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大江・岩波沖縄戦裁判第10回口頭弁論          かけはし2007.8.27号

沖縄の怒りに追い詰められる軍強制否定論者


 【大阪】大江・岩波沖縄戦裁判裁判第十回口頭弁論は七月二十七日に開かれ、午前午後にわたり三人(皆本義博氏:原告側・元赤松隊中隊長、知念朝睦氏:原告側・元赤松隊副官、宮城晴美氏:被告側・『母の遺したもの』著者)の証人に対する尋問が行われた。
 傍聴券を求めて集まった人は二百二十四人で、いつもの二倍、しかも今回は傍聴席に記者席がもうけられた。岩波からは五人が参加したが全員抽選に漏れ、沖縄から参加した二十人も二、三人以外ははずれたとのことであった。藤岡信勝(「新しい歴史教科書」をつくる会)も参加していたそうである。来年度から使用する高校生用教科書の検定で、文科省が「軍命令による集団自決」という表現を削除したことに対する市民の関心が高まっていることがうかがわれた。

裁判はいよいよ
ヤマ場に突入

裁判はいよいよ最大の山場を迎えつつある。九月十日には福岡高裁那覇支部で出張尋問(証人:金城重明さん)が行われ、十一月九日の証人尋問では梅澤元隊長、赤松元隊長の弟、大江健三郎三氏に対する尋問が決定した。十二月二十一日午後一時十五分から午後二時まで最後の口頭弁論が開かれ結審となる。おそらく来年三月までには判決が出るのではないか、との見通しである。
 裁判後、夕刻から裁判報告集会と「沖縄戦裁判と歴史歪曲の背景」と題する目取真俊さんの講演があった。支援連絡会からは、安仁屋さん(沖縄国際大名誉教授)を証人として認めて欲しいこと、九月の出張法廷を公開にして欲しいの二点の要請を行ったとの報告があった。

証人尋問で明確
になった実相

 はじめに岡本厚さん(雑誌「世界」編集長)が岩波書店を代表してあいさつし、裁判の概略を説明し、「準備書面による弁論と違って、非常に中身の濃いもので、証人が尋問に答える中でいろいろな中味が見えてきた。皆本氏は『戦闘中で、赤松隊長の言動についてはほとんど何も知らなかった』と証言した。また、毎月八日に村民がやる大詔奉戴日(毎月8日、必勝祈願をする日として1942年に決められた)には軍から隊長かその代理が必ず出席していたことも明らかになった。そこで何が語られたのかを考えると、非常に興味深い証言だった。軍の責任はどうなんだとの反対尋問に対して、『戦争は常に外国でやってきた。それを沖縄でやったため準備ができていなかった。それが問題だった』と重要な証言をした」。
 「知念さんは、さっき言ったことも忘れ、とぼけてしまうという状況だったが、伊江島から渡嘉敷島に来た女性の処刑、朝鮮人三人の虐殺、家に戻った大城防衛隊員の処刑は、赤松隊長の口頭命令により行ったと証言した。宮城さんも苦しいところをガンバッて証言した。この間の沖縄の怒りがこの裁判の帰趨を決するだろう。本土のわれわれがそれにどう応えるのかが問われる。この闘いは地裁が終わり、どっちが勝っても多分最高裁まで続くと思う。皆さんとともにがんばっていきたい」と述べた。

11月には大江
健三郎氏も証人

 続いて秋山弁護士が発言した。
 「出張尋問は非公開が原則になっているが、裁判官が現地に行き、現地の空気を感じ取るということは非常に重要だ。法廷には入れなくても、裁判所のまわりを皆さんで埋めて頂ければ大きな効果があるだろう。宮城さんの尋問はこの事件において重要な位置づけであり、何回も事前に打ち合わせをして、今日の尋問に望んだ。宮城さん本当にお疲れ様でした(拍手)。この間新たに出てきた証言も含めて、宮城さんに尋問し証言してもらった。現時点でやるべきことは全部やってきた」。
 「われわれの考え方は以前にも述べたように、軍官民共生共死の一体化の基本方針のもとで、この島では住民を外に出さないで玉砕するのだと言うことを隊長自身が述べていたこと、これについては慶留間の野田隊長が玉砕訓示をしていたという宮村文子さんの新しい証言も出ている。軍の強制があったということはかなりはっきりしたと思う。宮城さんも証言したが、座間味の助役だった宮里盛秀さんの家族、春子さんの証言が新たに出てきた。助役自身があらかじめ軍から命令を受けていること、それでああいう伝令をとばしたことがはっきりしてきた。原告側弁護士もあわてていた。これらの証言は教科書検定の後に出てきている。検定自身はけしからんことだが、これがあったことで切迫感を感じていろいろな人が新たに証言をした。十一月には大江さんも証言をする、注目して欲しい」と述べた。

何も知らないと
語る原告側証人

 さらに追加した近藤弁護士は、「渡嘉敷島で赤松隊長の自決命令はなかったということを証明するために、皆本・知念証人が出たのだが、具体的なことは何も知らないと答えた。このことは重要だ。安仁屋先生には陳述書を書いて頂き提出しているが、そこでは、『兵器軍曹が役場に来て、住民を集めるように指示した。そのときに手榴弾を二発渡して、一発は米軍に、残りの一発で自決するように言ったと富山さんが証言し』、そのことを安仁屋先生は直接聞いたことが書かれている。裁判所はこれを受け、原告側は特に聞くことはないといった。だから、裁判所はこの陳述書の内容のことが実際にあるものと判断している」と報告した。
続いて、高嶋伸欣さん(沖縄の平和教育をすすめる会)は、「反対尋問に答えるのは大変だが、宮城さんは本当にきちんと答えてくれた。原告側の弁護士は、『あの教科書の問題は梅澤さんや赤松さんら個々の隊長の命令だけの話じゃないが、ここでの話は二人の隊長命令だけの話だ』と繰り返して言っていた。これで教科書問題では勝負あったと思った」。
 「文科省に教科書を書き換えさせることを目的にやっていたはずだが、二階に上がった文科省の梯子をはずすようなことを言ったことになる。彼らは検定結果にバンザイしているような記者会見をしたようだが、その後の沖縄の反発で風向きが変わってしまい、やぶ蛇だったと思い、方針を転換したのではないかと思う。沖縄では、PTA連合会など従来保守的と思われていた団体などが前面に出て、超党派での県民集会実現に向けて動いている」と語った。

悲惨な集団自決に
無関心な原告側

内山さん(首都圏の支援する会)は、「宮城さんに対する反対尋問は原告側にとって何も得ることがなかった。この裁判は、教科書検定で軍による強制を削除することを目的に提訴されたものであることがはっきりした。首都圏の支援する会は六月六日に結成し、六月十五日には沖縄県民大会の代表と一緒に文科省交渉をした。教科書検定の問題は沖縄では盛り上がっているがまだまだ本土では動きが弱い。これでは検定を撤回させるまではいかない。もっとがんばりたい」と述べた。
最後に宮城晴美さんが指名されて発言し、「『母の遺したもの』が母の意図しないことに利用されてしまった。尋問した原告側の人たちは、沖縄戦の実相や悲惨な集団自決の実情については何にも関心を持っていない。とにかく当時の戦隊長の命令はなかったとして、自分の名誉を回復したいという一点だけであることがよくわかった。こちらに来るまでいろいろな友人から励ましの言葉をもらった。今日の尋問に対するわたしの答え方に合格点を付けてもらったのならうれしい」と述べた。   (T・T)


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