盟と日本の「国連中心主義」との「ねじれ」を指摘し、「現実問題として最終的にどちらを取るのかという議論の中で、日米同盟は何としても維持しないといけない」という川端や「多くの日本人」の結論について、小沢はまず、「国連中心主義と日米同盟は全く矛盾しない。むしろそれを両立させることによって日本の安全が保障される」と主張する。そして、アフガニスタンやイラクの事態を見ても、米国はもはや「一国で世界の平和維持」を図ることはできず、国連決議ぬきに行った「米国の戦争、自衛戦争」が破綻したことを主張する。そして「世界の平和」は「日本国の憲法の理念」や「国連憲章の理念」にしたがって「国際社会みんなで力をあわせて守っていく」以外に他に方途がないと、強調する。
 そして現実のアフガニスタンにおける米国とその同盟国による「不朽の自由作戦」は、国連決議によらない「個別的自衛権」ならびに「集団的自衛権」の発動であることを正しくも指摘している。彼は、国連活動でもない米軍等の活動に対する自衛隊の「後方支援」は「武力の行使ではない」とする政府、内閣法制局の解釈を「詭弁」である、と批判している。したがって小沢は「日本国憲法の考え方からいって、米国であれどの国であれ、その国の自衛権の行使に日本が軍を派遣して協力することは許されない」と主張している。

「国連活動への
参加は合憲」か

 しかしここからが小沢の本領である。「集団的自衛権」の発動としての自衛隊の派遣、「後方支援」という形でのそれもふくめて「憲法違反」として批判する彼は、「国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法の理念に抵触しない、むしろ憲法の理念に合致する」と述べるのである。
 小沢は語る。「個々の国家が行使する自衛権と、国際社会全体で平和、治安を守るための国連の活動とは、全く異質のものであり、次元が異なる」「国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない」と。
 ここから彼は「国連の決議でオーソライズされた国連の平和活動に日本が参加することは、ISAFであれ何であれ、何ら憲法に抵触しない」のであり、現実に「私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したい」と主張しているのだ。小沢は、「具体的にどんな分野に対してどんな形でどれだけ参加するかは、その時の政府が政治判断をして決めること」との保留を付けているのだが、少なくとも「ISAFへの参加を実現したい」と述べている以上、小沢が現実の具体的「政治判断」の問題としてISAFへの自衛隊派遣を構想していることは明確である。
 小沢にとって問題はきわめて単純かつ形式的なものである。つまりどのような形であれ「国連決議」によって「オーソライズ」された戦争であるならば、自衛隊の海外派兵はその戦争がどのような内容のものであろうとも少なくとも現憲法の下で正統化される、というわけだ。
 しかしISAFの活動が、事実として米国の「自衛権」の発動としての「報復戦争」という国際法にも国連憲章にも違反した武力行使によるタリバン政権の打倒とカルザイ・かいらい政権の樹立を追認したものであることは明白である。不法な侵略戦争であっても、それが「国連決議」によって「オーソライズ」されたものであるならば、自衛隊を派遣することが突然「日本国憲法の理念」に合致してしまうわけではない。そしてその結果が、まさにアフガニスタンにおける貧困・飢餓・住民の離散と難民化、テロをもたらしているものである以上、「国連決議」の有無という単純な形式によって、戦争の「正義」と「不正義」が逆転するという考え方そのものが、およそ住民にとっては無縁な論議だと言わなければならないのだ。住民は、米軍によってだけではなく、ISAFによっても殺されているのである。
 小沢は、イラク特措法による自衛隊の派兵は、たとえ「あとになってから出された国連決議で形式は整ったとしても」、イラク戦争に大義がなかった以上、誤りであると訴えている。その通り。だとするならばアフガニスタンISAFの活動も、国際法や国連憲章に違反した「米国の戦争」を追認したものではないのか。われわれはこの点こそ追及しなければならない。

武力で平和は
つくれない!

 小沢・民主党は、「テロ特措法」によるアフガニスタン「不朽の自由」作戦への自衛隊の洋上給油活動を「集団的自衛権」の行使であり、違憲だと主張している。他方、政府も自民党もアフガニスタンISAFの自衛隊の派遣は「武力行使」を伴うものであって、「集団的自衛権」の行使にあたるものであり違憲だと反論している。
 自民党も民主党も、お互いの主張を「集団的自衛権」の行使であって違憲だと批判しあう「護憲論者」になったかのようである。とりわけ自民党の場合、安倍政権の下で「集団的自衛権」の「合憲」化に踏み込もうとしてきた「安保法制懇」の議論など、完全に忘れてしまったかのようである。
 われわれは端的に語るしかない。どちらも「違憲」である、と。「国連決議」の存在は、自衛隊の戦争参加(「後方支援」もふくめて)を正当化するものではない、と。
 小沢は「世界」掲載の文章の末尾に、とってつけたように「紛争やテロの根本にあるのは貧困という人類の根本問題だ」と語り、「どんなに困難であっても、どんなに時間がかかろうとも、貧困を克服し、生活を安定させることこそが、テロとの闘いの最も有効な方法であると、私は確信しています。銃剣をもって人を治めることはできません。それが歴史の教訓であり、幾多の戦争の末にたどり着いた人類の知恵なのです」と結んでいる。
 よろしい。それではアフガニスタンISAFについてはどうなのか。そしてブッシュが「9・11」で本格的に開始した世界規模の「テロとの闘い」が作りだした結果はどうなのか。われわれは「対テロ戦争」が、まさにグローバル資本の支配を打ち固めるための不正な暴力の無制限な拡散であり、「貧困を克服し、生活を安定させる」という課題を根底から覆すものであったことを訴えなければならない。
 「武力で平和はつくれない」。われわれは、このメッセージを現実の闘いによって刻み込むために、戦争と暴力を強制するグローバルな新自由主義の支配に立ち向かっていく必要がある。海自の「洋上給油新法案」の成立を阻止し、自衛隊をインド洋からもイラクからも撤退させよう。
  (10月14日 平井純一)



PAC3移動展開演習反対
中止を求め防衛省交渉と申し入れ


 九月四日の朝日新聞は、防衛省が空自入間基地に配備したPAC3の都心への移動展開演習を九月中にも実施すると報じた。それによれば、部隊の展開候補地として市ヶ谷駐屯地、練馬駐屯地の他、代々木公園、晴海ふ頭公園、明治公園などが上げられている。「北朝鮮や中国からのミサイル攻撃の脅威」なるものを煽り、市民生活の中に「有事」を浸透させるこうした軍事演習を認めることはできない。
 九月二十八日、核とミサイル防衛にNO!キャンペーンは、迎撃ミサイル「パトリオット3(PAC3)」の都心への移動展開演習の中止を求めて提出した公開質問状への防衛省の回答を求めて、参院議員会館会議室で防衛省の担当者が出席した「ヒアリング」を受けた。質問は「演習の日時、場所、規模」「移動に伴う交通規制と警備体制」「発射による風圧、煙、レーダー波の影響」「PAC3にかかわる08年予算概算要求の内容」「三菱重工のPAC3関連受注額」など多岐にわたって提出された。
 紹介議員となった川田龍平参院議員が進行役となった「ヒアリング」には防衛省担当官のほかに、千葉県議の吉川さん、入間市議の山下さん、習志野基地へのPAC3配備に反対している市民や糸数慶子参院議員の秘書の方なども出席した。しかし防衛省側の質問への回答は「都心移動訓練の計画はまだ固めたわけではない」「部隊運用にかかわる事項への回答は差し控えさせていただきたい」という対応に終始した。
 その一方で来年三月までに習志野を皮切りに、武山(神奈川県)、霞ヶ浦(茨城県)の各基地にPAC3を配備することも明言された。また、二〇〇八年度の弾道ミサイル防衛(BMD)システムの概算要求が一五八〇億円、二〇〇四年度〜〇八年度のBMDシステムの契約ベースでの発注額が七二八三億円という巨額に上ることも明らかとなった。
 この「ヒアリング」を受けて十月一日、「核とミサイル防衛にNO!キャンペーン」は辺野古実の防衛省行動に続いて、防衛省への申し入れ・抗議を行った。防衛省前での行動では前日の九月三十日に習志野基地のPAC3配備反対行動が百五十人の参加で行われたことなどが、習志野の仲間から報告された。 (K)

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