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                            かけはし2007.9.10号

3人の死刑執行に抗議行動

東京拘置所で2人を処刑した
死刑制度を即時廃止させよう

 九月二日、東京拘置所正門横の万葉公園で「死刑執行抗議」集会が死刑廃止フォーラム90の主催で行われ、五十人が参加した。
 八月二十三日、長勢甚遠法務大臣は、三度目の死刑執行を三人に対して行った。長勢は在任中合計十人の執行を行った。短期間に多人数の執行を行った法相は存在しない。二人の死刑執行を行った東京拘置所に対して抗議集会をし、執行をしないように、申し入れを行った。
 主催者を代表して、安田好弘弁護士が死刑執行の特徴と、執行を阻止し、廃止にむけていかに運動をつくりあげていくのかを提起した(別掲)。次に、名古屋で執行された瀬川さんを支援している仲間が「瀬川さんは、自分のことを表で発言してくれるなと言われていたので、詳しいことを伝えることはできない。家族から見放されたなかで、カトリックのシスターが面会していた。病気だと治すこともできるが死刑は何もすることができず、命が終わってしまう。本当に死刑は残虐だ。何とか命をつなぎとめておきたい」と語った。
 続いて富山大教員の小倉利丸さんが「富山では死刑廃止運動はない。地元の反応は、長勢のやっていることを積極的に支持するというものではない。二回目の抗議集会・デモをマスコミは『真剣に考えてみよう』と大きく報道した。長勢は地味で印象の薄い人だ。官僚出身で、行政執行について冷酷なのだろう。長勢を次の選挙で落とすような地元での運動をつくっていかなければならない。メディアの犯罪報道のあり方を変えていかなければならない」と報告した。
 次に、アムネスティ・インターナショナル日本の仲間が「国連拷問委員会の死刑をやめるようにという日本への勧告への重大な違反である。四十七カ国で構成する欧州委員会は執行の当日に抗議声明を出した。ルワンダが今年死刑廃止を決め、百番目の国になった。執行しない国は百三十カ国だ。死刑を執行している国は二十五カ国のみだ。続いて、宗教者ネット、福島みずほ事務所、反日武装戦線の益永さんの養母などから、死刑執行への抗議と今後、執行させないという思いが語られた。
 最後に全員で、東京拘置所へ二人の執行の抗議と今後執行しないようにと申入書を持って正門に移動したが、東京拘置所は看守を並べて阻止線を張り、受け取りを拒否した。「執行するな。死刑を廃止へ」とシュプレヒコールをあげ、抗議行動を終えた。死刑廃止を!       (M)


安田弁護士の提起から
執行を阻止するために


長勢法相は11カ月
で10人を執行

 八月二十三日に、三人の死刑囚の死刑が執行された。竹澤さんは栃木県で三人を殺す事件を起こした。上告せず死刑が確定した。責任能力がなかったと公判で争った。二人の鑑定人が躁鬱(そううつ)状態、心身膠着状態だったと鑑定結果を出した。しかし裁判所は控訴を棄却した。岩本さんは二人殺害する事件を起こしたが、自首している。死刑をまぬがれるために自首したと、減刑を認めない判決を出した。岩本さんは控訴せず死刑が確定した。この二人の死刑判決はこのように大きな問題をかかえている。
 長勢法相は前々から十人死刑執行すると公言していたので、四月の三人に続き、必ず執行があるだろうという情報が入ってきていた。執行されると思われた人がその通り執行された。ハッキリ分かっていて執行されたのは初めてだ。十一カ月で十人が執行された。一九七七年に七人執行されて以来、三十年間なかったことだ。今回の執行は積極的に執行していくという自信を持ってなされた。

10年前に比べて
3倍の死刑判決

 この間の死刑の特徴は、第一に死刑判決が十年前の三倍に増えている。三人のうち二人は十年前だったら、死刑判決にならなかった。第二に、長勢法相が就任以来、死刑執行が増えるのが分かっていたので、阻止するために様々な取り組みを行った。長勢法相の地元富山で一回目の執行の時、抗議集会を開いた。二回目の時は、抗議集会とデモを行った。三回目も抗議集会を行った。日弁連も執行するなと声明を出した。こうした抗議にもかかわらず執行を行った。
 第三に、死刑再開から五十七人が執行され、死刑確定者は百四人で、どんどん拡大している。日本は死刑大国をめざしている。第四に、現在、明確に死刑廃止の意思表示をする人は二・一%しかいない。第五に、山口県光事件に見られるように、被告を弁護する弁護士を殺す、裁判官も殺すという脅迫が公然となされるようになっている。世論が積極的に死刑に動いている。第六に、裁判官員制度の導入によって、より死刑判決が増大するだろう。第七に、新しく法相に就任した鳩山邦夫は「犯罪抑止力があるから死刑制度は必要だ」と発言した。さらに、安倍内閣・自民党三役の安倍、麻生、甘利、与謝野、石原、二階堂は死刑存置論者だ。廃止論者は一人としていない。前内閣・自民党三役では、塩崎官房長官と中川秀直幹事長は死刑廃止論者だった。
 こうした状勢の中で、死刑執行をどう阻止するか、死刑廃止フォーラムが発足した十五年前は三年四カ月執行を止めた。一九九四年の衆院議員へのアンケートによると、即時廃止が八・四%、終身刑を設けて廃止が一九・六%、同年NHKの世論調査で、六・一%が廃止、四〇・五%が終身刑で廃止であった。二〇〇三年テレビ朝日の世論調査で二・一%廃止、二九・二%が終身刑で廃止であった。その後、死刑についての世論調査は行われていない。
 こうした状況の中で、私の提案だが、かつては重い刑罰として終身刑の導入に反対してきたが、死刑執行を阻止するためには終身刑の導入による死刑の廃止を求めたらと思う。参議院での与野党逆転の中で、立法化につながる運動をやってゆかなければならない。(発言要旨、文責編集部)



コラム
父の入院

 七十八になる父が入院することになった。病名は鼠径ヘルニア。いわゆる脱腸である。数年前からその症状が現れていたが、別に痛むわけでもなく、生活に支障があるわけでもないので放っておいたらしい。ところが痛みは別にして、その脱腸ぶりが尋常でなくなったというのが母の弁。病院で手術を勧められたという。
 母の常であるが、何かが起こると早口で電話がかかってくる。今回は図書館の駐車場、そして何の前触れもなく結論から始まった。「お父さんが手術することになった。S病院に○日に入院するからよろしく。云々」。あっけにとられている間に、了解のボク。嫌がっていたのを母が何とかなだめすかしたらしい。今まで一度も入院もしたことのない父が、まして手術をするなど考えてもみなかった。
 家に帰って連れ合いにその話をすると、「そんなに年とってから手術なんかしなくてもいいんじゃないの。それにあの病院ははっきり言ってヤブ。ほかの病院でも検査してもらったら」。かつて大学病院の秘書をやっていたことがあるので、病院と薬には一言あるのは分かっていたが、こう言われればボクも長男としての責務を果たさなければいけない。
 入院前日の朝、早速実家に電話をすると父が受話器をとった。「たいしたことないから」という声の向こうで、「できればやりたくない」との切なる願いが滲み出ている。母にかわってもらい再度詳細を聞き出すと、「検査の際、急にどうなるわけではないが、いずれは手術をとのことだった。それが、急にベッドが空いたので入院しませんか」とのこと。これでは「指定席が空いたので、急ですが旅行に行きませんか」と同じである。これにはボクもびっくり。とにかく今回の手術は、身内に葬式ができたとでも言ってキャンセルして、別の病院でも診てもらった上、仕切り直しすることになった。
 翌日、紹介状を持って連れ合いお勧めの大学病院(秘書をしていた病院とは違う所。勤めていた所もヤブと太鼓判)で検査。やはり手術した方が良いことが分かった。腸が絡まると命に関わるという。懇切丁寧に説明してくれたので父も納得したが、入院は三カ月も先になるとのこと。それに自宅からは遠いのが難点だった。そこで先の紹介状を書いてもらった主治医に相談すると、今度は駅前のU病院を勧められた。「病院は患者と家族が選ぶもの」。この方針を貫徹することに決め、三度目の検査とあいなった。
 この日はボクが両親を車に乗せ出発、病院に着くと待合室には患者の群。「流行ってますね」が正直な感想。そういえばこの病院大通り沿いに十何階建ての新病院を建設中だった。三十分ほど待たされ診察室へ。問診、触診に立ち会った。結果は同じ。現状や手術方法など事細かに説明を受け、ここで手術をしてもらうことに決定した。最初のS病院では手術の話し以外は、触診らしい検査もなかったという。空きベッドを埋めるための入院じゃ万が一死んでも死にきれない。医療ミスが多いという風聞もまたしかりだった。
 お盆の最中に再度検査して具体的な入院日を決定。そしてその朝を迎えた。十時までに入ればいいというので、そのつもりでいたところ七時半ころ母から電話が入った。今度は父の姉が危篤だという。「今日入院だから行かなくてもいいよね」という合理的思考の母。「取りあえず行かないと後々後悔するから」とボク。急いで顔を洗って車に乗り込んだのは言うまでもない。手術キャンセルの言い訳が本当になってしまった出来事だった。(その日ギリギリ入院。手術は無事成功し、先日退院しました)(雨)

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