もどる

                            かけはし2007.10.1号

息継ぎを与えず福田新政権打倒へ

新自由主義・改憲プログラムは破綻した
「対テロ」戦支援の洋上給油をやめろ!
自衛隊はイラク・インド洋から撤退を

自民党の広報機関=
マス・メディア

 万策つきた安倍首相の前代未聞の辞任表明を受けて行われた自民党の次期総裁選で、九月二十三日、福田康夫・元官房長官が麻生太郎・党幹事長を退けて当選した。
 九月十日の臨時国会召集と所信表明演説の二日後、衆院本会議での代表質問直前が予定されていた九月十二日に安倍が無残に「逃亡」して以後、国会の議事は約二週間にわたって完全にストップした。TVなどのマスメディアは、与党・自民党のこの責任放棄を追及するどころか、「福田か麻生か」という「党内事情」報道に多くの時間を割き、両者の街頭演説を追いかけまわすなど、今回もまたさながら政権政党の広報機関という役割を果たした。
 麻生派を除く自民党の全派閥の支持を得て、圧勝が予測されていた福田だったが、投票結果は有効投票総数五百二十七のうち、福田三百三十、麻生百九十七と、麻生票の伸びが目立った。衆参両議員の票では福田二百五十四に対して麻生百三十二であり、各都道府県連に三票ずつ与えられた地方票では、福田七十六、麻生六十五と、いずれも麻生が「健闘」した。とりわけ全党員投票を実施した三十五都道府県の総得票数では麻生二十五万三千六百九十二票、福田二十五万六百十三票と、わずかながら麻生が上回った。
 この結果は福田の「派閥談合」的押し上げに対する批判が、議員・地方組織の双方で根強いことを示すものとなった。麻生への支持は、北朝鮮の「拉致」問題に対して麻生が強硬姿勢を示して「対話」を重視する福田を批判したこと、また麻生がよりポピュリスト的に小泉・安倍の「市場原理主義」的「構造改革」路線への批判を強め、「強い指導者」「誇りある日本」という国家主義的心情に訴えたことに大きな要因があるように思われる。

小泉・安倍路線
破綻の尻ぬぐい

 福田、麻生の双方とも、総裁選キャンペーンの中で、小泉・安倍の新自由主義的「改革」路線の「影」を強調し、七月参院選で歴史的大敗北を喫した最大の要因であると自民党自身が認める「都市と地方の格差是正」などを訴えた。安倍首相の最重点の理念であった「戦後レジームからの脱却」や改憲プロセスの促進は、触れられることもなかった。福田は小泉内閣の官房長官、麻生は小泉・安倍内閣での党政調会長、外相として、両内閣の新自由主義的民営化・規制緩和路線を推し進め、ブッシュの「対テロ」戦争への参戦を通じて九条改憲を促進する上で、重要な役割を果たしたにもかかわらずである。
 福田にいたっては、「自立と共生」という民主党のキャッチフレーズを自らの政策理念のタイトルにそのまま流用する始末だった。福田は、七月参院選で生じた衆院・参院の「二重権力」状況の中で、民主党との「対話」を強調し、場合によっては年金などの政策問題において民主党の方針をも取り入れる姿勢を明らかにしている。
 安倍の政権投げ出しと、福田新政権の登場は、安倍晋三の「美しい国」「戦後レジーム」からの脱却という極右国家主義的な改憲強行戦略の決定的破綻をあらためて確認させるものである。この事態を作りだしたものは、アフガニスタン、イラクに表現されるブッシュの「対テロ」戦争戦略の破綻であり、この米帝国主義のグローバルな軍事的覇権主義に支えられた憲法改悪・「戦争国家体制」作りや、絶対的貧困スパイラルを耐えがたいまでに増幅させている新自由主義路線への労働者・民衆の抵抗の広がりである。
 言うまでもなく、小泉・安倍が推し進めてきた資本の新自由主義的グローバリゼーションに対応した民営化・労働市場の「規制緩和」、農業・中小企業や社会福祉の切り捨て路線は、資本が生き延びる上での絶対的枠組みである。また米軍再編=アメリカ帝国主義の世界的な軍事再編への自衛隊の組み込みと、それが要請する海外派兵の恒常化は、「集団的自衛権」行使の正当化・憲法改悪推進のコースを支配階級にとって避けられないものとする。福田政権も、この圧力から逃げることはできない。それは「政権奪取」を日程に上せている民主党にとっても同様である。
 この国際的・国内的力学は、福田新政権の取る政策の幅をきわめて限定させることになるし、政権の「迷走」をいっそうきわただせていくだろう。この中で自民・民主の「政策的合意」を通じた新たな「政界再編」=「国益」を前面に掲げた「大連立」も表面化していく可能性が強まっていくだろう。
 しかし、そうであればこそ、この福田首班の下での自公連立政権の危機を追撃し、早期に予想される解散・総選挙も見据えて「福田自公政権打倒」に向けた労働者・市民の闘いを拡大していかなければならない。自公政権の深刻な危機というこの情勢の中に、労働者・市民の共同による大衆的な運動を築き上げていくことに総力を集中しよう。

「国際貢献」の名
による侵略支援

 再開される臨時国会での最大の焦点は、十一月一日に期限が切れる「テロ特措法」の延長問題である。福田は、自民党総裁に選出された直後の記者会見で、海上自衛隊のインド洋・アラビア海での多国籍軍への給油活動を継続する新法案を臨時国会に提出する方針を示した。日本政府とアメリカのゴリ押しで、「不朽の自由」作戦=アフガニスタンでの「対テロ」戦争に対する日本の支援に「感謝する」前文を盛り込んだアフガニスタン国際治安支援部隊(ISAF)一年延長についての安保理決議を九月十九日に採択させたことは、民主党などの批判を抑え込み、この活動を継続する決意を示すものであった。
 しかし同時に、福田はたとえ十一月一日の期限切れまでに新法案が成立せず、海上自衛隊を一時インド洋から撤退させることになったとしても、「対テロ戦争」への「国際貢献」を継続するという日本からのメッセージが明確になれば良い、というニュアンスで語っている。おそらく若干の「切れ目」が出来たとしても民主党との間で「合意」を追求し、民主党にゆさぶりをかけようとする思惑がここから見て取れる。
 「ピース・デポ」が九月二十日に発表した詳細な調査によって、「対テロ特措法」による海上自衛隊の米艦への給油がイラク攻撃に使われていたことは、完全に明確となった(別掲記事参照)。さらにわれわれが明確にしなければならないのは、多国籍軍によるアフガン「不朽の自由」作戦が、アフガニスタン民衆を殺りくし、その生活を破壊し、貧困と飢餓、難民化をいっそう拡大している現実である。「テロとの闘い」への「国際貢献」とは、こうした「泥沼」に陥った不正義の侵略戦争と植民地主義的占領・支配の破綻を覆い隠し、民衆の苦難を増幅させたのである。
 われわれは今こそ「対テロ戦争」・多国籍軍の占領に終止符を打ち、自衛隊をインド洋からもイラクからも撤退させるために全力を上げよう。それは、沖縄での米軍新基地建設(辺野古、高江)を止めさせ、米軍再編を阻止する闘いともつながっている。
 「テロ特措法廃止・洋上給油新法提出阻止」を福田自公政権打倒の最初の闘いとして取り組もう。(9月23日 平井純一)




「ピース・デポ」が調査報告
海自の給油がイラク侵略に使われた歴然たる証拠を発表


「間接給油」で
イラク攻撃米鑑へ

 九月二十日、ピース・デポの梅林宏道さんは海自の補給艦「ときわ」が洋上給油した米艦がイラク作戦に使用されたことを緊急の記者会見で報告した。
 梅林さんが、この調査で使用した根拠文献は米給油艦ベコス、空母キティホーク、イージス巡洋艦カウペンスの航海日誌とキティホークの二〇〇三年司令官年次報告である。いずれも二〇〇四年から〇六年にかけて、米情報公開法による請求、ならびに海軍歴史センター(米ワシントンDC)における資料閲覧によって得られたものだ。なおこの内容は、同日九月二十日夜のTV朝日系「報道ステーション」でも報じられた。
 米空母キティホークが、二〇〇三年二月二十五日に海自補給艦「ときわ」から間接給油を受けたことは、同艦が同年五月六日にイラク攻撃作戦に参加して横須賀に寄港した際に司令官によって明らかにされたことだった。だが当時の政府の説明では「キティホークが『ときわ』から受けた燃料は20万ガロンで、ほとんど瞬間的に消費されてしまうためイラク関係に使うことはありえない」(当時の福田康夫官房長官)とするものであり、防衛庁も国会答弁で同様の発言を繰り返していた。
 しかし今回の調査・発表でさらに詳細な事実が示され、「ときわ」が間接給油した米艦船がもっぱらイラク攻撃に使用されたものであり、アフガニスタンの「不朽の自由」作戦への使用はありえないことが明らかとなった。以下、調査報告の内容から事実関係を紹介する。

航海日誌と年次
報告が示す事実

 @03年2月25日午前6時37分に、米給油艦ペコスはオマーン湾の奥、ペルシャ湾に近い海域で「ときわ」に接近して洋上補給体制に入った。給油が終わってホースが外されたのは同午前10時9分。この間「ときわ」からペコスに給油されたのは78・6万ガロンの船舶用ディーゼル油。
 Aペコスは「ときわ」から離れるとただちにキティホークへの給油に向かい、その間、他艦と接触することはなかった。同日午後5時3分、ペコスとキティホークが接近し、午後5時37分に給油ホースが連結された。給油が終わったのは午後7時28分。午後8時25分に両艦は離れた。ペコスの左舷でキティホークへの給油が終わらないうちに右舷にカウペンスが接近し、午後8時4分に並走状態へ。その後、給油が開始され、カウペンスがペコスから離れたのは午後9時38分。
 B「ときわ」から間接給油を受けたキティホークは、「テロ特措法」に従えばアフガニスタンの「不朽の自由」作戦に従事しなければならないのだが、そうした形跡はない。キティホーク、カウペンスともにマラッカ海峡通過後行き先をペルシャ湾と記載しており、「不朽の自由」作戦に関わるのに好都合なインド洋、アラビア海での展開をせずに、まっすぐオマーン湾奥の給油地点に向かった。そしてペコスからの補給を受けた20時間後には、キティホークはペルシャ湾内に入った。わざわざペルシャ湾に入ってからキティホーク艦載機がイラン上空を通ってアフガニスタンに向かうことは考えられない。したがってキティホークがアフガニスタンでの「不朽の自由」作戦に参加したという理由は成立しない。
 C二〇〇三年のキティホークの「司令官年次報告」によれば、年表部分に「不朽の自由」作戦やアフガニスタンという言葉は出てこない。その代わりに同艦は「南方監視作戦とイラク自由作戦を支援する一〇四日の配備のために横須賀を出発」としている。1月23日に横須賀を出発したキティホークの出撃目的は、当初から3月初めに「南方監視作戦」に参加することであり、そのために「ときわ」からの間接給油を受けたのである。アフガニスタンでの「不朽の自由」作戦への給油という説明は記録上からも成り立たない。
 D3月20日から始まった「イラクの自由」作戦に、「ときわ」から間接給油を受けたキティホークとカウペンスは、そのまま参加し、カウペンスはイラク戦争で最初のトマホーク・ミサイルを30発以上発射した艦となった。

「オイルロンダリ
ング」の違法性

 梅林さんは、ペコスを介した「ときわ」によるキティホークとカウペンスへの給油は、イラク作戦のための「オイルロンダリング」であり、明らかに「テロ特措法違反」であると批判している。この報告を受けた防衛省は、九月二十一日に、当初20万ガロンと国会答弁などで説明していた「ときわ」の「ペコス」への給油量を80万ガロンに訂正した。「海上幕僚監部で集計した際、データの入力に誤りがあった」という理由によってである。
 他方、自民党国防族の幹部は「日本が提供した燃料がイラク戦争に使われた可能性は否定できない」と語り、また複数の防衛省関係者も「日本の燃料がイラク関連の作戦の流用されたおそれがある」と証言している(「朝日」9月22日)。さらに二〇〇五年当時、ペルシャ湾に展開しイラク作戦に参加していた佐世保基地所属の米揚陸艦ジュノーの艦長だったロナルド・ホートン・現米空母エンタープライズ艦長は、「二〇〇五年当時はいまよりも頻繁に海自の補給艦から給油を受けた。日本の貢献は絶大だった」と述べた(「朝日」9月22日夕刊)。「間接」ではなく「直接給油」だ。
 同報道によれば揚陸艦ジュノーは、二〇〇五年当時、沖縄に駐留する米海兵隊をイラク国内に投入するためペルシャ湾北部に展開しており、この間、アデンなどで海自補給艦から三回にわたって燃料、食料の補給を受けた。「米海軍は『対テロ』と『対イラク』作戦をペルシャ湾周辺で同時に展開」しており、「海自から補給された燃料がどの作戦に消費されたかを見極めるのは困難」というのだ。
 ピース・デポの調査報告、そしてそれを裏付ける幾つもの証言は、日本政府・防衛省のウソを明らかにしている。追い詰められた日本政府・外務省は、九月十九日、ブッシュ政権との協力でアフガニスタンでの「テロとの闘い」に対する「日本の貢献に感謝する」という一文を、アフガンの国際治安支援部隊(ISAF)の任務を一年延長させる安保理決議の中にゴリ押し的に挿入させたが、それも「特定の加盟国(日本)の国内事情を優先させたもの」というロシアが反発して棄権にまわり、全会一致が崩れてしまった。アフガニスタン関係の国連安保理決議で「全会一致」とならなかったのは初めてのことである。
 しかし、自民党次期総裁となった福田は今秋臨時国会での「洋上給油新法」の提出・成立の意図を強調している。今やその根拠が完全に瓦解した「テロとの闘い」への「国際貢献」なるまやかしを徹底的に追及し、「テロ特措法」の廃止、洋上給油新法の提出阻止、自衛隊のインド洋・アラビア海、そしてイラクからの即時撤退実現へ!(K)


もどる

Back