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南北頂上会談に対するペク・キワンの講演(上)      かけはし2007.9.24号

「すべての核兵器廃絶・人類の良心韓半島宣言」が必要



 実に久しぶりに統一問題研究所の所長であるペク・キワン先生の講演会が開かれた。8月22日夕刻、鉄道ウェデングホールで開かれた講演会には200人近い聴衆が集まった。講演会の司会はヤン・ギュホン不安定労働撤廃連帯代表が担当し、パンソリの公演とイレンド一般労組キム・ヒョンジュ同志のあいさつに続き、ペク先生の講演が始まった。機関誌「労働者の力」編集委員会は、この日の1時間30分余にわたった講演内容を整理して掲載する。もちろん、ペク・キワン先生の声、その響きや強弱、表情や眼差しなどが生々と伝えられる講演会の現場性を盛り込むことはできないが、今回の南北頂上(首脳)会談に関するペク先生の考えをより多くの労働者・民衆が聞けたなら、との趣旨で、この認識を準備した。ペク先生の言葉を最大限、正確に聞きとめようとしたけれども、一部の口語体は文語体に変えた。先生が使われたウリマル(国語)の語彙は尾注で処理した。講演内容の中間に出てくる小見出しは編集委員会が任意で付したものだ。整理した内容の中でペク先生の本意を損なった点があるとすれば、それは全面的に機関誌編集委員会の責任であることを明らかにしておく。


 ごあいさつ申しあげます。
 ありがとうございます。時ならぬ蒸し暑さが押しつけられる人々は、だれでもぼおっとなります。しゃしゃり出る時でもないのに、ましてこのように、パッと出てきて何がしかを語るとなれば、実際やるせない思いがします。そのような切ない思いで皆さんにおたずねします。この蒸し暑さの中で私の話を最後まで聞いて下さいますか?

他者が介入すべき余地はない

 最近、南側と北側で高い地位にある人々が会う、という話があります。私は南と北のその人々が会うのは、とてもよいことだと考えている一人です。ウリ(わが民族)同士は百回でも千回でも会うべきです。ところが世相の人心は、そうでもないようです。「ノ・ムヒョン氏は任期がもういくらも残っていない人だ。そんな人が、なぜ北に行こうとするのか? ダメだ」、またある人は「あと数カ月もすれば南では大きな選挙があるのに、選挙を前にして、なぜ北に行こうとするのか、何か政治的な策略が感じられる。ダメだ!」。少なからぬ人々が、そう言っているようです。いささか、みみっちいようです。
 わが民族の問題は、大統領の任期だとか、大統領を新たに選ぶ選挙が介入するべき、そんな余地はありません。わが民族の問題は今すぐ、この瞬間からでも出会い、ウリ同士で決断を下さなければならない極めて急迫した問題なのです。それなのになぜ任期がどうの選挙がどうのというのですか? 実にケチくさいことだと思います。
 しかも、私が株主でもある新聞社が――新聞社の名前を挙げるのも気恥ずかしいほどですが――そこの若い人が文章を書いているのだが、「この際、南北頂上会談では北核の問題を明確に解決する、その契機とならなければならない」と語っているのです。
 皆さん、本当に悲しいことです。若い新聞記者がこの際、南北のトップの人々の出会いでは「北側が開放、改革を行うというハッキリした態度を示せ、民族の経済共同体は開放・改革のための明確な態度が前提とされなければならない」式のやり方で文章をつづっていたのです。その瞬間、私は自分が株主となっている新聞社の若い記者が書いた文章だとは考えられず、ブッシュという名のとんでもない奴の声として、それは聞こえました。くらくらとめまいがするほどです。
 そこで私が乗り出すというのもこっけいだし、進んで文章を書くこともないし、書いて幾ばくかを語ってみたところで聞く人もいないのに何で出てくるのか、いやいやたった一人がおいでだとしても語らなければならないとの思いで出てきたが、皆さん、ぜひともがまんして中味のない話でも聞いてくださいますか?

薄っぺらな民族虚無主義者

 皆さん、南北頂上会談! この表現は、ちょっとイライラしませんか? 「頂上」という言葉は英語の「サミット」という言葉をそのまま翻訳したものだが、一番てっぺんという言葉ではないですか? 民主主義は人の上に人はいないと言っているが、誰がてっぺんなのですか? はったりではないですか?
 ただし、一番上にいる方を何と言うのかと言えば、ウリマル(わが国の言葉)ではトゥクセム(指導者の意)と言いました。ではトゥクセムとは何か? 固い大地を、ただ全身をもって押し出して水をこんこんと噴き上げ、傍らの大地を全身で潤す泉を、そのような人をトゥクセムと言います。干からびた大地を潤すばかりではなく、道なき道を切り開き水の流れを作り出す泉をトゥクセムと言うのです。そうこうしているうちに日照りになってその泉でさえ干からびれば全身から血涙が出て、その血涙によって大地をうがち、大地を潤す水路を作る人をトゥクセムと言います。したがって「頂上会議」などと言わず、「トゥクセムの出会い」とでも言えばよいのでは、ということです。
 ところで、この話を聞いて人々は首を傾けるようです。「ノ・ムヒョン氏がトゥクセムだって?」と不満げのようです。そうです。ノ・ムヒョン氏はトゥクセムでしょうか?
 渇いた大地を突き破り潤す泉なのか、というわけです。私はノ・ムヒョン氏は「歴史虚無主義者」だと言いたいです。ノ・ムヒョン氏を概念的言葉で皮肉るときには「歴史虚無主義者」と呼ぶのです。どうしてノ・ムヒョン氏は歴史虚無主義者なのでしょうか? 歴史的な事態の中で行った人間の主体的な言動を、その態度を規定するときには歴史虚無主義者だった、ということです。
 イラク戦争が起こるやいなや米国をワッと元気づけた陸軍1等兵、それも女性の1等兵リンチ―事件を、皆さんは忘れてしまっていませんか? 銃弾が尽きるまで闘ったうえ、銃弾を何発も受けながらもさらに闘い、イラク軍に捕われ、という事件をよくご存知でしょう? ブッシュというクズのような男は米国の至る所そこかしこに黄色の布を掲げて祈れ、と言いませんでしたか? かの有名なリンチ―なる女性陸軍1等兵は、後で分かったことだが、銃弾を受けず、切られもしませんでした。そのすべてが、まっ赤なウソでした。
 米国がイラクを侵略したのは石油を奪い取るためのものだったということが満天下に明らかになったにもかかわらず、ノ・ムヒョン氏は軍隊を派兵することによって侵略戦争の提灯持ちをしたのです。皆さん、よその国への侵略の歴史、虐殺の歴史は歴史の度合いの問題ではありません。そのようなことを歴史虚無主義者の所産だと言うのです。そうしてノ・ムヒョン氏は米国の侵略の歴史の旗振りをしたために歴史虚無主義者であってトゥクセムではない、ということなのです。
 だとすればノ・ムヒョン氏は歴史虚無主義者であるだけなのか? 違います。民族虚無主義者です。皆さん、独占資本主義の危機を抜け出すために米国はどんな政策を使っていますか? 一つは全世界を投機の対象とし、さらに全世界を略奪的な貿易地帯とみなしているのです。それは何か? 韓米自由貿易協定です。そうやって強要したからといって、おいそれと進んでいけるものではないでしょう。第1に労働者、第2に農民、良心的な市民がいる限り、米国の投機地帯、米国の略奪的貿易地帯へと世界を再編成しようというその陰謀に飲み込まれはしません。労働者はこの国に残った最後の抗体です。細菌が入ってきたとき、それと闘うわれわれの重要な抗体が労働者であり、農民であり、良心的市民だ、ということなのです。
 ところで労働者、農民、良心的市民だけなのでしょうか? これらの人々はこの国に残った最後の自主性、最後の堤防です。最後に残った堤防を打ち壊せと命令を下し、ノ・ムヒョン氏が行った結果が850万人の非正規職として現れたのです。国のために、民衆のために、国民のためにと語ったけれども、国の実体や国民の実体が抜け落ちた脱け殻だけをもって韓米自由貿易協定を強行しようと考えたノ・ムヒョン氏は民族虚無主義者だ、ということです。
 ノ・ムヒョン氏は、そのように歴史、民族虚無主義者だけなのですか? 極めて薄っぺらな世俗的虚無主義者です。いつであったか、ノ・ムヒョン氏が「ペクポン・キムグ(白凡・金九)先生を尊敬していたが、結局は失敗したのだから今は尊敬できない」と新聞に載せていました。これはどんな意味なのか? 米国の新保守主義者の論理です。米国の独占資本の論理です。他を殺してでも、すべて奪い尽くすというのが資本の生存の論理だからですか? その政治的論理とは誰なのか? 新保守主義たちです。
 新保守主義者たちは何を話したのですか? 「米国に手向かう政権は叩きのめす、軍事費をおびただしいものにしなければならない、この空間を、この宇宙を軍事戦略化しなければならない」と、このように語りました。これが米国の新保守主義者たちの論理です。そのように語った米国の新保守主義者たちの精神的アボジ(父)がシュトゥラウスという極めて反動的な人間なのだが、こ奴は「平和というのは堕落したものだ」と語っています。
 「永遠の戦争、力を持って他の国を侵奪し、殺し、奪いぬくこと、それだけが本当の平和だ」と語っています。これがブッシュの思想体系ではないのか? 他を殺し、政権を握り、他を殺し金持ちとなり、他を殺し息まく人々、そのような奴らには尊敬を払い、キムブ先生は失敗した、だと? 皆さん、この場におられるのは統一運動をした方々、やってきて苦労された方々、現実的には勝利を握れずに失敗した人々ですか? ノ・ムヒョン氏はとても薄っぺらな世俗的虚無主義者だ、と言いたいのです。そんな虚無主義者は民族問題に踏み込む資格は、ありません。

核問題は北核問題なのか

 本当に民族問題に取り組む資格のない人間が北側に行くからといって「行ってはならない、行くことはできない」と語ることのできないのが、われわれが生きている分断の矛盾の二重構造です。お分かりですか? その二重構造にわれわれは立ち向かい闘わなければならない二重的責務があるのです。したがって私はこの際、ノ・ムヒョン氏が北に行くことに反対しません。
 ところで、ノ・ムヒョン氏が北に行ったら何をすべきでしょうか? 若い記者が行っているように、北核問題について決断を下してこなければならない、ということですか? この言い草からして間違っていると思います。核という問題について考えるとき、中心的な問題は、米国の核の独占にあります。半分以上の核を米国が持っている、その核独占が、ほかならぬ核問題なのです。03年にイラクに攻め入ったとき、米国国会では少しだけ核兵器を作ってもよいという法を制定しました。それをもって米国の有名な新聞のワシントン・ポストは、いかなる文章を書いたか? あの北側の地下に軍事兵器があるのに、それをこてんぱに叩き壊さなければ米軍の軍士百万人が死ぬと言ったのです。百万人の米国軍士を生かすためには北側に核爆弾を落とすべきだ、というのです。
 北側に投下するという話でしょうか? 違います。韓半島、違います。われわれが生きているこの地球に落とす、ということです。きのう新聞を見ると、バージニア核潜水艦3隻を、いくらもいない太平洋に浮かべるというではありませんか? そして大西洋にいた核潜水艦15隻をすべて太平洋に移す、というのです。なぜ、そうするのでしょうか? 確実に戦争を引き起こしているのです。その反動で中国では、排水量8千トン級にもなる巨大な潜水艦を5隻も配置するというではありませんか? 中国と戦争を始める、というものです。このような客観的事態を推し量ってみるとき、核問題は北核問題なのでしょうか? わが人類の問題なのです。ですからこの際、ノ氏が北に行ったら核問題に関して断固たる結論を出さなければならないが、どうすべきなのか? 簡単です。「すべての核兵器廃絶・人類の良心韓半島宣言」を下すべきです。ここまでの話を聞いてみて、新聞を読むときのように1回ぐらいは座って聞いていってみたいでしょ?(つづく)


コラム
サルスベリの咲く中庭


 突然政権を投げ出した安倍晋三に対してマスコミは一斉に「無責任な良家のぼんぼん」と批判した。私はこれに「長州人の不遜さ」を加えたい。この評価は間違っているかも知れない。しかしそう言いたい程「長州人」の第一印象は強烈であった。
 一九七八年の三・二六闘争から一年も過ぎていたが、多くの同志は未だ獄中におり、全国では反処分闘争、職場復帰闘争という形で三里塚闘争は続いていた。とりわけ全電通は、電電公社の処分を容認し、労働組合自身が三里塚を闘った仲間に処分を下した。これに抗議するため福島、宮城、青森など東北の仲間は全国大会が開催されている山口に出向いた。電通労組結成の一年前のことである。
 私も数名の仲間とともにベース・キャンプともいえる宿泊所を確保するため先発隊として山口に出発した。地元の仲間の紹介で、今は営業を休んでいるが、食事と布団は自分たちで調達するという約束で、市内の閑静な場所にある小さな旅館を契約することができた。半分は江戸末期の建築ということで、「渋い」家屋で中庭には白い花を咲かせているサルスベリと椿の木があった。夕方、カネの支払いとあいさつのために帳場に行くと中庭に面し、奥に歴代長州が輩出した総理大臣の写真を背に白髪の「女将然とした婦人」が座っている部屋に案内された。
 「この度は処分に対する抗議のために山口に来たとか、ご苦労様です」と言い、「時の多数はかならずしも正しからず。共産党の宮本顕治も長州、共産党を除名になった山口左派も日刊紙を出しています。それも含めて長州であり、山口です。長州とて一時は朝敵の汚名を着せられました」と続ける始末。まるで「日本国」は長州でもっていると言わんばかり。そして極め付けは、「ここを明治維新の若い志士たちも使いました」。市街地には当時三階建てを超えるビルはなく、旅館の前を流れる川には季節になるとホタルが舞うように、丸太の杭が打たれ餌のカワニナが繁殖できるように流れが分けられていた。そこに見たのは「税金を注ぎ込んで維持される歴代権力者の故郷」であり、それは長州人の「誇り」というよりは身の毛がよだつような「不遜さ」であった。伊藤博文が明治憲法を起草した別荘のある横浜の金沢文庫の並木もまたサルスベリ。それ以来「不遜さ」とサルスベリがダブる。       (武)


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